第6話 ルージュの記憶

 豪華なベッドに上半身だけをおこしたルージュの前で、見知らぬ夫婦が頭を下げている。


「本当にありがとうございました」


(いつもの夢だわ。私の『記憶』の初め)


「ラピス・ラビアルの使者とは存じませんで、失礼なことを色々と申しました」


「あの時は非常時でしたから仕方ありません。お気になさらないでください」


 十七歳のルージュは優等生の受け答えをしている。しばらくそんな会話が続いた後、夫婦は部屋を出て行った。若いルージュは、ベッドの横に立っていた赤い髪の男をあおぎ見た。


「これで良かったの?」


「ああ。上出来だ」


 四年前、十七歳のルージュは旅客宇宙船のテロに乗り合わせた。

 自動航空制御システムが破壊され、このままでは墜落してしまう。手動で軟着陸させるため、負傷した操縦士に代わりルージュも操縦に加わった。


 辛くも着陸することができ奇跡的に死人は出なかったが、軟着陸の衝撃でコックピット部分は潰れ、ルージュは意識不明の重体になった。


「事件の記憶がないのにお礼を言われるなんて、変な感じだわ」


「いいんだよ。それで彼らの気が済むんだから」


(マスコミから逃れるために屋敷にこもって、事故の怪我がなかなか治らないってことにしてたのよね)


 実際のところ身体の傷はすでにすっかり治っていた。ただ、ルージュの記憶だけが戻らなかった。


「ねぇ、今でもまだ信じられないんだけど。私って本当にラピス・ラビアル家の娘なの?」


「本当さ。髪が同じ赤色だろう? これこそ代々伝わるラピス・ラビアル家の血筋だ」


「でも私、事故から半年も経つのになにも思い出せない」


「思い出せなくてもいいんだ。たとえなにも思い出さなくても、俺の妹にかわりはないんだから」


「……うん」


 目の前の兄だという男だけではなく、ラピス・ラビアル家の誰もが「記憶がなくとも家族だ」と言ってくれた。けれどルージュはそう言われれば言われるほど苦しくなった。


(優しい家族を忘れてる自分が情けなかった。記憶がないままでいいわけがない。ましてや『私』は旅客宇宙船を救った『使者』なのにって、自分を責めた)


 ラピス・ラビアル家は世界有数の大富豪だ。その財力と顔の広さで慈善事業や環境保護に力を入れ、親善大使のような役割もにない『使者』と呼ばれている。


 そんな基本的なことすらルージュは忘れていた。

 きらびやかな部屋で目覚めるたびに思い知るのだ。たくさんのお気に入りだったであろう小物、幾度となく見てきたはずの窓からの景色ひとつにさえも見覚えがない、と。


 手がかりになるかと期待して自分が使者として活動していた資料も見たが、他人事のようにしか思えなかった。


(『記憶喪失』やそれに似た病状について必死に調べたわ。記憶を取り戻して、本当の『家族』になりたかった。なんの遠慮もなく一緒に暮らしたかったから)


 『記憶喪失』という言葉はあるが、実際に記憶が無くなるわけではない。記憶をしまった引き出しが開かないだけだ。


 明日には全部思い出す、明日にはきっと……。

 そう思い続けて一年が経とうという頃、ルージュはクローン技術のことを知った。


『複雑骨折にはクローニングがお勧め。ただし、クローニングした部分が多いほど、記憶が消える可能性が高まります』


『記憶以外は安全なクローン技術』


 調べていくと、手や足、心臓や肺など『部分クローニング』がある他に、身体をそのまま複製する『完全クローニング』があることもわかった。


『完全クローニングは命を狙われる要人向け。完全に複製人間のため、記憶のバックアップが必須です』


 見出しを読んだ瞬間、ルージュは自分が完全クローニングされた複製人間クローン体なんじゃないかと直感した。


 完全複製人間クローン体だとすれば、意識不明の重体から回復したときに、身体のどこにも外傷が残っていなかったことにも説明がつく。後から映像として見ただけでもコックピットは酷い状態で、とてもあの中で自分が無傷で生きていられたとは思えない。


