十一日目 この一瞬をずっと・・・


 目覚めたとき、瑞希はまだ起きていなかった。

 とはいえ、昨日よりは病状が軽いのか、苦し気な表情はしていない。ただ、少しだけ睡眠が深そうなのが気になった。

 昨日も、大事をとって早めに寝るようにしたのに、まだ起きる気配はない。


 それほどまでに疲れているのか、回復する力を失いつつあるのか・・・。


「仕方がない、か」


 それに、出社禁止を言い渡された僕だ。時間はゆうにある。

 また今日も、瑞希のために頑張って朝ご飯を作るとしますかね。


---


 結局、瑞希が目覚めたのは8時だった。朝食が冷めないギリギリの時間って言ったところだろうか。

 リビングにやってきた瑞希は目をこすりながら申し訳なさそうな顔をする。


「すごい寝ちゃってたね、ごめん」


「いや、いいんだけどさ・・・。・・・やっぱり、疲れ、とれない?」


「・・・うん」


 口先をとがらせて、瑞希は小さな声で答えた。


「最近、寝ても寝てもどこか気だるくて・・・」


「いつから?」


「この間、星を見に行った時には、もうこんな感じ」


「やっぱり・・・」


 瑞希のあの日の行動から、そんな気はしていた。だから、驚きはない。ただ疑念が確証に変わっただけで。

 だから、僕は顔色を変えることなく瑞希に答える。


「分かった。それじゃ、これからの家事は僕が担当するよ。どうせ仕事、当分ないし」


「それはだめ」


 瑞希はきっぱりと否定して、僕の目をしっかりと見つめてきた。目で、そして言葉でしっかりと訴えてくる。


「どこまでできるか分からないけど・・・私が出来るうちは、私にも家事をやらせて。・・・二人で生きていくんだから、そんな風に抱え込んでほしくない。私、痛くても、しんどくても、頑張るからさ」


「瑞希・・・」


「それでもダメだと思ったら、今度は手伝ってほしい。とにかく、一人で抱え込んで頑張ってほしくない。・・・嬉しくないの」


「・・・分かった」


 独りよがりの行動が善なんて言えない。きっとこれは僕の偽善に過ぎないから、この話は無しにしよう。僕と瑞希は二人で一つだから。


「それじゃ、今日も頑張ろう」


「そうだね。・・・じゃ、朝飯といきましょうか!」


 瑞希は明るく振舞って、自分の席についた。やっぱり瑞希はこうしている姿がなによりも似合っている。それがたとえ空元気だとしても、僕はそのままでいよう。

 知らなければよかったことのほうが、きっとこの世にはたくさんあるから。


---


「今日は何をしようか?」


 朝食を終えて僕は、目的もなく集まった子供のような質問を瑞希に投げかける。瑞希は顎に手を当てて少しばかり考えて、答えを出した。


「私さ、海行きたいって言ったよね?」


「言ったね・・・確か」


「じゃ、行こ」


「海?」


「うん」


「どこの?」


「最寄りでいいよ」


 最寄り・・・とは言えど、車で一時間くらいはかかる場所だ。そこまで来たら、どこに向かおうと大差ない。

 だったら、思い出を作りに行こう。課題をクリアするように旅になんて出たくないからさ。最寄りでいいよなんて瑞希のセリフへの、僕なりの反抗だ。


「それじゃ、準備しちゃおっか。・・・あぁ、そうだ」


 その時、僕はひらめいた。

 限られているけど、自由に使える時間がそこにあるなら、こんなことだってやったって構わないはずだ。

 僕は灰の中の空気を入れ替えて、瑞希に提案する。


「せっかくならさ、一泊二日で旅行でもしない?」


「えっ・・・。いいの?」


「いいの。・・・というか、僕がそうしたい。ダメかな?」


 確かに、瑞希の容態がいつ急変するか分からない以上、どこかに泊りがけというのはリスクを伴う行為だ。

 でも、だからってやりたいこと諦めて苦しむくらいなら、ちょっとの危険があってもやりたいことをやったほうがいいに決まってる、僕はそう思うんだ。


 僕がちゃんと「そうしたい」と言ったことが響いたのか、瑞希は穏やかな顔で一度頷いた。


「じゃあ、そうしよ。デートコース、アキ君のお任せでいいかな? そう言い切れるってことは、自信、あるんでしょ?」


「自信のほどはともかく、考えはあるよ」


「じゃ、決まりだ。アキ君は車の準備してて。私、服とかそういうものの準備してくるから」


「了解」


 本当に、こんなドタバタな決まり方もどうかと思うことはあるけど、きっと楽しいことに変わりない。

 瑞希も楽しそうに準備をしてくれている。僕はそれを信じて、家のガレージへと向かった。

 軽く車を掃除して、不備がないか確かめる。こういう楽しい日だからこそ、トラブルはあってほしくない。

 一度エンジンをかけてみる。ボンネットの中をチェックする。どこにも問題がないことを確認して、僕は家へと一度戻る。

  

