第11話 小百合が誇るクローン技術

「上原の紹介で来ました。ルージュと申します。小百合さんとの面会をお願いしているのですが」


「うかがっております。ルージュ様ですね。こちらへどうぞ」


 ホワイトストーン病院の受付ロイドはすぐに歩き出した。


(はぁ。毎日のように仕事で来ているとはいえ、なんだか緊張しちゃうわ。スイレンはいつもの部屋よね。いきなり交代して連続勤務時間の制限を越えてなければいいけど)


 案内された応接室は以前入った部屋よりも豪華で広かった。そう感じさせているのは、壁一面の窓と高い天井のせいかもしれない。


「ここでお待ちください」


 光に溢れる部屋に目を細めルージュは気がついた。


(なにか変だと思ってたけどAQA寮には窓が無かったんだ。それで倉庫か要塞みたいに感じたのね)


 この部屋はもちろん、ホワイトストーン病院ではどこも窓を通常の建物より大きくとっている。


(病院には明るさが必要だもんね)


 座って待とうと部屋の中央のテーブルセットに目を向けると、白いテーブルの上に、うっすら緑色の光がゆれているのが見えた。どうやら遮光窓に緑色の遮光フィルターを使っているらしい。


(色つきの偏光フィルターはよくあるけど、流動するのって初めて見るわ。いつ売り出したのかしら? さすがホワイトストーン病院、最新の窓を使っているのねぇ)


 まるで木漏れ日のように動く仕掛けを確かめようと、窓へと歩きかけたルージュをあきれた声が引き止めた。


「ここは警察じゃなくってよ?」


 小百合と、その後ろに穏やかそうな青い瞳の老婦人が立っている。ロイドなのだろう。

 ミニスカポリス風のアクアに挟まれて居心地が悪いのはルージュのほうだ。とっさに反論が浮かばない。ルージュは用件だけを口にした。


「私はクウヤを連れ戻しに来たのよ」


「なにか勘違いをなさっているのではなくて? あなたなんて、上原様の口添えが無ければ門前払いですわ」


(その社長からの護衛なんだってば。この子ったら、さっきと違う着物じゃない。この短時間にわざわざ着替えたの?)


 AQA寮に来た時の小百合は赤い着物だったのが、今は緑色の着物になっている。


(目はパッチリで頬はほんのりバラ色。唇はぷるぷるだし、ノーメイクなのに、ほんとお人形みたい。若さもあるけど着物に負けてないってことは、相当、素材がいいってことよね)


 愛らしい姿に思わず見とれていた自分に気づき、慌てて我に返る。


「上原社長と話したのなら、用件はわかっているわよね?」


「存じませんわ」


(社長~~)


 情けない表情だったのだろう。小百合は優しく言った。


「用件はお聞きしましてよ。でも、永瀬様をお渡しする理由がわかりませんの。ホワイトストーン病院ここが一番安全ですのに、わざわざ外に出ることもないでしょう? それに、あなた自身のことも信用できませんわ。ラピス・ラビアル家のご息女様かもしれませんが、今のあなたは家を出ています。そんな人を、あなたが私なら信用できまして?」


「それは……」


(意外にまともな指摘ね)


 口ごもったルージュに小百合は勝ち誇った表情を向けた。


「おわかりいただけましたら、お引取り下さい。永瀬様は私たち白石がいたしますわ」


「!」


(そりゃあ、ここがどこよりも安全で私は信用に値しないかもしれない。でもね、『保護』っていうのが引っかかるのよ)


 もう用はないとばかりに部屋を出て行こうとする小百合を、ルージュは呼び止めた。


「待って! せめてクウヤに会わせて! 伝えたいことがあるの」


「伝言でしたら私がうけたまわりますわ。だいたいあなた、永瀬様になれなれし過ぎじゃありませんこと? まだお会いして間もないと聞きましたのに、お名前をお呼びになるなんて」


「クウヤが私のことを話したの?」


 思わずはずんだルージュの声に小百合は顔をしかめた。


「寮でお食事をご一緒したとお聞きしただけですわ。……私でさえまだですのに」


「それだけ? 他には?」


「まあぁ! 本当に図々しいですわね!」


 それでもルージュの真剣な眼差しに小百合は負けたらしい。そっぽを向きながらも言葉を続けた。


「前にお会いしたことを思い出せないのが心苦しいと、お話ししていましたわ」


(まだ記憶を取り戻せてないんだ。あの事故よっぽど衝撃が大きかったのね)


