第7話 逃げなきゃ

「ボクの名前はリン。君の異能を貰いに来たんだ。お人形さん」


 リンと名乗る彼は、オレに笑みを向ける。黒く大きな瞳は、口角に合わせて細くなるも、笑ってはいなかった。

 でる気なんて、さらさら無い。そう言っているのが丸わかりだった。


 敦は「逃げて!」とオレに云う。自分を犠牲に逃がすつもりだろう。けれど、敦の本能とオレの直感は同じ答えを導いている。



 ──────『死』



 オレは敦の手を掴み、その場から逃げ出した。敦は素っ頓狂な声を出して後ろを振り向くが、オレは振り向かないように、前を睨みつける。

 後ろではリンが、可愛らしくくすくすと笑っている。

 混乱した敦は「何で!」と、聞いてきた。


「いいだろうよ。察してんデショ? あいつの手に捕まれば、オレ達は死ぬ。オレぁ、異能ってのが何か、てんで分からん性質タイプだからな。逃げた方がまだ生き残れんのサ」


 リンが例の失踪事件の犯人なら、彼の異能は転送なのか? それとも消去なのか? いや、まさか物理的に『消した』? ……何方どちらにせよ、下手に突っ込んで行く方が悪手だ。



 オレは人混みの多い道に入る。人混みにまぎれてしまえば、追跡なんて出来ない。このまま探偵社に戻ってしまえば、何とかなるかもしれない。


 オレ達に驚く人達をかき分けて、無我夢中で足を動かす。

 敦が何か云っているが、何も聞こえない。ただ少しでも遠くへ、ほんのちょっとだけでも早く。……そればかり考えていた。




 ──後にそれが、敦なりの道案内と忠告だと知る。


「何で早く云ってくんなかったの!」

「云いましたよ〜!」


 敦に八つ当たりをした所で、聞かなかったのも勝手に突き進んだのも、オレの落ち度だ。


「道を戻ろう。ここなら、探偵社までの近道がある!」

「そうだな。あいつが何処に居るか分からんし、見つからんように……」



「あはっ、みぃつけた。お人形さん」



 気がつくと、リンはそこに立っていた。

 退路を塞ぎ、ニコニコと笑っている。人間味の無い笑顔は気味が悪い。


「どうして……ついてきたってぇの?」

「いや、途中で見失っちゃった。でぇも、ボクに追っかけられる土地勘の無い君が、どういう道順ルートでどうやって逃げ切ろうとするかは、大体予想が出来るんだぁ」


 リンが前に足を踏み出すと、敦は腕を虎化させる。

 オレは敦の前に出た。最適とか、最善かなんて、オレには分からない。けれど、少しでも犠牲が減るなら、喜んで死地に足を踏み入れよう。



「──オレがあんたについてったら、あんたは中島くんを見逃してくれんのけぇ?」



 自分の異能とか、端から興味無い。異能が何だったとしても、オレには扱えない代物に決まってる。今の今まで、使ってこなかったのだから。

 リンはキョトンとして首を傾げると、「ああ、そこの虎ちゃん?」と敦を指さした。


「いーよ。ボクの目当てじゃないし」


 リンはつまらなさそうな表情をするが、了承した。オレはリンに少しだけ歩み寄る。リンはそれを見て、満足気に微笑んだ。


「やっぱりそーなるよねぇ。だって、ボクに勝てる奴なんか、一人も居ないんだから」


 リンの後ろから、短機関銃サブマシンガンを持った黒いスーツの男たちが現れた。敦は彼らで、リンの所属を察した様だ。オレだけ未だ分からない。

 相手が銃を持っていようが、リンが約束を守る気がなかろうが……──どうだっていい。


「………………笑ってなぁ」


 オレはポケットから一枚の紙片を出した。リンはこてん、と首を傾げる。

『念の為』と、国木田に渡されたそれを、私は口にする。



「『独歩吟客』」



 …………一枚の紙。

 本来なら変化しないそれは、形、材質、感触、質量を大きく変えて、オレの掌に収まる。

 リンは目を見開いた。



「自動拳銃」



 オレは自身の手よりも、少しばかり大きくて重い銃を、国木田に教わった手順で構えた。

 安全装置セイフティを外し、銃把グリップを両手で包み込んで握る。

 引き金は引く時以外は指をかけない。腕は真っ直ぐ伸ばし、肘を少し曲げる。

 照星と照門を合わせて、狙いがぶれないように固定して──……。


(──あいつ、一般人オレに銃の持ち方教えて良かったのか?)


