第15話 人間とアクアとクローン体

 車が止まったのは、小さな教会の前だった。

 町外れに位置する古い教会は、穏やかな空気の中で、時を止めたように存在していた。


「ここが『ホーム』なの?」


「『永瀬』という名字は、この教会出身の方につけられるそうですね。懐かしいですか?」


「あなたがいなければ、もっとね」


 それでも、空也の目は優しく細められていた。

 かすかに残る昼食の匂い。子供たちの声が時折、聞こえてくる。


(クウヤはここで育ったのね)


 ルージュは幼い空也を想像しようと思ったが、うまくできなかった。


「さて、永瀬さん。『箱』へと案内してもらえますよね?」


「………」


 空也は黙って門をくぐった。ルージュと緑川、アクアもその後に続く。


「あらあら、またお客様? 今日は珍しい日ね」


 花の手入れをしていたシスターは、空也と簡単な抱擁の後、微笑んだ。


「マザーにお知らせしてきます。きっと喜ばれるわ」


「いえ、僕から行きます。お気遣いなく」


「そう? 皆様も、どうぞゆっくりしていらしてね」


 飾り気も化粧気もないのに、その笑顔は輝いていた。


(私はまだ、あんな風に笑えてないわ)


 空也は迷いのない足取りで、教会の横を通り抜けた。教会の敷地は広く、運動場や花壇、畑のある中庭を囲んで、コの字に宿舎が建てられていた。


「中は意外と広いのね」


「小さい頃は、ここが世界のすべてだと思っていたよ」


 教会と繋がった形で、教会の裏に小さな家が建っていた。空也はそっとノックする。


「お入りなさい」


 返ってきたのは、しわがれた声だった。

 空也が扉を開けると、


「おやおや、珍しいこともあるものね。今日はお客様がたくさん来る日。きっと素晴らしい日になるでしょう」


 小さな老シスターは安楽椅子に腰掛けたまま、うたうように言った。


「マザー。元気そうで良かった」


「おかしなことを言うのね。さっきも会ったじゃないの」


「え? 僕に?」


「ええ、そうよ。あなたはさっきも来て、私から鍵を借りていったじゃない」


 空也は首を横に振った。


「まずいことになりましたね。どうやら、永瀬さんのクローンが、先に来てしまったようです」


「クローン体は同時に目覚めないんでしょう? 兄弟か誰かじゃないの?」


「とにかく、そこへ行ってみましょう。永瀬さん」


「クウヤ! どこの鍵を借りるつもりだったの?」


「僕がここにいた時、使ってた部屋の鍵を」


「その部屋に連れて行って! 急いで!」


「う、うん」


 まだ事情を飲み込めていない空也を急き立てて、三人とアクアは部屋へと走った。

 宿舎の東側三階に位置する部屋の前で、空也は立ち止まった。


「鍵が開いてる」


「先程、鍵を借りたという『誰か』がいるようですね」


「確かめなくちゃ」


 ルージュは勢いよく扉を開けた。

 そこには空也とそっくりな青年がいた。


「……クウヤ?」


「待ちかねたよ、永瀬空也」


 部屋には空也と見紛う青年の他に、リウと大柄な戦闘用ロイドのラウもいた。


「どうしてクウヤが二人もいるの? クウヤは双子だったの?」


「こちらのお嬢さんはクローンをご存知ないのかね?」


「知ってるわよ。でも、クローンは一度に一体しか目覚めないんでしょ?」


 劉と緑川の二人が同時に吹き出した。


「な、なによ?」


「ルージュさん。それは、よくできた嘘の話なんですよ」


「『クローンは一度に一体しか目覚めない。なぜなら、それは唯一無二の魂が存在するから』。本当によくできた話だ」


「嘘なの?」


「いや、半分は本当だ。魂は存在し、それが入ることでクローンは目覚める」


「ただし、唯一無二のはずの魂は、硬いダイヤモンドのようなモノではないんです。あぁダイヤだって砕けますね。そう、私たちの身体を想像してください。私たちの身体は、たくさんの細胞からできていますよね。魂も同じです。一つの魂は、たくさんの小さなエネルギーが集まって形成されているんですよ。きっと穏やかな死なら、魂はそっと抜け出るのでしょう。傷一つ付かずにね。ですが、事故などで激しい衝撃が与えられると、魂は瞬間的に四肢に四散してしまいます。その後、お互いを引き寄せられたらひとつに戻れますが、いくつかは身体のあちこちに残ったまま、元のひとつに戻れなくなるのですよ」


