二十三日目 最後の輪舞を


 瑞希が動かない。

 目を覚ました僕はすぐに異変に気が付いて、その体を揺り起こしてみた。それでも反応はない。それどころか、体が冷たい。

 このままではだめだと心臓に刺激を与えてみる。口づけて、呼吸を促そうとする。それでも、瑞希は、動かない。


「ははっ・・・やだよ、やめてよ・・・!」


 まだ、お別れの言葉も言えてないのに。・・・まだ、何も出来てないのに、いなくならないで・・・!


「瑞希っ・・・!!」


 その時、意識が爆ぜた。



---



 意識が覚醒すると同時に、僕はガバっと体を起こした。背中にはぐっしょりと嫌な汗をかいている。

 しかし、まだ意識がはっきりとしてないためか、僕は先ほど見た光景の続きを確認した。


「そうだ、瑞希ッ・・・」


 瑞希は・・・となりで穏やかな寝息を立てて眠っていた。とりあえずさっき見た光景は夢だと自分の中でようやく落ち着かせることが出来た。


「・・・にしても、質の悪い夢だよホント」


 いつかは現実になるであろう夢。それを見せられてしまったわけだが、この先いつその場面が訪れるか分からない状況だ。気分が悪いと言ったらありはしない。


 僕はパチンと両頬を叩いて意識をちゃんと覚醒させる。そうすると、さっきまでの光景を冷静に捉えれるようになっていた。

 

 ・・・思えば、瑞希が死んでしまう夢を見たのは初めてだった。それほど、死という事象が僕から遠すぎたのだろうか。それとも、瑞希は死なないだろうと勝手に高を括っていたのだろうか。


 まあ、そんなことはどうでもいい。今日は今日だ。それ以上もそれ以下もないなら。こんな悪夢などさっぱり忘れてしまおう。



 リビングのカーテンを開けて、今日もまた花瓶の中の水を変える。そう言えば、この花ももうずっとこの花瓶の中にいる気がする。こいつにも寿命があるとするならば、枯れるのはそろそろかもしれない。

 だからと言って僕に出来ることは何もない。ただいつものように水を変えてやるだけだ。


 ・・・なるほど。きっと、僕が瑞希に対してしてあげれることもこれくらいの事なのかもしれないな。


 そんな当たり前のことに、今になってようやく気が付く。だからこれ以上求めるのはやめにしよう。望んだって手に入らないものは、望むだけむなしくなるものだ。

 だから今日も、昨日みたいに瑞希が目覚めるのを待つことにする。ずっと、ずっと。何時間だって待ってやる。それが僕が瑞希に与えることのできる水みたいなものだ。


 そして、瑞希が目覚めたのは昼前だった。それにもかかわらず目覚めが早く思えてしまうのは、ずいぶんと狂ってしまった証拠だろう。


 しかし、今日も今日で瑞希の様子がおかしい。口をパクパクと動かしているのだが、そこに音が伴ってないのだ。

 それが何を意味するか、僕は瞬時に察する。

 信じたくはないけど、今日限りの悪夢であってほしいけど・・・。


 瑞希は、声を失ってしまった。


 そう判断した僕は急いでリビングからボールペンと適当な白い紙を数枚持ってきた。声が出せない以上、これしか手段はない。

 瑞希の腕力は日に日に低下している。先日だってそれで車いすが動かせなくなったわけだ。目に見えた衰弱が瑞希を襲っている。だから、筆談が出来るかどうかも怪しかった。


 しかし、瑞希は僕かペンと紙を受け取ると慣れた手つきですらすらと文字を書き始めた。どうやら文字を書くだけの力はまだ残っているようで、安心した。


『まいったね。今日は喉がからっから過ぎて声が出せそうにないや』


「水を飲んだりしても変わらない?」


『やってみる価値はあると思うけど、喉が潤ったところで今日直るかと言われたら厳しいかもしれない。明日には直ってるかもしれないから、水分補給はちゃんとしようか』


 とはいえ、瑞希も半ばあきらめたような表情をしている。自分の心の中では本当にもうだめかもしれないと割り切っているのだろう。それでも、出来るだけの行動をするなら僕は何も不満はないけど。


 ・・・声、か。


 当たり前のように交わしてきたものだった。親の声よりも聴いた声だった。それが急に聞けなくなるのは寂しいし辛い。だから、その声がもとに戻ることを僕は願ってしまう。命より先に僕が生きた証を消してほしくなかった。


