第10話 ハートレス・ドールたち

 国木田の怒鳴り声で目を覚ます。

 オレは国木田が太宰に気を取られているうちにベッドを抜け出した。


 一階の喫茶店で朝食をとり、探偵社に戻る。次いでに郵便受けの郵便物を受け取り、谷崎に渡す。

 いつものようにソファーに座り、小説に手を伸ばした。


「これ、芽吹ちゃん宛てだ」


 そう云われて受け取ったのは、白くて細長い封筒。オレの名前と探偵社の住所が書いてある。──差出人は不明。


 封を切り、中を見ると美術展のチケットが一枚入っていた。

 今日までやっているらしい。けれど、オレの一人行動は国木田との約束上、無理だ。

 封筒にチケットを戻し、捨てようとすると国木田が「行ってこい」と声を掛けた。

 オレ吃驚びっくりした。


「正気か? アンタ、約束とか厳しいと思ったんだがね」

「太宰が行かせろと五月蝿うるさいからな。それに、与謝野女医せんせいが近くで購い物をする予定だから、多少は安全だろう」

「でもよ、近くに居るにしてもオレ一人だぜ? 本当に良いのかい?」


 国木田は、眼鏡を押し上げて「構わん」と云う。

 堅物の気が変わらないうちに、とオレはチケットをパーカーのポケットに押し込んだ。


 ***


 呼吸音すら聞こえない、しんとした空間と壁に飾られた絵画の雰囲気が、オレの口を塞ぐ。


 等間隔で並ぶ絵画と、ショーケースに入った美術品を、牛の如くゆっくり歩いて見て回るも、やはりオレには何の感想も出てこない。


 周りに居た人達は、哀れんだり、喜んだりと様々な感情を目に込める。受け取り手によって印象が変わるというのなら、何も感じないのはそれはそれで、正しい見方なのだろうか。


(きっと、オレがおかしいんだろうなぁ)


 しばらく歩くと、ひらけた空間にとても大きな絵画が飾られていた。

 沢山の子供達に囲まれて微笑む、聖母の絵画だった。見る人は皆、温かみのある眼差しを向けている。きっと、『心が洗われる』『素敵な』絵なのだろう。──オレには、分からない。


 ただその中で、一人だけ睨みつける人がいた。

 彼は、ジーンズ生地のショートパンツに真っ白なパーカーを着ている。ニーハイソックスと高いヒールが違和感のない、お人形の様に綺麗な──リン。


 彼は恨めしげに、絵画を睨みつけている。

 オレは何となく、リンの隣に座った。

 リンはオレをちらりと見て、気がついたようだが、昨日の様に襲うことは無い。リンは「さっさと消えて」と、冷たく言い放った。


「今日はお仕事なの。君に構ってる暇無いんだぁ。お人形さん」

「おや驚いた。オレを追っかけんのは趣味だったのけぇ」

「趣味でも無いよ。ボクの異能を強くするために、必要なことをしてるだ〜け。何? わざわざ『異能を奪い取って下さい』なんて、自らお届けに来てくれた感じ?」

「ふざけんな。何でオレがアンタに異能をくれてやらんといけんのよ。そもそも、オレの異能なんざ手に入れたって、アンタが強くなるこたぁなかろうが」

「そうでも無いんだよねぇ。これがさ」


 リンはニコッと笑い、頬杖をつく。その仕草すら、綺麗な人形が動いているようにしか見えなかった。


「……聖母像」


 リンは目の前にある大きな絵画を指差した。

 オレはつられて絵画を見る。リンはじぃっと、オレを見つめていた。


「君には、どう映る?」

「……そのまんま。アンタが見えている絵の通りサ」

「じゃあ、どう感じる?」


 どう、と云われても、オレにそんなものは分からない。

 子供に囲まれて微笑んでいる。……それだけしか、感じない。

 あれがどんな感情なのか、想像もつかない。


「……何も、感じないねぇ。聖母が笑ってる理由も、子供が群がる意味も分からん。どうして一人の大人に群がる? どうして子供達に笑いかける? あれは一体、何という感情なんだろうなぁ」


 オレが思ったことをそのまま云うと、リンは「はっ」と乾いた笑いをこぼした。


「君、愛情も知らないの」


 ──愛情?


「愛情って何だ? 愛を感じると笑うのけぇ? どんな風に表現するものなんだ?」

莫迦ばかじゃないの? あれは感情じゃない。心情なの。表面的なものじゃない、胸の奥底の、言葉じゃ計り知れない情緒の起伏」


 リンはオレに「君、愛された事ある?」と尋ねてきた。

 オレは答えられなかった。


 リンは絵画を睨むと、「ボクはこの絵、大嫌いだよ」と吐き捨てる。

 彼の目からは、恨みと、憎しみがひしひしと伝わってくる。きっと、彼はあの絵画のような『愛情』とやらを、得られなかったのだ。


「反吐が出そう。あんな駄作を、何故なぜ皆褒めそやすのか理解出来ないね」

「……オレはどうだっていいからなぁ」

「そうだよね。お人形さんには分かりっこないもんね。こんな何も知らずに生きてきた、能天気な人間の愛の理想像なんか、ボクの一番嫌いなものだよ」


 リンはそう云うと、誰か見つけたのか、いきなり立ち上がる。



「凡人は『親は子供を無条件に愛してる』なんてほざくけどさ、無条件の愛を得られるのは、子供じゃなくて、親の方でしょ」



 リンはそう云い残して、どこかへ行った。オレは聖母像から目が離せなくなった。


『無条件の愛を得られるのは、子供じゃなくて、親の方』


 ──きっと、「そんな事ないよ」と返すのが、善人の模範解答だった。

 けれど、オレは納得してしまった。


 間違っている。暴論だ。アンタは心が歪んでいる。もっと世界を広く見よう。

 誰も愛されずに生きてきた人間なんて居ないんだ!


(そう云えたら、楽だったろうなぁ)


 右の肘から下が、力が抜けたような、痺れるような感覚に襲われ、動かなくなる。オレは腕を摩りながら、絵画をじっと見つめ続けた。


 今なら、リンが絵画を睨んでいた理由が分かる。恨んでいたんじゃない。憎んでいるんじゃない。



 ──彼は 、絵の中の子供達が羨ましかったのだ。

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