 急に冷静になって来た。

 だが彼が危惧きぐしていた状況で、今更「法律違反です」なんて云っていられない。


「ボクを撃つ気ぃ? 君の銃弾なんか、ボクにあたると思う?」

ててみせるサ。非情野郎ハァトレス・ドォル


 非情野郎が悪かったのか、リンは歯ぎしりをし、拳を強く握った。



「このボクを、『心無き人形ハートレス・ドール』なんて呼ぶなっ!!」



 リンは激昂し、後ろの彼らに「撃て!」と命令する。もうオレの事なんてどうでも良さそうで、リンの開き切った瞳孔に自分の姿が映る。

 男たちは銃を構えた。オレは自分の身より、リンのその様子が気になってしまった。


 太陽が隠れ、暗くなった路地でリンは男たちの後ろへと消えていく。オレはリンを止めなければと云う衝動にかられていた。


「あ…………」


 思わず銃を下ろした直後、篠突しのつく雨の如き銃弾が、オレ達に襲いかかった。

 オレはその場から動けず、ギュッと目を閉じた。



 殺される。

 その恐怖が体を強ばらせ、銃弾の嵐の前に縫い付けた。

 ずっと聞こえる銃声に、オレは耳を塞いだ。きっと目を開けたら、血塗れの身体を見ることになる。そして痛みを自覚して、そのまま苦しみながら死に絶える。


 見ていないから平気なんだ、と自分に言い聞かせ、オレは震えながら銃声が止むのを待った。

 銃声が止み、男たちの足音が遠ざかっていく。


 オレはゆっくりと目を開けた。

 浅い呼吸を繰り返して、自分の手を恐る恐る視界に入れた。

 けれど、そこには傷一つ無い、まっさらな自分がいた。呼吸が穏やかになり、汗も止まってくる。

 そして、「どうして自分は死んでいないのか」という疑問が押し寄せてきた。


「はぁ、はぁ……。っはぁ。よか、良かったぁ。生きてる……。は〜ぁ、流石に肝が冷えんねぇ。あんなん浴びて、もう駄目かと思ったや。なぁ、中島くんや…………中島くん?」


 オレが後ろを振り返ると、彼は血だらけで倒れていた。指先が痙攣し、笛のような呼吸音が、耳の奥でうるさく響く。


「な、中島くん……?」


 オレは引き攣った顔で、敦の体を優しく揺さぶった。けれど、彼は返事をしないし、体も動かない。

 手にべったりとついた、粘着質な赤い液体。鼻を突く錆びた鉄の臭いが、背筋をつぅと撫でた。


「ど、どうしよう! あ、あぁ、中島くん! しっかりおしよ ! 中島くんっ、中島……あ、敦! 敦ぃ!」


 重体の敦を前に、オレは頭が真っ白になる。止血をすべきか? いやずは救急車? でもここがどこか分からない。


 悩んでいる間にも、敦の体から血は流れ出る。

 どうしよう? どうすれば良い? 誰に助けを求めたら?


『探偵社までの近道が』


 敦は先刻さっきそう云った。

 若しかしたら、誰か探偵社に居るかもしれない。


「……国木田!」


『危険ナ状態二陥ッタ時、至急連絡スルコト』


 国木田と結んだ約束の一つだ。

 スマホには、国木田の連絡先が入っている。オレは血塗れの手で国木田の連絡先を開いた。

 スマホを耳に当て、呼び出し音を聞く。

 音が繰り返される度に、焦りが大きくなる。


 二人分の足音と、着信音が近づいてきた。

 もうちょっとで泣きそうなオレが振り返ると、国木田と太宰が急いで駆け寄ってきた。


「大丈夫か!?」

「あ、うぁ。く、にき、だ?」

「あぁ、俺だ。『さん』を付けろ。怪我は?」

「あ、あつ、敦が」

「早く与謝野女医せんせいの所へ連れて行こう。芽吹ちゃん、君は歩けるかい?」


 太宰に尋ねられ、オレは首を縦に振る。

 国木田は敦を背負うと、いち早く探偵社へと駆け出す。太宰はオレに寄り添うように歩きながら、「怪我をみせて」と云った。

 だからオレは、どもりながらも、こう返す。



「……オレ、は、怪我してな、いんだ」



 敦だけが大怪我を追った。オレの後ろに居たのに。

 太宰は少し、考える素振りをみせて、「そうか」とだけ云った。


 ──まだ、耳の奥で銃声が聞こえていた。

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