十五日目 なりたい自分は

 とは言ったものの、瑞希の足が動かなくなったことで生活は一変した。

 何せ、歩くことも立ち上がることも出来なければ、自分一人でできる事は限られる。


 今はまだ瑞希自身の手が動くから僕が助力することは限られているけど、やがてそれすらも無理ならばいよいよ本格的な介護が必要になる。

 僕は構わない。瑞希も構わないと思ってるのだろうか。


 なんて、今は今だ。

 いつも通り、過ごしてみよう。



---


 昼下がり、瑞希は食堂の自分の椅子に座って何かを待っているかのようにそわそわしていた。

 さすがに気になって、僕はそれについて尋ねてみる。


「ねえ瑞希、さっきから何してるの? 何か待ってる?」


「ふふ、秘密」


「えぇ・・・」


「まあ、もうそろそろだって」


 瑞希がそう言うと同時に、家のインターホンが鳴った。どうやら郵便の用だ。

 瑞希の方に一度顔を戻す。瑞希は訳あり顔でニヤリと笑っていた。どうやらこれを待っていたらしい。


 玄関を開けて、荷物を受け取る。

 そこそこ大きい段ボールを受けとって僕はリビングへ戻る。瑞希は今か今かと待っているようだった。


「ね、開けてみてよ」


「いいけど・・・」


 僕はカッターナイフを持ちより、段ボールに切れ目を入れていく。中から出てきたのは・・・。


「え、将棋?」


 将棋盤と、駒のセットだった。まさか、これを瑞希が頼んだって言いたいのだろうか。

 でも、僕の見つめる先の瑞希の顔はほくほくしているので、おそらく間違いはなさそうだった。


「私ってさ、昔すごく人見知りだったんだ。その時、ずっとじいちゃんと将棋やっててさ。最近は忙しかったり相手がいないのもあって全然出来てなかったけど、こういう状況だからさ、やりたくなっちゃったの」


「将棋かぁ・・・」


 幸運なことに、経験はあった。といっても、小学校の時の友達と少し遊んだ程度だけど。

 多分、一方的にぼこぼこにされるのだろう。・・・ま、瑞希が幸せならそれでいいけど。



「アキ君、出来る?」


「できる。・・・けど、弱いよ?」


「大丈夫。私ももうずいぶんやってないから初心者同然だよ」


「それじゃお相子だ。早速一戦やってみる?」


「うん!」


 瑞希は梱包をささっと片付けるなり、慣れた手つきで駒を盤上に並べた。こうしてみると、なかなか雰囲気がある。無邪気に楽しんでいたあの頃を思い出すには十分な触媒だ。

 そしてほどなくして対局が始まる。もちろん、将棋をやる以上「宜しくお願いします」は事欠かさない。

 そして駒たちの戦いがはじまる。途端に瑞希の眼の色が変わる。所謂『ガチ』ってやつだ。おいおい本気か・・・。


 仕方がないので、僕も出来るところまでやってみることにする。


---


 ある程度打って気づく。敗戦は間違いなく濃厚だった。

 瑞希のほうが明らかに駒の動かし方が上手で、瞬く間に盤上に広がる僕の駒をどんどん浸食していく。手練れと言っても過言はない実力だろう。多分。

 とはいえ、あっさり負けるのは男としてプライドが許さないし、何より諦めて瑞希をがっかりさせたくない。詰むまで付き合ってみるとしよう。


 そんな中で、瑞希は憂いの目をしながら唐突に語り掛けてきた。


「ねえ、アキ君って昔はどんな人間だったの?」


「昔って言われてもなぁ・・・あんまり今と変わらないと思う」


「大学時代とも?」


「たぶんね。自分で言うのもなんだけど、結構大人しい人間だったからさ。もちろん、それでいじめにあったこととかはないんだけど、友だちは多くはなかったと思う」


 陰キャというほどでもないと信じたいけど、あまり外でワイワイ運動するのは好きじゃなかった。運動神経が悪いってコンプレックスがあったからかもしれないけど。

 それでも友達が出来ないってわけじゃないから、そこは特別気にしてない。

 

