第4話 すれ違い

 何も変わらない世界。

 商店街の喧騒も、ご近所の夫人方の井戸端会議も、さっきと同じ事の延長線上にある。今しがた、人が消えたなんて、到底信じられない平和な街で、敦の後ろを呆然として歩いている方が、おかしいのだろうか。

 オレはとぼとぼ歩いて、彼の背中を見つめる。異能力なんて、こんなにも突飛で、摩訶不思議で、日常にあるものなのか。なんて、今更考えてしまう。


「中島くん。異能力ってのぁ、こんなにも普通にあるもんなのかぇ?」

「う〜ん、僕がに居るってだけかもしれないけど、意外と近くにあるものなんじゃないかな」

「……異能力って、こんなにも非科学的と云うか、物理法則を無視してくるようなものなのかねぇ?」

「う〜〜〜ん……。それは…………何とも」

わりいな。意地悪を云った。そうだとも。異能力ってのぁ、だよなぁ」


 異能力者に「異能とは?」なんて問うたところで、明確な答えなんて返ってこない。どういう仕組みかも、どういう理屈かも、使っている本人にすら解らないのだから。

「こういうものだ」としか、云い様が無いのだ。それを「そうなのか」と、無理矢理納得するしかないのだ。

 オレは敦と一緒に探偵社に戻る。

 抜け出した時とは違って昇降機エレベーターを使い、楽々と四階へと上がる。探偵社のドアを開けると、机の島に彼らは居らず、お茶を乗せたお盆を持つ、谷崎の妹──ナオミが代わりに顔を出した。


「あら、お帰りなさい。皆さん会議室に揃ってますわよ」


 そう云われ、オレたちは会議室に向かう。さぞかし緊張した空気なのだろうと、気を引き締めてドアを開けるが──……。



「それでさぁ、財布を川に落としてしまったのだよ。国木田くん、お金貸して?」

「断る! どうせ返ってこないだろうが!」

「最近は派手な事件が少ないねェ。アタシの出番も無さそうだ」

「そろそろ田植えの時期ですねぇ。今年はいっぱい実るといいなぁ」

「あのぉ〜、そろそろ会議始めませンか?」


 おろおろとする谷崎と、怒り心頭の国木田。

 新聞の死亡記事に恍惚とした笑みを浮かべる探偵社の専属外科医──与謝野よさの晶子あきこと、最年少社員──宮沢みやざわ賢治けんじ。それぞれが自由に話をしながら、会議室でのんびりと過ごしていた。


 てっきり会議の途中に割って入ったと思っていたが、まさか始まってすらいなかったとは。オレはすっかり気が抜けてしまった。

 ふと、国木田と話していた男と目が合った。黒い蓬髪ほうはつに男前の顔、なのに全身包帯だらけ。砂色の長外套コートはしっとりと濡れている。

 彼が『太宰さん』だろうか。彼は目が合ったかと思いきや、気がついたらオレの手を握って片膝を着いていた。


「やぁ麗しき人。君の瞳は新月の夜のように美しい。どうか私と心中してくれないか?」


 ──ああ、こいつが『太宰さん』だ。


 オレは確信すると、国木田に目配せをする。国木田は拳を振る素振りを見せた。成程、思いっきり殴っても良いのか。

 オレは彼の頭に拳を落とした。遠慮も容赦も無く殴りつけると、『太宰さん』は手を離し、頭を押さえてうずくまる。


「っくぅぅ〜! 結構痛いじゃないか」

「そらそうサ。思っくそ殴ったんだから」


 国木田がこっそりガッツポーズをしている。

 オレは改めて『太宰さん』に自己紹介をした。


オレは──」

「笹舟渡芽吹、だったね。私は太宰。太宰だざいおさむだ」

「何だ。知ってるのけぇ」


 ようやく会議が始まる雰囲気になり、オレは会議室の外に出ようとする。ドアノブに手をかけると、国木田が「お前も座れ」と、椅子を指差した。だが、社員でもない部外者が、会議に参加するのは如何なものか。

 しかし、誰も怪訝な顔をしない。国木田が苛立って来たので、仕方なく敦と一つ離れた席に座った。

 静かになり、ようやく国木田が、会議を始めた。


「先月ほどから、ここ横浜で突然人が消える事件が起きている。職種は民間企業から、政治の重鎮じゅうちんまで幅広い。消えた日時もまばらで規則性が無い」


 白板ホワイトボードに事件の内容を書いていく国木田に、谷崎が顔写真を渡していく。

 全く知らない人間の写真に、名前がついていくのは、ちょっとだけ面白かった。


「そしてこの一連の消失事件、その九割が異能力者と云う事が判明した」


 ──異能力者が?


