第19話 心に傍寄る強さ 2

 芽吹が消えた後、谷崎と敦は探偵社に戻った。汗だくになり、青ざめて慌てた様子の二人に、国木田は焦り、太宰は呑気にソファーに寝転んでいた。


「早く探しに行かないと!」

「敦くんが云うリンッて子の異能が強いなら、芽吹ちゃんの異能じゃ防戦一方です!」


 荷物も置かず、捲し立てる二人に太宰は「まぁ落ち着きたまえ」なんて微笑む。


「リンの異能は、『異空間内で殺した相手の異能を奪い取る』。そう聞けば、確かに強い様に聞こえるだろう。けれど、『相手を殺せない』場合、彼の異能は役に立たない」


 太宰は分かりきった事を説明する。

 敦は「それは、知ってますけど…」と、困惑した様子を見せた。

 太宰はうんと大きく伸びをして、体勢を変えて昼寝に戻る。


「考えてごらんよ。彼の異能が本当になら、彼の異空間はもっと汚れていると思わないかい?」


 太宰がそう言うと、敦はハッとした。

 上も下も、右も左も、前も後ろも分からない真っ暗闇の中で、リンはにっこりとお人形のように笑っていた。



 ――



 太宰は眠たそうに目を細める。


「面白いねぇ。異能力の自覚があるのに、自分の異能の本質を知らないなんて」


 敦は更に慌てた。このままでは、本当に芽吹が危ないと知ってしまった。

 けれど、異空間に連れて行かれては、手の出しようが無い。


「本当に助けに行かなくて良いんですか」


 敦の問いかけに、太宰は「うふふ」と笑う。




「あの二人の戦いは、どちらが先に『本質』に気がつくかが勝敗を決めるよ」




 それは、『黙って固唾を飲んでなさい』と言う、遠回しな制止だった。


 ***


 敦達が探偵社に駆け込んだ頃、リンの異空間内では。



「あぁやだねぇ。やだやだ、ホント。無理して気取って、無いものねだり」



 反吐が出る。とすら云ってしまえる程に、オレは吹っ切れていた。

 いやどちらかと云えば、やけくそになっていた。


「他人が貰えて、自分は貰えんものなんか、誰にだってあるじゃんな。オレらが偶々たまたま『愛』だっただけ。貴重なもんだったっちだけ」

「うるさい! ボクはそれが欲しいんだ!」


 リンは剣を振るう。けれど、それはさっきよりも太刀筋が出鱈目でたらめで、まるで自分の心をかき消す様に振り回しているだけだった。


「愛されたいだの、褒められたいだの。そんなの他人に求める方が莫迦ばからしいって思わんのかね」

「どうして褒めてもらったらいけないの、どうして愛されたいと願うのがいけない事なの!」


「砂のさかずきに水が満ちるかい」


 無理なものは無理だ。そう云い切ると、リンは目を見開き、泣きそうになる。

 けれど、すぐに敵意を剥き出しにして、狼と剣を使いこなして、オレに襲いかかる。


 自分よりも純粋で、人間らしい。

 感情を捨てた自分には、彼はあまりにも眩しくて、胸が痛むほど哀れだ。


「……自分で満たせないから、他人が欲しいのに。誰かに頼ることが、誰かを望むことが許されないの?」

「自分で満たせないもんを、他人が満たせるもんかい。無駄に傷ついて終わることに、何時いつまでも労力を割ける方が、よっぽど不思議だがね」

「そんな……。じゃあボクの心はずっと空っぽなの? ……嫌だ。嫌だ、嫌だ。そんな、そんなのやだよぉ……」


 リンは遂に子供の顔に戻った。

 最初から隠しきれていなかった、幼子の鱗片が、飢えた子供の小さな欲が、彼の内側から溢れている。

 それに比べてオレはどうだ。自分より年下のリンに向かって云いたい放題して、オレは上がったままの頬に爪を立てている。

 他人に合わせて表情を変えてきた。

 学んだ通りの感情に、正しい顔で対応してきた。


 あるべき通りに、模範解答で返してきたこの顔が、今は酷くけがれていて、醜いものになっている。


「どうせこう思っとんのじゃろ。『綺麗な顔で、綺麗な姿であれば良い』って、『強くて仕事が早くて、有能な部下であれば良い』って。ため息が出る程健気けなげで可愛い子を演じてんねぇ。大人にとって、都合の