 でも、そんな小学校生活やこれまでの生活も悪くなかったと思えるから、僕が歩んできた道は多分間違いじゃないはず。


「じゃあ、小学生の時の夢は?」


「思い出せないなぁ・・・。でも、なんだろ。優しい人間になりたいってのはずっと言っていた気がする」


「おー・・・有言実行だね」


「本当かなぁ・・・。そういう風に生きてるつもりだけど、それが実践できてるかどうかはよくわからないなぁ」


 僕は逃げるようにそう言って目を反らしたが、本当は瑞希に肯定されたことがただ嬉しくて、照れていただけだと思う。

 優しい人間・・・か。あの頃の夢、それが叶ってるのなら、嬉しいと思う。


 瑞希の眼は一層憂いを帯びている。その奥に確かな闘志を燃やしながら。


「・・・私さ、なりたい自分とか考えたことなかったんだ」


「小学生のころ?」


「正確には、高校生の2年生のころくらいまでかな。私が就職活動失敗したの、アキ君は知ってるでしょ?」


「まあ、それが僕たちの出会いのきっかけだから・・・」


「だから、結局大学生活の最後の最後まで、心からやりたいことやなりたい自分をみつけられなかったんだよ。そんな中で、出会ったのがあの会社ってわけだったけど」


「潰れた、と・・・」


「だからまあ、辛かったよね。せっかく自分を見つけられそうだったのに、祖の居場所がなくなっちゃうんだから。・・・でも、そのおかげでアキ君との距離がもっと近くなったから、言うほど悲しくもなかった」


 瑞希は儚げに笑う。その笑顔がどこか痛くて、僕はそっと目を反らした。


「逃げないの」


「はい」


 瑞希はそんな僕の態度に不満を覚えたようで、頬をふくらませて上半身を伸ばして僕の頬をつんつんと突いた。逃げられないと悟って僕はもう一度瑞希の方を向きなおす。


「だからさ、アキ君。なりたい自分や目標をずっと無くさないでほしいの。それは、私がいなくなった未来でも」


「・・・あのさ、なかなか酷じゃない? それって」


 僕は表情を曇らせないで瑞希に問いかける。とは言えど、この言葉は今の僕にとってあまりにも酷なものであることに変わりはなかった。

 少なくとも、今を輝かせたくて生きているのが今の僕だ。そんな中で、目の前の瑞希がいない生活を考えることなんてできない。 

 別れの後で、絶対に立ち直るまで時間がかかるのは分かっている。僕が芯の部分から強い人間でないのは、僕が一番理解しているから。


「どこまでも酷だよ。この世界はさ。だから、向き合うしかないの。向き合わなきゃいけないの」


「・・・なりたい自分かぁ・・・。それでも僕は、人に優しくなんて言うんだろうな」


 それだけは変わらない。声を大にしていう事だってできる。

 それこそ、あの人たちにもまだまだ恩返しをしたい。・・・あの人たちにこそ、優しくしたい。

 

 僕のなりたい人間像は、結局変わらないままなんだろう。

 でも、それでいい。それがいい。


「そこが、私がアキ君を好きになったポイントだよ」


「それより、瑞希のなりたい自分はどうなの?」


「・・・これまでは全くなかったんだけどね。今は世界一幸せな女になることしか考えてないよ」


 瑞希はあどけない笑顔で僕に語り掛ける。その笑顔を守りたいと思って、僕はここにいる。その意味を再確認させられる。

 ・・・僕が、叶えるんだ。


「絶対、叶えてみせる」


「信じてるよ。・・・さて、王手だけどどうする?」


「うわっ、油断してた。・・・これ、あと3、4手後に詰むよね」


「まあ、多分・・・」


「降参しても?」


「ようがす」


 逃げないとは豪語したが、あがいても終わる未来が見えてるならまた話は変わってくる。

 ここは満を持して、投了。花を持たせるわけでもなく、僕は瑞希に完敗したのだ。


「参りました」


「ありがとうございました」


 そうして互いに頭を一度下げて礼をする。きっちり負けて、これ以上にないくらい清々しい。悔しさなんてどこにもなかった。


「それじゃアキ君」


「何?」


「対局、振り返っていこうか」


「・・・よろしくお願いします、先生」



 瑞希は、変わらない無邪気な顔で僕に笑いかけた。


 

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