~3 days after~ 春田 瑞希の日記


 瑞希が亡くなって三日経った日のこと。

 遺品整理なるものを淡々とこなしていると、瑞希が常に携帯していた小さなバッグから、少々ぼろくなった一つの手帳が出てきた。そう言えば瑞希が亡くなるほんの数日前、僕に隠れて何かコソコソしていたような覚えがある。これを書いていたという事だろうか。


「・・・見ても、いいよね?」


 答えが返ってくるはずのない虚空に問いかけて、僕は留め具をそっと外して中を拝見する。

 一番最初に書いてあった文章は、こうだった。



『はじめに』


 この手帳をアキ君、あなたが読んでるなら私はきっと死んでいると思います。まあ、そのために書き残しているわけですが。

 遺書という遺書ではありません。私が生きた日々の中で思ったことや浮かんできた感情を書き綴っただけの日記です。それでもいいなら、この先を読んでください。




「・・・瑞希らしいなぁ」


 などと言いつつも、これは実質遺書であることには変わりない。瑞希が死を目の前にして、自分の言葉で書き残しているものだから。

 その現実に、瑞希の生きた証に向き合う覚悟は出来ていた。僕はそっと、ページを

捲る。



---


『一日目』

 余命宣告、30日。

 衝撃も何も、言葉が出なかった。これまで何度か心臓が痛いなって思うことがあったけど、まさかこんなことになるなんて思ってもなかった。

 これからの事なんて、考えられない。・・・アキ君は傍にいてくれるって言ったけど、不安で不安で仕方がない。私これから、どうなっちゃうんだろう。

 ・・・怖い。


『二日目』

 不安を紛らわそうと思ってあれこれ計画したのはいいけど、結局熱が出てダメになっちゃった。やっぱり、私の身体、弱ってるのかな。

 ・・・それでも、私の不調にアキ君がすぐに気づいてくれた。嬉しかった。そんな小さなことでさえ、幸せに思えてくるんだから、やっぱり人生って不思議だね。

 ・・・アキ君の仕事に迷惑かけるのは、ちょっとやだなぁ・・・。


『三日目』

 今日は体調が良かったから、前から行きたかった店にアキ君に連れて行ってもらった!

 けど、アキ君の顔は少し冴えない・・・。やっぱり、色々と思うところがあるんだと思う。私はどうにか明るく振舞ってみるけど、果たしてアキ君の心にどれだけ届いてるのかは分からない。

 ・・・楽しいはずなのに、胸が痛い。


『四日目』

 今日のアキ君はお仕事。私はただそれを家で待っていただけだった。

 ただそれだけだったのに、それすら何よりも苦痛に思えた。・・・と思ったら、心臓の痛みがひどくなってたらしい。なんだろう、もう何から何までめちゃくちゃだ。

 今もしんどいし、今日はここまで。

 ああ、でもこれだけ書いておかないと。

 ・・・リング、ありがとう。


『五日目』

 悔いのない選択を。医者の言葉。

 無理だよ。何を選んだって、絶対どこかに悔いは残っちゃう。だって、長く生きれないことがそもそも悔いなんだもん。軽く語っても、結局本能の生きたいって部分は変わらない。こんなこと、アキ君には言えないけど。

 あとそう、もう一つ。二人に会いに行くことが決まった。

 アキ君の頼みだから仕方がないけど・・・本当は嫌だ。こんな私、見せたくない。


『六日目』

 今日はアキ君と二人でダラダラ過ごした。何気ない日々。でも、ここ数日で一番心地のいい日だった。何かが変わったわけでもないのにね。

 それでも、アキ君の瞳は変わらなかった。いつになったら、あの憂いは消えるんだろう。どれだけ頑張っても、色は変わらない。

 ねぇ、答えを教えてよ。誰か。


『七日目』

 お父さんとお母さんに会ってきた。そして、全部言い切った。

 泣かないって決めたのに・・・泣いちゃった。だって、二人とも優しすぎたから。

 この状態で長生きを選ぶことが残酷な選択だと分かって、私の意見を尊重してくれた。本当はもっと娘に生きていてほしいって思ってくれているはずなのに。その優しさが嬉しくて、たまらなく悔しくて、涙が出た。きっと、アキ君もあの時・・・。

 私、間違ってるのかな。


『八日目』

 朝起きたとき、アキ君とお母さんが何か話してた。ぼーっとしていたから中身は全然入ってこなかったけど、二人も柔らかい顔つきだった。何を話していたら、あんな表情になるんだろう。分かんないや。

 そのお陰もあってか帰り道のアキ君の顔はいつもより余裕があった。だから言わないといけない。

 お母さん、ありがとね。


『九日目』

 アキ君の提案で、二人で星を見に行った。

 綺麗な綺麗な流れ星。誰もいない丘で、二人並んで星が流れる空を見た。

 ・・・何も、願えなかったなぁ。

 私の願いは幸せになること。・・・それ以上に、もっと長くアキ君と幸せなままいたい事だったから。


『十日目』

 最悪な一日だった。

 何もうまくいかなかった言葉でさえまともに交わせない。アキ君の神経を逆なですることを言ってしまった自分が悔しくて、腹が立つ。いつからこんな人間になっちゃったんだろう。

