七日目 まだ分からない愛の距離


 車を走らせて、小一時間。

 僕は瑞希を連れて、瑞希の実家へと向かっていた。

 ハンドルを握る手は微かに震える。これから先の未来を思うと、何も思わずにはいられなかった。


 瑞希も黙ったまま、窓の外を黙って見ている。本人も、何かを言い出そうとするつもりはなかったらしい。

 そしてそのまま車は時間を切り裂いて進んでいく。今日はよどんだ曇天だ。


---


 一時間ほどたって、ちょっと風流な古民家へとたどり着く。

 車が止まった音に反応してか、中から温厚そうな夫婦が出てくる。瑞希の両親だ。

 僕と瑞希は車から降りて、それから僕は一度ぺこりと頭を下げた。


「お久しぶりです」


「よく来たね。ささ、上がって」


 まるでおばあちゃんのような包み込む優しさで、瑞希の母である優子さんが僕を家の中へと招き入れる。僕は何のためらいもなく、その門をくぐった。

 瑞希は少しためらった様子で、僕の一、二歩後ろを俯きながら歩いている。その様子を瑞希の両親に悟られないように、僕は二人の視線を、僕を見るように誘導した。そのまま流れるように、僕と瑞希は食堂のテーブルへと着いた。


 この家に来ると、大体こうして向かい合って話すことから始まる。最近どうだ、なんて瑞希の父親の正人さんの言葉が、いつも心地よく感じていた。

 けど、今日は違う。


 優子さん、正人さんが僕たちの向かい側の席について、それから会話がスタートする。僕の予想通り、切り出したのは正人さんだった。


「それで、最近はどうなんだ?」


 案の定な言葉が正人さんの口から出てくる。こう聞かれることは予想できていたから、僕はカンペに書かれたような答えを返す。


「ぼちぼちですね。仕事もそれなりにうまくいってますし、同棲生活にもだいぶ慣れました」


「そうかそうか。それは何よりだ」


 うんうんと満足そうに正人さんが頷く。嘘ではないが、嘘をついているようで、たちまち僕は胸を痛める。

 こんな状況で、どうやって瑞希の話題を切り出せばいいんだろう。僕は冷や汗を流しながら、二人の顔色をうかがう。

 隣に座っている瑞希も僕と同じように困っているようだった。目を泳がせながら、次の話題を探している。

 会社での話をとりあえず僕はダラダラと続けるが、取り留めのない話をいつまでも続けられるわけじゃない。


 そんな時、優子さんが瑞希の左手の薬指のリングに気が付いたようで、「まあっ」と小さく声を上げた。


「瑞希、その指輪は・・・」


「ああ、これ? ・・・うん、この間プロポーズされたの」


 瑞希はほんのり頬を赤らめて答える。真っ先に声を上げたのは正人さんだった。


「アキ君、それは本当なのか!?」


「・・・はい。僕の方からプロポーズさせていただきました。・・・二人がちゃんと一つになるタイミングは、ここしかないと思ったので」


 僕は含みのある言葉を口にする。二人の表情が歓喜に変わる前に、僕は先手を打ったのだ。

 とはいえ、導入こそしたものの、僕は言い出すのに困る。今から残酷な話を二人にしなければいけないと思うと、覚悟はしていてもなかなか堪えるのだ。

 

 僕は一度瑞希の方を見る。瑞希は瞳を少し潤ませた状態で、一度うんと頷いた。それを確認して、僕は二人に切り出す。


「それと・・・大事な話があります。今日来たのは、そのためでもあります」


「・・・分かった。聞こう」


「ええ」


 僕が真面目すぎる顔をしていたことに違和感を覚えたのか、二人は歓喜に浮き立つ素振りをやめた。そして、僕の話を静聴する姿勢に入る。

 それを確認した僕は一度深呼吸して、単刀直入に切り出した。


「この間・・・瑞希に、余命宣告が言い渡されたんです」


「・・・なんだって?」


 案の定、正人さんは希望から絶望に顔色を変える。怒りはしないものの、焦りを見せながら瑞希に問いただす。


「瑞希、本当なのか?」


「・・・うん、心臓の病気のせいで。あと一か月って、言われちゃった」


「そう、なのね・・・。だから」


 寂しい声音で優子さんは呟く。どうやら、今回のプロポーズの話と余命の話が繋がっていることを理解したらしい。

 正人さんは、取り乱さないように必死に深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせていた。そして、震える口先で真実を確認する。


「・・・アキ君。詳しく、聞かせてくれないか?」


「はい。事の始まりは、ほんの少しの違和感だったんです。二、三時間に一回心臓が痛くなる。瑞希からそんな相談を受けて、僕は病院に行く事を勧めたんです。そして先週、二人で病院に行ったら、そう診断されて」


