三十日目 そして僕にできるコト


 今日、午前六時。春田瑞希の死亡が確認された。


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 分かっていた。全て、こうなると分かっていた。

 目を背けながらも、何度も想像していた光景。それが今、僕の目の前に広がっている。


  

 目覚めたのは朝の五時半ごろ。僕の身体は、何か硬いものを抱きしめていた。

 まだ眠たい目をこすって、目の前を確認する。人だ。僕は人を抱きしめている。


 それが瑞希だという事を思い出すのに、長い時間はかからなかった。


 そうだ。確か昨日、僕は瑞希と抱き合って寝ていたんだ。だから今こうして目の前に・・・。

 ・・・おかしい。こんなに硬い肌触りじゃなかった。もっと包み込むような柔らかさを内包していた。こんな冷たい体じゃなかった。もっと、人肌のぬくもりを備えていたはずだ。


「瑞、希・・・」


 この間とは、訳が違う。ほんの少し冷たかったように思えたこの間とは。

 瑞希の身体は、全ての体温を失っていた。そして、ようやく回ってきた脳に一つの単語が浮かび上がる。


『死後硬直』


 そうすると、目の前の瑞希の身体が硬くなってしまったことのつじつまが合う。けれど、それは同時に・・・。

 同時に、瑞希の死を意味するものだった。


「・・・そっか。そうだよね。・・・昨日、だったから」


 僕は瑞希の肌に触れていた腕をポトリと布団の上に力なく落とす。そのままただ茫然として、目の前の亡骸をぼーっと眺める。

 昨日さんざん泣いたからだろうか。もしくは、それ以外の理由だろうか。僕の瞳を伝うものは何もなかった。ただ、言葉が、思いが溢れてくる。


「・・・昨日さ、全部いう前に瑞希、寝ちゃったからさ・・・。まだ、伝えきれてない言葉、いっぱいあるんだ。ありがとう、だなんて言葉で片付けることなんてできないくらいにさ」


 僕は、目の前の亡骸にただ語り続ける。

 僕の思いを、これからのことを、語り切れなかったありがとうを。


「余命宣告、された時さ・・・。頭、真っ白になってたんだ。今だから言えるけどさ・・・別れた方がいいんじゃないかって、ちょっとでも思ってしまってた。・・・でも僕は、僕の大好きな瑞希のことを裏切ることなんて出来なかったし、何よりそうすることがなによりも嫌だったんだ」


 口では愛を語っても心は正直だ。

 こんな未来があることなんて予想できていて、そこに向かうなんてのは勇気がいることだ。その時の僕にはきっと、この場所にたどり着く勇気がなかった。


「だから、最初のほうなんて、結構悩んでいたんだ。どうなるのか怯えながら暮らす日々が続くんだと思ってた。・・・いや、最後まで続いちゃったか。寂しさを紛らわせようにも、現実って非情でさ。最後まで逃げられなかったよ」


 きっと、こんな僕でも瑞希は許してくれるだろう。けれど、罪の懺悔をしないことには、僕が僕を許せなかった。

 

「結局、僕はどこまで瑞希を幸せにしてあげられたのか分からないや。あれだけ情緒不安定なところを見せてさ、情けない姿や顔も見せて、頼りない僕だったと思う。・・・でもね、一つだけ、最後まで変らなかったことがあるんだよ」


 どれだけ不器用な生き方をしても。無様を晒しても。弱虫になっても。心の奥底にある暖かな感情、思いだけは最後まで変わらなかった。


「それはね・・・瑞希が好きだったってことなんだ」


 それは、あの頃の瑞希相手でも、もう二度と動くことのない亡骸相手でもでも変わらない。今目の前の亡骸でさえ美しく、そして愛おしく思える。

 それはきっと、僕が最後まで瑞希に向き合えたことの印で、僕の誇り。それだけは、今もここにある。


「だから、改めて言うね。・・・ありがとう瑞希。ずっと僕の傍にいてくれて。僕のことを好きでいてくれて。僕の大好きな人間であり続けてくれて。・・・僕の、人生に、現れて、くれて・・・。それで・・・」


 あぁ、ダメだ。やっぱり僕は泣き虫なんだ。昨日の一日なんかで足りるわけなんかなかったんだ。


「もっと・・・一緒にいたかったのに・・・!」


 僕は目の前の亡骸を壊れるほど強く抱きしめた。温度のない服に顔をうずめて、声を上げないように乾いた頬に涙を伝わせる。

 しかし、どれだけ強く抱きしめても「痛い」とも「苦しい」とも言ってくれない。ただ、満足そうな表情だけが目の前にある。その表情のまま、逝ってしまったからだけど。


「でも・・・取り戻したいなんて、思ったらダメなんだよね・・・。そうだよね、瑞希・・・」


 昨日も同じようなことを思っていた気がする。行かないでとは言えない。幸せと言ってくれた瑞希の想いを無下にすることになってしまうから。


「でも、それでもさぁ・・・。やっぱり・・・寂しいよ・・・。悲しいよ、瑞希ぃ・・・!」


 こんな世界で、僕はこれから一人で生きていかなければならない。傍で支えてくれる瑞希がいない世界で。

 きっといつかは慣れるかもしれない。・・・それでも、やっぱり寂しくて・・・。





 部屋には、情けない一人の男の慟哭が響き渡った。



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 あの日から、どれだけ経っただろう。

 最後に泣いたのは、瑞希の死を確認した日。それからは一度も、一滴の雫も流すことはなかった。

 悲しいことも、寂しいことも、本能では理解している。一人つく食卓の向かい側が寂しいことも、隣で眠ってくれる人がいないことも受け止めている。寂しくないはずがない。

 

 それでもあの日から、あの日々のことを懐かしんで思い出せるようになった。瑞希が生きた証はあちこちに残っている。刻んだ思い出だって忘れちゃいない。全てを失ったわけじゃないことも、もう分かってる。

 それに、またいつか会えるって約束をしたんだ。僕はそれを信じてるから。寂しいなんて、ほんの一瞬のことだ。


 だから、今は全力で生きる。いつかまた会う時、僕という人間がどんな人間だったかを瑞希に見せつけるために、今を生きて、目一杯輝いてみせる。


 ほんの少しの、長い長いお別れだ。

 長い冬を乗り越えて、僕は瑞希の待つ木漏れ日の先の春へたどり着こう。



 それが今、僕にできるコト。

 そして、僕にできるコトなんだ。



~fin~


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