二十七日目 やさしさ、滲んで
窓の外は雨が降っている。けど、それを鬱陶しいと思うことももうなくなった。
無機質な病室の窓を横殴りの雨が叩く音が小さく部屋の中に響く。瑞希はまだ目を覚まさない。それでも、焦る僕はもういなかった。
昨日あれから、僕は色々と準備を進めた。瑞希にとって、僕にとって大切だった人たちに連絡を入れた。といっても、瑞希のスマホに登録された連絡先が少ないことには驚いたけど。
たくさん電話を掛けた。すすり泣く声が聞こえたこともあれば、ひどく落胆した声音が聞こえたこともあった。態度は違うけど、みな悲しんでいたことだけは確かだった。
瑞希の両親も、そのうちの一組だった。
すると、病室のドアをノックする音が雨音混じりに部屋に響いた。どうやら来客らしい。
「どうぞ」
僕が返事をすると、部屋の中に二人の人物が入ってくる。瑞希の両親である正人さんと優子さんだ。
「アキ君、元気していたかね」
「ええ、僕は」
「それで、瑞希は・・・」
「・・・」
僕は無言のまま、眠ったままの瑞希の方を向く。それを見て、優子さんは瑞希の下へ小さな歩幅で歩み寄った。
そして瑞希の顔を拝んだ時、その顔はくしゃりと歪んだ。衰弱しきってしまった瑞希の様子にショックを受けた、という事が一目瞭然だった。
「瑞希・・・」
言葉もなく、優子さんはただ崩れ落ちる。ほどなくして、すすり泣く声が部屋中に響く。死んでいないにしろ、最愛の娘が自分より早く死の危機に瀕し、弱ってしまっていることが見るに堪えないのだろう。その光景があまりにも辛くて、僕は目を反らした。
正人さんは、そんな優子さんの背中を二、三度摩ったのち、僕の隣に置いてある椅子に腰かけた。そのまま、まるで何もないかのような表情で僕の方を向く。その奥に、自分も泣きたいという感情を隠しながら。
「・・・瑞希は、ずっとこんな様子だったのか?」
「最近は、苦しそうな顔をすることも少なくありませんでした。・・・確実に病魔に蝕まれているのは、分かってました」
「それでも、必死に生きようとしていた」
「・・・はい」
僕が答えると、そのまま正人さんは一度瑞希の方をちらりと見て、「そうか」とだけ呟いた。その声音がどことなく寂しくて、僕まで悲しくなる。
残される人間は、僕一人ではないのだ。
「・・・瑞希の決めた道を選べばいい。俺と優子はそう言って、二人で納得もしてるつもりだった。・・・それでも生きてほしいと願ってしまうのは、親失格か」
「冗談言わないでください。・・・誰だって、生きていてほしいですよ」
でも、ここから先の生はきっと、苦しみが幸せに勝ってしまう。誰もがそれを分かっていた。だからどこまでもむなしく、哀しい。
「・・・瑞希は、幸せだったのか?」
「それは本人の口から聞かないと分からないですよ・・・。それに、僕だってそれを知りたいんですから。・・・そうじゃないと、僕がここにいる意味がなくなります」
「・・・そうか。悪かったな」
「いえ」
それ以上の言葉が出ない。そうしてまた沈黙が生まれようとしたとき、風に消されそうなほど小さな声で呟く優子さんの言葉が僕の耳に伝わってきた。
「頑張ったんだね・・・瑞希・・・」
涙混じりの、その小さな一言が僕の胸を突き刺す。流さないようにと決めていた涙が流れそうになるのを、僕は歯を食いしばって必死にこらえた。
それほどまでに、目の前の優しさが痛い。こんなことなら優しさなどいらないなんて思えてしまうくらいに、優しさが、痛い。
しかし、優子さんは母親だ。娘のことを誰よりも近くで見てきた人間だ。こんな感想が出ないはずなどない。・・・頑張った娘をほめる母親がいないなんてことがあるものか。そう思う。
僕が呆気に取られていると、正人さんに肩を叩かれる。目を向けなおすと先ほどよりもさらにまっすぐな瞳がそこに在った。
「アキ君、お願いがある」
「なんですか?」
「瑞希が最期を迎える日・・・。その日は、二人だけでいてくれ」
「え? でも、それじゃあ二人は・・・」
僕が聞き返すと、涙を拭って立ち上がった優子さんが濡れた声音で答えた。
「もともと、正人さんと話し合って決めたんです。どうせ最後の日はアキ君が連れまわすだろうから、私たちはそれを見守ろうって」
「でも・・・、瑞希は二人に・・・」
そう。それを受諾してしまうと、瑞希はもう二度と二人に会えないまま逝ってしまうことになる。それを許してしまっていいのだろうか。
「それは・・・」
優子さんが言葉を濁したその時だった。ゴソッと何かが動く音が耳に入った。ほどなくして、視界の先のベッドで人が動き始める。
瑞希が、目を覚ました。
「「瑞希!」」
二人は僕よりも早くその音に気づき、瑞希の方を向く。視線の先の瑞希は、重たそうに瞼を開いていた。
表情は苦しげだった。けれど体はわずかに動くようで、着けられている機械の中で口をパクパクと動かした。僕も近づいて、その音を拾う。
「お、父・・・さん、おかあ、さん」
それから瑞希は、ニヘッと笑みを浮かべた。
「あり・・・がと・・・う」
そして笑顔のまま、また眠りにつく。たった一瞬。しかしこの一瞬、瑞希はちゃんと起きていた。
こらえきれなくなって、いよいよ正人さんの頬にまで涙が伝う。けれど、その雫の温度は暖かさを得ていた。
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それからしばらくして、二人が帰る時間となってしまった。本当はずっとに居たい気持ちを抑えて、二人で決めた最後を迎えることを選んだようだ。
一応、何度も確認した。そして、今もまた確認を行う。
「僕たちの家に泊ってもらっても大丈夫なんですよ?」
「いや、大丈夫だ。・・・もともと、そうするつもりがないって何度も言ってる」
「それに、瑞希はちゃんと私たちに「ありがとう」って言ってくれた。私たちはそれでいいの」
二人の表情は晴れていた。どうやら僕より早く、今生の別れの覚悟を済ませていたらしい。それがこの別れなら、もう文句はないのだろう。これ以上僕に言えることはない。これは二人が選んだ答えなのだから。
・・・僕が父親で、瑞希が母親で、子供が同じように死に瀕していたら、同じ決断を出来ていただろうか。
・・・なんて、そんなこと考えても意味はないか。
だから僕は、笑顔で二人を見送った。こっちは大丈夫だ。最後まで任せてくれと、
二人を安心させるように。
それに満足してか、二人はそれ以上何をいうことも無く、病室を出ていった。部屋には再び眠りについた瑞希と、僕だけが残っている。
雨は、とうに上がっていた。雲間から零れる日差しが病室を照らす。
最後の輝き。僕らの未来を示すようなその光に僕は少し目を細めた。
その向こうの雲間を見つめる。あれが晴れるとき、僕たちはきっと幸せになれる。そんな気がした。
「・・・最後まで、一緒だから」
小さく一つ、声が響いた。
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