十九日目 置いてゆく者、残される者
「今日、二人に電話するね」
朝九時、瑞希が口にした言葉はそれだった。両親への連絡だ。
足が動かなくなって長らく連絡をしないでいたらしいが、ようやく決心がついたらしい。その瞳はいつになく真っすぐだった。
僕は瑞希を信じるだけと、一度しっかり頷く。そして邪魔をしないようにとその場から立ち上がろうとしたとき、瑞希に袖を引っ張られ、引き留められた。
「ダメ、一緒にいて」
「え」
「一人で連絡するの・・・心細い」
瑞希は潤んだ瞳でこちらを見ていた。ここ数日の疲労で精神的にも相当摩耗しているのだろう。これまでの余裕ありげな表情とはてんで見違えるほどだった。
僕はそれを受け入れて、瑞希の隣に座り直してその肩に手を当てる。それだけで瑞希の表情がさっきまでの曇ったものから晴れた空のように変わっていく。
そして瑞希は、電話番号を端末に打った。数回のコールの後に、優子さんが電話を取る。
『もしもし・・・瑞希、どうしたの?』
「うん、ちょっと色々話さないといけないことがあって・・・」
『分かったわ。しっかり聞くから、まずはゆっくり、ね』
優子さんは何かを悟ったように、慈しむような声音で瑞希に語り掛けた。余裕がない状況のはずなのにこうも穏やかに語ることが出来るのは、きっと母親の余裕其のものだろう。
「・・・あのね、私の病気についてなんだけどね。・・・後遺症で、足が動かなくなっちゃった」
『それは、両足?』
「うん」
通話の向こうからでも、一つ残念そうな息を吐いたのが分かった。しかしそれ以上まくし立てることなく、優子さんは話を続ける。
『じゃあ、今は車いすで?』
「そう。自分で動かせれる時は自分でやって、ダメな時はアキ君に押してもらってる」
『そう。アキ君がいてくれてよかったね』
電話越しに褒められて、少し赤面するのは僕だった。なんて、となりで瑞希も少し頬を赤らめているけど。
それにしても、この人が現状を受け入れるまでに必要とする時間はあまりにも短すぎる。どんな人生を送ってきたら、こういったように割り切って、受け入れて生きれるのだろうか。知りたくもなるし、うらやましくも思う。
でもそれを知ったところでその生き方を僕が出来るかと言われればきっとそうじゃないから僕は聞かないでおく。
優子さんと瑞希の話は続く。
『でも、まだこうして話せていられるんだもの。問題ないわ』
「お母さん・・・」
『だからね、ちゃんと聞けるうちに、声を聞かせてほしい。声も聞けないままお別れなんて、嫌だから』
くぐもった声が電話の向こうから聞こえる。僕はそっと目を伏せて俯いた。その言葉が、声が、あまりにも辛いものだったから。
泣いてる人の声を聞きたくない。最近はそんなことをずっと思うようになった。自分まで悲しくなるのが嫌になった。
どれだけ辛いものと分かっていても、最後くらい笑って瑞希と別れたいから。
ふと瑞希の方を向く。
目を向けた先の瑞希の表情は、そこが見えないほどに穏やかだった。いつか見た優子さんの慈愛の瞳、それと全く同じと言っていいほどに。
「大丈夫だよ、お母さん。私はまだ大丈夫。精一杯生きるから、またこうしてちゃんと声を届けるから。だから、泣かないで」
『瑞希・・・』
「それにアキ君もいるし、まだまだ頑張れるよ。ね、アキ君」
瑞希はそう言うなり僕に自分のスマートフォンを手渡した。僕の口から安心させる言葉を伝えろという事だろうか。
もちろん、僕はそれを受け取って、耳に端末を当てた。
「瑞希の傍には僕がいます。だから・・・どうか安心してください」
『・・・うん、アキ君なら、安心できるね』
先ほどより晴れた声音が通話越しに届く。優子さんの涙の雨が上がっているのが分かった。それに安心して、僕も一つ安堵の息を吐く。
『でもね、アキ君。一つだけ言わせて』
「なんですか?」
『無理はしないでね。辛いことが続いてるけど我慢、なんてことはどうかしないで。泣きたいときは泣いていい。瑞希もそう。自分の心に、どうかありのままで生きて』
