第11話 ハートが失われた理由
ようやく、
何も感じなかった心に、どうしてかぽっかりと穴が空いたような気がして、
宛もなく、
海が見える公園に辿り着き、ベンチに腰掛けて木陰の風を浴びた。
さわさわと揺れる葉の音に耳を澄ませながら、
ふと、隣に誰か座った。
それが誰かは、何となく分かる。どこか申し訳なさそうで、けれど遠慮なく。
会話の糸口を探して、そわそわと動く彼の口元。
「落ち着けぇー。敦くんや」
「……太宰さんが、ここに居るからって」
「お迎えかい? ご苦労なこった」
敦はケラケラと笑う
「……何かあったかい?」
「いえ、そのある人が、笹舟渡さんのその……」
「
敦は困ったように話を切り出す方法を探る。結局見つからずに、「孤児院育ち、なんですよね」と端的に尋ねた。
知っているのは唯一、「一人暮らしは大変やな」と声を掛けてきた──……
「あの御仁、タネダさんしか知らない
「その種田さんからの、話です。僕も、太宰さんから聞いて」
「慰めて来いってか? お断りだよ。不必要な気遣いはやめとくれ」
さっさと話を切り上げたい。別の話題で誤魔化したい。どうしてか、そんな気持ちが込み上げる。
(
必死に胸の中で否定する。けれど敦は「僕も孤児院育ちですから」と笑う。
「僕は地獄の様な生活してましたけど、その……全部の孤児院がそうとは限らないですし。でも、孤児院の生活って、大変ですよね」
敦の共感と、慰めが
「そうだろうなぁ。集団行動ばかりだし、自由時間とか、勉強の時間とか、細かく区切られてるし」
「僕はしょっちゅう罰を受けてましたけど、笹舟渡さんはそんな事なさそうですよね」
「云われてみりゃあ、そうかもなぁ。大人しかったろうよ」
「……もしかして、話を早く終わらせたいんですか?」
「ばっか、違ぇよ! それじゃまるで、
脳に警鐘が鳴り響いて、「これ以上話をするな」と命令を出す。
つい声を荒らげたが、敦は何かを確信したのか、「大丈夫です」と云う。
「僕、ちゃんと受け止めます」
短くて、頼りない。
……けれど、胸の奥にあるそれは「出してくれ」と
「……細切りの、クリスマスケーキ」
敦は「えっ」と
「
──真っ白くて、赤い苺が乗った、素朴なケーキ。
それに包丁を入れる瞬間の高揚を、まだ覚えている。
「いつも先生が、全員分に切り分けて、小さな皿に乗せてくれる。大きなケーキを一つだけ買うから、全員が食べる分は結構小さい」
院の子供達、次に大人の順番に取り分けられるケーキは、とても細いし、苺だってひとり一個食べられたわけではない。
けれど、ふわふわのスポンジ生地と、たっぷりのクリームが、子供達を笑顔にする。
「美味しかったですか?」
敦はそう尋ねた。
「分からない」
頬を掻き、首裏を撫でて、腕を摩る。
「────食べたことが無いんだ」
自分の元に来るのは空の皿。先生は毎年、「一人分足りないから」と
皆は食べられる。
毎年繰り返されて、いつしかケーキに興味が無くなった。
皆が
子供たちがクリスマスプレゼントを貰っていたことを知ったのは、
「……先生にな、いつも云われるんだ。『我慢出来るよね』って」
怪我をしても、友達に自分の玩具を奪われても、先生は決して
褒めてくれた事も、撫でてくれたことも無い。
ある日、誕生日に「おめでとう」と云われて撫でて貰えた子供がいた。
誕生日を迎えると、子供達は先生に「おめでとう」と云って貰えることを知り、幼い
ついに迎えた誕生日。先生に祝って貰えると思ったけれど、いつになっても「おめでとう」と云われない。
待ちきれなくなって、『今日誕生日なんだよ』と伝えた。
──今思えば、それが無ければ良かったのだ。それを云わなければ、
────『違うでしょ』。
(あぁ、嫌だ。思い出した)
──
他の子達と同じものを欲しがってはいけない。
同じことをしてはいけない。
云われた通りにすれば、他の子と同じようにしてくれると思ったのに。
どうして、私は駄目なの?
どうして、他の子はいいの?
何故、私は愛されないの?
何故、私を愛してくれないの?
どうすれば、私もそれを得られたの?
どうすれば、私にそれが許された?
どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして。
答えのない問いに、納得出来る答えが欲しい。欲しくても、それを聞くことも許されない。
人知れず泣く日々が辛くなって、私は心を捨てた。
「……楽だったんだ。何も感じなければ、何も欲しなければ、痛みも苦しみも──知らないままでいられる」
愛情なんて、この世に存在しない。
そんなものを求めるなんて、人間というのは莫迦げている。
自分を満たせるのは自分だけ。それを痛感しながら、今の今まで生きてきた。
だからだろうか、いつの間にか興味が無くなっていた。
どうして他人に感情があるのかも。
どうして自分に感情が無いのかも。
悲しみも喜びも、
愛を知らないのに、埋まらない虚しさは知っている。
その理由のない苦しみを消したくて、他人に無関心になった。
「──最悪デショ。こんな、こんなさぁ……」
こんな時、どんな顔をすればいい?
どう感じればいい?
それすら自分で決められない。
それすら正しい方法が分からない。
敦はなんと声を掛けようか悩んでいる。どう云えば良いのか、彼自身も悩んでいる。
孤児院の苦しみは、
蓋を開けた孤独感は、
「……お茶漬け」
敦は、オロオロしながら云った。
「お茶漬け食べません!? ほら、お腹空いたでしょ! 近くに美味しいお茶漬けのお店あるんで、一緒に行きませんか? お茶漬け以外にも、美味しお茶漬けあるんで……って、えと」
敦の慌てぶりを見ていると、何だか笑えてくる。
「お、お茶漬け以外にも美味しい茶漬けって、……ぷくく。お茶漬けしか無かろうが」
可笑しくて、何だか楽しくなってくる。
これが『面白い』? それとも『楽しい』?
──どっちでもいいや。
「良いねぇ、お茶漬け。食べに行こうか。茶漬け以外の茶漬け、あるかねぇ?」
「あんまり
「悪ィな。面白いかったもんで」
敦と一緒に、茶漬けを食べに公園を歩く。
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