五日目 出会いは突然、別れもきっと・・・


 結局、瑞希の体調不良はそこまで酷いものではなかったとのことだった。とはいえ、大事を取って一日だけ入院。

 その間に、僕は瑞希の身体に何が起こっているかをちゃんと聞く機会を得た。


 主治医は淡々と告げる。


「簡単に言えば、心臓がだんだんと蝕まれていき、最終的には機能を失う状態です。今のところ、一か所のみ、小さな点のようなものにしかなっていませんが、これがどんどん広がっていくとみて間違いないでしょう」


「そうですか・・・」


「場合によっては、範囲が広がることにより瑞希さんの身体の別な箇所にも影響が出るかもしれません。・・・今の状況では、どうと言う事も出来ませんが」


 先生は敢えて言葉を濁すけど、結局何を言いたいのかは分かっている。

 瑞希の病気は心臓だけの問題じゃない。これからもっとひどく辛い状態になるだろうということ。それを先生は伝えてるのだ。


 僕と瑞希の穏やかな生活がいつ終焉を迎えるか分からないという事だ。


「延命治療を除いて、何かできることはないんですか?」


 手術と投薬に寄る延命は、瑞希自身がなによりも嫌っている。だから、できるコトと言えばそれ以外で探すしかない。

 僕のわがままを受けて、先生はパソコンに表示されるデータを切り替えて無機質に言葉を連ねた。


「とりあえず今日のところは鎮痛剤を出しておきます。痛みが出た際に服薬すれば、多少は痛みも治まるでしょう。・・・医療的な観点でできることは多分、これくらいしかありません」


「そうですか・・・」


「ですが、瑞希さんにもう一つ必要なものがあります。・・・心のケアです」


 先生はここで初めて自分の感情を少し織り交ぜて、僕の方を鋭いまなざしで見つめてきた。その視線に刺されて、僕は硬直する。


「余命を宣告された身で、ひとりで残りの余生を過ごすなんて辛い事この上ありません。ですが、瑞希さんにはあなたというパートナーがいます。あなたが傍にいてあげることで、彼女は何よりも救われると思いますよ」


「・・・その言葉だけで、励みになります」


「ただ・・・気を付けてください。余命宣告を受けた人間に寄り添うという事は、その死にまで寄り添うという事。・・・目の前で、大切だった人の死を見て、あなたは正気でいる自信がありますか?」


 主治医から問われる、何よりも重たい問い。

 即答は出来なかった。その時の事なんて、僕に分かるはずなんてない。今は何より、目覚めない眠りについてしまった瑞希の姿を想像したくなどなかった。


 それでも、変な回答は出来ないと、僕は一度大きく首を縦に振った。主治医はその返答に満足したのか、鋭い視線を緩ませる。

 そしてクルリと椅子を回転させ、立ち上がった。話はこれで終わり、ということのようだ。


「とりあえず、今回の入院は大事を取って、といった状態です。明日になれば退院してもらって構いません。何より、残された時間を大切にしたいでしょう?」


「はい」


 死を受け入れた僕らには、一分一秒が惜しい。それを何よりも分かっているのは、先生のようだった。

 

「ではどうか、悔いのない人生を」


 そうして先生は去っていく。残された僕は一度瑞希のカルテに目を通して、小さく息を吐いた。


 そうして、僕たちの五日目が始まる。



---


 瑞希を連れて家に帰ることが出来たのは、瑞希が救急搬送された次の日の昼だった。瑞希は無理をしているのかどうかは知らないが、ケロリとしている。

 でも、隠してほしくないことだってある。僕はちゃんと聞くことにした。


「・・・体調、悪いの?」


「・・・隠しても仕方がないし、言っちゃおうか。・・・昨日はひどかった。心臓の辺りが痛むペースが速くなったし、痛みのレベルも上がっちゃってる。・・・だから、ゴメン。これから先耐えられなくなって、鋭い声で悲鳴を上げるかもしれない。呻き声で、アキ君を悲しませてしまうかもしれない」