「私がクローン体だとしても、記憶がないのはどうしてなの?」


 完全複製人間でも、記憶のバックアップさえすれば記憶の喪失は最小限に食い止められる。記憶がないのはなぜなのか、ルージュは可能性を考えた。


(初めはバックアップ中のエラーかもって考えた。それとも、もしかしたら記憶が複製クローン体に馴染むまでには時間がかかるのかもって。でも、完璧なはずのクローン技術には差別があった。完全クローニングは公にしないほうがいい。それで選挙に落ちた政治家もいるから、病院も家族も公表しないんだって)


 色々考えた末ルージュは一つの結論に達した。


「ラピス・ラビアル家は、複製人間クローン体なんかにオリジナルの記憶を渡したくなかったの?」


 そんなことない! 何度も打ち消したが、もうどんなに優しい言葉をかけられても裏があるようにしか聞こえなくなった。


「無理に思い出そうとしなくていい(思い出せなくて当然なんだから)」


「あなたがいてくれるだけでいいのよ(影武者としか役に立たないもの)」


「ずっとここにいればいいさ(外に出てもらっちゃ困るんだよ)」


(せめて少しでも記憶があれば完全複製人間クローン体でも気にしなかった。オリジナルの代わりとして扱われても良かったのに)


 息苦しさに耐えきれず、ルージュは何も言わずにラピス・ラビアル家を出た。


 しかし屋敷を出たルージュは途方に暮れた。ラピス・ラビアル家に守られた生活しか知らなかったので、どうすればいいのか少しもわからなかったのだ。


 お金もないし、行くあてもないのに、帰ることもできない。

 なにをするでもなく公園のベンチに座っていたルージュに、声をかけたのはスイレンだった。


「あなた暇なの~? 良かったら~、一緒に~、アンドロイド技師にならな~い?」


 スイレンはルームメイトを探していた。どうしてルームメイトがいるのかたずねると、スイレンは当たり前のようにこう言った。


「だって~、一人じゃ寂しいでしょ~?」


 毒気を抜かれたルージュはスイレンの部屋に転がり込んだ。きれいに掃除された部屋に、開けてもいないブランドショッピングバッグとコスメグッズが山積みで、ルージュは目を丸くした。


「ストレス発散は~やっぱりお買い物よね~。アンドロイド技師ってお給料いいから~、楽しみ~」


 スイレンは一度部屋を出たが最後、なにかしら買わずには戻らない。それでいて、家事など他の生活能力はちゃんとしていた。


 ルージュは技師免許取得までの三年間で、お金を稼ぐことや料理や洗濯、人との距離といった、生活する基本的な知識を自然とスイレンから学んだ。

 過去を話さず常識を知らないルージュを、スイレンは詮索しなかった。スイレンは誰かと暮らすことに慣れているのか、近すぎず遠すぎず、ルージュにとってスイレンと一緒の生活は居心地が良かった。


(ラピス・ラビアル家がすぐに探しにくるって、この時はまだどこかで期待してた。迎えなんて来なかったけど。でも、そんなことも忘れるくらい毎日が忙しくて、楽しかった)


「お化粧も覚えてないの~? お化粧って~、儀式みたいなものよね~。特に口紅~。口紅を塗らないと~、調子が出ないのよ~」


 ルージュは技師登録名を『ルージュ』にした。今までと違った『新しい自分』を始たかったのだ。


(スイレンは「赤い髪だからピッタリね~」って言ってくれたっけ。口紅の話を忘れてるところが、スイレンらしいのよね)


 一人暮らしを始めたのは、実はほんの数ヶ月前だ。


 スイレンとの生活が良すぎて、かえってルージュは怖くなった。このままずっと一緒にいられるわけがない。いつかここを出る時がくる。なら区切りのいい今しかない。そう思って、初給料をもらった翌月に部屋を出て一人暮らしを始めたのだ。


(『技師ルージュ』として私は生きていくんだから。早く一人に慣れなくちゃ……)


