四日目 終わりの始まり


 次の日も、起きるのは瑞希の方が早かった。

 料理をちょうど終えていたようで、エプロンを片付けて、僕を起こしに来ようとしていたところだったらしい。


「あれ、アキ君起きてたんだ。おはよ」


「うん、おはよう」


 僕はそのまま、軽く瑞希に抱き着く。意識なんてものはそこにはなかった。 

 急に抱き疲れて、瑞希は動揺した声を上げる。


「ちょ、ちょっとアキ君・・・!?」


「・・・あっ、ごめん。体が勝手に」


「何それ」


 僕は慌てて瑞希から離れて、食卓の自分の席に着く。

 瑞希は一つ小さくため息を吐いて、椅子に座りなおした僕の後ろから手を伸ばしてそっと絡みつくように抱き着いてきた。

 少し生暖かい息が耳にかかる。


「・・・怖い夢でも見た?」


「そうじゃないんだよ。本当に、何も考えずに行動してたらああなってた。それほどまでに、僕が瑞希の事好きってことなのかな」


「はいはい、どうもありがとね」


 瑞希は僕の言葉を軽くあしらって、反対側の椅子に座った。そうしていつもの朝食が始まる。

 その途中で、瑞希は不意に僕に声を掛けてきた。


「アキ君、今日は仕事行くんでしょ?」


「うん。今日はさすがに行かないと・・・。といっても、定時で帰れるように古里さんが融通を効かせてくれたそうだから、五時までには帰る」


「古里さんに感謝しないとね」


「今度菓子折りでも持っていくよ。娘さんがいるそうだし」


 本当にあの人には頭が上がらない。今日会社に行って、何回頭を下げればいいのやら。


「というわけで瑞希、今日はその・・・ごめん」


「いいよいいよ、毎日遊ぶことなんてしたら神様に怒られちゃう」


 瑞希は手をぶんぶんと横に振る。


 ・・・神様なんて信じない。だって、僕の好きな人にこんな残酷な真実を突き付けてるんだから。

 だから、バチも利益もない。どれだけ遊んだって許されるはずだ。


 なんて、またブルーになったら怒られちゃうから、こらえるけど。


「それじゃほら、ちゃちゃっと食べちゃって! 仕事遅れるよ!」


「そだね」


 それ以上は何も言わず何も考えず、僕は目の前の瑞希を見ながら朝食を取った。

 今日はやっぱり、少し憂鬱だ。


---


 電車に揺られて10分。僕は会社に着く。

 同じ部署の人間に古里さんから話は通ってるらしいけど、だからこそどんな反応されるか分からなくて怖い。


 無機質に開く自動ドアを潜り抜けて、エレベーターで三階まで登って僕は会社の扉を開ける。

 出社の定時の10分前に会社に着く。中にはもうほとんどの社員が待機していた。

 気まずい空気のなかで、僕は自分の席に着く。誰からどんな声を掛けられるか分からなかった。


 けれど、そんな心配は杞憂に終わったようで、午前を終えて僕に声を掛ける人間は誰もいなかった。どころか、敵対の瞳すら感じない。

 そんな職場から逃げるように昼食を取りに屋上へ行こうとすると、総括部門の椅子に座っている古里さんから声を掛けられた。


「おい、春田」


「あ、はい」


 ちょいちょいと手招きをする古里さんの下へ僕は歩み寄る。僕が近づくと、古里さんは自分の弁当を右手に掲げた。一緒に昼でもどうだ、ということらしい。


「僕、今から屋上に行くんで、そこでどうですか?」


「分かった。付いて行こう」


 古里さんは快く一度頷いて、屋上を目指す僕についてきた。

 少々重たい鉄の扉を開ける。屋上はあまり誰も寄り付くことがないからベストプレイスだ。


「さてと・・・」


 古里さんは屋上に置いてあるベンチに腰かける。少し間をおいて、僕はその隣に座った。

 古里さんは古里さんの奥さんの、僕は瑞希の手作りの弁当を開ける。それこそ、僕が一日の仕事を頑張れるのは、この瑞希の弁当があったからとも言える。


 ・・・こんな当たり前も、いつかはなくなってしまうんだな。

 そう思うと悲しくなって、僕は箸を入れるのに躊躇した。その様子をしっかり見抜いていたのか、古里さんが心配そうに声を掛ける。


「どうした、食べないのか?」


「・・・この弁当も、いつかは食べられなくなるなんて考えると、ちょっとブルーになっちゃって」


「そうか。・・・奥さんの調子はどうなんだ?」


