第14話 暴走へのカウントダウン

 ホワイトストーン病院のロビーに入ったとき、すでにいつもと違う雰囲気だった。

 普段なら音量を下げられているテレビが、大きな音で臨時ニュースを伝えていた。それに誰も文句を言わず、テレビの周りには人垣ができつつある。


『ご覧下さい! 管理者が次々とロイドに倒されていきます。すでに内部はロイドに制圧された模様です。暴走しているのは原子力発電所勤務のロイド30体! これまでの暴走とは違い、整然とした動きにも見えます。ああ、また一人、倒されました!』


「……狂言なのよね?」


「限りなく本物に近い、ね」


 受付でルージュが名乗ると小百合が飛んできた。


「またあなたですの? いい加減になさいませ。何度来たところで永瀬様は渡しませんわ」


「ニュース見たでしょ? あれを鎮圧できるのはクウヤだけなのよ! お願い。クウヤの力が必要なの! クウヤを呼んで!」


「ワタクシからもお願いします。このままでは、罪のないロイドたちまでもが逆境に立たされてしまいます。そんなこと、協会として見逃すわけにはいきませんのでね」


「緑川」


 小百合が『様』をつけずに人の名前を呼ぶのをルージュは初めて聞いた。


「協会が絡んでいるのでは、この事件も鵜呑みにはできませんわね」


「そんな、誤解ですよ。ワタクシはルージュさんに、ここで起きた暴走事件のお話を伺っていただけです。たまたま事件が起こったので一緒にここに来た。それだけですよ」


「たまたまですって? 協会に都合のいい『たまたま』が、最近、多くありませんこと?」


(接点がなさそうだけど、この二人って仲が悪かったのかしら?)


「なにを騒いでいるんだね」


「お父様!」


「静かにしなさい。ここは病院だ。ただでさえ事件が起きてピリピリしているのだから」


「ごめんなさい」


 小百合はしゅんとなった。その様子に頷くと、院長は小百合の肩に優しく手を置いて静かに言った。


「永瀬君のことだが、このままというわけにもいくまい。彼は今にも飛び出さんばかりの勢いだよ? そんな彼を、おまえの我儘で籠に入れておくのかい?」


「わがままでは、ありませんわ」


「そうだね。永瀬君を心配してのことだろう。けれど、それだけで縛り付けるのが正しいことか、よく考えなさい。白石のモットーはなにか、覚えているね?」


「もちろんですわ」


「ニュースは見たね?」


「はい」


「では、どうするのが一番良いと思う?」


「……永瀬様を呼んでまいります」


 つかの間、ルージュの中で、事件のことも空也のことも消えていた。


 幼い小百合は自分のできることを精一杯やろうとしている。それをわかっているから院長も小百合を一人前に扱っている。たった短いやりとりでも、お互いを信頼しているのがわかる。


(いいなぁ)


 ルージュはそんな二人が羨ましかった。

 院長がルージュに目を止めた。


「君は……。君のことは覚えているよ」


 ルージュも覚えている。あの事故のときに担当してくれた医師だ。


「あの時はお世話になりました。おかげさまで無事に回復しました」


「それは良かった。そうだ、あの時の答えは出たのかな?」


 院長の言葉はルージュには覚えのないものだった。


(以前の私がなにか約束でもしていたのかしら?)


 詳しく聞きたかったが、緑川が耐えかねたように口を挟んできた。


「そろそろワタクシの存在を認めていただいてもよろしいんじゃないんですかねぇ」


 院長は眉をしかめた。


(どうやら白石と協会の仲が悪いみたいね)


「そんな露骨に嫌そうにされるとは心外ですね。病院も大繁盛。景気が良さそうで何よりじゃないですか」


「病院の景気がいいのは、良いような悪いような複雑なところだがね。まぁ良くやっているよ」


「偽物の人間を作るのに大忙し、ですか?」


「ここでその話をするつもりはない。用件を済ませて、さっさと出て行きたまえ」


「相変わらず短気ですねぇ。ワタクシもね、あれから随分と勉強したんですよ。『クローン』と呼ばれるものについてね。あれは結局」


「緑川。二度は言わない」


「お待たせいたしましたわ!」


 間に割って入るように小百合が戻ってきた。少し遅れて懐かしい姿があった。


「クウヤ! 良かった。無事に目覚めたのね」


 少しも変わらない姿にルージュはほっとした。が、空也は強張った顔で言った。


「あなたがラピス・ラビアル家の方ですか。その節は、どうもお世話になったそうで」


(そうだ。クウヤとは、また初対面からなんだわ)


「永瀬様。もう一度聞きますけど、本当によろしくて? ここを出たら、確実に一番初めに永瀬様をお起こしできるという保証はできませんのよ?」


「いいんだ。ここに僕のクローンがあるなら、もしも別の僕が先に目覚めても、いつか小百合ちゃんが本当の僕を目覚めさせてくれるんだろ? 今はアクアを助けることが先だよ」


「わかりましたわ。必ずお起こしいたします」


 小百合はすれ違いざま早口にルージュに囁いた。


「一連の事件についてはすべて永瀬様にお話ししています。くれぐれも永瀬様をよろしくお願いしますわよ」


(この子、本当は一緒に来たいのよね。それが無理だから私にお願いまでして)