「どうなの? 瑞希、心臓痛いの?」


「・・・うん。今はそうでもないけど、痛いときは結構しんどい。この間もそれで意識失いそうになって、救急車で病院に運ばれたりして・・・。多分、診断に間違いはないって思う」


 僕と瑞希の話を受けて、二人は絶望したような表情を少しだけ浮かべた。けれど、その現実を受け入れてくれているだけでまだありがたかった。

 辛い現実を現実と捉えずに逃げ続ける。そうされた方が遥かにしんどかった。この二人は、親としての強さをちゃんと持っているのだなと思う。


「一か月、か・・・。何か手はあるのか?」


 瑞希は無言でフルフルと首を横に振る。唇をキュッと嚙みしめているのが横目に見えた。きっと、こんな状態でしゃべるのは辛いはず。

 僕は、瑞希の代わりに瑞希の思いを述べることにした。


「手術と投薬による延命方法があると、医師からは提案されました。あくまで持って三年、とのことですが。・・・でも、瑞希はそれを拒んでます。そうして苦しい思いをして少しでも長く生きたって、本当に幸せになれるのか分からないって。そうするくらいなら、今幸せになりたいって」


「そうか・・・。なるほどな」


 正人さんは苦々しい表情をして、やがてすべての感情を飲み切ったのか、粛々とした様子で一度静かに首を縦に振って、しっかりとした声音で話し出した。


「そうだな。・・・俺が瑞希の立場でも、多分同じ選択をするだろう。だから・・・俺は、瑞希のしたいようにさせたい。どうだ、優子」


「私もそうしてほしい。・・・そうね、ずっと入院だとか、ずっと治療だとか、辛いだけだもの。・・・どうせそこにある終わりなら、私は満足して終わってほしいの。どうやって満足するかを瑞希自身が選んでるなら、私たちは見守るだけよ」


「えっ・・・?」


 驚きの声を上げたのは瑞希だった。本当はもっと驚いたり、生きるのを諦めるなと怒られたりするものだと思っていたのだろう。

 でも、目の前の二人は違った。絶対に変わらないであろう現実を受け入れて、それを肯定するにまで至っている。本当にこの人たちは・・・強くて、優しい。


 僕は咄嗟に左隣に座る瑞希を見た。肩を震わせて、しきりに首を横に振っている。いざ両親を目の前にして、自分の想いを綺麗に受け取られて、耐えることが出来なくなっていたのだろう。

 そんな瑞希にどうにか声を掛けようとした瞬間、瑞希はバッと立ち上がった。


「ごめん。・・・少し外すね」


 そのまま誰の言葉も聞かず、瑞希はリビングから出て実家の中の自分の部屋へと籠っていった。どうすることもできず、僕はただその背中を見送った。

 そして、瑞希の姿が消えた後で僕はゆっくり二人に視線を戻した。


「・・・あの」


「気にするな。アキ君のせいじゃない。・・・誰のせいでもない」


 釘をさすように、正人さんは僕を牽制する。そのまっとうな発言にたちまち僕は言葉を失った。

 そして少しして、正人さんは少しうしろめたそうに話を始める。


「アキ君、本当にいいのか?」


「何がですか・・・?」


「結婚だ。・・・君は、本当に瑞希を選んでくれるのか?」


「何を今更。僕はずっと瑞希しか好きじゃなくて、瑞希以外の女性を愛する気もさらさらありません」


「それは、あと少しで散る命であってもか?」


 少々厳しい語気で正人さんは問いただしてくる。僕の覚悟を測りたいという気持ちが前面から伝わってきた。それと同時に、この人から僕に対しての愛を感じる。

 だからこそ、僕は一歩も引かない。生半可な気持ちじゃないことを僕は伝えたかった。


「・・・絶対に、悲しむと思います。割り切ってるとは言っても、死んでほしくないって、今でもずっと思っていますよ。でも、いっそ別れてしまえば、なんてことを考えたことは今の今まで一度もありません。だって・・・好きなんですもん」


