十二日目 いつもそこには君が映る
なかなか寝付けないでいた。
昨日、膝枕の上で眠っていた瑞希が目覚めたのが夕方の5時。いつの間にか僕もうとうとして挙句の果てには眠っていたのだけど。
それから二人で、豪華なご飯を食べた。絶景を楽しみながら温泉に入った。そしたらまた眠くなって、瑞希はすぐに布団に入ってしまった。
でも、僕は眠れずにじたばたしていた。そんな真夜中の話。
布団にもぐって僕が瞼を閉じようとしたとき、浴衣の裾が掴まれたのが分かった。
寝ぼけ、というにはいささか力が強すぎる。瑞希は、ちゃんと意識のある状態で僕の裾を掴んでいる。
僕は顔を見ずに尋ねた。
「・・・どうしたの?」
「目、覚めちゃった」
「疲れてないの?」
「今は、あまり・・・」
「そう」
それを聞いて、僕は改めて寝返りを打って瑞希の方を向く。瑞希は少し頬を赤らめて僕のことをしっかりと見つめていた。
「顔赤いよ。辛い?」
「体は大丈夫だよ。ただ、ちょっと・・・」
「・・・いいの?」
瑞希が求めているのは、紛れもないスキンシップだった。身体と身体の繋がりの愛を瑞希は欲しがっている。鈍感かもしれない僕だけど、それは理解できた。
理性を外して考えるなら、今すぐにでも僕はそこに飛び込んでいくだろう。けれど、目の前の瑞希は病人の身体だ。万が一にもここでそれで体調を崩してしまったら元も子もない。
でも、瑞希は確かにそれを望んでいて・・・。
目の前の葛藤はあまりにも大きなものだった。つい先日の瑞希の「間違いだと思ったら止めて」という言葉を思い出す。
なら・・・止めても構わないのだろうか。
「・・・瑞希、この間言ったよね。間違ってるって思ったら止めてよって」
「うん」
「・・・間違ってるとは思う。止めた方がいいとも思う。・・・でも、瑞希が許すなら僕は・・・」
ここで瑞希の身体を労わることがなによりも正しいことは分かっている。
でも、僕だって、形として残る確かな愛がほしいから。だから・・・僕は望む。
運命への、小さな反抗だ。
「・・・ありがと」
瑞希は小さくつぶやいて、僕の身体へと腕を伸ばしてそのまま抱き着いてきた。そして一度、軽く唇同士が触れ合う。
それが終わるなり、それからなし崩しのように瑞希と僕は愛を確かめ合い始めた・・・。
---
最後に濃厚な接吻をして、瑞希は力尽き果てたように眠り始めた。僕もそれを追うように眠りの世界へ入る。
結局、目覚めたのは朝の八時半。朝食締め切りのギリギリ前だった。
動こうとして・・・体が動かない。見れば、寝相の悪い瑞希が僕の身体を逃がさないように抱きしめていた。
とはいえ、今日はさすがに起こさないと・・・。
「・・・みーずき、起きる」
「・・・んぅ」
僕がこつんと頭を叩くと、瑞希は小さく可愛げな声を出して重たそうに瞼を開いた。眠り姫のお目覚めだ。
「おはよ、瑞希」
「おはようアキ君・・・」
「体、大丈夫? 痛くない? 調子も・・・」
「大丈夫だって。ちゃんと薬飲んで寝たから、今は大丈夫だよ」
瑞希は心配そうに見つめる僕の頭をさっきの仕返しとばかりにポンと一度叩いてふっと笑った。本当にそうかは分からないが、本人がそう言うんだ。信じよう。
瑞希は体を起こして、気持ちよさそうにグーっと伸びをして僕の方を向いて笑んだ。
「それじゃ、朝ご飯行こうか」
瑞希は僕の手を取って、元気よくグイグイと歩き始める。それに苦笑しながら僕はついていく。
この距離感が、僕は大好きなんだ。
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それから朝食をとってしばらく部屋での景色を満喫した後、僕と瑞希はホテルをチェックアウトし、近くの海辺へと降り立った。まだ夏本場とはいかない日差しに照らされて、白い砂浜が一層輝く。平日というのもあってか、僕たちのほかには誰もいない。
「海だねー!」
車から降りるなり、テトテトと瑞希は浜辺に走り出していった。白色のワンピースが水平線の青に映し出される。そこには僕の大好きな瑞希がいる。
「こらこら、走ると危ないよ」
なんて言って、僕はそんな瑞希のに三歩先を小走りで付いて行く。瑞希は水際で止まって、僕の方を振り向いた。
「ねえ! アキ君!」
「何、どしたの」
「私、可愛い!!?」
瑞希は唐突にそんなことを叫んでくる。全く、周りに誰もいないからって・・・。
いないから・・・僕も、全力で答える。
「かわいいよ! ずっといつまでも可愛い!」
「へへ、ありがと」
瑞希はほんのり頬を赤らめて、嬉しそうに照れていた。やれやれ、これじゃ本当にバカップルってやつだ。
ま、嬉しくないことなんてないんだけど。
