十八日目 いつか来るお別れまでに
瑞希が風邪を引いた。
単純な体調不良のはずだった。
けど、熱はどんどん引きあがっていく。咳は勢いを増していく。体調不良でまとめられるほど、状態は良くなかった。
慌てて病院へ連れていく。こうして何度も病院に行くたびにためらいを覚えるようになったけど、いざその場面に接してみるとそんなことも忘れてしまう。
体の衰弱が体調不良を招いている。それは誰でも分かることだった。
でも、医者はその上で残酷な真実を告げた。
「肺が侵されています」
前みたいに笑うことは、もうできなかった。瑞希は眠っているから、それを聞いているのは僕一人。
だからだろうか。前に状態を聞いた時より、遥かに心持は重たかった。
耐えきれず、僕は衝動的に先生に聞いてしまう。
「やっぱり、これからもこういうことが・・・?」
「ええ。というより、これ以降は頻繁にこういった状況が訪れるでしょう。私たち医者が入院を勧めるくらいには、ひどい状態です。・・・もっとも、あなたはそれを拒むのですよね?」
「それは・・・」
それを決めるのは僕じゃない。これは僕と瑞希の物語だけど、瑞希が主人公の物語。脇役がその未来を決めることは甚だしい事極まりない。
それを先生も分かっているから、先生は一度ため息を吐いて、細い目で僕を見つめてきた。
「これ以降は覚悟が求められます。入院を断り、二人でいる分、瑞希さんが苦しむことは増えるでしょう。体調不良にとどまらず、心臓の病も痛みのペースを速めているのが現状です。それでも、これまで通りの生活を続けるのかどうか・・・もう一度、瑞希さんと話してみてはどうでしょうか」
先生は穏やかな口調で提案を持ちかけてきた。けれど僕は渋い顔をすることしか出来ない。
苦しむ瑞希は見たくない。それは当然だ。でも、瑞希は間違いなくこれまでと同じ暮らしを望むだろう。それが当たり前だと思ってるから。
だから僕はこうやって、見せられるだけなんだ。選ぶ余裕もないままに、残酷な選択肢で頭を悩ませる瑞希を、ただ見せられるだけ。
それがたまらなく悔しくて、僕は下唇をキュッと噛んだ。
日を追うごとに、命の重さというおぼろげな概念程度だった者が質量を持って襲い掛かってくる。
「・・・とりあえずは、瑞希さんの回復を待ちましょう。当事者が目を覚ましていない状態で話を進めるわけにはいかないでしょう」
「・・・はい」
そして僕は何も出来ないまま、眠り姫の瞼が開くのを待った。
---
瑞希が目覚めたのは、それから1時間が過ぎたころ。口を開いて何を言い出すかと思えば、夢を見たという話だった。
それは、残酷な夢。
「怖い夢、見ちゃったの・・・。アキ君やお父さん、お母さん、学校で出来た友達、みんなそこにいるのに、誰も私に気が付かなくて、声かけても届かないし、触れようとしてもすり抜けるし・・・、怖かった。私、本当にいなくなっちゃったんじゃないかって・・・」
瑞希は動く上半身で僕に飛びかかるようにしがみつき、そのまま声を押し殺して震えていた。孤独である夢が、よほど心にダメージを与えたのだろう。
こんな時、僕がかけれる言葉とすれば一つくらいだ。
「・・・大丈夫、僕はここにいるからね」
瑞希の声もちゃんと届いてる。まだ残る温もりを確かめることも出来ている。だから、大丈夫だよと、瑞希に語り掛ける。それでも、悪夢が瑞希に与えたダメージは計り知れないものだった。
こんな状況で、入院なんて勧告できない。答えを聞く前より、答えは決まっていた。
僕はまだ暗い表情をしたままの瑞希と一緒に、もう一度先生の下へ行く。先生は僕の覚悟を決めた表情から、僕の言おうとすることを悟ったようだった。
「・・・入院は、しないと」
「ええ。今の瑞希に一番与えていけない物が分かったので」
「それは、なんですか?」
「孤独ですよ」
一人でいると心細くなるのは人間の真理。ましてや、病気で弱った心と体にそれを与えようなど鬼畜の所業に相違ない。
僕は確認のため、瑞希の口から答えを言うように促す。
「瑞希は、どうしたい? 大事を取って入院したいか、それとも・・・」
「入院は・・・やだ。アキ君に会えなくなる」
「病気でまたこうなることがあっても、ですか?」
先生の忠告に対して、瑞希は一度しっかり首を縦に振った。これが、二人の統一された答えだ。
先生はお手上げと言わんばかりに手を横に放り出し、やれやれと言わんばかりに首を幾度か横に振った。けれど、それ以上の言葉はなく、僕たちの選択を受け入れたらしい。
しかしその上で、しかめっ面で忠告を続ける。
「その代わり、出す薬の量は増やしておきます。この量となると、副作用が出るか出ないかの水面下の状態となりますが、構いませんね?」
「・・・はい、大丈夫です」
瑞希はちゃんと答えた。先ほどまでの震えももうだいぶ落ち着いたようだ。その精神安定の柱に僕がいるのなら、これ以上に嬉しいことはない。
先生は椅子をくるりと反転させ、表情の見えない状態で端的に述べた。
「診察は以上です」
「ありがとうございました」
それから僕は瑞希を車いすに乗せて、僕の車へと戻っていった。扉の向こうの景色は、晴れることのない鉛色を映し出していた。
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病院から、瑞希を連れて家へと戻っていく。助手席の瑞希は歪な呼吸リズムと共に目を覚ましていた。どうやら眠れないらしい。
「大丈夫? 瑞希、辛くない?」
「薬飲んでるから、少しは大丈夫だけど・・・、よくはない、かも」
「そっか」
「でもねでもね、今はアキ君がいるから大丈夫」
瑞希は無理やり調子を上げて、少し大きな声でそう語った。それだけの声を出したら、頭痛を起こしている頭に響くっていうのに。
「さっきの悪夢の事?」
「・・・怖かった。自分が殺されるより襲われるより、あの夢のほうがなによりも怖かった。・・・だって、そこに私がいなかったんだもん。一人が寂しいなんて思ったの、久しぶりだよ」
「そりゃ、一人は怖いよ・・・」
ああ、本当に一人は怖い。
でも、いつかはそうなる。僕だってそうなる。それはそう遠くない未来。瑞希がいなくなると、僕は一人だ。
頼るべき相手は話す相手くらいはいるだろう。
でも、心の底からすべてをゆだねることができる相手は、もういなくなる。今からでも怖く思えてしまうくらいだ。
別れの準備をする時が、もうそろそろ来ている。
だから、いつか一人になっても歩くため、今は二人で歩こう。揃わない足でも、ゆっくり歩けば揃うはず。その先の景色がどこまでも綺麗だったらきっと、揃わなくなった足でも僕は未来へ進んでいけるかもしれない。
だから今はただ心のままに、瑞希の傍に。
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