「緑川、それも正確には違う。魂は唯一。それは間違いない。事故などなく、穏やかに過ごしていても、私たちの手足、細胞のひとつひとつにその魂の軌跡きせきのようなものが刻まれているのだ」


(それって何かに似てる?)


「白石が開発したクローニングの技術。あれは、従来のクローニングとはまったく違う。従来のクローニングは、二十歳の人間を作るのに二十年の歳月が必要だった。だが、白石は、特別な有機回路の開発に成功した。情報を入力すれば、それに足りない部分を補う回路だ。それを使うと、魂の軌跡を元に、材料と設備さえ揃えば、一日かからずクローンを作ることができる。つまり、ほんの少しでも身体の一部があれば、それを元に、いくらでもクローンを作れるのだよ」


「でも、いくら作っても、クローンに魂が戻らなければ目覚めないって」


「そこが白石のうまいところだ」


「『目覚めない』としたほうが、誰もが納得いくでしょう? 『魂は唯一無二で、一度に一人しか目覚めない。だからクローンでも本物と変わらない』と言う風にね。それで白石は魂理論を部分的に流通させて、クローンを認可させたんです。もちろん、『実際には同時に何人も目覚める』ということが簡単に明るみに出ないよう、完全クローニングは白石でしかできませんけどね」


「じゃあ、そこにいるのは」


「昨日、切り取った腕から作った『永瀬空也』だ。私にとっては、完璧を目指さないクローニングなど造作もない。これには記憶のバックアップをとっていないので、本当にただの人形だがね。そのほうが私には都合がいい」


 ルージュは、部屋にいた空也をもう一度見た。同じ顔、同じ体格、こちら側の空也と寸分変わらない。が、先程からまったく動かない様子は、うつろな青い目もあって、まるでロイドのようだ。


「クウヤ?」


 そっと呼んでみると、機械のような動作で部屋にいた空也はルージュを見つめた。


「……るーじゅ」


「!」


「おやおや。腕はお嬢さんを覚えていたようだね」


(そうだ、記憶よ! さっきの話を聞いてて、なにかひっかかると思ったのは、記憶のことだったんだわ。魂の軌跡は、記憶の欠片でもあるのね。それを元に人間一体を再生させる回路だなんて、白石はなんてものを開発したのよ!)


「クローンの原理って、何かに似ていると思いませんか?」


 緑川がルージュに問うた。


「特別な有機回路を元にクローンは作られる。ロイドも、その核となる部分は有機回路です。ボディこそ機械ですが、脳に当たる部分、反応回路は有機回路で出来ている。だからこそ劉さんにもクローニングできたのでしょう」


 劉はなにも言わなかったが、否定しなかったので肯定なのだろう。


「ならば、ロイドとクローンの違いはなんなのでしょう? ヒトとしての記憶ですか? それなら、記憶がなかったら? ボディの違いこそあれ、両者に違いはあると思われますか? ワタクシはこのことを知って、白石にお話を伺いに行きました。その席で、魂理論のすべてを公表するべきだと言いました。隠しておくのは公平ではないでしょう。完全クローン体になることは、言わば、柔らかいロイドになること。それを隠してクローニングするのは、おかしいと思いませんか? 一部の人たちには、クローンとロイドの原理が同じだという情報が伝わっていて、人間とクローンの間には絶対的な差別化がなされています。それが正しいのです。クローンと人間を同一視することは、人間とロイドを同じだと言うことです。最近は、さらに人間と見紛うロイド、アクアが出てきた。アクアがいると、人間とクローン、ロイドの定義が今以上に曖昧になってしまいます。このままでは、世界は混乱してしまうでしょう」


