十七日目 この場所から見える景色
僕がまるっきり一日中付き合ったことが影響してかどうかは知らないけれど、翌日の瑞希の体調は昨日より遥かによくなっていた。すっきりとした眼差しで僕の方を見ている、そんな朝の七時。
瑞希は僕に体をゆだねてきた。どうやら車いすに移せという意思表示らしい。僕はそれに従って、パジャマ姿の瑞希の身体を抱き上げて車いすへと優しく下ろす。
あれから何度も持っていたためあまり気づかないでいたが、瑞希の身体はやはりだんだんと軽くなっていた。体力の低下ももちろんの事、食事量の減少も要因の一つだろう。
と言ったところで、瑞希に「もっと食べろ」と進めるのも中々酷だ。そもそも、その行動が正しいという保証はどこにもないのだから。
つまり、これは受け入れるべき現実。それで終わりだ。
「それじゃアキ君、行こっか」
「押すよ」
「うん、お願い」
寝起きで腕が怠いのか、数日前なら自分で動かせると言って提案を拒んできた瑞希は甘えてきた。少し違和感を感じたけど気にせず僕は瑞希と一緒にリビングに向かう。
そこからは、またいつもの日々。もっとも変わった点として、僕が全ての家事を行っているという事があるけど。僕が望んでしていることだから、文句はない。
そうしてまた二人でご飯を食べれる。そんな些細なことですら幸せに思える人生なのだから。
この当たり前こそ奇跡で、幸せなんだ。
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朝の十時頃。隣に座ってる瑞希は何かもの言いたげな瞳で僕を見つめていた。その視線に気が付いて僕は尋ねてみる。
「どしたの? さっきからこっちばっかり・・・」
「さっきからずっと言おうかどうか迷ってたんだけどね。決心がついたから言おうと思う。・・・あのね、アキ君。連れて行ってほしいところがあるの」
「・・・うん、聞くよ」
久しぶりの瑞希のお願いがどこか嬉しく、どこか儚く思えた。僕は真正面からそれを受け取る。
「私のね、地元に連れってほしい」
「お義父さんたちの家・・・と言うわけでもなさそうだね」
だったら、地元なんて回りくどい言い方はしないはず。一緒にいて長い間時を重ねてきたんだ。それは理解できる。
だとしたら瑞希は何を望んでる? その問いに対しての答えはすぐに出てきた。
「故郷を見て回りたい、ってこと?」
「さすがアキ君、正解だよ。・・・うん、その通り。最後にもう一回くらいあの街をちゃんと見て回りたい。長い間、世話になった街だから」
「分かった。行こう」
拒否する理由もない。
そうと決まれば早く、僕たちは例のごとくハイスピードでの準備を始めた。
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それから車でまた一時間ほど。町に入ったところで、瑞希は口を開いた。
「アキ君、減速して」
「え?」
思わず「えっ」と返したものの、僕は衝動的に減速した。すると、目の前の交差点を猛スピードでトレーラーが過ぎ去っていった。信号は・・・赤だ。
「うわっ!? ・・・あぶないなぁ」
何より危なかったのは、そんなトレーラーを完全に見落としてしまっていた僕の方なんだけど。
特別気を抜いていたわけでも、別の何かを考えていたわけでもない。強いて言えば、僕は極端に前しか見てなかったのだ。
それは悲しまないようにと無理して前を向ている僕の境遇にどこか近い。つまり、そういう事だった。
周りの何も見えていなかった。ただそれだけの事。
瑞希の言葉が無かったら僕は今頃・・・と思うとゾッとする。
「ありがとう、瑞希」
「・・・たまにはさ、力抜いたほうがいいよ。アキ君、今日ちょっと硬い」
「そう・・・かな?」
「運転に現れてるようじゃ、流石に誤魔化せないよ」
瑞希は一つ呆れたようなため息を吐いた。それが間違いじゃないから、僕は何も言えない。
「気持ちは分かるの。・・・でも、何も考えないことも大事だと思うから。だから」
「分かってる。ごめん」
あろうことか、僕は少し苛立っていた。それは本当に僕の心を理解しているのかどうかわからない瑞希に、何もかもうまくいかない僕に。
瑞希にもそれは伝わっていたようで、小さな力で僕の空いている左手に自分の右手を重ねた。
「・・・綺麗事じゃうまくいかないよね。・・・私、アキ君のきもちは完ぺきには理解できないよ。多分、アキ君からみた私も、そう」
「・・・」
「それで怒りたくなるのも分かる。堪えてとも言えない。・・・だからどうか、受け入れてほしい」
「・・・ごめん、ちょっと整理が追い付いてなかった」
僕が苛立ちの毒気を抜いて謝ると、張りつめた車内の空気も一気にほころんだ。
が、今度は先ほどより軽いトーンで瑞希がつぶやく。
「アキ君、減速して」
「え」
「と言うか止まって。・・・ここ、寄りたい」
その言葉にそって視線を左へ流してみるが、特別何もない場所だった。と言うより車道につけられた休憩所的なところで、それ以外は何もない。
けれど、瑞希の願いとあらば僕はそうするまで。脇に車を寄せて僕はエンジンを停止させて、瑞希を車いすに乗せて降り立った。
そしてようやく気が付く。この場所からは、瑞希の故郷が一望出来た。遠くに瑞希の実家も見える。
瑞希は儚げに笑って呟いた。
「昔、私って泣き虫だったんだ。それも一度泣いたらなかなか泣き止まなくてね。そうして本当にダメそうになった時、こうしてお父さんやお母さんやおじいちゃんにこの場所に連れてきて貰ってたの」
「だから、ここは瑞希の思い出の場所ってこと?」
「そうなるね。ほかの人からすれば何の変哲もないところかもしれないけど、ここは私の宝物の場所。大切な場所だよ」
風に揺れて短い髪がなびく。瑞希の頬には一筋の涙が光る。でも、僕は見ないふり。
同じように風に吹かれて、僕も瑞希と一緒に同じ景色を眺める。確かに、僕からすれば何の変哲のない場所だ。特別景色がいいと思えるわけでもないし、思い入れがある場所と言うわけでもない。
それでも、この場所から温かさを感じた。僕は、それだけでいい。
「あ、でも本当に何もないってわけじゃないよ。春になればこの光景のあちこちがピンク色に染まるからね。あれは見ものだよ」
「へぇ・・・」
確かに、綺麗なんだろうな。
でも、その時隣に瑞希がいないなら、果たしてその景色は綺麗に見えるだろうか。
やめよう。きっと悲しくなるだけだ。
そう思って僕は無理やり話を変えた。
「それで、どうする? せっかくここに来たんだし、実家に顔出すのも・・・」
「それはちょっとやだな。まだ足が動かなくなったこと言ってないもん。急にこの姿見せて悲しませたくはないかな」
「分かった」
「それに、他にまだまだ寄ってほしいところいっぱいあるし、多分そうやって時間を潰してたら家に寄る時間もなくなるかもしれないから」
「了解。それじゃ、次の場所言ってよ」
「うん」
僕は瑞希の手をキュッと握る。そのまま目を閉じてもう一度風に吹かれる。
あと、どれだけの時を過ごせるか分からないけど、せめて最後まで、僕は瑞希と同じ景色を見ていたい。
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