 真剣な表情の小百合にルージュも囁いた。


「安心して。もうあんなヘマはしないわ。クウヤは絶対守る」


「当然ですわ」


 皮肉気な声も、もうルージュは気にならなかった。


「初めまして、クウヤ。私のことはルージュって呼んで。いきなりで悪いんだけど、ロイドの暴走を止めるために、私たちと一緒に来て欲しいの」


「アクアを止められるのならどこへでも行きます! ぜひ連れて行ってください!」


 小百合と院長に一礼すると、ルージュたちは空也を連れて病院を出た。

 全員が車に乗り込む。運転席に緑川、二列目にルージュと空也、三列目に護衛アクアが乗った。


 走り出して少しも行かないうちに、空也がつぶやいた。


「気のせいかな? 行き先が違うような気がするんだけど」


 車は海沿いにある原子力発電所ではなく、山のほうへと向かっている。


「そういえば、どこに向かってるの? 私はてっきり、AQA本社に行くんだと思ってたけど」


 AQA本社も通り過ぎてしまった。


「おやおや。ルージュさんが先程ご自分で言ったんじゃありませんか。ロイドを止める所へ行くんですよ」


「それなら反対方向だし、暴走は狂言だって言ったじゃない。クウヤから話を聞くんじゃないの?」


「暴走がウソ? どういうことだ?」


(しまった。うっかり言っちゃったわ)


「永瀬さん。ワタクシがあなたにうかがいたいのは、ロイドの暴走を止める方法なんですよ」


「それなら原発に行ってくれないと。暴走が事実なら、だけどね。そうだよ。考えてみれば、暴走したアクアがあんな風に計画的に動けるはずがない。僕を白石から出す策略だったんだな。そのためにどれだけの犠牲が出ると思うんだ! 現場だけじゃない。暴走が一度起きれば、アクアだけじゃなく、ロイド全体のイメージが悪くなるのに」


「もちろん存じております。ですが、それ以上の犠牲をくいとめるために、必要なことだと判断したのです。まだ間に合ううちにもっと大きな暴走を止めないと」


(もっと大きな暴走? 他でも暴走事件が起きているの?)


 緑川が話している間にも車は自動運転を続けていた。

 住宅街を通り抜けて、どんどん山のほうへと近づいていく。


「まさか、ホームに行くつもりなのか?」


 空也の顔色が変わった。


(ホーム? そういえば、あの時)


『君には代わりがいないだろう? もう一人の僕に会ったら、ホームにある箱を開けろって、伝え、て……』


 死の境目で確かに空也はそう言った。

 ルージュは隣にいる空也にだけ聞こえるように聞いた。


「ねぇクウヤ。ホームにある箱を開けたらどうなるの?」


 クウヤは息を飲んだ。


「君、誰からそのことを? それは先輩にも誰にも言ってない。僕だけの秘密なのに」


「昨日クウヤが私に言ったのよ」


「……君は、僕にとって、いったいどういう人だったの? 小百合ちゃんは、恋人じゃなかったって言ってたけど、僕がそのことを誰にでも話すとは思えない」


(それは私が知りたいわよ。どうして私を信用したの? なんで私を部屋に入れたの? どうして、どうして何度も私を忘れてしまうのよ!)


 しかし努めて冷静にルージュは言った。


「クウヤの近くにいたのが、たまたま私だったからじゃない?」


「でもそれも、凶弾から君をかばってのことなんだろう?」


(あの子ったら、そんなことまで話したのね)


「そうね。クウヤはこうも言った。『君には代わりがいないだろう?』って」


「昨日の僕はマヌケだな。この僕にすらクローンが用意されていたんだ。ラピス・ラビアル家の人間に代わりがないわけないじゃないか」


(ラピス・ラビアル家ってだけでここまで態度が違うと、さすがに傷つくわね。まぁ今のクウヤには、自分がクローンだと知ってのショックもあるんだろうけど。それにしても、もうちょっと言葉を選んで欲しいもんだわ)


 クローンだということは、自分が『偽者』だと言われるようなものだ。


 完全クローン体とはいえオリジナルのコピーだ。本物に限りなく近いが本物じゃない。クローンになった時点で多少なりとも『記憶を失う』からだ。


 誰にも失った自分の気持ちはわからない。

 当時の状況を聞いても、その時の自分がどう考えていたのか、どうしてそういう行動に出たのか。たとえ同じ考えに到達しても確証が得られない。考え出したら、今の自分のすべてが不安になる。なにが『本当の自分』なのかわからなくなる。それが余計に、自分は偽物なのだと思い知らされることになる。


 そのことをルージュは身を持って知っていた。


「クウヤはね、私がラピス・ラビアル家の者だって知らなかったのよ。どうしてかっていうと、私が家出しているから、本名を言わなかったからなの。確かに私にもクローンはあるわ。でも、記憶のバックアップデータはないの。だから正直言うと、今の私が消えてしまわなくて、本当にほっとしたわ。遅くなったけど、昨日は助けてくれてありがとう。そして、ごめんなさい。今日は私のことは気にしないで。今度は私がクウヤを守るから」


 空也は目を瞠る。


「僕は君を知らないのに?」


「私がクウヤを知ってるわ」


「お取り込み中に申し訳ありませんが、間もなく到着ですよ。先立って、『箱』にはなにが入っているのか教えていただけませんか?」


「どうしてあんたも『箱』のことを知っているんだ?」


「昨日のお二人の会話は調査済みなんですよ。さて、質問の答えは?」


「調査済みなら知ってるんだろう?」


「察するに、アクアを消すプログラムのようなものだと推測していますが。見てのお楽しみ、ですか。ただ、早くしないと、暴走が現実になるかもしれませんがね」


「どういうことよ?」


「言葉通りですよ。ワタクシが時間までに合図を送らなければ、暴走させるように申し渡してきましたのでね」


「なっ。そんな話じゃなかったでしょ?」


「何度も言いますが、ワタクシはロイドの暴走を止めたいんですよ。『アクアという名の暴走』をね」


 空也は険しい表情のまま黙り込んだ。

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