九日目 ネガイゴト


 今日も、何も変わらない一日が過ぎる。

 朝、瑞希の手料理を目をこすりながら食べて。

 昼、瑞希のお手製の弁当を片手に仕事を頑張って。


 そして今日は、あっという間に夕方になった。

 

「ただいまー」

 

 玄関のドアを開ける。今日はちゃんと、奥からおかえりの声が聞こえた。それだけで僕は心から落ち着ける。

 変な不安を抱くことも無く、ゆっくりと鞄を片付けて僕はリビングへと向かう。瑞希はソファに仰向けに寝転んでいて、顔に本をかぶっていた。


「・・・何してるの?」


「あはは・・・読書でもしようかなって思ってたんだけどね」


「萎え落ちですか」


「左様でござる」


 どうやら自由奔放な性格をしている瑞希には、読書というものはいささか退屈だったようだ。そう言えば大学の講義もダラダラと受けてたような気がすると、僕は当時のことを思いだす。

 それでも、瑞希は合格ラインの点数なんて平気で取るんだから、頭はいいのだろうけど。


「何の本読んでたの?」


「SF物の小説だよ。結構細かい部分までこってたけど、だから疲れたのかな」


「設定が壮大だと、それを理解するだけで時間かかっちゃうからね」


 僕は会話のさなかで着替えを済ませて、それが終わるなり瑞希の隣に座った。そして意識のないところで、瑞希の頭に手を置く。


「ねえ、アキ君。私もう子供じゃないよ?」


 いつの間にか僕に撫でられていることが気になったのか、瑞希は小さく声を上げた。


「・・・あっ。ごめん、いけなかった?」


「・・・もっとして」


「りょーかい」


 瑞希は頬をふくらませてそう言うと、甘えてくる子猫のように体を摺り寄せてきた。それを僕はちゃんと受け止めて、変わらぬ優しさで頭を撫で続ける。

 さっきシャワーでも浴びたのか、微かにシャンプーのいい匂いが漂ってくる。それに包まれながら、僕はひたすらに瑞希の甘えを受け止めた。


 それから五分くらいして、ようやく瑞希が僕の身体から離れて起き上がった。そして近くの壁にかけてあるエプロンを取り出す。どうやら夕食の準備のようだ。


「アキ君、私晩御飯作るね」


「分かった。じゃあ僕は洗濯もの入れてたたんでおくよ」


「お願い」


 ここで瑞希は敢えて遠慮せず、「お願い」と言ってくれた。こうしている方がちゃんと二人で生きてるような実感があって、そっちのほうがいい。


 僕はベランダに出て、干されて乾いた洗濯物をシリコン製の籠へとどんどん投げ込んでいく。

 その時、ふと夕日に目をつぶった。それからすぐに目を開ける。

 空は、あまりにも綺麗すぎた。どこにも、雲一つ見当たらない。


「・・・そっか。いいな、それ」


 僕は一人で言葉を呟いて一人で納得して、そのまま作業をパパっと済ませて部屋の中へと戻った。


 こんなにきれいな空なら、今日はきっと見えるはずだ。



---



 夕食時。

 食卓を挟んで僕は瑞希の向かいに座る。そしてある程度箸が進んだ時、僕は瑞希にある提案を行ってみた。


「ねえ、瑞希。このあとなんだけどさ」


「ん?」


「星・・・見に行かない?」


 夕方見た空は、雲一つない気持ちのよい晴天だった。だったらきっと、星だって綺麗に見えるはずだ。

 都会のこの空じゃ少し曇ってしまうかもしれないから、どこかいい場所まで移動して、そこで。

 瑞希の答えはすぐだった。


「いいね。なんかそういうのロマンチック。これまでそんなデートもしたことなかったし、いいと思う」


 瑞希はやはり、目を輝かせていた。僕の提案に対して文句はないのだとそう思えて、少し気が楽になる。


「じゃ、決まりだね」


「うん。・・・あっ、急いだほうがいいかな?」


「ううん、大丈夫だと思うよ。この時間、まだ空は少し明るいままだから、綺麗に見える時間はもう少し後だと思う」


「それじゃ、味わっていただこうか」


「然り」


 それからの時間は、いつも通りの楽しい楽しいディナーだった。


---


 それから30分ほど経ち、やるべき家事を終わらせてようやく僕らは家を出た。調べたところによると、星を見るにちょうどいい丘は家から車で20分ほどのところにあるらしい。

