第64話

 仮病を使って早引けをすると、僕はソファに座って目を閉じた。


 平日の寮室には違和感が同居しており、一人でいると耳鳴りがするほど静かだった。自分の感情を整理しようにも湧いては消える泡沫の意識に頭の中が掻き乱され、上手く自分を取り繕えない。誰もいないのだから思いのままに泣いたり喚いたりすればいいのに恥を忍べず、自然に溢れ出る涙を堰き止めようと試みるも、どれだけ試しても流れるままとなり、とうとう両袖が完全に水没してしまった。こんな姿は誰にも見せられないなと自嘲したところに扉を叩く音が聞こえる。誰だろうかと考えるより早く上着を脱ぎ、飲みかけて放っておいた白湯を頭から被って涙を洗い、大きな咳払いで喉を慣らしてから「今開けます」と返事を述べ、ベッドに捨てた上着で顔を拭いて、僕は扉を開けた。




「あら、日光浴でもしていたのかしら」


 そう言って僕の裸体をジロジロと見てきたのは桑谷女史である。



「汗をかいたから着替えるところだったんだよ」


「そう。なら早く着替えてちょうだい。お邪魔するから」



 桑谷女史は無遠慮に室内に侵入し、僕が先まで座っていたソファに腰をかけた。まったく図々しいと思ったが苦言を呈すにもなんと言っていいか分からず、もやもやとしたままシャツを着て、僕はベッドに座る。



「お見舞いに来たのだけれど、必要なかったかしら。なんだかちっとも病気って感じがしないんだもの」


「そう思うなら出て行っていただけると」


「ご挨拶じゃない。人がせっかく昼休みを潰して来てあげたってのに」



 大きなお世話だと喉まで出掛かるがグッと堪える。別に女史と喧嘩がしたいわけじゃない。



「愛君にはまだ何も伝えてないのでしょう? 早くしないと、いなくなっちゃうわよ」


「今日言うよ。そのために仮病を使って色々考えてるんだ」


「ふぅん。あんた、存外繊細よね」


「君が図太いんだよ」



 桑谷女史は「そうかもね」と笑って足を組みなおし、僕に視線を向けた。流し目に光る輝きは恐らく好奇によるものだったが、偏見や差別などない、素直な心根が映されているように思えた。

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