瑞希が立ち止まった場所まで僕も進み、その隣に立って僕は瑞希の小さな右手を握った。それから二人並んで遠く海を眺める。
「ねえ、瑞希」
「何?」
「料理、美味しかったね」
「とても家じゃ出せない味だね。叶わないなぁ・・・」
「景色もきれいで、お風呂も気持ちよかった」
「晴れてたから夕日も奇麗だったね」
「・・・楽しかったね。瑞希は、どうだった?」
遠回りして、僕はようやく伝えたかった言葉を口にする。こんな回りくどいやり方でしか言葉に出来ないなんて、ホント嫌になるけど。
「楽しかった! ・・・楽しかったよ。海に行きたいって願いちゃんとかなえてくれただけじゃなくて、こんな舞台まで用意してくれたんだもん。幸せだよ、私」
「・・・そっか」
瑞希が喜んでるなら、僕はそれだけで満足だ。
でも、瑞希は僕のそんな反応が気に入らなかったのか、僕の名前を呼んだ。
「アキ君!」
「どしたの?」
「こっち向いて」
「こっちって・・・ん」
僕が瑞希の方を向いた瞬間、唇に温かく柔らかい何かが触れた。目線を少し落とすと、少し背伸びをして瑞希が僕にキスをしていた。
それから数秒後、瑞希は背伸びをやめて頬をふくらませる。
「アキ君、理屈で考えすぎ。私はアキ君がしてくれることならなんでも嬉しいし隣にいてくれるだけで嬉しいの。不満がないなんてことは完ぺきにはないかもしれないけど、こんな関係なんだもん、信じてほしいよ」
「・・・ごめん、自信なくしてた」
「アキ君の悪いところだね。頑張って直していこ」
瑞希はしょうがないなと笑って、もう一度背伸びをして僕の頭に手を置いてそっと撫でた。
「大丈夫、アキ君ならできるよ」
「僕なら、出来る・・・」
「うん、できる」
そう言い切って、瑞希は心のそこから曇りのない笑顔を浮かべる。弱気な僕を励ます時、瑞希はいつもこう言ってくれていた。そんな瑞希に答えたいって思って、これまで頑張ってこれた。
そして、やっと気づく。
この瑞希の励ましは、きっと瑞希がいなくなったこの先の未来を思っての言葉なんだと。儚い笑顔が痛い。
こうやって励まされるのも、あと何回だろう。僕はそう遠くない未来、一人で歩いて行かなければならない。
・・・僕なら、出来る。
違う。やらなきゃいけないんだ。だから、何度でも言おう。
僕ならできる。瑞希がそう言ってくれるから、僕もそう言える。
「そうだね、僕ならできる。なんだって」
「それが私の好きなアキ君だよ」
そして瑞希は繋いだ手の距離をさらに縮めて、体を僕のほうに寄せてきた。
その瑞希を受け入れて、僕はずっと遠い海を眺め続けた。
穏やかに波は打ち寄せて、引いていく。
願わくば僕たちの未来も、そんな穏やかなままで。
---
旅の帰りは少しさびしさを滲ませていた。
でも、その寂しさと涼しさが、今は少し心地が良い。
瑞希も起きているようで、運転している僕の手をまじまじと見つめていた。
そんな時、僕のズボンのポケットがバイブレーションを起こす。電話だ。
「ごめん、少し止まるね」
僕は近くのパーキングエリアに車を止めてスマホを確認する。ディスプレイには古里さんの文字が書いてあった。
迷わず僕は電話を取る。
「もしもし」
『ああ、悪い。前言撤回させてくれないか?』
「え?」
『明日、どうしても人手が欲しい。休職処分にするつもりだったんだが・・・すまない、出てくれないか? 本当にどうしてもだめなら、こちらも考えるが・・・』
申し訳なさそうな古里さんの声が、端末から外に漏れる。
予定的な面では働くには問題はないけど・・・。
そう思って僕が瑞希の方を向く前に、瑞希は先に口を開いた。
「行ってよ、仕事」
「え」
「私の事なら大丈夫。というより、明日は絶対に耐えてみせる。頑張るから、だから行って、お仕事。古里さんも困ってるんでしょ?」
「・・・分かった」
瑞希が覚悟を決めたのなら、僕も決める。
瑞希のことを信じると決めてる。耐えるって言ったんだ。瑞希は絶対に頑張れる。
「分かりました。仕事に向かいます。出社は定時でいいですか?」
『ああ。それに残業を強いるわけじゃない。そこは安心してくれ』
「了解しました。では」
僕は電話を切って、一息ついて瑞希の方を向いた。言葉の真意を問いたかったのだ。
「ねえ瑞希。本当によかったの?」
「いいの。・・・というよりね、久しぶりにお弁当作りたくなったの」
「なるほど。そりゃ楽しみだ」
「それじゃ、全速前進で帰っちゃおう」
「了解!」
僕は駐車場から車を動かしてすぐに道路に戻った。
そのままアクセルを踏み倒して車は駆け抜けていく。
今はただ、前だけ向いて進んでいこう。
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