「いいよ。・・・それよりも、それを隠される方が僕は嫌だったから」


 どんな立ち回りをしようと、事実が変わることはない。隠されて悲しむのは僕で、僕が悲しむことで悲しむのは瑞希だ。誰一人幸せになることはない。

 助手席に座る瑞希は手元に目線を落とした。


「今回出してもらった鎮痛剤で、どれだけ痛みを和らげることが出来るかは分からない。だから、やっぱり少しは怖いかな」


「・・・でも、今更怖がってっも意味がないって、そういうことでしょ?」


「そういう事。・・・だから、私はこれまで通り、私のままでいるよ。だからアキ君も、これまで通りでいてほしい」


「うん」


 言葉ではそう返事するけど、僕がこれまで通りいることが出来るかなんて保証は、少なくとも今は出来なかった。

 だから、僕が僕でいられるうちに、やっておかなければいけないことがある。


 全てを伝えないといけない相手が、いた。


「ねえ、瑞希」


「なあに?」


「明日か明後日・・・瑞希のご両親にあいさつに行っていいかな?」


 僕の問いかけに対して、瑞希は硬直した。即答できるような話じゃないから、当たり前って言ったら当たり前だけど。

 幸い、明日明後日は土日。世間一般的に休みという期間だ。


 瑞希は悩みに悩んだ末、答えを出す。


「・・・うん、行こう。結婚の報告もしたいし・・・、この病気のことも、ちゃんと伝えないといけない」


 瑞希は泣きこそしなかったものの、唇をキュッとかみしめていた。そうでもしないと、涙が溢れそうだったのかもしれない。

 瑞希と付き合ってから、僕は瑞希の人間性をたくさん知った。だから分かる。瑞希が、自分の両親を心の底から愛しているってことも。


 そんな大好きな人たちに、自分を育ててくれた親に、「私はもうすぐ死ぬの」と伝えなければならない。どこまでも残酷な話だ。

 僕にできることと言えば、寄り添うことくらいしかない。


「・・・大丈夫、ずっと一緒にいるから」


「お願い。・・・ちょっと、一人じゃ寂しいから」


 瑞希は小さな右手で僕の服の左袖をキュッとつかんで離さない。それを振りほどくことも無く、僕は車を進めた。


---



 家に帰って夕方。実家に帰省する旨を伝えるために、瑞希は一人寝室へと籠った。曰く、僕との約束を守れなくなるかもしれないから、という事だった。

 僕はそれを理解して、瑞希を快く送り出す。そして一人、リビングのソファで転がり、ただぼんやりと天井を見上げる。


 思えば、僕はこれまで瑞希に何をしてあげることが出来ていただろう。


 付き合い始めてから四年。出会いは同じ大学の四年生の時だった。ともに就職活動に四苦八苦していた時に出会った。

 うまくいかないね、なんて互いに言い合って鼓舞しあって、そして二人ともちゃんと職にありつけた。本当に、僕が今の会社にいるのはそうして互いに励まし合えたからかもしれない。


 それから社会に出て、本格的な付き合いは始まった。最初は仕事がうまくいかずに嫌悪なムードになる時もあったけど、瑞希の優しさに触れて、包み込まれて、そんな気持ちはだんだんと薄れていった。

 そして三年が経ったとき、僕は初めて瑞希の両親にご挨拶に行った。二人とも優しい人で、早いうちに親や親族を亡くした僕を本当の息子のように可愛がってくれた。

 

 そして、同棲するようになった。その時、運悪く瑞希の働いていた会社が倒産したため、瑞希は職を失っていた。ただ、一緒になるタイミングとしてはちょうどよく、僕は瑞希にプロポーズをするつもりだった。


 その矢先の、悲劇だった。


 本当なら、もっと格好のいいプロポーズをしたかった。ロマンチックなんて大げさな言葉はないにしても、もっとちゃんとした形で、愛を伝えたかった。

 ・・・本当に、神様って残酷だ。


 歯ぎしりをした瞬間、瑞希がリビングへと戻ってくる。目尻は赤くなってはなかった。

 僕は平静を装って尋ねてみる。


「どうだった?」


 僕の問いかけに対して、瑞希はしっとりとした微笑みを見せた。


「うん、明後日空いてるから帰っておいで、だってさ。あと、アキ君も来るよね? て聞いてた」


「あの人たち、俺のこと好きすぎだろ」


「あはは、そうだね」


「・・・ホント、ありがたいよ」


「アキ君は、ご両親が早くに亡くなっちゃったんだっけ」


 瑞希にも俺の両親のことはちゃんと伝えてある。その上で、瑞希は俺のことを受け入れてくれている。

 僕は両親の顔を思い出して、少しだけ寂し気な表情をした。


「そう。・・・何も言えないうちに、二人とも。・・・だから、ちゃんと最後に向き合いたいって気持ちは、強いんだ」

 

 それは瑞希のことも含めて。言葉にこそしないけど、そう伝える。

 瑞希はそれを感じ取ったようで、小さく「そうだね」と呟いた。


「それじゃ、明日はどうしようか?」


 僕は瑞希に問いかける。瑞希から返ってきた答えは意外なものだった。


「んー、明日は何にもしない。休日らしく、二人でゴロゴロして、買い物して二人で料理作って。それでどうかな?」


「うん、そうしよう」


 どんな返答が来ても、僕は瑞希のしたいことを手伝うだけだ。そこは変わらない。



 その先に、瑞希の望む幸せがあるって、僕はずっと信じているから。


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