第65話

 僕が不思議に思ったのは、出自よく育ちも施されてきた堤のお嬢様が差別と偏見でものを見て、桑谷女史のような田舎気質(産まれは都会だが)の人間が寛容であったという点である。それまで僕は、というより今もであるが、田舎は閉鎖的で不純を許さない、牢獄に等しいものであると認識していた。敷かれた絶対的な基準から逸れれば容赦なく弾かれ人として扱われないような、そんな社会構造。反面、都会はというとあらゆる価値観や存在が許容され受け入れられると勝手に思っていた。当然、そこに住う人間も、自由を受容する柔軟な思想を有していると。

 僕はこのギャップに大層悩んだ。これまでずっと都会に憧れ、都会なら誰もが自身を主張し好きなように生きる事が許されると思っていたのに、そうではないと、ある種の人種は、何者かによって否定されると知ったのだ。そんなもの考えてみれば当たり前の話で、人の数だけ主義主張があり、受け入れるものや反発するものに差があるというのは分かりそうなものだったが、当時の僕はそれが理解できず、抱いた理想が瓦解していくような感覚に陥ってしまって、失望と絶望を味わったのだった。


 それもあってか、僕は目の前に座る桑谷女史に対し必要以上の敬意を払っていた。馬鹿な話であるが、彼女との出会いが運命的な、或いは奇跡的な、大変望ましい邂逅であるように思え、気が付けば、えらく気持ちを込めて「ありがとう」という言葉を送っていた。




「愛君にもそれくらい素直に言えたらいいのにね」




 桑谷女史のやや冷ややかな返答は、一時の感情に身を任せた僕への哀れみと軽蔑の意味があったのかもしれない。それでも、彼女には感謝している。




「じゃあ、私は行きますから。せいぜい悔いがないようにね」




 立ち上がってそんな言葉を残して去っていった女史に、不思議な名残惜しさと感謝を感じていた。思い返すと恥ずかしいのだが、もしかしたら、この時、ほんの少しだけ、僕は女史の事を好きになっていたかもしれない。

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