第8話 私って何?

 探偵社に戻ってつかのこと。

 与謝野はにんまりとして敦の治療に向かう。


 オレは、ソファーの上で膝に顔を埋めていた。

 敦が瀕死になったあの衝撃と、何も出来なかった悔しさ。そして、自分だけ無傷で帰ってきてしまった申し訳なさが、ずぅっと胸の中を渦巻いていた。


「あの、芽吹ちゃん。大丈夫?」


 谷崎が心配して声を掛けてくれた。その隣には、ナオミの姿もある。けれど、オレはそれどころでは無かった。


「…………敦は?」

「敦くんなら、今しがた治療が終わッたところだよ」

「…………無事なのけぇ?」

勿論もちろんですわ。探偵社にいて、瀕死は無傷に等しいですから」

「…………そぅ」


 オレは膝に顔を埋め直す。情けないやら何やらで、泣きそうだった。

 谷崎達は、それ以上何も云わずに離れた。オレは思考が乱雑で、どうしていいか分からなくなっていた。


「…………何でオレ、無事なんだろう」


 ──あの時、怪我をしていたのが敦ではなく、オレだったなら。

 握っていた拳銃を、迷うことなく撃っていたなら。未来は違ったんじゃないだろうか。


「…………オレが」




「代わりに怪我をしようと、未来は同じだ」




 顔を上げると、如何にも探偵、といった格好の男が立っていた。棒付きの飴を口の中で転がし、オレが持ってきた本を読んでいた。


「単に線路が切り替わるだけ。その先で交わる場所が同じなら、どっちがどうだなんて、この小説と同じくらい下らない!」

「それ、オレ推理小説ミステリ……」

「最初の五行で犯人が分かるなんて、こんなの推理小説ミステリなんて云わない」


 彼こそが、探偵社で一番の異能力者、江戸川えどがわ乱歩らんぽだ。

 探偵社に書類を届けた日、開口一番に「変な言葉遣いだな」と云われた。

 ちゃんと猫を被って敬語を使ったのに、初見で看破されたのだ。この人は一体どこを見ているのだろうと思った。


「乱歩さん」

「別に君を励ましに来たつもりは無い」

「じゃあ、何しに来たんじゃ」


 放り投げられた本を受け取り、オレはその本をまた読み返す。

 乱歩は一秒くらいオレをじっと見ると、対面のソファーに座った。



「敵の異能者に何と云われたんだ?」



 その質問に、ぺーじを捲る手が止まる。

 乱歩は「国木田に聞いた」と、話を続けた。


「いや、『何と云ったんだ?』が、正しいな」


 誤魔化しても良かったが、彼にそんな手は通用しない。オレは本を閉じて、会話に応じた。



「……非情野郎ハァトレス・ドォル



 そう呼んだら、ずっと笑っていたリンは怒った。

 まるで、触れられたくない物に、指先が当たったかのように。

 彼は怯えていた。彼は怖がっていた。あんなに怒って、欲しがっていたものさえ、殺してしまおうとする程に。


「……『お人形さん』。リンはオレの事を、そう呼んじった」

「ふーん。まぁ、気持ちは分かるがな」


 乱歩はそう言うと、オレの痛い所をく。




「君は何事にも無関心だからな」




 ドキッ……なんて音が、聞こえてきそうだ。

 オレが今の今まで必死に隠してきた事を、乱歩はすぐに見抜いてしまう。

 乱歩は飴を転がしながら、その理由を話し出す。


「君はここに来てから、ずっと同じ行動手順パターンを取っている。朝起きて顔を洗い、歯を磨いて朝ご飯。そこのソファーに座って、それを読んで昼まで過ごす。昼ご飯を食べて、少し社内を周り、新聞を読んで、また本を読む」

「それが、何だって言うのサ。やる事ないから、そうするしかない。分かるかい? オレはここの社員じゃない。勝手に物を見たり、仕事の邪魔をすれば迷惑だろうよ。それに、守秘義務ってあるじゃんけ。うっかり見て、誰かに話したら問題デショ」

「そうだな。けれど、探偵社の誰かに話しかけられても、君は声の高さが変化しない。人の感情表現は表情だけじゃない。感情は声に一番よく表れる」




「君は話の内容に『適した感情』を、『それらしい表情』で表してるんだ」




 ──誰にも、知られたことの無い秘密を、乱歩はオレに突きつける。暴かれた真実に、オレは息が苦しくなった。

 乱歩はケロッとして棒付きの飴を口から出して、軽く振り回した。



「僕からすれば、君も『ハートレス・ドール』だと思うけどね」



 乱歩は云うだけ云って、去ってしまった。

 オレはまた、膝に顔を埋める。


 感情なんて、ただの表情記号オプションだと思っていた。


 私物を取られたら、眉間に皺を寄せて、大きな声を出す。

 楽しい話題には、頬を上げて、口を半月型にする。

 悲しい時は、眉を下げて声を小さくする。


 それだけで全て事足りる。

 他人がオレをどう思っていようと、オレが他人をどう思っていようと、興味が無かった。


 乱歩に『心の無いお人形さんハートレス・ドール』と呼ばれても、リンのように怒りもしないで、「あぁ、そうかい」なんて考えている自分が居た。


(そりゃあ、『お人形さん』だいなぁ)




 医務室のドアが開いた。

 げっそりとやつれているのに、つやつやの状態になった敦が出てきた。


 オレは彼に言葉を掛けようとした。けれど、乱歩に無感情を見抜かれた今、オレ何を言おうと、どんな表情をしようと、全て空虚な気がして何も言えなかった。


「あ……敦…………」

「笹舟渡さん、治療は?」

「あ、オレは平気。何か……その」


 偶然助かっちゃいました? こんなこと言えるはずもない。オレはどう伝えようか、悩んだ末に口ごもる。

 不安を和らげようと、自分の手を握った。


「……自分でも、分からんのよ。何か……気がついたら、敦倒れてるし……オレは無事だし」


 本当は、助かるなら敦の方が良かった。

 本当は、直ぐにでも止血等の応急処置が出来たら良かった。

 何も出来なかったから、オレはこんなにも言い訳をする。



「無事だったんですね! 良かった!」



 けれど敦は、オレ仄暗ほのぐらい心を軽く超えてくる。

 その屈託のない笑顔に、オレは安堵すると同時に、後ろめたくなった。


「……ごめんなぁ。何も出来んで」

「あの場で咄嗟に動ける人なんて、中々いませんよ」


 彼の裏表のない言葉に、どんな表情をすべきなのか、オレは分からなかった。


(……オレって、何なんだろうなぁ)


 その問の答えを、教えてくれる人はいない。

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