二十日目 終わりゆく時、最後に・・・
泣きつかれたせいか、次の日の朝の目覚めは笑ってしまうほどに清々しいものだった。どこか頭がスッとしている。今なら、不条理な現実に真っ向から向き合える気がした。
それはどうやら瑞希も同じだったようで、睡眠時間が極端に長くなっていた最近からすれば珍しいほど、瑞希は早起きをして見せた。朝の七時だ。
「おはよ、アキ君」
「瑞希、寝なくて大丈夫なの? まだ朝早いけど・・・」
「うん、今日は平気っぽい。昨日一生分泣いちゃったから、いろんなものと一緒に流れていったのかもね。なんて」
いたずらっぽく微笑む瑞希に対して、今日は微笑み返すことが出来た。それだけの余裕が今はあった。
瑞希の命の終わりが宣告された日まで、後10日。こんなところでブルーになってなんかなれない。
それに、あれだけ泣いてズルズル引きずるほど、僕も女々しい男じゃないから。
「瑞希が元気ならそれでいいんだ。身体は? 大丈夫?」
「今日はここ数日の中だと一番いいかも。まあ、お薬はちゃんと飲むけどね。流石にないとそろそろ動けるかどうかも怪しくなるし」
「分かった。・・・それじゃ、動こうか。車いす回すね」
「ありがと」
一言瑞希のありがとうの後で、僕はベッドの脇の方に畳んであった車いすを広げ、瑞希の乗りやすいように準備をする。
しかし、瑞希は動かなかった。そればかりか、少し曇った顔をする。ここ数日同じような顔を何度も見てきたから、それが何を意味するかはとっくのとうに理解していた。今更それで動揺することも無い。
だから僕は、憶測で瑞希に語り掛けた。
「・・・どこか、動かない?」
「あ、ううん。動かないって程じゃないんだけど・・・」
「けど?」
「手に、あまり力が入らなくてさ・・・。だから、アキ君、お願いできるかな?」
「分かった」
それ以上は聞かないで、僕は瑞希の身体を抱き上げては車いすへと座らせる。身体が衰弱したために車いすに乗れないこと程度なんてどうってことない問題だ。
瑞希も、僕が何も言わないことで察したのか、柔らかい笑みを浮かべて少しだけ恥ずかしそうに車いすへと座った。そのまま二人でリビングへと向かう。
その道中、思う。本当に自分でもおかしいと思えるくらい、心の中がさっぱりしている。空っぽというわけでもなく、考えすぎというわけでもない。今の心持ちくらいがちょうどいいと思えた。
昨日泣き疲れたことには、きっとそれだけの意味があったんだと、今なら理解できる気がした。
---
それからまた数時間経つ。今日の瑞希の調子は、本人の言うようにここ数日の中ではだいぶいい方に思えた。
瑞希は鼻歌混じりに何かは分からないけど何かを編んでいる。その光景を僕はただ眺めていた。
と、そんな中、瑞希はパタリと手を止めて僕の方を向いてしっかりと口を開いた。
「ねえアキ君」
「何?」
「散歩しよ」
唐突すぎるお願いに、僕は最初言葉を失った。でも、それが否定ではないことを瑞希に伝えるのもまた早かった。
「そうだね。今日は天気もいいし。瑞希、調子の方は大丈夫なんだよね?」
「さっき飲んだ分の薬が今効き始めているから、当面は大丈夫だと思うよ。最悪鎮痛剤を持っていけば、緊急時でもそれなりにはいけると思う」
「無理はしてない?」
「してない」
「分かった。信じるよ」
実際、瑞希はポーカーフェイスが下手くそな人間だから、無理してることなんてすぐにわかる。そんな瑞希が苦し気な顔をしてないのなら、きっと間違いはないのだろう。だから僕も、何のためらいもなく信じることが出来る。
とはいえ、瑞希はあれ以来「心臓が痛む」と口にすることがほとんどなくなった。痛みが本人の中で日常になっているというのか、それとも・・・。
などと考えても意味はない。僕に出来ることはそうであってもなくても最大限のサポートだけなのだから。それを今はもう、ちゃんと分かっている。
