十四日目 崩壊の序章
歯車は、動き始めていた。
朝、定刻通りに目を覚ます。最近はもう瑞希はこの時間には起きれなくなってしまっていた。僕はもうそれを理解しているし、肯定もしているから起こさないでリビングへと向かう。
でも今日は、瑞希が起きるのにもっと時間がかかるんじゃないかって、どこかそんな予感がした。なんの確証もない霊感のようなものにすぎないけど、僕はそれを信じた。
だから、朝ご飯は瑞希が起きてから作ることにした。一度冷めてしまったものを瑞希に出すことは、僕のプライドがどこか許さなかった。
代わりに出来るだけの家事を先に全部済ませておく。洗濯機をまわして、回し終わったものを干して、軽く掃除までしておく。
それでも、瑞希は起きなかった。昨日寝た時間を考えても明らかに眠りにすぎだ。ここまでくると病気を疑ってしまうレベルだ。
僕の背筋に一筋の冷や汗が伝う。昨日の無理が祟っていると言いたいのだろうか。
不安を亡き者にするために、僕は寝室へと向かった。瑞希が呼吸をしている事実をちゃんと確認したかった。
しかし、寝室の扉を開けると別の意味で驚いた。瑞希はちゃんと目を開けて、ベッドの上で体を起こしてちょこんと座っていたのだ。
「あれ、瑞希、起きてたの?」
「・・・あは、うん。そうなん、だけどね・・・」
瑞希はとてもバツが悪そうに俯く。声音もかなり冷めている。何か絶望的な事情があるのだろうと、この時になって僕はようやく察した。
それを受け入れるために、瑞希の話を聞く。
瑞希は、困ったような苦笑いをして、ポツリと呟いた。
「足がね・・・動かないの」
「えっ・・・」
言葉を聞いて、僕はすぐに瑞希の身体を抱き上げた。しかし、瑞希の足は力なくプランと垂れ下がったまま。神経が通ってないのは明らかだった。
「困ったなぁ・・・これじゃ歩けないよ」
「・・・とりあえず、今日は病院だね」
「だよね」
僕は溢れ出る感情を全て飲み干して、必要最低限の言葉だけを吐き出した。取り乱さずに目の前の現状を受け入れることが出来ただけ、僕はまだ成長したのだと思う。
けれど、一つだけ確証があることがあった。
瑞希は、もう・・・歩けない。
---
その後支度を済ませて、急いで瑞希を連れて病院へと向かった。事情を話して車いすに乗せてもらって、そのまま診察室へと向かう。
とはいえ、結果は分かっていた。それをただ聞かされるだけの状態と言うに等しい。
瑞希が診察室に入って10分後、部屋の外で待機している僕を呼ぶ声が聞こえた。それに誘導されるがまま、僕も診察室に入る。
向かい側に座っている先生は、やはり苦い顔をしていた。そして、僕が思っていた通りの結果を口にする。
「瑞希さんですが、やはり足に通づる神経が切れています。・・・再生は、難しいかと」
「そう、ですよね・・・。これもやはり、心臓の病気の副作用ですか?」
「ええ。対処の使用がありません」
先生はどうしようもないと手を投げ出し、首を横に振った。おそらく尽力するしない以前の問題なのだろう。医者にとって瑞希は死を待つだけの存在にすぎないのだ。
けれど、それでいちいち感情を起伏させる僕でも瑞希でもなかった。二人一緒にいる時間が増えて、向き合う覚悟が強まっていた。
僕は一度瑞希と顔を見合わせる。けれど、絶望に暮れた目を瑞希はしていなかった。それを見て僕も安心する。
そして、しっかりと成った意志で、僕は先生に告げた。
「分かりました。・・・僕と瑞希のやることは変わりません。その場その場でやれるだけのことをやります」
「・・・そうですか。くれぐれも、無理のないように」
先生はそうとだけ言って、僕と瑞希に退室を促した。僕は瑞希の車いすを押しながら、薬品がほのかに薫る診察室をあとにする。
車いすはそのまま貸してもらえるようで、僕はそのまま瑞希と車へ向かった。対処のしようがなければ薬の出しようもなくて、結局僕と瑞希はそのまま病院をあとにした。
助手席に座った瑞希は、車が動き出して程なくして、力なく笑う。
「あーあ、とうとう動かなくなっちゃったか」
「そんな気はしてたの?」
「実はね・・・。昨日眠りにつく前はもう立ってるのもやっとだったし、海に行ってた頃から下半身のけだるさは続いてたの。・・・不思議じゃないよ」
「そっか・・・。歩けるうちに、海に行けてよかったね」
僕は現状を嘆くのではなく、出来たことを喜ぶ方を選んだ。そうした方が虚しさもまぎれると学んだから。
「それに、二人一緒ならまだまだできることはあるよ。だからそう落ち込まないで」
「うん、分かってる。僕は大丈夫だよ。それより、これからどうするか考えよう?」
「これから、かぁ・・・。前に聞かれた時やりたいなって思ったこと、全部叶っちゃったから」
「から?」
「今度はまた別のやりたいこと探そう!」
瑞希は声高々にそう告げた。いつもの瑞希でよかったと、僕は胸を撫でおろす。
瑞希の余命宣告があったあの日から、僕は、僕たちはまた強くなった気がする。これまで以上に、隣に瑞希を感じる日々になっていた。
絶望しかない未来のはずなのに、自然と胸が痛くならない。
「じゃあ、僕も一緒になって考えるよ。瑞希、何かやりたいことってある?」
「そうだねぇ・・・。でも、やっぱり思ったんだ。これまで以上にアキ君といちゃいちゃしたいかな。きっとそれが私の心からのお願い」
「まあそれは、体に無理のないように、かな・・・。この間だってだいぶ無理してたでしょ」
「うーん、どうだろ。あの時は幸福感が強かったから、そんなにしんどくはなかったよ。まあ、これからもそうなるってわけじゃないと思うけど・・・」
「まあ、許される限りは僕もそうしたいかな」
「やった! アキ君大好き!」
「はいはい、運転中だからハグは後でね」
そんな他愛のない話が車内で繰り広げられる。この一瞬一瞬は、生活が変わる前のあの頃と何も変わらない。
「ねえ、アキ君」
「何?」
「最期まで、よろしくね」
「・・・もちろん」
一度しっかりと頷く。今の瑞希にはこの一言で十分だ。
瑞希も微笑んでる。だから今が不幸せなんてことは決してない。
僕たちはいつまでも幸せを歩んでいく。まだ時間はある。今の僕たちなら、きっとそこに辿り着けるはずだ。
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