第15話 ここにいる意味は

 探偵社の寝床ベッドは、少し硬いが居心地が良い。更にカーテンでベッドを囲んでしまえば、簡易的な個室空間に変わる。


 遠くから聞こえる話し声が、オレにじわりじわりとにじり寄ってくる。


真逆まさか、逃げられるなンて』

『次こそ捕まえてやります』

『しかし、芽吹の異能が……』


 寄せては返す波のように声は途切れ、大事なところだけ聞こえてこない。だからこそ、余計に自分の中で焦りが膨らんでいく。




「……消えたい」




 何度も願って、叶わなくて。でも叶っていて。

 望んでいない形で自分の望みを形にしていた異能は、どうしてこんなにも役立たずなのだろう。


 オレは膝に顔を埋めた。

 この気持ちは、何と表すべきなのだろうか。


 ベッドから下りて、オレはそっと探偵社を後にした。


 オレの異能は、陰に居れば自動で発動する。誰にも気付かれずに外に出るのは容易たやすいものだ。



 だからこそ、誰かに引き止めて欲しかった……なんて、残念にも思う。



 ***


 外に出たオレは、宛もなく街を歩いた。

 目的もなく、理由もなく、ただ赴くままに、足を片方ずつ前に出した。


 ふらふら、ふらふらふら。


 足が勝手に歩いていった先は、オレには馴染みのある図書館だった。

 とはいえ、田舎の図書館よりも広く、置いてある本も膨大な量だ。

 見慣れた本もあれば、初めて見る本もある。


 何となく目に付いた本を取り、東側の窓の近くの椅子に座る。

 すっかり癖づいているらしい。


 無意識に、オレは自分の異能が発動しない場所を選んでいたのか。

 そう考えると、自分のあのお気に入りの場所が、忌々しく見えてしまう。

 明るくて心地よい温度と、丁度いい脚立が、嫌になってきた。


 自分の前の椅子に、誰かがストンと座る。オレは本のページめくった。



「元気そうやな」

「世間話するほどの仲じゃあらんかったような気がするがね」



 図書館で出会った御仁──種田は、薄く笑っていた。オレは目を合わせないで、彼に云う。


オレの異能。知ってたんな」


 そう云えば、種田は少しの沈黙を置いて頷いた。それが、何だか腹立たしかった。


「何で黙ってたのサ」

「時期じゃなかった」


「でもアンタは知ってた」

「職業柄でな」


「最初から教えといてくれりゃ、こんなに苦しまんで良かったのに」

「だから今、教えなくて良かったと思っとる」


 こんなにも、苦しい思いを抱えているこれが、御仁にとって最良? 馬鹿馬鹿しい。


(苦しい思いをしとる身にもなっとくれよ)


 なんて、滲ませたところで、黒い感情に呑み込まれるのは自分だけ。


(──相手にするのも、馬鹿らしい)


 オレは本を閉じた。



「そうかい」



 オレは席を立った。その時初めて、種田の顔をちゃんと見た。

 物言いたげだが、えて何も言わない彼に、冷たい視線を投げる若造じぶんは何と愚かしくて、浅はかだろう。


 けれど、彼の人の思惑も、自分の中の感情も、何も分からないオレにはこれが最善の行動だった。


 ***


 公園のベンチで、膝を抱えて海を見ていた。

 日陰の下で、誰にも気づかれることなく、わずかに聞こえる人の声を聴きながら、静かに海を眺めていた。


 沖に立つ白波も、陽光に反射する光も、穏やかでオレの心情とは程遠い輝きを放つ。

 雲の流れる様以外に、時間を知るものは無い。だからより、ずっと眺めていられた。


 オレの隣に誰かが座った。

 オレはてっきり、種田の御仁か、太宰……いや、敦だと思っていた。


 歯に当たって、カロコロと鳴る甘い音。

 視界の端でパタパタと揺れる足は、「つまんなーい」とため息をつく。



「こんな所で海なんか見て。君はこんなのが楽しいのか?」

「……乱歩、さん」



 どうして此処に、いや、そんな事を云ったところで、乱歩にはお見通しだ。

 オレは海に目を向けたまま、膝を抱える手に力を込める。



「君はどうして此処に居る」



 乱歩はオレに尋ねた。

 オレは「たまたま此処に来た」と返した。

 けれど、乱歩は「君は莫迦だな」と云った。


「違う。僕が聞きたいのは、今君が此処に居る理由じゃない。何故探偵社に来て、敵の異能者と戦い、忌々しい自分の異能を知った後でも、横浜に残るのか、だ」

「…………それは」


 悔しいことに、オレは答えられなかった。

 理由なんてわからない。考えてすらいなかった。

 云い淀み、挙句、口を閉じてしまったオレの為に、乱歩は少しずつ質問を重ねていく。


「君がここに来たのは?」

「タネダの御仁の、手紙を届けに」


「君はどうして仕事に参加した?」

「だって、探偵社に一週間も閉じ込められちったんだぜ? 外に出たくなるわいな」


「リンに会った時、君は彼をどう思った?」

「えぇ……? えっと、お人形みてーな見た目してんなぁって。でも、やっとる事が惨たらしくて、自分勝手じゃんね」


「自分の異能を知って、どう思った?」

「……消えてなくなりたい。そんな願いが、異能なんて形で叶ってたのは、無念極まりないよ」




「じゃあ今、君はリンを、どう思ってる?」




 ────あ。


 乱歩は見抜いている。そしてそれを、本人に問いかけていた。

 オレは、気づかない振りをして逃げていたのだ。それを、『知らない』なんて言葉で、隠していたのだ。


 乱歩の薄ら開いた目が、「早く答えろ」と云わんばかりにオレを待つ。

 オレは、持っている答えとは違う理由が欲しかった。けれど、やはり云わなくてはいけないのは、てのひらの中で小さく丸められたものなのだ。





「……彼は、オレだ。と、思ってる」





 リンはずっと、誰かの愛の為に力を欲していた。

 彼の底知れぬ行動力と執着心。聖母像を睨む姿も、焦るあの様子も、立てられた爪に歪ませたあの顔も、オレは全部知っている。


 かつてオレも、彼と同じ行動を取っていた時期があった。

 だからこそ、よく分かる。

 あの冷たさも、悲しさも、寂しさも。


「乱歩さん。オレぁ、どうしたらいいのけぇ?」


 オレの言葉を、乱歩は「知らないよ」と冷たくあしらった。


「君が彼をどうするかなんて、僕が決めることじゃない。君自身が考えるべきだ」

「だよねぇ」

「でも、僕は名探偵だからな。助言だけしてあげよう」


 乱歩はベンチから下りると、オレに指を差した。



「もし君が、彼を動かすつもりなら、君の異能が鍵になる」



 乱歩はそう云って、何処かへ行ってしまった。

 オレはまた、輝く海に目を向ける。

 キラキラと輝く海は、手を伸ばしたくなるほどに明るくて美しい。

 日陰の下は、自分にとって心地よい居場所だ。けれど、今は……。



オレも、日の下に出ないとなぁ」



 消えてしまいたい気持ちは、もう少し蓋をしておこう。

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