「ルージュ~。ルージュ~、起きてよ~」


 どこか抜けてる声に、ルージュは目を開けた。


「……スイレン」


「良かった~。も~、びっくりしたよ~。意識不明って聞いて~、駆けつけたんだから~」


 ほっとした様子でベッドの縁に腰かけるスイレンの向こう側に、ブランドバッグや箱に入れられたままの靴、ショッピングバッグがそのまま置いてあるのが目に入った。


「ルージュったら新しい部屋を教えてくれなかったでしょ~。だから~、わたしの部屋に運んでもらったの~」


 ルージュはベッドの上で上半身を起こすと、懐かしい部屋を見回した。


「前より散らかってない?」


「いいの~。寂しい一人暮らしなんだから~。ルージュがもっといてくれたらよかったのに~」


(かわいいこと言うわよね。いっつも思うけど、本当に私より九つ年上なの? 三十歳だなんて信じられないわ)


「いつまでも一緒にいられないでしょ」


「そうかもしれないけど~。今みたいに~、具合が悪いときは不便よ~」


「これは病気じゃなくて……って、そうよ、クウヤ! クウヤが」


「あ~あ、もうオトコの話なの~? 女の友情って儚いのね~」


「違うって。聞いてよ、あれから大変だったんだから」


 一部始終を、ルージュは一息に話した。


「というわけ、なん、だ、けど……」


(自分で話しといてなんだけど変な話よね。冷静になって考えると、証拠がなにもないんだから、救助隊が信じてくれなかったのも無理ないわ)


「きっと~、その人は~、自分がいないほうがいいって思ったのね~。自分が悪用されるくらいなら~って、死を選んだのよ~」


(信じてくれたんだ!)


「でも~、AQAにしちゃスキャンダルよね~。探索が中止になったのって~、AQAが圧力をかけたんじゃな~い? って、なに~?」


 ルージュはスイレンに抱きついていた。


「どうしたのよ~?」


「ごめん。ちょっとだけ、このまま」


 自分でも荒唐無稽だと思う話をそのまま信じてもらえたことは、あやふやな『ルージュ』という存在を認めてもらったようにルージュには感じたのだ。

 今日のことと過去のことがあふれて抑えられなくなって、スイレンの肩に顔をうずめ声を殺して泣くルージュを、スイレンはそっと抱きしめた。


 しばらくして、ふふ~っとスイレンが笑った。


「なに?」


「ルージュが泣くの初めて見るな~って思って~。三年間も一緒に暮らしてたのに~、今まで一度も泣かなかったよね~」


「映画とか見て泣いてたけど」


「見逃してた~」


「隠してたもん」


「ええ~。別に泣いてくれても良かったのに~」


「恥ずかしいからイヤ」


「映画で泣くのが~?」


「泣き顔見られるのが……ちょっ。だから、見ないでって言ってるでしょ!」


「ちょっとくらいいいじゃな~い」


「ヤダ。もー、顔洗ってくる!」


 洗面所から戻ってくるとテーブルに温かいココアが用意されていた。ルージュはスイレンの隣に座ってココアに手を伸ばした。


「とにかく~、ルージュも気をつけたほうがいいよ~。そうだ~、明日は一緒に病院に行こうね~」


「私、どこも怪我してないけど?」


「違うよ~。今日~、私がすんなりルージュを引き取りに行けたと思ってるの~?」


 スイレンはホワイトストーン病院での連続勤務を抜けてきたのだ。今日の昼過ぎまでルージュもあの空間にいたのに、もう遠い昔のことのように感じた。


「私も出勤ってこと? あーごめん。シフト崩しちゃったんだ。代わりを務めてくれたのって、ケイカ?」


「そうよ~。文句いっぱい言われたんだから~」


「そりゃそうよね。私からも謝ってお礼しとくわ。ケイカってばさ、この前彼氏ができたって言ってたじゃない?」


「つくしてくれるの~って、話してた人でしょ~」


「やっぱり自慢されたんだ。きっとデートの予定だったんじゃない?」


「いいな~。私にも何か買ってくれないかな~」


「なんでスイレンに買うのよ」


「いま~、狙ってるのが多くって~」


 久しぶりに話したわけでもないのに、スイレンとの会話はつきない。懐かしい部屋で職場の噂や最近の流行について話していると、技師免許をとる前に戻ったようだった。

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