二十二日目 雨あがり、そして
雨は上がっていた。朝の七時。
結局、昨日はお互いそれ以上何も言う事が出来ずにいた。しかし不思議なもので、一晩明けると昨日思い悩んでいたことが嘘に思えるほどに軽く思えた。
もちろん、軽視できるような内容で悩んでいたわけじゃないことは分かっている。つまり何が言いたいのかと言うと、何がダメだったかをはっきりと自分の中でかみ砕いて整理することが出来ていたという事。
だから今は、隣で眠ったままでいる瑞希に、ちゃんと「ごめんね」が言える気がした。今はやるべきことをこなして、いつものように瑞希が起きるのをただ待つ。今日は文句の一つ言わないように注意すると心に決めながら。
洗濯物を干し終える。瑞希はまだ起きない。
リビングに置いてある花瓶の水を変える。瑞希はまだ起きない。
時計の針が真上で重なる。・・・瑞希は、まだ起きない。
気が付けばとうに昼になっていた。ただ瑞希が目覚めるのを待っているだけで、これだけ時間が経つなんて思ってもみなかった僕はびっくりする。
しかし、それはだんだんと不安に変わっていく。昨日の今日だ。また瑞希に何かあるのかもしれない。
僕は再び寝室へと入る。そして瑞希の顔をそーっと覗き込んだ。
しかし、今日の瑞希はちゃんと呼吸を行っていた。特別具合が悪い様子も見受けられない。・・・ただ、眠っているだけのようだ。
「とはいっても・・・寝すぎでしょ」
昨晩、瑞希は特別夜更かしをしていたわけじゃない。むしろ疲れがたまっていたのか夜の八時には眠りについていた。
そこから一度も目覚めていないと仮定すると、瑞希は実に16時間眠り続けていることになる。・・・いくらなんでも、長すぎはしないだろうか。
とはいえ、無理に起こすべきかと問われたら、また僕は悩んでしまう。残り少ない瑞希の余生、一日でも無駄にしたくないという気持ちはある。しかしだからといって無理に起こしてしまえば、かえってコンディション不良を起こさないだろうか。
・・・僕には、選べなかった。だから、瑞希をそのままにすることしか出来ない。
ただ、起きたときに傍にいることが出来たら。
そう思って、僕は折り畳みの椅子を寝室へと運び、瑞希が目覚めるのを待った。
長い針が一周する。瑞希はまだ起きない。
外で風がざわめき始める。瑞希はまだ起きない。
・・・。
・・・・・・。
少し眠ってしまっていたようで、重たい瞼を開いた僕は急いで時計を確認した。指示されている時刻は夕方の四時。
でも、瑞希はまだ目を覚まそうとしなかった。
「何が起こってるんだよ・・・」
また悪夢でも見せられているのだろうか。そして、そこから逃げ出せなくなっていたりしてるのだろうか。
いずれにせよ、僕に出来ることはない。ただ、待つだけ・・・。
「早く目覚めてよ・・・」
届かない祈りのような言葉をポツリと呟く。
その時、それが実ってか瑞希は重たそうに瞼を開いた。
「・・・ん」
「・・・っ!」
僕の顔色が歓喜の色に染まる。しかし、それだと昨日みたいにまた瑞希に心配させるだけだと、僕はそれをすぐさましまい込み、瑞希に語り掛けた。
「おはよ、瑞希」
「・・・うん、おはよう。・・・私、どれくらい寝てた?」
瑞希も眠り過ぎた自覚はあるようで、僕にそう問いかけてきた。
「・・・20時間、くらいかな」
「そっかぁ・・・。もう夕方かぁ」
まだちゃんと頭が回ってないのか、はたまた体調がよくないのか、体を少し起こした瑞希はふらふらしてすぐに倒れる。
そして天井にくろがねの眼を向けたまま、瑞希は続ける。
「・・・何もね、なかったの」
「え?」
「何もなかったの。悪夢を見たわけでもない。叫びたくなるくらい心臓が痛いわけでもない。何もないの。ただ、ずっと寝てた、私」
「そうなんだ」
「単純に、体がもう疲れ果ててるのかもしれないね。もう、前みたいに起きるのは無理かも」
瑞希は小さく、仕方なさそうに笑う。少しも笑えない話だけど、瑞希なりの配慮だろう。昨日の今日で同じ轍は踏みたくない。僕は何も反論しないでおいた。
それに、分かっている。前みたいな日々にはもう戻れないと。
「瑞希」
「何?」
「ごめんね、昨日の事」
「・・・いいの。誰も悪くないから。それに、アキ君が暴言を吐いたとか、そんなことじゃないでしょ? 意見の衝突位人間誰だってあるし、それをいちいち責めてちゃキリないよ。・・・でも、そうだね。私からも謝る。ゴメンね」
「じゃあ、これで終わりだ」
「うん」
ちゃんと瑞希にごめんねを言えた。それを受け取ってもらえた。それだけで僕の心の中の雲はだんだんと晴れていく。やっぱり今日は雨上がりだ。
しかし、目の前にある問題が解決したわけじゃない。何一つ解決してないどころか、状況はどんどん悪化していくばかりだ。
と、その時瑞希は急に心臓に手を当てる。瞬く間に表情は苦悶のものへと変わる。慣れつつあって忘れがちになるが、もともと病に侵されていたのは心臓だ。この一瞬で、僕はまた現実へ帰る。
現実に帰った僕はすぐにリビングへ薬と水を取りに行った。ゴホゴホと咳をする音が壁を伝って響いてくる。それがたちまち僕の行動を早くする。
それから寝室へと戻り、瑞希の口元へ薬、水と順番に当てていく。それが喉を通って数分後、僕の迅速な行動が実ったのか、瑞希は落ち着いた様子を見せた。
「・・・ありがと。もう少し遅かったらまずかったかも」
「すっかり周期の時間だってこと、見落としてた。ごめん」
「謝らないで。それにこれは私の責任。全部全部背負ったら苦しいだけだよ?」
「・・・そっか」
そう言って僕は少しばかり俯く。すると、その上に暖かな掌が乗った。ほどなくして優しい声も乗っかかる。
「アキ君は優しいからさ、そうやってなんでも自分の事って思っちゃうんだ。でも、それって時々苦しいよね」
「・・・うん」
「そりゃそうだよ。誰かの痛みを自分のものにしようとして、一緒に痛んでるんだからさ。・・・本当に苦しいなら、そうしなくてもいいんだよ?」
「分かってる。・・・でも、僕がこうできるのはきっと、相手が瑞希だからだよ。本当に苦しいときは何度もあった。逃げ出したいとも思った。・・・それでも共有したいと思えるのは、瑞希しかいないよ」
「嬉しいような、心苦しいような・・・」
瑞希は困ったものだと苦笑いを浮かべる。
困らせてるのは分かってる。でもこれは僕の譲れないわがままなんだ。・・・だからどうか、許してほしい。
どうか最後まで、一緒に苦しみたい。それだけなんだ。
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