「だってそれが、ボクの存在意義で、ボクに出来る唯一のことなんだ。そうじゃなかったら、それはボクじゃない。ボクがここに居る意味が無くなる!」


 これは、異能の一部なのだろうか。それとも自分の汚い側面なのだろうか。

 リンの本心が手に取るように解る。感情というか、魂の色のようなものが視える。

 彼の中で渦巻く白と赤と、黒いものを見据えて、「あぁ、これが彼の心の葛藤と欲の切望なのか」と理解した上で、オレは最低なことを云った。



「最初から生きる意味なんてあらんよ。誰にもあらん」



 生まれて、育って、死ぬ。

 そこに愛があろうと無かろうと、道端の花同様、生まれて、育って、死ぬ。

 愛される理由も、愛される条件も無い。生きる意味も、死ぬ理由も、生きている上では何一つ存在しない。

 生きている人間が、これからも生きる為に勝手につけた付加価値オプションだ。ただ理想像エゴだ。


 それに縛られて生きるなんて、なんて不自由だろう。


 リンはショックを受けて、ふらりと揺れる。すぐに「そんなの嘘だ!」と喚いて、出鱈目に剣を振り回す。幽体化しているオレへの無意味な抗いに、オレは更に哀れになる。

 そして異能のそれで、生きているのかすら分からない自分に、吐き気がする。


「どうしろって云うんだろうねぇ。こんな虚ろな世界で、虚ろに揺蕩たゆたもやの成れ」


 独り言すら闇に溶け込む。

 悲しみも憐憫れんびんも、温度の無い世界に馴染み消えていってしまうのに。


 愛を知らずに育った子供の癇癪かんしゃくを、同じ子供が受け止めている、この嘆きを。


 誰が救えるだろうか。

 誰が手を差し伸べるだろうか。



「自己責任なんて、都合の良い手放しがある世界で、愛なんて本当に存在するんかねぇ」



 ついに、リンが手を止めた。

 狼も、リンの傍で大人しく座っている。心配そうにリンを見上げる無邪気な瞳が、子供のようで眩しかった。


「……望むことも、願うことも許されないの? たった一言だけ、ボクは褒められたい。頭を撫でてなんて、云わないから」


 リンの言葉は、オレの胸にゆっくり突き刺さっていく。それは冷たい氷のように、突き刺す痛みと冷たさが滲んでいく。

 こういう時に、優しい言葉を掛けられたなら、どんなに良かっただろう。


「誰も、だぁれもそんな事してくれやしないよ」

「それでも、願わなきゃボクの乾いた心は満たされない」

「本当は気が付いてんだろう? 意味が無い事なのは。止められないだけで。認められないだけで」


 オレが問えば、リンは口籠る。

 図星故に答えられないのだ。それを解っているから、オレは彼の口が開かれるのを待つ。

 リンは口を開きかけては閉じてを繰り返す。じれったいまま、彼を誘導しないよう、口を堅く閉ざして待った。



「じゃあ、どうしたらいいの」



 リンはオレに尋ねた。オレには在り来たりで、当事者が望まない綺麗事しか持ち合わせが無かった。

 どんなに偉そうな事を云っても、どんなに立派な事をしても、を出せなければ意味が無い。

 心が無い、幽霊じみたオレには不可能だ。


「どうしたらいいだろう」


 そう返すしかないのだ。

 理想で飢えは満たされない。心は軽くならない。

 何の利益も生まないのだ。




「……細切りの、クリスマスケーキ」




 オレはふと、それを思い出した。

 食べたかったあのケーキ、みんなが笑顔で頬張るあの小さな細いケーキ。孤児院を出たら、いつか食べてやると決めていたのに、一度も食べていなかった。


 今、この切羽詰まった状況で、オレはそれを呟いた。

 当然、リンは何のことか分からない。オレは、リンに云った。



「今年、ケーキを買おうと思ってんだケド、一緒に食べん?」



 何の脈絡もない提案に、リンは「はぁ?」と驚きを隠せない。

 オレはついてこれないリンを置いて、話を續けた。


「孤児院のケーキ、クリスマスに皆で食べるやつがあったんよ。オレそれ食べれんくてな。仲間外れにされてたけぇ、空の皿眺めてたんだわ」


 でも、今は違う。


 一人暮らし出来るようになった。

 短期就労アルバイトだが、たまの贅沢程度に金が使える。

 話し相手もいる。自分と同じように異能を持つ人にも出会えた。


 環境も、生き方も、価値観の違いも、孤児院で一人ぼっちの頃とは違う。

 何で今まで気が付かなかったのか。こんなにも、自分で決められる自由があるのに!


「大きいケーキをな、腹一杯に食べてぇのよ」

「……そんなの、一人で食べなよ」



「誰かと一緒に、分け合って食べたいんだろうが。それがアンタなら……」



 国木田の云う事を思いだして。

 相手の目を見て、きちんと言葉にする。

 気恥ずかしいとか、分からなくて良かった。若しもそんなものが自分にあったら、きっと今頃リンに首を切られていた。




オレは、嬉しいがね」




 傷の舐め合いでいい。無駄な努力で構わない。

 この気持ちを、この開放感を、リンに伝えられたなら。

 自分自身にかけた呪いの、解き方を教えたい。


 リンは一瞬目を見開いた。唇を微かに震わせて、強く噛む。

 自分を律しようとする様子に、オレは思わず彼に手を伸ばした。


「あの聖母像、オレは何にも感じんかった。けど、アンタの横顔には共感した。何かを感じられんのが羨ましかった」


 オレはリンの手を包み込んだ。すり抜けると思った手は、透けることなく触れられた。リンの手は、オレよりも小さいのに、硬くて暖かくて、努力をよく知るものだった。


「手始めにサ、ケーキ食べよう。今年のクリスマス。プレゼントとか買ってサ、あの鶏肉のデッカイやつ、食べたくあらん? あと、クリスマスツリー飾ってみよう。別にクリスマスだけじゃなくても、新しい服買いに行きたいし、旅行行きたい」


 やりたい事が、好きなだけ出来る。それを知っただけでも全然違う。

 自分には欲が全然ないのだと思っていた。自分にかけた呪いは、他人にしか解けないと思っていた。



「聞かせとくれよ。アンタのしたい事は何だい?」



 リンは俯いた。

 剣を握る手に力を込める。オレはリンの肩に手を置いた。

 もう少し、もう少しと距離を詰める。

 リンを抱きしめられそうな距離にまで近づいた――のに、



 ――オレはバッサリと切り捨てられた。

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