第17話 変わろう

 目を見て話す。



 たったそれだけで、何が出来るのやら。

 何も変わりゃしないだろうに。


(決めつけんのは、良くあらんけどサ)


 ソファーに腰掛け、すっかり端がヨレヨレになった小説を眺める。

 次の展開も、主人公の台詞も、覚えてしまった。

 けれど、もう読まない、なんて選択肢はオレには無い。昔から好きな読書をやめたら、自分じゃ無くなる気がしていた。


「あのぉ、ちょっといいかな?」


 谷崎がオレに声をかけた。その後ろでは、敦が顔を覗かせている。


「これから買い物に行くンだけど、一緒に来てくれない? 少し多めに買うから、人手が欲しいンだ」


 谷崎は申し訳なさそうに笑うが、もう少し堂々とした方がいい。それは敦にも云えることだが。


「買い物なぁ……。別に行っても…………ぁ」


 オレは、小説に目を向けたままだった。国木田に恥を忍んで教えをうたのに、このままでは意味が無いじゃないか。


 オレは谷崎に目を合わせる。

 彼は一瞬驚いたような顔をした。まだそれがどうしてかは、分からないが。


「……一緒に行く。他の人は皆手ぇ空かんのじゃろ? まぁ、頼んだところで、二つ返事でついてくるとは思えんし」


 オレは、小説を置いて立ち上がる。

 二人とも、魚のようにぽかんとした顔でオレを見ていた。

 何がそんなにも可笑しいだろうか。真逆まさか、有り得ないだろうが国木田に嘘をつかれた?


「……何だよ」

「あぁ、いや。何か、芽吹ちゃんの顔を見たの、初めてな気がして」

「ここんとこずっと見とったろうが」

「いや、でも顔を見て話す事ッて、あンまり無かったから」


 谷崎は余る袖を揺らして笑う。



「顔を見れて良かッた」



 ……所詮は同じ。

 前を向こうが横を向こうが、顔は顔だ。表情なんか、見えなくたって変わらない。


 それなのに、『顔が見れて良かった』って何だ。

 それは一体、何という感情だ。

 何を感じたら、何を言われたら、そんな言葉が出て来るんだ。


(……答えを急いでは良くあらん。いずれ知るもの、と思わな)


 オレは表情を変えられないまま、彼らの買い物について行った。


 ***


 大量の事務用品と、給湯室に置いている飲み物のストックを数種類。あとは、乱歩のお菓子。

 それらを袋一杯に詰めて、横浜を歩く。


 敦は時々、オレに「重くない?」と聞いてくる。オレが持っているのは、乱歩の菓子類だけだ。二人の荷物よりも軽い。


「あんまり気にしな。思っとぉるほどそんなに重くないぜ?」

「うん。でも、やっぱり気になっちゃって。無理やり付き合わせたかもって」

「お忘れのようだがね、オレぁ……」


 また目を逸らした。

 人の顔を見る。それがこんなにも難しいなんて。

 オレは敦の目を見た。


「……自分でついてくって決めてんのサ。あんまり気を遣われると、逆についてきたのが悪かったように思えんだケド」


 ちゃんと、顔を見ている……はず。

 合っているだろうか。自分でそれを、確認する術が無い。

 敦は安心したように表情を緩めた。


「そっか。それなら良かった」


 ……正解、なのだろうか。

 オレは不安になりつつも、「あんまり気を遣わんで」と敦から目を逸らす。

 谷崎は、そんなオレ達を見て微笑んでいた。何が可笑しいのだろう? いや、この場合は面白い? それとも嬉しい?


「あ。荷物の中に財布入れッぱなしにしてたンだ。芽吹ちゃん、ちょッと荷物貸して」

「あいよ」


 ……表情は動いていない。谷崎にはまだ悟られていなかった。オレが不安で、仕方ないことが。


 分からないから、答えを急いでしまう。

 分からないから、より不安になる。

 自分に無いその感情は、表情は、一体どうしたら身につけられるのだ。


(──誰か教えとくれよ)


 オレはキュ、と目を瞑った。



「この世界において、君が必要とされることは何も無いよ」



 聞き慣れたあの声がした。

 怒りと、不安と、焦燥を露わにしたあの声が。


 目を開けると、オレ真っ暗闇にいた。

 後ろには、リンが立っている。

 綺麗な顔を歪ませて、火傷を負った腕に爪を立てて、傷跡の残った足で立っている。


「君の異能だけが、ボクに必要とされてる。それ以外は君なんて、ガラクタ同然なんだよ。……お人形さん」

「随分と怪我をしてんな。会いに行くべきはオレじゃなくて、医者なんじゃねーの?」

「時間が無いんだ。数日後に大きな仕事がある。ボクがそこで、戦果を挙げたら……ボクは」



「──愛される?」



 オレの問いに、リンは一瞬言葉を詰まらせる。

 オレは彼の表情に、「こういうことか」と合点がいった。


「分かった。アンタ、あれだろ。オレの異能が、自分の為に必要ってのは自己強化より、上に好かれる為なんだろ。強くなれば、綺麗であれば、自分を『愛してほめて』くれる」


 オレがそう言うと、リンは明らかに怒り出す。

 今までの声と、同じとは思えないほど、低い声でオレを怒鳴った。



「お前なんかに何が分かる!」



 オレは答えられなかった。けれど、前回この異空間に閉じ込められた時より、迷っていなかった。

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