「ホワイトストーン病院ってクローン界の権威でしょ? 記憶を戻す技術はまだ確立してないの?」


「あらあら。あなた、クローニングについて詳しくありませんのね。そこへお掛けになって。ばぁや、お茶を淹れて下さいな」


 いきなり軟化した態度に面食らいながらも、ルージュは勧められるままソファに座った。


「よろしくて?」


 お茶が並べられるのを待って、ルージュを前に小百合は出来すぎた笑顔を浮かべた。


「クローンと一言で言いますけれど、一般的に浸透しているのはクローン技術で作った身体部分の移植、これが俗に言う『クローン』、正しくは『クローニング』ですわ。クローニングが好まれる理由といたしましては、複雑骨折など完治に大変時間がかかってしまう損傷の場合、損傷した身体パーツをクローニングする、つまり、手や足などを部分的にクローンと取り替えるほうがより早くきれいに完治するためです。もちろん、それぞれの身体パーツは、当人である人間オリジナルから作られます。病気の治療にクローニングが使われないのは、クローニングでは先天的な要素が変わらないためですわ。パーツだけをいくら作り直しても、時間が経てば発症してしまいますの。それを克服するには、遺伝子操作が必要になります。ですが白石では遺伝子操作はお勧めしておりません。なぜなら」


「あのー。私が聞きたいのは」


「なぜなら! 遺伝子操作を行うと、思わぬ副作用を引き起こしてしまうのですわ。それにひきかえクローニングなら、副作用を身体パーツ交換量に比例した記憶の損失だけに抑えられますの」


(このまま聞いていれば記憶の話になるのかしら?)


 どうも小百合はマニュアル通りの説明をしているようだ。

 少女が懸命に説明する姿を見て、とにかく一通り聞こうとルージュは決めた。


(余計な口をはさんだら、どこまで話したかわからなくなるだろうしね)


「我が白石がクローニングを極めたと言われる所以ゆえんは、技術的に難しいとされる人間の完全クローニングが可能だからです。白石では、一人の要人に完全クローン体を五体は常備し、毎日のように記憶の更新をしております。万が一の場合でも昨日の自分が残るので大変安全ですわ。五体もクローン体があると同時に目覚めるような事故が起こるのでは? と、お思いかもしれませんが、完全クローン体は仮死状態でスタンバイされます。完全クローン体が目覚めるのは、オリジナル本人か、目覚めている完全クローン体が死に至った場合のみで、同じ人間が同時に二人以上目覚めることはございません。このことから、人間には『魂』が存在すると仮定し、魂は一つしかなく、それがオリジナルからクローンに移ると考えられ、これを『魂理論』と呼んでおります。魂が存在することが仮定なのは、同じ魂が例えクローン上ででも目覚めれば、損失のない記憶が残るはずですのに、実際には身体パーツの数に比例して記憶を損失する可能性が高いからですの。完全クローン体の場合、ほぼすべての記憶を失ってしまいますので、記憶の保存は必須です。最低でも一週間に一度、こまめに記憶を保存することをお勧めいたしますわ」


 小百合はようやく口を閉じると後ろに控えていたばぁやに目を向けた。ばぁやがよくできましたというような笑顔でうなずくと、小百合も満足げな顔を浮かべ、カップを優雅な仕草で傾けた。


(これだけ話せば喉も乾くわよね)


 ルージュも気になっていたお茶に口をつけた。


(オリジナルブレンドね。ダージリンと花だと思うんだけど、なんの花かしら?)