 それに・・・日に日に体がだるくなってる。着々と私の身体と心に、死への恐怖を植えて付けてきているんだ。

 ・・・死にたくないよ。


---


 十日目までを読んで、僕は言葉を失くす。

 瑞希は過ごした一日一日のことを、忘れないように丁寧に自分の感情ごとここに刻んでいたんだ。いつか言葉を失っても、自分の存在証明を残すために。

 切実な願いが多かった。瑞希が本当は「生きたい」という願いを抱えていたことも、ここでちゃんと知った。

 

「分かっちゃいたけど・・・やっぱり・・・」


 辛すぎる。苦しみの生と、鮮やかな死しか選択肢にない人生なんて。

 ページを捲ろうとする手が震えた。それでも、僕は続ける。


---


『十一日目』

 アキ君は時々、大胆な行動に打って出る。まさかこんな突発的に旅行に行こうなんて思いもしなかった。というかできないでしょ。

 もちろん、ありがたかったし、嬉しかった。うぬぼれじゃなく、アキ君は自分の人生を全て私に投げうってくれているんだって、そう思える。その優しさを私はきっと好きになったんだろうなぁ・・・。

 最近、ちょっと眠りが深すぎるのが気にはなるけど。


『十二日目』

 久しぶりに、本当の意味でアキ君と眠った。

 自分の体調を鑑みて、多分これが最後なんだなと思うとやっぱり少し悲しかった。それに勝る愛を、アキ君に刻んでもらったわけだけど。

 そして、二人で海へ。最初海へ行くって決めただけなのに、どうしたら旅行計画になるのか・・・やっぱりアキ君ってすごいと思う。だから、全身全霊を持って伝えるんだ、アキ君ならできるって。

 ・・・ちょっと、足がだるい気がするけど、多分ただの疲労だって信じたい。


『十三日目』

 体がだるい。アキ君が会社へ行ってる日に限って、なんで毎回こうなるの・・・?

 それでも、今日は絶対に倒れないって決めた。約束、ちゃんと叶える。多分、これを書き終わって、アキ君が帰ってくるころにはとんでもないことになってるかもしれないけど、私にも意地ってものがあるの。

 がんばれ、わたし。


『十四日目』

 足がとうとう動かなくなった。心臓以外の影響が出てくるのはこれが最初。それと一緒に、今後もこんなことが続くんだなって思った。次はどこがダメになるんだろう。怖い。

 明るく振舞うのもしんどくなってきた。きっとアキ君もちょっとずつ気づいてるかもしれないけど・・・悲しませたくないよ。


『十五日目』

 数日前に頼んだ将棋が届いた。なんだかんだ言って、これもやりたかったことの一つに変わりはない。お願いだとか、無理強いだとか、その類の行動は好きではなかった。それでも、もう後がないっていうのなら・・・きっとアキ君は許してくれると思った。

 そうは言っても、ちょっと憂さ晴らしみたいな行動になっちゃうから、そこはごめん。


『十六日目』

 今日もはっきり言ってダメダメな日だった。何をしようにもまず体は動かないし、気分もかなり悪い。着々と私の身体が弱っていることを病魔ははっきりと伝えてきていた。

 こんな心持じゃ、いつか絶対にアキ君を傷つけてしまう。どれだけ分かり合おう解いても、あと少し届かない心の距離が悲しかった。


『十七日目』

 少し体が動くうちに、出来ることは全てやりたかった。だから今日は無理なお願いをして、私が地元で一番好きだった場所に連れて行ってもらった。

 昔から泣いてた時によく連れて行ってもらってた場所。私はきっと泣きたかったんだと思う。頬を少しの雫が伝ったことを私は忘れない。それでも、心の疲れを隠し切れないアキ君の前で堂々と泣く勇気なんて私にはなかった。


『十八日目』

 しんどい。苦しい。身体が熱くて止まらない。それに、怖い夢を見た。

 もうやだ・・・。こんな苦しい事ばかりなら、死にたくなる。全力で生きるなんて無理だ。できる人がいるなら教えてほしい。

 ・・・だから、アキ君。傍にいて・・・。傍にいて、欲しいよ。


『十九日目』

 みんな、優しすぎるよ・・・。

 泣かないって決めたのに、もう涙は止まらなかった。育ててくれた二人の愛は、私には大きすぎた。こんな優しい人たちを置いて、先に死にたくなんてないのに・・・。

 なんで、私なの。


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ここら辺になってくると、だんだんと綺麗だった文字が歪み始めた。おそらく腕の筋力が落ちたことが影響しているのだろう。所々にページが濡れた後が見受けられるのは、きっと瑞希の涙なのだろう。

 本当に瑞希は無理をしていた。それでも、最後まで頑張って生きたその全てがここにちゃんと記入されている。僕は溢れ出そうになる涙をこらえながら、ページを捲る手を進めた。