 最後に付け足した言葉。結局はそれに尽きるのだ。

 僕は瑞希が好きで、その気持ちだけで生きてきているから、忘れることなんてとてもできやしない。結ばれた時から、傷つく運命は決まっていたともいえる。

 だから、今更逃げることなんてしない。向き合う覚悟は病気が起こるずっと前から出来ていた。


 それを聞いて、とうとう優子さんが泣き出した。小さく鼻をすする音が部屋中に響く。

 そして涙にぬれた声で優子さんが語ったのは感謝の言葉だった。


「娘がアキ君のような人と出会えて、本当によかった・・・」


 その言葉がいまいちしっくりこなくて、僕は軽く注意を入れる。


「今はまだ、そんなこと言わないでください。・・・僕はまだ、完全に瑞希のことを幸せに出来ていません。せめてその言葉は、どうか全ての終わりの時に」


「・・・そうね。変なこと口走っちゃってごめんなさい」


 優子さんはぺこりと頭を下げる。別に謝罪が欲しくてこんなことを言ったわけじゃないのに・・・。


 気を取り直して、僕は続ける。二人へのお願いを、僕はまだ言葉にしていなかったから。

 結婚だって、まだちゃんと許可をもらってない。

 ひとつ咳払いをして、僕はまっすぐな瞳で語り掛ける。


「改めて、お願いをいくつか。・・・まず、結婚の許可をいただきたくて」


「それなら心配しないでくれ。・・・瑞希が君を連れてきたときから、瑞希にはもうずっと君しかいないと思っていた。だから、これは俺たちからのお願いだ。・・・最後まで、瑞希と一緒にいてやってほしい」


 そして深々と正人さんは頭を下げる。僕がお願いする立場だったのに、逆に頭を下げられるせいで少し困惑する。どうしてこうなったのだろうと。

 けど、僕のお願いが果たされたことに変わりはない。今はその現実をしっかり受け止めるようにしよう。


「・・・そのお願い、重々承知しました。最後まで、どうかよろしくお願いします」

 

 僕も少し目尻に涙を溜めながら頭を下げ返す。親しき仲にも礼儀あり。僕は二人への感謝の意も込めて、深々と頭を下げた。

 そしてその頭を上げたとき、遠慮しがちに優子さんが僕に頼み込む。


「・・・ねえ、アキ君。瑞希をここに呼んできてくれないかな? そうは言っても、ちゃんと三人で話をしたくて」


「分かりました。じゃあ、僕はちょっと外の空気でも吸ってきます」


 僕は席を発って、瑞希が籠っている部屋の前へと向かう。そしてドア越しに瑞希の名前を呼んだ。


「瑞希、正人さんと優子さんが、三人で話をしたいって」


「・・・分かった。じゃあ、行くね」


 瑞希は迷いを断ち切っていたようで、少しトタトタと音がしたかと思うと、たちまち僕の目前のドアが開いた。凛として瑞希が立っている。この様子なら、心配はなさそうだ。


「アキ君は?」


「ちょっと外へ。空気でも吸いに行こうかなって」


「そか」

 

 瑞希は短く返事をするなり、少し歩調を早くして二人の待つリビングへと向かった。それを見送って、僕は玄関から外へ出る。

 もう、雨は降りだしていた。気分はさっき晴れたはずなのに、空は真逆の色を映しだしていた。

 

 ・・・いや、違う。

 偽っていたのは、僕の心の空模様の方だ。 

 何一つ真逆じゃない。僕の心の空模様も、しっかり雨が降りしきっている。


 結婚の許可も、これから寄り添う許可ももらえて本当は嬉しいはずなのに、気を抜けば涙が溢れそうなくらい、心が痛い。

 雨に打たれて、水滴が頬を伝う。それを気に留めることも無く、僕はただ立ち尽くした。


---


 しばらくして、玄関の方から声が聞こえる。瑞希だ。どうやら話が終わったらしい。


「何してるの? 風邪ひくよ?」


「・・・ああ、悪い。すぐ戻るよ」


「あとそれと、お母さんが、今日は泊っていけって言って聞かないんだけど・・・」


「大丈夫だよ。明日の仕事は休みにしてもらってるし、ここでゆっくりする時間はたっぷりある。瑞希がどうしたいかによるけどね」


 瑞希はうつむいて答える。その表情は見えないけど・・・。


「・・・それはもちろん、泊まりたいけど」


「じゃあ決まり。僕は瑞希のやりたいことについていくだけだから気にしないで」


「・・・ねえ、間違ってるって思ったら、止めてよ」


 瑞希は少し浮かない顔で、切なる願いを告げる。その言葉を受けて、僕ははっとした。

 全てを肯定することだけが優しさじゃない。その現実に気づかされて、僕は愚かな自分を責めた。

 

 ・・・ダメだな、僕は。また間違えてた。


 何度目かの後悔。そしてまた誓う。本当に瑞希のためになることを僕は行おうと。


「分かった。約束するよ」




 そう返事をして、僕は瑞希の下へ近づいていく。

 不器用な心がもっと近づいたら、僕は君のことをこれ以上に幸せにできるのだろうか。なんて答えのない問いを、僕は空に映す。


 曇天の空は、まだ晴れない。

 


 

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