「緑川と意見は違うが、私の疑問も、まさにそこにある」


 緑川の後に劉が言葉を続けた。


「クローンには人間としての権利が与えられるのに対し、今のロイドが置かれている状況はどうだ? 彼らには彼ら自身の『意志』がないというだけで、市民権もなく、ただの労働力として扱われる。なら、『意思』のあるアクアはクローンと同じではないのかね? アクアは定義から解放されるべきだ。アクアにだって、クローンと同じくらいの権利があっていいはずだ。アクアを定義で縛ることは、クローンに『人間ではない以上、自由に行動する権利はない』と言うことと同じなのだから」


(クローンとアクアが同じ? なら、私はアクアと同じなの?)


 ルージュは今まで、特にアクアを嫌ったことなどない。けれど、自分と同じ存在だとはどうしても思えなかった。


(だって、アクアは機械よ。私とは違う。私は機械じゃないわ。でも、もしアクアが人間のボディを持っていたら? ……原理から言うなら、意思を持つアクアとクローンに差はないのかもしれないけれど。あぁ。ダメだ。やっぱり同じだとは思えない)


「ところで劉さん。こちらに先に着いておきながら、まだ目的を果たしていないようですね。あなたらしくもない」


「ふん。肝心の『箱』の位置がわからなくては、話にならん。このうつわには」


 と、劉は動きのない空也を指した。


「中身がない。万が一を期待していたのだが、結果は見ての通りだ。仕方なく、本物のご登場を待っていたのだよ」


「察するに、劉さんは『箱』を開けるつもりはないのですね?」


「そうだ。アクアは今のままでいい。永瀬空也に呪文を消させれば解放できる。解放したアクアを、新たな種族として政府に認めさせるつもりだ」


「賢明な劉さんならご承知でしょうが、ワタクシは『開ける』つもりです。ロイドに感情など必要ありません。進化した機械が、今更、愚かな人間に退化するなど、おかしなことだと思われませんか?」


「『意思』を持つことは『退化』ではないだろう」


「すべての差別は『意思』からですよ。『自分』と『他人』の区別、それがすべての元凶です。『自分』があるから、その他と比較する。イザコザや貧富の差、宗教の違いからの戦争は、すべて『個』という『意思』があるからです。もし『意思』、『意思』による『感情』がなければ、どうですか? 隣の家が自分の家より大きかろうが、同期が先に出世しようが、なんの問題もありません。誰も不満を持たず、他人を出し抜こうとしない。機械は必要以上のことはしない。華美や過食は求めない。地球にも優しいでしょう。大きな進化の過程で、人間の天下は終わったのです。ワタクシには、人口が減ったことも偶然とは思えません。今や人間は、ロイドの四分の一しかいない。ついにピラミッドの頂点が移り変わる時がやってきたのです。愚かな駆け引きが横行する人間の世界から、調和に満ちた平和な機械の世界にね。手前どもは、そんな未来の担い手だと思っています。アクアのように、人間に似た存在を増やす行為は、退化としか思えませんよ」


(緑川協会がそんな思想だったなんて。意思のないロイドを守っているだけだと思ってたわ)


「はたして、喜びも悲しみもない世界が、平和で幸せな世界だろうか? 地表に広がる一寸の狂いもない都市。整然と並ぶロイド。なんとも寒々しい光景だと思うがね」


 劉と緑川の口論は続いていたが、ルージュはまったく違った気持ちでいっぱいだった。


(協会の思想も、遠い未来の話も、どうでもいいわ。クローンの正体なんて知りたくもなかった。私はただ、クウヤを連れ戻したかっただけ)


