第9話
嫉妬というと、能登幹の方にしてもそうした煩いを感じたのではないかという瞬間があった。
もっともそれは僕の思い違いかもしれない。なにせ奴は、例の泣き癖が出た時以外はいつも笑っているのだ。だから、あの時も、ひょっとしたら、奴なりの軽い冗談のつもりだったかもしれない。しれないのだが、それにしたって、印象が深く、色濃く刻まれるのは当然であろう。あの、微笑を浮かべながらも憂いと嘆きを帯びたような陰りを直視してしまったら。
「愛君、今度私とお出かけしましょうよ。美味しいもんじゃ屋さんがあるの」
二人で弁当(懐心許ない僕らは寮の共用調理場で弁当を拵えていた)を囲んでいる際にそう話しかけてきたのは桑谷という女生徒である。彼女は下膨れで美人ではなかったが、愛嬌のあるおきゃんな女で嫌な感じはしなかったのだが、男女交遊に誘われた当の能登幹はなんと返答したものかと困ったように僕を見つめるのであった。というよりもっと具体的にいえば、断るという意思自体は決まっているようだったが、桑谷と話したくないため、僕を経由してそれを伝えて欲しいという姑息な思慮が含まれた視線を投げてきたのである。その手は桑名の焼き蛤。意思伝達くらい自分でやれと言葉なく突っぱねる。その間に、僕達の周りにはワラワラと女生徒が集まり、能登幹を取り囲むのであった。
「あ、桑谷さんったらずるい。私も能登幹君と歩きたいんだから」
「一人だけ抜け駆けなんて、なしじゃないかしら」
「ね、能登幹さん。あんなの放っておいて、私達と一緒に遊びましょ」
「ちょっと、それこそずるじゃかい」
途端にやかましく賑やかになる昼食だったが、渦中は能登幹であり僕ではない。近くが騒がしくなっただけで実質的に僕は一人となったわけである。これは面白いと思い、僕は弁当を片付けて席を立ち、急ぎ足で中庭のベンチに着席して課題図書のサリンジャーなどを読んでいると、息絶え絶えの能登幹が酷くやつれた様子でやって来たのだった。
「おいていく事はないじゃないか」
能登幹が珍しく困ったような声色を出す。それが可笑しかったものだから、ついからかってしまいたくなった。
「女に囲まれて随分幸せそうだったから、お邪魔かと思ってね」
普段の仕返しとばかりに僕は意地の悪い事を言ったがそれは軽口のつもりで、特に何も考えず発したのだが、能登幹が「そう」と影を作ると、急に自分が悪漢になったような気がしてしまって、しばらく気まずい思いをした。その後、能登幹は何事もなかったように僕に纏わりついてきたのだが、罪悪感に似たしこりは、長く残った。
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