「それじゃ、行こうか」
僕は瑞希の乗った車いすを押して、家の外へと出る。ドアの向こうの外界は、今日はどこまでも遠く続く青い空を描いていた。
「気持ちのいい天気だね」
「そろそろ夏だもんね」
とはいえ、肌にそっと触れるほどの風が吹いているおかげで暑いとも思わない。散歩にはほど良い天気だろう。
「それで、どこに行こうか?」
「河川敷辺りなんてどうかな? この時間だったらちょうどいいくらいに静かだと思うし」
「分かった。それじゃ行こうか」
「おー」
瑞希は小さく手を上げる。さあ、出発進行だ。
僕は少し歩くスピードを上げて、瑞希と二人進んでいく。つい先月、先々月まで花を咲かせていた木々たちが今は深々と緑色を生やしているのが目に入るたびに、季節の変わり目を実感する。
そんな道という道を進んでいくたびに、瑞希は顔色を明るくしたり、憂いに満たしたりしている。
二人歩く、のんびりとした静かな脇道。そんな時間がたまらなく愛しくて笑みが零れる。何気ない時間の大切さがわかったことは、よかった点なのかなと思ってみたり。
そんなことを思っていると、当初の予定通り河川敷へと躍り出た。
昼の河川敷にはスポーツに勤しんでいる老人や、生き生きと遊んでいる子供たち、それを見守る親などたくさんの人がいた。そんな人たちを遠目に、僕達は川の流れる方向に沿って歩いていく。
そんな時、瑞希がふと口を開いた。
「そう言えば、私が余命を宣告されてからもう20日も経つんだね」
「・・・実感って、あるの?」
「分からないなぁ、自分が死ぬことなんて。まだ三途の川も見てないしね」
笑えない冗談を言って瑞希は笑う。でも、本人の中でそう割り切れているということは、本当にまだ余裕が少しばかり残ってるのだろう。そう思うと安心できる。
僕は一度目を伏せて、風に吹かれるままとなった。そして風が止んだ時、僕は瑞希に声を掛ける。
「瑞希、やり残したことはない?」
「何? 急に」
「いや・・・。そうは言ってもさ、いつまでこんな日が続くか分からないから、せめてできることをできるうちにやりたくてさ」
「やり残したこと、かぁ・・・」
瑞希はほんの少しだけ悩んだ素振りを見せて、やがて思い出したのか小さく呟いた。
「・・・あるよ、やり残したこと。最後にやりたいこと」
「何? 聞くよ」
「結婚式」
即答だった。
瑞希は顔から笑みを消して、ただ遠く流れる川の流れを見つめていた。そしてはっきりと、さっきの答えを口にする。
結婚式はなくていい、なんて少し前に言っていた気がする。でも、二人本能でやはり思っていた。
ちゃんと結婚式を挙げたい。
特別大きなものである必要もない。誰に見られる必要もない。でも、ちゃんと二人で結婚したという誓いを立てたかった。心の底にある思いまでは裏切れない。
とはいえ、今ここで、なんてのもいささかチンケなものになってしまう。それを瑞希も分かっていたようだった。
「大きなものじゃなくていい。二人だけでいいから、ちゃんと、ね。・・・今すぐできないのも分かってるから、あと五日後とかに」
「五日後・・・。もし、それが終わったら瑞希のやりたいことはもうなくなるの?」
「あとはじっと残りの命を楽しむだけかなぁ・・・。だから」
「・・・うん、わかった」
それが当面の目標になるなら、二人これからまた頑張って生きていける気がした。瑞希も何かを思って五日後と言ったのだろう。それを僕は信じる。
「それじゃ、頑張って生きないとね。それまでに倒れちゃもったいない」
「うん、がんばろ!」
瑞希が弾んだ声でそう答える。その声音で僕の心もたちまち奮い立った。
結婚式まであと五日。それまで必死に生きて、少しでも僕らの生きてきた証を残そう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます