第8話

 それでもどうやら感情は持ち合わせているようで、僕は能登幹がたまに泣いているところを目撃する。それは部屋だったり中庭の木陰だったり、時には倉庫の中だったりと色々であったが、何故か僕は運悪くその様子を見つけてしまい、気まずい空気に居た堪れなくなるのだった。だが、立ち去ろうとすると「行かないでくれ」と懇願するものだから仕方なしに奴のすすり泣く声を子守唄代わりに仮眠取る。そして、しばらくすると「起きなよ」と、能登幹がいつもの微笑を浮かべて僕の身体を揺するのが常であった。誰のせいで見たくもない夢を見ているのだと怒ったり呆れたりしたが、「いいじゃないか」と悪びれもせず言うのだから辟易である。能登幹にとっては涙を流す事も日常であり、また、隠すような事ではなかったのだろうが、男が人前でベソをかくなどみっともないと思ったし、正直軽蔑さえしていた。何もかもが僕と違い、価値観の違いは時に困惑を生み出し腹を立てる事もままあった。

 それでも喧嘩らしい喧嘩もせず同室で過ごせたのは奴の声や表情のせいのような気がする。柔らかいというか、せせらぎのようというか、よく分からないが心地の良い性質により、すっかりと毒気が抜かれてしまうのである。奴には愛嬌というより魔性に近い、抗えない魅力があった事は確かで、気色悪いと感じながらも、その艶やかな空気に触れると絆されるような心持ちとなるのだった。それは僕以外にも同様の効果を発揮するようで、級友となった人間は決まって能登幹の奇天烈な言動を許してしまうのである。



「愛君は仕方ないなぁ」



 僕はその様子を見ると、心が少し騒いだ。何か心臓が欠けたような、虫に喰われたような、そんな感覚が胸を走るのだ。これまでに経験のないその苦しみの正体が嫉妬だと知った時、僕は乾いた笑いが出た。男相手に馬鹿じゃないかと、だいたいどちらに煩っているのか。チヤホヤとされる能登幹か、それとも能登幹と楽しそうに笑う級友達なのか。どちらにしろ、普通じゃないなと思った。

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