第12話 余裕も猶予も無いもんで

 美術館に行った出来事から、三日が経った。

 オレは喫茶『うずまき』で珈琲コーヒーを飲んでいた。

 曇り空で少し陰った席に座り、誰かを待つ。


 スマホで失踪事件の情報を調べていると、新たな被害者が出たらしく、被害者の名前と年齢、職業が公開されていた。

 この人も異能者だったのだろうか、と考えていれば、聖母像を睨んでいたリンの顔が浮かぶ。

 彼の歪んだ『羨望』は、得られなかった悔しさが生まれたのだろうと思うと、オレと似ているような気がしてならない。これが、親近感と云うやつだろうか。



「ここに居ましたか」



 敦が笑って、向かいの席に座る。

 頭を掻きながら、困ったように笑っていた。


「笹舟渡さんが見つけられなくて、ちょっと焦っちゃいました」

「陰った席だからなぁ。もっと明るいとこに座りゃあ良いんだろうが、眩しいのは苦手でや」

「そうなんですね。でもちょっと分かります」


 ──敦の優しさも目に染みる。

 そう云ったら変だろうか。

 けれど、彼は誰にでも優しいから、理不尽に怒鳴ってしまったことも、情けない姿を晒したことも、許してくれた。

 オレは彼に感謝出来ても、それを言葉にすることが出来ない。


「さてさて、敦も来たし、事件の調査の続きといこうかね」

「はい。それで、新たに被害者に加わったのがこの人で……」

「そんなん云われても、オレに分かるかい」

「ですよね……」


 ──この会話さえ、楽しいものだ。


 ***


 相変わらず、リンの目撃情報は少ない。

 昼過ぎまで横浜を歩き回ったが、誰もリンと思しき人物を見ていない。

 敦は「一回報告しますね」と、私に背を向けて国木田に電話をかけた。

 オレは聞いた情報を、頭の中で整理する。


 黒い服の、人形様な少年──リンの名前を出さずに、全員に尋ねてみるが、誰も知らないと云う。

 忽然と消えた話しか出てこないところを聞くと、しかしてリンは普段から目立たない服を着ているのだろうか。オレの前に来る時だけ、態々わざわざお人形のような派手な格好をしているのか。



「どっちにしろ、趣味悪ィな」

「君に言われたくないよ。お人形さん」



 リンの声がした。

 その直後、どこまでも続く暗闇が視界に広がる。賑やかな横浜が、冷たくて孤独な虚空に変わった。……ほんのまたたきの間に。


 近くに居た敦も、巻き込まれてしまったようで、急な転移に驚いていた。

 リンは、オレと距離を置いて立っていた。

 彼は、神妙な面持ちで立っていた。人形のように整った顔が、本物の人形のようだ。

 前に会った時の余裕が、今日は感じられない。西洋の剣ファルシオンが、この暗闇の中でかすかな輝きを放つ。


「リン……」

「悪いけど、君みたいにいつまでも遊んでられないんだよねぇ」

「誰が遊んでるって? ふざけんなよ。こちとら何週間も就労バイト休んでんだかんな。さっさと帰りてぇんだわ」

「残念だけど、帰せないなぁ」


 リンは剣を高く構え、腰を落とす。丁寧に磨かれた剣よりも、足に痛々しく残る傷跡の方が、オレの目を引いた。


「リン、足の怪我どうしたんだよ」

「君に関係ないよ! お人形さん!」


 リンは飛ぶようにオレとの距離を詰める。敦は「危ない!」と叫んで、動けないオレを突き飛ばして剣を受け止めた。


「邪魔しないで! 君に用はない! あのお人形さんが欲しいんだ!」

「何で笹舟渡さんを狙うんだ!」

「あいつの異能が、ボクにとって最強なの! ボクは強くなりたいんだ!」


 その瞬間、リンの手にしている剣が歪に歪み、獅子ライオンの頭に変わる。敦に向かって口を大きく開くと、鋭い牙で敦の頭を噛み砕こうとした。


 敦は咄嗟に後ろに退いた。牙がぶつかり合う音が、死の気配を招く。

 リンが剣を下ろすと、獅子ライオンの頭は元の剣の形に戻った。


「さっさと死んで、さっさとボクに異能を寄越せ! ボクには時間が無いんだ」

「何をそんなに焦ってるんだ!」

「うるさい! 懸賞首から落ちたガラクタが、ボクに口を聞くな!」


 リンは遠くから剣を振った。それは、大蛇となって敦の首を狙う。敦は虎の足で逃げた。リンは「ちょこまか動くなよ!」と、苛立った声を発する。


 オレはずっと、二人が戦っている姿を、呆然として見ていた。

 リンは本当に焦っているようで、最初に構えた手練ような姿は無く、滅茶苦茶に剣を振っている。

 恐らく、ここでオレが介入すれば、きっと彼は洗練された剣さばきで、容赦なく襲ってくるだろう。



 戦う術の無い自分に、一体何が出来るというのか。



「笹舟渡さん!」

「えっ」


 敦の声で我に返る。目の前には、体を捻って剣を弓のように後ろに引き、私の首を斬ろうとするリンがいた。

 殺意を隠し、狙いをきちんと定め、今まさに死をもたらそうとする彼に、オレも「あぁ」なんて贈られる死を受け入れてしまう。


 思えば、誰かの役に立つことも、自分の心を満たすことも、何もしてこなかった人生だった。

 読んだ気がする。『恥の多い生涯を』なんて、誰かが云った。けれどオレは空虚で無関心で、恥なんて無縁のような生涯だった。


 最後くらい、誰かの役に立つのも良いな……なんて。

 それがリンなら良いかな……なんて。


 ──でも結局、孤児院と同じ。

 誰かに与えられるものは、自分には与えられない。

 いつも与えてばかりで、『もらう側』には立てなかった。

 一回だけでいいから、自分のためにケーキを買っておけば良かった。

 ……白くて、苺がたっぷり乗った、ショートケーキを。


(消えたい、なんて願いは叶って、貰えたものが『死』かよ。本当笑えんねぇ)


 自分への皮肉を最期に、オレは目を閉じた。

 リンは剣を横一閃に振り切った。音もなく、痛みもなく与えられる────『死』。


 ──こんな最期なら、悪くないなぁ。


 ……なんて、迎えに来るであろう眠気を待っていたのに。




「ちくしょう! ‼」




 リンの荒らげた声で、オレは目を開けた。

 ……斬られたはずの首は

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