 その次の文字は、これまでとは考えられないくらいガタガタの字だった。


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『二十日目』

 結婚式、約束した。ちゃんとやる。がんばる。


『二十一日目』

 今日は腕に少し力が入るから頑張ってみる。こうして昨日の日記を見てると私の腕の筋力ももう限界が近づいているんだと思う。

 雨。・・・雨が降ってた。そして見せられる悪夢。私は息をしてなかったらしい。

 どこまで行けば、どれだけなにをすれば、アキ君は幸せになってくれるんだろう。・・・こんなに一緒に生きてるのに、答えはまだ出ないままで、それが悔しい。

 私、どうすればいいんだろう・・・。


『二十二日目』

 なんでも、20時間も眠ってたらしい。最近、寝ても寝ても疲れが取れないと思ってたら、ここまで酷く・・・。

 まだやりたいことあるから・・・それまでは持って・・・。


『二十三日目』

 声が出なくなった時はさすがに焦った。きっと一過性かもしれないけど、お腹に力が入らないのはさすがにまずいね。

 それと、やらないといけないこと、見つかった。ちゃんとアキ君に手渡さないといけないあれを作る。季節外れだっていい。こんなものだって、私が生きた証になるから。


『二十四日目』

 明日、明日なの。それさえ過ぎてしまえば・・・。

 なんてアキ君にいったら、心の底から怒られた。そりゃ、願いが叶ったら死んでもいいなんて言った私が悪いけど・・・。

 でも、もう起きてる自信、ない。だから・・・お願い。

 幸せな夢を、見させて。


『二十五日目』

 やっとこの日を迎えたんだって思うと、涙が出て仕方がない。私は今幸せだ。きっと、そう思う。

 アキ君、私を見つけてくれてありがとう。選んでくれて、好きになってくれてありがとう。


 ありがとう。


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 そしてまた次のページを捲る。

 『二十六日目』


しかし、そこに映し出されていたのは空白だった。この時瑞希は意識を失って眠り続けていたのだから。

『二十七日目』


 この日もまた空白だった。確か、正人さんと優子さんが来てくれたのは覚えている。それを書き残すことも出来なかったなんて、きっと悔しいだろう。あの時の感情は、きっと特別なものだっただろうに。

 そして僕は、迫りくる終わりへと日記を進める。


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『二十八日目』

 もうだめだって、わたしがいちばんわかってる。

 だから、かくことはもうとっくにきめてた。


 ありがとう。アキくん。

 ありがとう、お父さん、お母さん。わたしのためにないてくれて。


 あした、わたしはせかいでいちばんしあわせなおんなになる。


---

 そして、最後の日が訪れる。

 瑞希は最後の日に、何を書き残したんだろう。ろうそくの残り火の力で、僕に何を残してくれようとしていたんだろう。

 それが気になってしかたがない。僕は急ぐようにページをガバッと捲った。

  

 そこには、今までのどのページよりも綺麗な文字で、こう綴られていた。


---


『二十九日目』

 今日は、最後の日。私が生きる、最後の日。きっとそんな予感は出来ていた。

 不思議なくらいに気分がいい。身体が軽い。まるで、病気なんてなかったかのように。

 きっとそれは、神様が最後に私に与えてくれたプレゼントなんだろう。ほんと、最後まで厭味ったらしい神様だ。

 だから私は、全力で私の全てをここに書き残すよ。


 ・・・アキ君、私、幸せだったよ。心配しなくても、私は幸せな女になった。私が生きてきた意味は、アキ君、君が作ってくれたの。たった数年だったかもしれない。長い間とは言えないかもしれない。でも、はぐくんだ愛はきっと悠久のものだから。

 きっと会えるよね。私が先に遠く離れても、きっとアキ君は見つけてくれる。これまでなんども私を見つけてくれたんだから、きっと来るって私はそう信じてるよ。

 

 だから、どうか幸せに。

 私のこと忘れて、なんて私は言えない弱い女だから、最後まで甘えさせてね。


 どうか忘れないで。私がいたこと。私が生きたこと。二人で生きたこと。


 募る話は、またその時に。

 じゃあね!! ありがとう!!


---


「かっ・・・ははっ・・・なんでそんなっ・・・!」


 瑞希の思いが全て綴られた日記を読み切った僕は、涙を止めることが出来ないでいた。最愛の人からこれだけのものをぶつけられて、苦しくないはずなんてなかった。

 それでも、よかった。瑞希は建前でもなんでもなく、幸せでいてくれたんだ。

 僕と同じようにずっと悩み続けて、最後の最後まで答えは出ずに、それでも前を向いて頑張って生きてくれていたんだ。自分の苦しみと戦いながら。


「瑞希は強いよっ・・・ほんとに・・・」


 僕はそのしわしわになった日記を抱きしめてうずくまり、また叫びながら涙を流した。



 それでも、変わらない事実がここに一つだけある。

 春田瑞希は、最後まで生き抜いた。それは一生忘れることのない、僕の誇りだ。



「・・・頑張るから、僕」


 どこまでも長い時を生きて、いつか絶対にまた巡り合う。文句の二つ三つはまたその時に。

 さあ、歩き出そう。それが僕にできるコトだから。

 


 

~after story Fin~


 

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悠久の愛、そして僕にできるコト 入賀ルイ @asui2008

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