 それと同時に、どんどん身をもって、「瑞希」という存在の終わりを僕は感じている。身体のあちこちがだんだん壊れて、衰弱を始めて、最終的には心臓の鼓動を奪う。それでこの終わりへの物語は幕を閉じる。僕はそれの目撃人だ。


「瑞希・・・」


『アキ君、起こして』


「え? でも体調、ダメなんでしょ・・・?」


『うん。正直、声だけじゃないんだけどね。・・・でも、どうしても今やらなきゃならないことがあるから、それだけはさせて』


 今、瑞希がどうしてもやりたいこと。瑞希がやり残していることを考える。

 結婚式はやり残したことの一つだ。でもそれは僕ら二人の残したものだから、瑞希は僕の忠告に従ってくれるはずだろう。それでも、瑞希が大人しく休んでいてくれないとしたら・・・。


 ・・・そうだ、あの編み物。瑞希が作っているあれだ。


 それを確かめるべく、僕は瑞希にちゃんとその真意を尋ねる。


「あの瑞希が作っていたもの?」


『せーかい。・・・ね、お願い』


 文字から顔へと目線を上げると、瑞希は潤んだ瞳で僕に願いを乞っていた。しかも、潤んだ瞳の中にはしっかりと覚悟が灯っている。

 無理をさせたくはないけど、僕はその瑞希の意思を尊重したかった。


「・・・分かった。その代わり、しんどかったらすぐにアピールすること。声が出せないんじゃ、ヘルプしようにも難しいからさ、出来るだけのことをやってほしい」


『やった! アキ君好き!』


「はいはい。それじゃ早く車いす乗って。薬の持続時間も最近短くなってきているんでしょ?」

 

 薬の効力も日に日に短くなっている。完全に効かなくなるのもきっと時間の問題かもしれないから、できることは全て早く終わらせた方がいい。

 僕は少し浮き立つ瑞希を車いすに乗せて、いつものようにリビングへと向かった。


---


 夜になる。 

 瑞希はちゃんと完成させたようだったが、疲れたのかそのまま机に突っ伏すように眠りについてしまった。浅い眠りみたいだから、また後で起こすけど・・・。

 でも、その幸せそうな寝顔を見たら、そんな気も失せてしまいそうでいけない。


 僕は瑞希から瑞希にそっと毛布を掛け、晩御飯を作るべくキッチンへ向かおうとする。その時、久方ぶりに電話がなった。ディスプレイには古里さんの文字が映っている。


 瑞希を起こさないように寝室に移動して、僕はその電話を取った。


「もしもし古里さん。まさか、仕事ですか?」


『馬鹿言うな。俺を何だと思ってるんだ。流石に今のお前に頼める仕事なんて何もねえよ。あれだ、様子を知りたくてな』


「僕ですか? 瑞希ですか?」


『ま、両方だな』


 古里さんが笑っているのが分かった。暗い話に展開させないようにと、明るく振舞おうとしているのだろう。その優しさは、本当に古里さんらしい。


「・・・瑞希は、やっぱり死んじゃいますね」


『そんなにひどいのか?』


「足が動かなくなって、腕力も著しく低下して、体の衰弱が目に見えて分かってる状態です。今日だって、声が出なくなって・・・」


『明日の未来さえ分からない、か・・・』


「はい」


 明日瑞希がどんな状態になっているかなんて想像できない。今日と同じ明日が訪れてくれれば嬉しいことこの上ない。当たり前という幸せが今なら分かる。


『お前は?』


「そんな瑞希のことを、最近になってようやくちゃんと受け入れることが出来そうって感じです。・・・やっぱり、辛いですけど」


『嫁さん死んで辛くないやつがあるか』


「ごもっともです」


 きっと辛い。慟哭じゃ収まらないだろう。自分も後を追って死にたくなるだろう。

 でも僕は、瑞希に生きろと願われている。それを無下にすることは、しない。


 生きていく覚悟は、だんだんと定まっていっていた。


『ま、なんだ。思ったよりへこんでなさそうで安心した。そうは言ってもお前、少しうたれ弱いからな』


「へこむも何も、ギリギリですよ・・・」


『まあ、なんだ。俺でよければいつでも話聞くからよ。・・・ちゃんと、悔いのないようにしてこい』


「はい!」

 

 僕の上司、古里さん。

 不器用でも優しさを全力でぶつけてくれる、僕の上司。

 この人が傍にいてくれるなら、僕はきっと大丈夫だと、そう思える。


『それじゃあな』



 電話が切れた後で、僕はリビングへと戻る。

 眠り姫と、最後までダンスを踊るために。

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