「アクアの危険な共有データを消せば解決するんだって思ってたのに」


「それはできないんだ」


 空也が苦しそうに言った。


「君は、共有データが衛星とかネット上にあると思ってるのかな? そうじゃないんだ。アクアそれぞれが、すべてのデータを持っている。データごとアクアなんだ。共有データを消すことは、アクアそのものを消すことになるんだよ」


「アクアがすべてのデータを? それはおかしいわよ。だって、アクアは何億体っている。全部のデータっていったら、すごい量よ。あんなに小さなアクアに、そこまでの容量があるとは思えない」


「アリスシステムなんだ」


「はあ?」


「『不思議の国のアリス』って知ってる? 『鏡の国のアリス』もあるんだけど、そこで、ケーキをわけるシーンがでてくる。丸いケーキを人数分に等分で分けなくちゃいけない。普通はまず切るよね? でも、物語の中では、まず全員にお皿に乗ったケーキをまわすんだ。すると、ケーキが勝手に等分に切れる。それで『アリスシステム』って名付けたんだけど」


(クウヤったら、なにが言いたいの?)


 理解できずに黙っていると、緑川が合いの手を入れた。


「つまり、どういう働きをするんですか?」


「どれだけの大容量でも、許容範囲内に入るよう、自動的に圧縮するシステムです。行き先の容量を計測して、それに合わせて自分を圧縮するんです。どれだけ小さく圧縮されてもプログラムが稼動できるのが特徴です」


 いつの間にか、空也の話に緑川も劉も聞き入っていた。


「アクアは、それぞれが活動しているけど、元がひとつだから、全部で一体とも言える。すべてのアクアは、生体共振振動という特別な通信で、絶えずデータのやりとりをしている。生体共振振動には、そばにいる生物を使用するんだけど、必要なのは、H2O。水さえあれば可能なんだ。水を特別な波長で振動させて、そこにデータを潜ませる。そばに水があれば、その水も共振してそこにもデータが送られる。そんな風に、どこまでもデータは送られていく。データはアリスシステムを使っているから、一滴の、一つの水分子にだって潜ませることができる。もちろんデータのやりとりに時間がかかるから、世界中同時にすべてのデータを共有することは不可能だけど、ほとんどの場所に水があるから、多少のタイムラグはあっても、地表上のほぼすべてのアクアに全データが行き渡ることになる」


 三人はあまりの内容に口を開けないでいた。


「この振動は、一定期間水分子に忍ばせることもできるんだ。その判断はアクアに任せているけれど、それによって、厚い壁を隔てた地下や、共振可能範囲を越えた場所にいるアクアにも、時間がかかるけどデータを届けることができる。どんな場所で働いているにしても、なにがしかの出入りはあるだろうからね。こうやって、流動的だけど、すべてのアクアが同じレベルを保ってるんだ。アクアはロイドのカタチとしてだけじゃない。アクアは世界中のあらゆる所に存在している。今も、僕たちの中にいるし、大気中の水分の中にだっている。データと一緒にね」


(ちょっと待って。すでに私の中、ううん、すべての人や空気中にまでデータを持ったアクアがいるの?)


「君は……なんてものを作ったんだね」


「なるほど。まさに『アクア』ですか」


 劉と緑川は呆然とした。


「だから、危険な共有データだけを選んで消すことはできない。箱に入っているのは、万が一に備えて用意していた、アクアとしての一連の働きを解除するプログラムだ。アクアを解除しないとデータは消えないからね。だけど、僕はアクアを殺したくない。アクアは僕の家族なんだ」


「ですが、そろそろ時間のようです。永瀬さん。どうなさいますか? 原発での暴走を傍観なさいますか? ここだって、現場からそう離れていない。止めたほうが賢明だと思いますがね」


「脅迫とは、美しくないな」


「劉さんに言われたくはありません。さぁ、早くしないと、永瀬さんの大事な『家族』が、暴走してしまいますよ? ここを巻き添えにしてね」


「……まだ、暴走してないんだよね?」


 空也は不敵に笑った。

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