その一言が容赦なく僕たちの胸を貫いていく。
それは、あの日誓った「泣かない」という誓いへの裏切りだった。
でも、そうだ。言ってることは何一つ間違いではなかった。僕たちは滲み出てこようとする悲しみを全て涙と捉えていた。だから、それをふさぎ込もうとしていた。
でも、そうなんだ、そうやって生きる方が遥かに辛くて、悲しい。
いつからか、僕たちは涙の意味をはき違えてしまっていたんだ・・・。
「・・・はい」
結局、僕はそう答えることしか出来なかった。それ以上の言葉をどうにか探してみるものの、何も見当たらなかった。
『それじゃ、私はこの辺で。また顔、見せてね』
そのまま優子さんは通話を一方的にきる。向こうにも向こうの事情があるのだろうということは理解できた。
僕は一つ息をついて、瑞希にスマホを手渡すべく瑞希の方を向いた。瑞希は表情を隠すようにうつむいていた。
その様子が気になって、僕はなりふり構わず瑞希に問いかける。
「・・・どうしたの?」
「ねえ、アキ君・・・。泣いても、いいのかな?」
「え?」
「私、あんな風に誓っちゃったけどさ・・・泣いても、いいのかな?」
今の瑞希を作った言葉は、さっきの優子さんの泣いてもいいという言葉だった。
でも、それは同時に、瑞希に余命が宣告されたあの日の誓いを裏切る言葉だった。死ぬまで泣かないと、あの時瑞希はそう言った。
でも、本当は分かっていた。瑞希だって本当は、心の底からずっと泣きたがっていたことを。
もうそれなりに長い付き合いだから分かる。本当の瑞希はもっと泣き虫だった。朗らかで、純粋で、だからこそ何かに感銘を受けたり影響を受けたりすることが多くて、そのたびに感情のこもった涙を流す人間だった。
だからもう、変な意地なんていらない。肩身を狭くするだけの誓いなんていらない。
涙も笑顔も、二人の心のままに。
だから。
「・・・うん、いいよ」
「・・・ごめんね、アキ君・・・!!」
瑞希はそう言うなり、しがみつくようにして僕の胸元に顔をうずめて、そのまま
身体を震わせ始めた。
少し落ち着いたかと思うと、今度は慟哭するがごとく声を上げて泣き始めた。
「うぅ・・・うわぁぁぁ!!」
くぐもった叫び声が、僕の身体の骨と言う骨を揺らす。瑞希が溜めてきた想いを、僕は今一心に受け止めていた。
そんな瑞希を見ていたら、いつの間にか僕の頬にも温かい雫が伝っていた。それを涙と認識するのに、時間はいらなかった。
ああ、そうだ。
僕だって、悲しいんだ。・・・ずっと、押し殺してこらえていたんだ。
「アキ君・・・私、死にたくないよ・・・!!」
「分かってる・・・!」
「もっともっと生きたいよ! 子供も欲しいし、おじいちゃんおばあちゃんになるまでアキ君といたいよ・・・!!」
「そうだね、僕も一緒だよ」
「お母さんとお父さんにも、まだ何もしてあげられてないよ! ・・・あんなにやさしくしてもらったのに。あんなに愛情、くれたのにぃ・・・!!」
それからまたギアを上げるように大きな声を出して瑞希は泣き続ける。誓いを立てたあの日から20日間。瑞希がため込んだ哀しみの感情は僕には計り知れなかった。
「なんでぇ・・・私なのぉ・・・!?」
「っ!!」
瑞希が放ったその一言で、どうにかせき止めていた僕の涙が溢れんばかりに流れ出す。それは、僕が常日頃ずっと思ってたことだったから。
なんで、瑞希が。・・・なんで、僕たちが。
「~~~~~!!」
声にならない悲鳴を上げて、いよいよ僕の感情も暴走を始めた。この20日間、溢れそうな感情をため込み続けていたのは瑞希だけじゃなかったと僕はようやく気付く。
声を上げないまま、僕もただ泣き続ける。もうそれ以上言葉を口にすることも出来ずに、部屋中にはただ呻き声のようなものと鼻をすする音だけが響いた。
残される者と、置いていかなければならない者。
繋ぐ感情は一つ、悲しみだけだった。
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