第13話 緑川協会からの提案

 翌日早朝。

 山の中腹にある赤い柵状の門の前で、ルージュはかれこれ三十分は立っていた。


 昨日は散々だった。


 あの姿のままではさすがに帰れず、不本意ながらもホワイトストーン病院でシャワーと服を借りた。結果を報告するべくAQAへ戻ると、上原はすでに事態を承知していた。


「今回はしゃあないわ。あちらさんの方が先手を打ってきたんや。負けも認めんとな。しっかし永瀬本人が白石に留まることを承知したんやったら、いくらワシでも、手も足もでぇへんで」


 お手上げや、と実際、両手をあげる上原を見て、ルージュはまた不思議に思った。


(クウヤが死んだのに、どうしてそれについてなにも言わないの? クローンでもオリジナルと変わらないから? あの子や社長にとって、消えた数日間の記憶なんて取るに足らないものなの?)


 ルージュは、自分が記憶にこだわり過ぎていることを自覚してはいた。ルージュにとって『記憶』は自分の全てだ。少しも無くしたくないし忘れられたくない。


(記憶を失っていない私だったら、あの子や社長のように気にならない問題だったのかしら? ううん。それより今は、どうやってクウヤにもう一度会えるか考えなくっちゃ。クウヤは自分で望んで白石にいる。無理やり引っ張り出せるような、強い力が必要なのよ。AQA以外で白石に並ぶとも劣らない力って言ったら)


 いくら考えてもひとつしか思い浮かばない。

 ラピス・ラビアル家。


 ラピス・ラビアル家の人間は、どこにも属さない特別な存在『使者』として、世界中で幅広く活躍している。使者を名乗る者は数名いるが、絶対権力者は当主だ。当主の許可がない限り、たとえラピス・ラビアル家の者といえども、使者としての行動は許されない。


 泥沼になった戦争を停戦させた、とある大国の依頼を断ったなど、使者にまつわる逸話は尽きない。


(家出娘がいきなり戻って『力を貸して欲しい』なんて、勝手すぎるわよね)


 目の前の赤い門は隙間だらけだ。両脇に塀もなく、連なる木々の中、どこまでも続く道が難なく見えている。その道の先に、当主のいるラピス・ラビアル本邸がある。


 わざわざ門をくぐらなくても道を進むことはできる。

 赤い門は『ここからはラピス・ラビアル家の敷地になりますよ』という警告になっている。正確には、この山と付近一帯すべてがラピス・ラビアル家の所有物だ。


 今の時代、自然を自然の形のまま保つのには莫大な維持費がかかる。現在残されている自然のほとんどを、ラピス・ラビアル家が管理している。もちろん大半が一般に解放され、このような目印がない所は誰でも利用することができる。


 目印の先に進むのならラピス・ラビアル家に用があると判断され、個人認証をされることになる。その結果によっては進むことが出来ない。


(きちんと理由を話したら力を貸してくれるかしら? まず、私の話を聞いてくれるとは限らないのよね。それ以前に、屋敷にたどり着けるかどうかよ。それとも『よく帰ったね、心配してたんだよ。お帰り』って、迎えてくれたり……しないわよね。ずっとここにいるのになんの反応もないもの。ここだって、監視カメラで見えてるはずなのに。こんなことじゃあ、門を越えることすらできないかも)


 ルージュは怖かった。


 ラピス・ラビアル家を自分から出たのは、直接、決定的な拒絶をされたくなかったからだ。なにもかもが信じられなくなったあの頃、『おまえはいらない存在だ』とはっきり言われてしまえば、記憶のないルージュは迷わず自分の存在を消しただろう。


 今は『ルージュ』として積み重ねた『自分』がある。


(でも、もし、この三年間の『ルージュ』としての自分を、面と向かって否定されたら? 私は耐えられるかしら)


 道は見えている。だけどルージュは一歩を踏み出せないでいた。


(『保護』っていう白石の考えは気に入らない。けど、クウヤを守ろうとしているのは事実よね。このまま私がなにもしなくても、それなりに丸くおさまるんじゃないの?)


 そんなルージュを咎めるように、携帯電話の着信音が響いた。


『お嬢さん! 今アクアに聞いてんけどな』


 挨拶もなしに話し出したのは上原だった。


『ほら、永瀬に「解放」されたあのメイドアクアや。あれがな、妙なこと言いよるんや。アクアは「家族」やから共有データファイルを持っとるねんて。アクア全員の知識を、どのアクアからでも必要に応じて引き出せるらしいわ。内容はピンキリで、そらもう、いろんなデータが入っとるんやけど、全員ていうたら、かなりヤバイもんも入っとるはずや。ほら、ポチッと押したら地形が変わるようなやつとかあるやろ。あそこの開発室にもアクアがようさんおるねん。今はロイドの呪文があるからええけど、解放されたアクアがうっかりそんなデータ呼び出したらシャレにもならん! 頼むわ! 早ぅ永瀬を連れ戻してんか! あいつのことやから、絶対なんか対策考えとるはずやねん! あ、ハイ。総会ですね。今から向かいます。……ほんま頼むで!』


 一方的に電話は切れた。


(兵器開発部にまでアクアがいるの? それはそうよね。ロイドはどこの所属の人間よりも信用できるんだから。でも、そんな危険な共有データがあることを、クウヤが知らないはずがない。……そっか。だからあの時、クウヤはモノレールから飛び降りたのかもしれない。クウヤはいつだって覚悟していたのよ。あの時はあれが最善の選択だったんだわ)