「ばぁや、お代わりを」


「はい、お嬢様」


 小百合は一仕事終えた様子でお茶を味わうだけで、一向に続きを話さない。


「ちょっと。それでどうなの? 結局のところ、記憶を取り戻す技術はないの?」


「あら、そんな話でしたかしら? ええと。ですから、記憶のことは、ロイドの呪文である『ロイドの定義』と同じように、白石でも今もって謎なのですわ」


(ええ? 聞き損じゃないの。はぁ。まぁ、この子まだ子供だもんね)


「とにかくクウヤに会わせて」


「ですから伝言なら私が」


「直接じゃないと言えないわ。AQA社長から直々の頼まれごとなんだから」


 ルージュと小百合は静かに睨みあった。


(この子のことだから、この子から折れるってことはないわよね)


 目を合わせながらも不安にかられるルージュだったが、先に目をそらしたのは小百合だった。


「相変わらずですわね。上原様はいつもそう。自分は動かず、まわりを動かすのですわ」


「え?」


「永瀬様をお呼びします、と言ったのです。そのままお掛けになっていてくださいな」


「あ、はい」


(あの子、今、なんて言ったのかしら?)


 小百合が去った後、ばぁやはルージュにもお代わりを注いでくれた。机の上からはきれいな緑色の光は消えていた。


(さてと、クウヤが来たらなんて言おうかしら。本当は伝言なんてないんだもんね。社長が言いそうな、それらしいことを考えないと。それらしいこと、それらしいこと……。だいたい私、どうしてこんな所まで来ちゃったのかしら? 白石家と変に関わったら職場に居づらくなる、ヘタしたら技師の資格を剥奪されるかもしれないのに。私ったらどうかしてる。クウヤなんて、たった二度会っただけじゃない。しかもクウヤは私のことを覚えてなかった。初対面みたいなものよね。でもクウヤはそんな私を信用してくれた。厳重なセキュリティに守られているとはいえ、部屋の中へ案内して家族である『アクア』を見せてくれた。誠意には誠意で返したい。そのためにも今はとにかく伝言を考えないと)


「君かぁ」


 聞き覚えのある声に顔を向けると、目を丸くしたクウヤがいた。その横には笑顔をはりつけてはいるが不機嫌そうな小百合もいる。空也はすぐに頬を緩めた。


「あぁ驚いた。君、どうしてここに?」


「社長からの伝言を伝えに来たのよ」


 空也の表情が悲しげに歪んだ。


(変だわ。前は社長の話になるといつも嬉しそうだったのに)


「先輩は、なんて言ってた?」


「社長はね、あなたのことはAQAが守るから、戻ってきて欲しいって」


(嘘じゃないわよね)


 とりあえず無難な言葉を伝えたつもりだったが。空也は目を合わせようともせず淡々と言った。


「僕は、もう、戻らない。ここにいるよ。ここが一番安全だから。それが一番いいんだ」


「そうですわ。ご安心くださいませ。私たち白石がちゃあんと保護いたしますから」


 肩を落とす空也にぴったりと小百合がくっつく。空也は文句も言わず、なされるがままだ。


(おかしいわ。いったい何があったのよ?)


「クウヤ、私を寮に連れて行ってくれた時の言葉を忘れたの? 『寮なら絶対安全だから』って言ってたじゃない。どうして急にここが一番安全になったの?」


「それは……!」


 顔を上げた空也の目が大きく見開かれ、小百合も驚愕の表情を浮かべている。


(なに? ここって15階だったわよね。珍しい鳥でも飛んでいるのかしら?)


 つられて振り返ったルージュも息を飲んだ。窓に大きな亀裂が走っていたのだ。


(遮光窓は強力な膜なのよ? 伸びこそすれ、ひびが入るなんてありえな)


 三人が見つめる前で、大きな黒い影がひびわれた窓に近づいてきた。


「!」


 ルージュはとっさに目を閉じ防御体勢をとった。予想していた衝撃も音もせず、頬に風を感じて目を薄く開く。


 緑色の細かい粉が霧のように部屋中に充満している。うっすら黒い足が二対見えた。霧は見ているそばから薄れていく。大きく切り取られた空を背に、黒いスーツの初老の男と、その男を守るように黒いマントをたなびかせた大男のロイドが現れた。


「どういうことですの? 遮光窓が粉々に割れるなんて! 白石では特に強固なものを使っておりますのに!」


 小百合のヒステリックな声に初老の男は静かに答えた。


「見えない仕組みを完璧だと信じているとは愚かなことよ。見えるようにすれば、その脆さは歴然だというのに。まぁ凝固に時間がかかるのが難点だがね。上原はそれを知っていて遮光窓を使わない。まったく小憎らしい男だ。さて、永瀬空也。AQAを出たということは、私と一緒に来る気になったと思って良いのだろうね?」


「……リウさん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る