 瑞希はもう全ての準備を済ませていた。衣服が入ったバスケットと小物を自分の前に並べて、ちょこんと正座していた。


「・・・何してんの?」


「全力待機です」


「よし分かった。ごめんね準備遅れて」


「あー、そうじゃない、違うの。そうじゃないの」


 僕がからかって頭を下げると瑞希はあたふたして首と手を横に振った。こうやってからかうたびに可愛い反応してくれるから、やっぱり僕は瑞希が好きだ。


「ごめんごめん、からかっただけ。準備、ありがとうね」


「うん。これくらい当然だよ」


「それじゃ、ちょっと待ってね」


 僕は瑞希に待ってもらって、急いでスマホを動かす。そのまま旅館の予約を取る、今日の日のためではないが、昔からこういうことを調べていた風習が生きた。


「・・・よし、行こう」


「何してたの?」


「あとのお楽しみ」 


「むー・・・アキ君の意地悪」


 瑞希は不満げに頬をふくらませて、僕を小さく睨んでくる。全然痛くなんてない視線だけど。


「あとでわかるって。・・・絶対に、喜ばせてあげるからさ」


「ほーう、そりゃ楽しみだ」


「じゃあ、出発と行こうか!」


---


 いつしかみたいにヒットナンバーをカーラジオで流しながら、今日は海沿いの国道を飛ばしていく。瑞希は少々窓を開けて、ささやかな潮風を浴びて心地よさそうに鼻歌を歌っている。体調の方も悪くなさそうだ。


「気持ちいいねー、潮風」


「ここらへんまでくると海っぽい風が吹くね。僕らの街からじゃ見えないからね、海」


 心地のよい風とリズムと空気が流れる。いつかは終わってしまうこの楽しい時間を忘れないように、僕は噛みしめながらアクセルを踏み倒した。


 それから50分くらいして、僕たちは目的地にたどり着く。車から降りるなり、瑞希は驚嘆の声を上げた。


「こんなところに・・・」


「予約したんだよ、さっきね」


「すごく高そうな旅館・・・いいの?」


「いいの。僕がそうしたいんだし。料理とかも美味しいらしいし、部屋もいいところ取れてさ、結構楽しみなんだよ? 僕」


「じゃ、疑問符は無しだね。早く入ろ! ね?」


 ころりと態度を変えて、瑞希は僕の手を引きながらフロントへと進んでいく。まだ彼女の笑顔に曇りはない。それだけで僕はいいんだ。


 それからフロントで素早くチェックインを済ませて部屋へと向かう。風流な扉を開けると、綺麗に畳が張られ、奥の窓から海が一望できる部屋が待っていた。


「はぁー・・・すごい」


「まさかここまでの部屋とは思わなかったな」


「私、こんな場所初めて!」


 瑞希は目を輝かせて、ぴょんぴょんと跳ねた。どうやら相当気に入ったらしい。その様子を見るだけで、僕も満足できる。


「それにしても、よくこんな部屋とれたね」


 瑞希は真っ先に机の上のお茶を広げてズズズとすすっていた。順応力高いな。


「確証はなかったんだけどね。運が良かったよ」

 

 余裕をもってやったわけじゃないから、本当に運なんだ。そう考えると、神様なんて本当はいるのかもしれない。それでも僕は、信じないけど。

 僕は瑞希の隣に座る。すると、瑞希は僕の肩に寄り掛かってきてそのまま遠い目で海を見ていた。


「・・・こういうところに来るとさー、あぁ、遠い場所まで来たんだなって思うよねー」


 しみじみと感傷に浸っている瑞希に、僕は相槌を打つ。


「そうだね。・・・ちょっと僕たちの街が恋しくなるけど、それもまたスパイスみたいなものじゃないかな。旅を楽しむための」


「そうだね。・・・ね、アキ君」


「どしたの?」


「眠っても・・・いいかな?」


 僕は改めて瑞希の顔を覗いてみる。車での移動しかしてないはずなのに、瑞希は明らかに疲弊しきったような顔をしていた。体力がどんどん奪われていってるのが想像できる。

 いつまでも、そのことに心を痛めていられない。だから僕は笑顔で受け入れる。


「うん、いいよ。・・・布団いる?」


「いらない。・・・アキ君の膝枕がいい」


 それでも甘える気持ちは忘れていないようで、瑞希はまた僕にすり寄ってきた。しょうがないなと僕は頭を撫でて、「いいよ」とだけ答えた。

 それから数分もしないうちに寝息が立てられ始める。最近の瑞希は本当に早く眠りにつく。


「海は・・・こりゃ、明日かな」


 僕は小さく苦笑する。




 けど、今この一瞬だってきっと幸せなはずだ。僕はそう信じている。




 

 


 

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