交換条件

 反対勢力は政治の場から一掃され、下り坂をそろそろと降りるように生活は貧しくなっていったが、表面的には穏やかな日々が続いていた。私はというと、ますます精神を摩耗させ、惰性で仕事とも言えないような仕事をする日々を送っていた。

 そして、小さいおじさんは相も変わらず夢に現れ、同じような説教をがなり続けていた。現実同様、そんな夢の中の彼に対しても、私の精神は、徐々に、そしてやがて全く反応しなくなっていた。

 

 いっかな聞く耳を持たない私に対し、ある日突然、夢の中の小さいおじさんは交渉事を持ちかけてきた。

「お前の通っている幼稚園に、郁子という、若い、美人の先生がいるだろう。どうだ、あの子とやってみたくないか」


 いつものようにさるぐつわをかませ、引き出しに放り込もうとしていた私の手が止まった。

 先日、園長先生と便所で交わった、あの幼稚園だ。郁子先生は知っている。歳は20代半ばくらいだろう、山の手のお嬢さん風の清楚な美人で、自分もひそかに思いを寄せていた。

「いい子だぞ。美人だし、性格も素直だし、頭も結構いい。郁子は俺の言うことなら何でも聞く。どうだ、やらせてやるよ」


 これが夢であることは夢の中の私も自覚していた。

 元課長である小さいおじさんが、なぜ私の今の仕事の、それも全く面識のないはずの保育園の先生を知っているのか。でもまあ、夢というものは、寝ている間になされる記憶の整理であるらしいので、そういう記憶のつながり間違いが発生するするのだろうと、」夢の中の私は納得した。

「その代わり、」小さいおじさんは交換条件を出してきた。

「彼女から受け取ったものを、ここまで持ってきてほしいんだ」

「ここまで。とは?」

「なに、秘密のアジトさ、いずれにしても彼女と会えばわかる」

 

 いつものように引き出しに放り込まない私の態度を見て、承諾の意思表示とみたのであろう。彼は「わが意を得たり」とチャップリンのような奇妙なステップのダンスを始めた。

 まあ、良い。きな臭い話ではあるがどうせ夢だ。たとえ夢の中でも彼女を抱ければ御の字だ。夢の中の私はこの話に乗ることにした。

「待ち合せ場所は彼女の保育園の裏手にある公園だ。知っているな。日時は来週の日曜日の午後十時だ。いいな」


「諾」との意思表示に、ステップを踏む小さいおじさんにサムズアップをしたところで、軽い浮遊感とともに目が覚めた。

 半身を起こし、手を伸ばして遮光カーテンを引くと、陽光が部屋に流れ込んでくる。いつになくさわやかな目覚めだ。夢の記憶は儚く消えてしまうもの、私は早速メモ用紙とペンを探し、忘れないうちにと「保育園の裏手の公園、来週日曜日、午後十時」とメモを取った。同時に「これは夢の話じゃないか」と自分の取った行動がひどく馬鹿らしいものに思えた。

 それでも、場所と日時を記憶しておけば、スムーズに夢の続きを見れるかもしれない、そう思い直し、私はメモを折りたたんで、着替えたジーンズの尻のポケットに入れると、いつになくさわやかな気分で朝食の準備に取り掛かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る