第16話 変わりたいんですケド

 芽吹と別れた後、乱歩はすぐそこで海を眺めていた太宰と合流する。

 太宰は海風に蓬髪ほうはつ外套コートをたなびかせ、薄く微笑んでいた。


「お話は終わりましたか?」

「うん。もう帰ろう。疲れたぁ」


 乱歩は大きくため息をつくと、飴を口の中で転がす。

 太宰はちらりと芽吹の方を振り返る。


「あの子ならもう大丈夫でしょ。僕たちがどうこうする問題じゃない」

「それもそうですね。こうなる事まで、理解わかっていたんですか?」

「芽吹が探偵社に来た時から、僕にはお見通しだよ。君こそ、芽吹に美術展のチケットを渡しただろう」

「流石は乱歩さん。お気付きでしたか」


 乱歩には、芽吹が仕事に便乗する事も、リンと対峙する事も、自分が大きく揺らぐ事も、全て知っていたかのように細い目を開いた。

 太宰が電子文書メールを送らずとも、どの道芽吹は今の道を歩んでいた。

 聡い太宰と同じように、乱歩も芽吹が進む道を知っていた。


「あれは芽吹がやる事だ。探偵社は、すべき事をしよう。それが、最善だって社長も云うはず」

「そうですね。それが一番です」


 太宰と乱歩は探偵社へと帰る。

 芽吹が丁度、ベンチから立ち上がった。


 ***


 オレは街を歩いていた。

 さっきよりは、意思がある足取りで、だが態と遠回りをして帰る。


 以前は敦から逃げていて、出来なかった買い物なんかしてみよう。

 買い食いなんかして、普通の女の子の様にお洒落な店に行ってみよう。


 心を取り戻す術を探るべく、商店街を回っていた。

 けれど、心なんて大層なものを、直ぐに取り戻せるはずも無く、結局ぶらぶらと歩いているだけだった。


「あ、あれは」


 ふと、店先のショーケースに飾られた、小さな聖母像を見つけた。

 先日の美術展で、リンは聖母像を睨んでいた。それはそれは恨めしそうに、憎たらしそうに。でも、羨ましそうだった。


 オレは聖母像を見ても、何も感じなかった。けれど、リンの横顔には大きく揺さぶられた。

 今なら分かる気がする。オレは彼の横顔に親近感と、哀れみを感じたのだ。


「だから、リンはオレなのか」


 だから、あんなにも焦っていたのか。

 あんなにも、怒っていたのか。


 敦の虎の爪が、顔を裂きそうになった刹那、歪ませた表情が鮮明に思い出せる。


オレは、彼に何が出来る?)


 助けられない。助けられるわけが無い。

 オレとリンは同じだ。けれど、それと同じくらい違う。


「……せめて、やり方だけでも聞こう」


 オレは、探偵社へと急いだ。


 ***



「今、何と云った?」



 呆気に取られる国木田に、オレはもう一度云った。


「だから、どうしたら人にその……こ、心? ってのが伝わんのかなぁって」

「心が伝わる? 告白でもするのか?」

ちげぇわ。話をするにも何にしても、心っていうか、感情っていうか、そんなんが分かるんじゃろ? それ、オレでも出来んのかねぇって思っただけサ」


 国木田は、腕を組んだ。

 やはり無理なのだろうか。今の今まで心を閉ざしていたのだ。そんな自分に、誰かを揺さぶる事も、自分の胸の内を伝える事も、出来る筈が無い。


 国木田の答えは、オレが如何に愚かであるかを教えてくれた。




「相手の目を見て話せ」

「……………………えっ」




 ──それだけ?

 オレはまだ一寸ちょっと意味が分かっていない。国木田は真っ直ぐにオレを見ている。嘘でないことは確かだ。


「目を見て話す? それがどうして、さっきのと結び付きよんの?」

「相手に伝えたいことは、きちんと目を見て話せば伝わる。決して逸らしたまま伝えるな。それだけで良い。目は心の窓と云われているからな」


 云われてみれば国木田も、……リンも、オレの目を見て話をしていた。

 見ていないのは、オレだけだった。


 見る必要なんて無いと思っていた。

 心は見えない何かで感じ取るものだと、勝手に決めつけていた。

 オレは国木田に尋ねる。



「それで、本当に伝わる?」



 国木田はオレをじっと見ている。

 そんなもので国木田に、オレの心が伝わるものか。そう高を括っていた。


「……そう不安にならずとも、伝えたいという意思は伝わる。あとは、相手次第だ」

オレが不安? オレ何時いつそんな顔したよ。さっきからずっと表情は変えとら──」



「お前の目が、『不安だ』と云っている」



 物語の中でしか聞いた事の無い科白セリフに、オレは「は、」と乾いた笑い声をこぼす。国木田はさらに畳み掛けた。


「無理して変わろうとするな。お前は、そのままで良い」


 それは、何だ?

 云われたことが無い言葉だ。

 しまった、正しい反応が分からない──!


(いや、無理して反応せんでいいや。どうせ心が無いことは見抜かれてんだ)


 敢えて、オレは態とらしく尋ねた。




「それ、なんて返せばいい?」




 国木田はため息をつくと、何も答えずにオレの頭をぐしゃりと撫でて、立ち去った。

 オレは思わず目を見開いて、国木田の背中を振り返った。


 今のは『正しい』反応だったのだろうか?

 オレは絶対に、不正解を選んだ。

 勝手に開き直って、間違った答えを出したのに、それがだった?


(……変なの)


 でも、腑に落ちた。

 そうか。オレは最初から答えを持っていたのか。

 国木田に乱された頭が、ほんのり温かかった。

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