 なんの迷いもなかった空也。最後までルージュとアクアの心配をしていた空也。


「今、私ができることは?」


 大きく深呼吸して、顔を上げる。

 あえて門をくぐろうとした、その時、


「ルージュさんですね?」


 いつの間にか、ルージュの横にスーツを着たサラリーマン風の小柄な男が立っていた。


「初めてお目にかかります。ワタクシ、緑川協会の会長を務めております、緑川と申します。このたび緊急のことと聞き、及ばずながら手前どもも微力を尽くしたく、ここに参上いたしました」


「はあ」


 タイミングが悪かったからか、ルージュはこの男がなにを言っているのかわからなかった。


「聞くところによりますと、アンドロイド絡みの件でお困りだとか。アンドロイドに関するトラブルなら、我が緑川協会にお任せ下さい。全力で事態の収拾にあたりますので、取り急ぎ、用件のみおっしゃってください」


(緑川協会ってロイドの支援団体よね。ロイドの過重労働を摘発したり、定期メンテナンスを普及させたりしてる)


「協会の会長さんがどうしてこんな所にいるんですか?」


「取り急ぎ、と申したのですが。まぁいいでしょう。先日ホワイトストーン病院で起こったロイドの暴走事件。あの件について、手前どもも独自に調査を進めています。第三の暴走事件のようなことがあっては困りますからね」


 第一の暴走事件では、リウが息子を殺害され、技師制度が導入された。


 第二の暴走事件では、被害者こそ出なかったものの、家庭用に一番多く出回っていたタイプが制御不能になったため、技師制度が強化された。


 そして第三の暴走事件では、多くの負傷者が出たものの、非合法に行われていたロイドの賭け闘技が明るみになった。このことで、中古ロイドの流通や、廃棄ロイドのずさんな管理などの見直しが大規模に行われたのだ。


 ロイドとロイドを戦わせる賭け闘技は、どちらかが壊れるまで続けられる凄惨なもので、事件当初、鎮圧に向かった技師たちは、あの状況なら暴走してもおかしくないだろうと話していたほどだ。


「長年お世話になった機械の行く末があんなことでは困ります。今回はああいった状況ではないようですが、万が一にそなえ、詳しい話を聞きたいのです。報告書を書かれたスイレンさんにもお話を伺ったのですが、事件に関わった人物として、永瀬さんとルージュさん、お二方も浮上したのです。お会いしようにも、どちらもご自宅にはおられず、ようやく今、あなたを探し当てたところです。調査の途中、あなたが困っていると知り、ぜひともお力添えをしたいと思いました次第でございます」


(とにかく、なんとかしてあげましょうってことよね)


「私は緑川協会について詳しくないんです。確かに私は困っています。でも、協会がどうにかできる内容だとは思えません」


「まず、お困りの内容を聞いてもよろしいでしょうか?」


(アクアが定義から解放できるってことは絶対に話さないほうがいいわよね。協会も探してるっていうクウヤのことだけならいいかしら)


 ルージュは、かいつまんで説明した。


「なるほど、なるほど。よくわかりました。つまり、永瀬さんを慕うお嬢さんがいて、勢い余って永瀬さんを白石に囲ってしまわれたということですね。永瀬さんご本人も満更ではないので、こちらとしても手が出せない、と」


(ちょっと違うけど、これくらいの脚色なら許されるわよね)


「それなら話は簡単です。永瀬さんに、白石から出たいと思わせればいい。そんな状況を作るんですよ。例えば、近くで大規模な暴走事件が起きたら……どうです?」


 確かに空也は出てくるだろう。


「タイミングよく暴走事件なんて起きないでしょう?」


「事件は実際に起きなくてもかまいません。要は、永瀬さんが信じればいいんです。上原社長にはすでに話を通してあります。アクアの多少のイメージダウンはかまわないと許可をいただきました。今から舞台を手配しますので、ワタクシたちは病院の方へ向かいましょう」


 山を降りることができてほっとした自分を、ルージュは気づかないふりをした。


 山の駐車場に緑川が用意していた車には、上原から託されたというアクアが二体乗っていた。今日は一般的な服装で、上原以外が発した開発者命令は受け付けないよう改良されているらしい。


 ルージュには技師用の黒い強化服と似たプロテクタが渡された。服の下につけられるもので、傍目には装備していることがわからない。さっそくルージュは装着した。


(昨日みたいな状況だけは避けたいもんね)


 病院への道すがら、緑川は手順を説明した。


「今、用意が整ったと連絡がありました。GOサインを出せばすぐに暴走が起こるはずです。が、それは見せかけで、実際に起こるわけではありません。建前上の流れとしましては、先の暴走事件についてルージュさんからお話を伺っていると、ニュースで暴走事件が報道された。そこで二人で永瀬さんに助けを求めに来た、という筋書きになっています」


「わかりました。ところで、暴走が起きたように見せかける場所ってどこですか?」


「原子力発電所です」


「は?」


「かなりの損害が危惧される、それほどの規模でないと、永瀬さんも出て来ないでしょう」


「それはそうだけど」


(原発だなんて、大きすぎじゃないの?)


「実際には、暴走は起こらないんですよね?」


「もちろんです。暴走はあくまで演技、狂言ですよ」


「ならいいけど」


「では、始めましょう」


 緑川は、携帯電話に手を伸ばした。

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