「今のところ、身体的に特に変化は見られません。心臓を患っていて、時々痛むことがあるくらいと本人は」


「それで余命一か月か・・・。・・・納得いかんだろう」


 古里さんは僕の思いをくみ取ってか、自分の事のように辛そうに呟いた。だからこそ、胸に刺さって痛い。僕達の問題で、誰かに痛んでほしくなかった。


「今でも信じられません。あんなに元気そうにしてる瑞希が、本当にあと少しで死ぬなんて・・・」


「願えば奇跡は起こる。・・・なんてのは、言うだけ野暮だな」


 僕が淡い期待を抱かないように、あらかじめ奇跡などという言葉を古里さんは踏みにじった。僕としては、そうしてくれてありがたかった。

 

「まあ、とりあえずなんだ。今は食え。それで午後の業務に支障が出るなら、上司として見過ごせないからな」


「はい」


 そして僕はようやく瑞希が作ってくれた弁当を口にする。美味しすぎて、涙が出そうになるのは初めてだ。

 でも、せっかくこんな丁寧に作ってくれたものを、涙の味でしょっぱくしたくない。僕は必死に涙を飲んで、ひたすら箸を進めた。


 ・・・。


 その時、僕の肩にごつい何かが触れた。見ると、古里さんが僕の肩に手を置いていた。そして、物言わぬ優し気な瞳を僕に向けている。


「なんですか?」


「・・・辛かったら、全部吐き出してくれ。泣いてもいい。怒ってくれてもいい。・・・だから、頼むから抱え込まないでくれ。部下がそうしている姿を見るのは辛いんだ」


「古里さん・・・」


 やめてくれ。その言葉を聞くだけで僕はまた泣きそうになる。

 でも・・・ダメだ。泣いちゃだめだ。約束したんだ。こんなところで破れない。


「瑞希と、約束したんですよ。・・・私はもう泣かないからって。瑞希は覚悟を決めてるのに、僕だけめそめそと泣いてちゃカッコ悪いじゃないですか」


「そうか・・・。強いんだな、春田は」


「いえ。僕なんてまだまだひよっこです」


 本当に強い人間なら、この目前に迫っている死だって簡単に割り切れるはずなんだ。だから僕は、強くなんてない。

 古市さんは僕の肩から手を放し、再び食事に戻った。合わせるように、僕も瑞希のお手製弁当をどんどん平らげていく。


 そして食事が終わる。古市さんはタバコを吸っていくとのことなので、僕だけ先に降りることにした。

 去り際、僕がドアを開こうとするその直前、古市さんはもう一度僕の名前を呼び止めた。


「春田!」


「今度はなんですか?」


「電話した時言い忘れてたからよ。・・・結婚、おめでとう」


「ッ・・・! ・・・ありがとう、ございます・・・!」


 また胸が熱くなる。僕はどれだけ、この人に助けられているだろうか。

 僕たちの幸せを祝福してくれる人がいる。それだけで、この結婚生活は絶対に意味があるものになる。そう思えた。


---



 その後、仕事を定時で終えて約束通り五時ごろに家に着く。

 鍵を解除して、ガチャリとドアを開ける。けれど、中から物音は聞こえない。


「ただいまー・・・」


 声を上げてみても、反応はない。寝てるのだろうか。

 道中、寝室を開けてみる。けど、瑞希は眠っていない。とすると、リビングルームにいるのだろうか。


「瑞希ー? って・・・」


 リビングの扉を開けた僕の顔は瞬く間に青ざめ、体から一斉に血の気が引いていく。僕は所かまわず大きな声を上げた。


「瑞希っ!?」


 瑞希は、ソファにもたれかかるように倒れていた。呼吸こそあるけど、かなり苦しそうに見える。間違いなく、病気だ。

 僕は瑞希の身体を激しくない程度にゆする。今はただ返事が欲しかった。


「瑞希、大丈夫!? ねえ、返事して!」


「あはは・・・。まいったね・・・ちょっと、やばいかも」


 そう言っている瑞希はずっと心臓に手を当てて、苦しそうに眉をひそめている。かいている汗の量も尋常ではなかった。


「すぐ、救急車をっ・・・!!」



 僕は急いで救急車を呼び、また瑞希は病院へと連れていかれた。

 こうして、僕と瑞希の新婚生活四日目は終わりを告げる。


 それは同時に、幸せな時間の終わりの始まりを告げていた・・・。

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