 周りの空気も、少し緊張を帯びてきた。

 異能力者が消えるなんて、よっぽどの事なのだろう。異能力なんて森羅万象を捻じ曲げた様な力だ。ある程度の縛りや不自由はあるが、それを除いても人知を超えた力であることに変わりない。

 そんな力を持った人間が忽然こつぜんと姿を消す?


「有り得ないですよね?」


 オレが思っていたことを、谷崎が不安げな表情で尋ねる。が、それを太宰は「有り得る事だよ」と断言した。


「この前の争いだって、自分の空間に転移させる異能を持つ子が居たんだろう? それと同じさ。だが、私たちが心配すべき点は、人が消える事だけじゃない。そうだよね、国木田くん」

「そうだな。この事件の問題は、『消えた人が戻ってこない』事だ」

「……戻って来ない?」


 オレは思わず口に出した。国木田は「ああ」と相槌あいづちを打つと、一番左の写真、細身でスーツを着た若い男を示す。


「この男は、『三秒だけ時間を巻き戻す』異能力を持っていた」

「三秒だけ、って。何に使えるってのサ。蹴躓けつまずいた小石を避けるとか、うっかり取っちまった上司のかつらを戻す位しか、使い道が無さそうだがねぇ」


「芽吹ちゃん、異能なんて使い方次第だよ。若しも君がその異能を持っていて、駅に居たとする。君の前には嫌いな人が立っていたとしよう。その三秒後に電車が来た。奴は電車に乗る。殺意があった場合、その異能は神様からの贈り物に感じられるだろうね」


 太宰の例え話に、オレは背筋が凍りついた。成程なるほどそういう事か。

 オレが目を逸らすと、太宰は「うふふ」なんて笑う。


「異能力は、とても地味で使い道が分からない様なものだったとしても、使い方によっては世界を恐慌パニックおとしいれることが出来たりもする。勿論、異能力によるけれど。まぁ、異能と云うのは存外、侮れない代物なのだよ」


 知ってるだろうけれど、なんて太宰は云う。

 与謝野が国木田の方を向く。


「つまり何だい。アタシたちはその犯人を、とっ捕まえりゃいいのかい?」

「そう云う事です。芽吹の警護も並行する為、動ける人数は減りますが」

「芽吹ちゃんなら、一人か二人で十分じゃない?」

「太宰、若しもの事があっては大変だ。芽吹が事件の被害者になれば、それこそ」

一寸ちょっと待て。なぁ、オレの警護って何だ?」


 会議の途中に挟まれた言葉に、オレは割り込んでいく。国木田が眼鏡を押し上げて、「そのままの意味だ」と云った。

 さっぱり分からん。


「何でオレを守る必要がある? もしかして、その理由でオレは探偵社に閉じ込められてたっての?」

「種田長官からの手紙を持って来ただろう。何も聞いてないのか?」

「あ? あのおっさん、『タネダ』って云うのけぇ」

「……あぁ、市井しせいの人にはわかかンないンですっけ? 芽吹ちゃん、図書館の短期就労者アルバイトだッて云いますし」

「だが、長官と面識があるのなら、知っているのではないか?」

「それは無いよ」


 会議はいつの間にかオレの話題になるが、肝心のオレ蚊帳かやの外だ。ああでもない、こうでもないと議論は続くが、結局オレがここに残されている理由がわからない。

 仕方なく、同じく議論に入れない敦に「どういう事だ」と聞いてみると、敦は少し困った顔で話した。


「えぇと、笹舟渡さんが持って来た封筒には、今回の事件に関する資料の他に、笹舟渡さんを保護してくれと云った内容の手紙が入ってたんです」

「そりゃまた何で」

「え? それは自分が良く分かってるんじゃ」

「何それ? は? 意味分からんね」


 オレ達の会話に疑問を持った太宰が、議論を抜けた。机の上に乗り出して、オレに顔をずいと近づける。

 意味深な笑顔で、「芽吹ちゃんの異能は?」なんて尋ねてくる。オレは乾いた笑いを漏らした。



「異能力? はぁ、持ってませんケド」



 国木田が手帳を落とした。

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