 夜の空気を切り裂いて、車を走らせていく。雰囲気を出すために、車には少々しっとりしたBGMを流して進んだ。

 瑞希は少し眠たそうにうとうとしている。・・・やはり、病気のこともあって体が疲れる度合いが上がってきているのだろう。それは間違いなく、目に見える変化だった。


 だから、どうしたって言うんだ。

 今こうしてここにいる。それだけでいい。


 僕はいつの間にか、ちゃんとそう思えるようになっていた。だから、瑞希が眠たげなことも、瑞希の体調が不安なことも、今はもうどうでもいい。

 それはまた、その時に考えればいいのだから。


 そして車は20分程度の走行を終えて、人の気配のない丘に着く。瑞希も車が止まったことでしっかりと目が覚めたようだった。


「・・・誰もいないね」


「本当に、穴場ってやつなのかもね。行こう?」


「あっ、ちょ」


 僕は瑞希の手を引いて、明かりのない林道を小走りに進んでいった。

 早く、空一杯に広がる星の海を見たくて。瑞希と一緒に見たくて。


 そして、道が開けていく。僕たちは一気に駆け抜けていく。

 道が完全に開け切った、その先の光景は・・・



「なに、これ・・・」


「すごい・・・」


 僕たちを待ち受けていたのは、360度に広がる壮大な星の海だった。到底、人間の視界に全てを収めることが出来ないくらい、広い。

 僕らが住んでいる街は、はるか遠く、ちっぽけなところに見える。だったら空からみた僕らなんて、砂粒の一つにも満たないのだろうか。


「すごい、すごいね! アキ君! 私、こんな景色見たの初めて」


「僕もだよ。・・・こんなところに、これだけの場所があるなんて」


 今、この場所には僕ら以外の誰もいない。二人だけの空間、二人だけの星空に僕たちはいた。

 瑞希は突然、芝生に寝転がった。露がないとはいえ、僕は少々気になって声を上げる。


「瑞希、ちょっと」


「いいの。・・・ゆっくりしよう? それに、こうしてみると、もっとすごいから」


 僕は瑞希の提案を受け入れて、同じように芝生に寝転がった。すると、さっきよりも一段と広範囲にわたって星が視界に映った。


「確かに・・・」


「・・・ねえ、アキ君」


 声で僕は瑞希のいる左隣を見る。瑞希の瞳は星に照らされていた。


「流れ星って、見えるのかな?」


「さあね。・・・見えたら、何を願うの?」


「そりゃあもちろん」


 途中まで言って、瑞希は言いよどんだ。そして、少しばかり震える声で答える。


「・・・幸せになること、だよ」


「・・・そんなの」


 僕は小さく憤慨した。大きく決意した。

 僕が瑞希の流れ星になればいい。不確定の要素になんて頼らなくても、僕が瑞希の願いを叶えてあげればいい。

 今が幸せじゃないっていうのなら、それ以上のことをやってみせる。


 だから。


「そんなの、流れ星なんてなくても、僕が叶えてみせる。・・・僕が瑞希の流れ星になればいいんだよ」


「・・・そうだね。お願い、私の流れ星」


 瑞希は少しはかなげに微笑むと、体に反動をつけて起き上がった。


「ねぇアキ君!」


「今度は何?」


「私、負けないから!」


 瑞希は自分の持てる最大の声で遠くの空に叫んだ。


 負けない。


 一体、何に負けないと言いたいのだろう。病気だろうか。自分の運命だろうか。はたまた、僕にだろうか。

 でも、そんなことはどうでもいい。寄り添う僕の答えは一つだ。


「・・・うん。一緒に頑張ろう」


 一緒に頑張って、一緒に生きて、一緒に幸せを掴もう。

 できるさ。僕と瑞希なら。



 一筋の星が、僕の頭上を流れていった。

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