第14話 触れることの出来ない

『一体どこに行ってたの!』


 孤児院で、私は職員に怒られた。

 院の外に出たのかと問い詰める彼女に、は『どこにも行ってない』と正直に答えた。


『嘘をつかないの! 庭で遊ぶ時間に、あなたはいなかったわ! 昨日もいなかったでしょ!』



 ──居たよ。ちゃんと庭に居たんだよ。


 ──木陰に居たんだ。本の続きが読みたくて。


 ──昨日も木陰で本を読んでたんだ。本当だよ。



 そう言っても、職員はの言うことを信じてくれなかった。

 を叱る職員の目はとても暗くて、気がついたら彼女の顔全体が真っ黒になって、とがめる目だけが大きくハッキリとしていた。

 その顔は、この世の何よりも恐ろしく、おぞましい。


『今日はお夕飯抜きよ! ちゃんと反省しなさい!』


 それでお叱りは終わった。

 けれど、朝のお勉強時間に来なかったと言われたお昼も、夜中にベッドから抜け出したと言われた朝も、昨日の夕方も、飯抜きにされたは、お腹をさすってぽろぽろと涙を零す。


 お腹が空いて、空いて、空いて、とても痛い。

 力が出なくて、勉強も出来なかった。

 それでも我慢して、は院の規則に従っていたのに。



 ……その日の夜、空腹に耐えられなくなって、は厨房に忍び込んだ。



 隠れて食べる数粒のプチトマトとハムの切れ端は、ご馳走のように感じた。


 ***


 思い当たる節はいくつもあった。

 目の前にいる職員に認識されなかったのは、いつも日陰にいる時で、明るい所にいて怒られた事は一つも無い。


 それに、院の厨房は夜になると施錠されて、鍵は職員が交代で持っているから、子供が鍵を盗み出すことなんて出来なかった。


 オレが忍び込めたのは、身体が透けていたからだ。


 物理的な遮断は、精神体には無効。

 オレはずっと昔から、知らない間に異能を使っていたのか。


「だから、先生はオレを……」

「芽吹ちゃん、危ない!」


 敦の声に、オレは顔を上げる。

 目の前には、獅子ライオンの顔があり、今まさにオレの頭に牙を立てようとしている。


 けれど、ガチン! と歯が鳴る音がしただけで、牙はオレをすり抜けていた。


 リンは心底腹立たしそうに「クソッ!」と悪態をつく。



「お前如きがっ、なんでそんな異能を持ってるんだよ! ボクが、ボクこそが! その異能に相応しいというのに!」



(……あぁ、本当にな)


 出来ることなら、手放したい異能だよ。

 でも、異能は忌まわしいほどオレについて回る。自力で異能の操作コントロールも出来ないのに。


「こんな異能ものオレには必要なか……!」

「駄目だよ」


 敦は、オレの言葉を止めた。とても優しくて、温かい言葉で。


「僕も、自分の異能なんか無ければって、思ったことがある。でもそれは間違いだった。異能は自分自身だ。それを受け入れて」


 彼は、間違っていない。

 けれど、受け入れることが出来ないオレは、敦に「そんなの嘘だ!」と言ってしまった。



「幽体化する異能が自分なら、オレは最初から死人と同義じゃないか!」



 暴論である。

 だが、オレにはそういう意味でしかない。敦は傷つく手前の顔で、オレの名前を呼んだ。

 オレは後ろめたくて、「早く逃げなぁ」と敦に言った。


「アンタの異能なら、リンより早う走れる。蝋燭ろうそくが何処にあるかは知らんけど、アンタなら見つけられるだろうよ」

「笹舟渡さん、あの──」


 リンは「そうだねぇ」と、何かを考える素振りを見せた。


「ボクは君にキョーミ無いし、いなくなってくれた方が助かるし」


 リンは綺麗な笑顔を貼り付ける。

 遊ぶように、踊るように、剣を振り回す。その立ち姿すら、怪しくも綺麗な人形のようで。


「居なくなってしまえばいいよ。君みたいな異能者なんて、この世に必要ない。君が愛されない理由はそこにある。だって、お化けじゃん。生きてんのか死んでんのか、分からない子を好きになるはずがないでしょ」


 リンの囁きは、オレの胸の奥を撫でた。甘美で納得してしまう彼の言葉に、オレは反論なんて出てこない。


「ボクなら君の異能を、有効的に扱える。君は『消えたい』という願いが、真の意味で叶えられる。結構ウィン・ウィンだと思うんだけど? ほら早くしなよ。決断するのは今なんじゃない?」


 リンは少し焦ったように、オレを捲し立てる。オレは彼の言葉に頷いてしまいそうになった。

 けれど、敦がリンを睨みつけた。



「お前が芽吹ちゃんの事を決めつけるな!!」



 敦の虎の爪が、リンに振り下ろされる。

 リンは驚いた顔で、剣で防御するが剣はいとも簡単に折れてしまう。

 あと少しの距離で、リンの顔に触れる。その瞬間、リンの余裕の顔は、また崩れた。


「いやっ…………!」


 ***


 敦の爪が、リンに触れることは無かった。

 青い空の下で、何も知らない街の人がオレたちの前を通り過ぎていく。

 敦もポカンとしていて、自分たちがリンの空間から出られたことを知るのは、少し時間がかかった。


「……助かった?」


 敦から、そんな言葉が出る。

 オレは「どうしてここに居るんだ」なんて、昔自分に問うたことを、また問うた。

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