第7話 翌日の再会
ホワイトストーン病院のすっかり座り慣れた席でルージュは鬱々としていた。暇ということは、余計なことを考えてしまうということだ。
昨日の病院でのロイド暴走事件について書類をまとめて提出したスイレンは、病院内のことでもあるので発表はされないと公式に口止めされたそうだ。ルージュにも同じ内容の通達がきていた。
食堂ビルやモノレールのことが記事になっていないか今朝もニュースを調べたけれど、どこにも記事になっていなかった。事件にすらなっていないのか、もみ消されたのか。
スイレンの言葉を思い出す。
『自分が悪用されるくらいなら~って、死を選んだのよ~』
(そうかもしれない。でも、誰かが死ななきゃ救われない世界なんておかしいわよ!)
目の前の日常はなにもなかったかのようにいつも通りだ。時間はおそろしくゆっくりと流れてゆく。閉ざされた空間でロイドたちは整然と働いている。嫌でも目に入るその瞳がルージュに空也を思い出させる。
(クウヤの瞳ってアクアと同じ青なんだけど、夜が始まってもまだ明るく残ってる空みたいに、なんとも言えない鮮やかな色なのよね。行方不明ってニュースにもならないのは、やっぱりAQAが圧力をかけているから?)
死体が上がったという話も聞かないが、あの海域は潮の流れが複雑で、落ちて生き延びた人間は数えるほどしかいないのだ。体力のない空也に、その奇跡が起こるとは思えない。
(クウヤは最後にアクアを生かそうとしたのに、それも私が壊しちゃったし)
もう確かめられないが、結果的に空也を殺したことを知って大男のロイドは起動停止したはずだ。
『君たちのせいじゃないよ』
それはアクアにだけでなく、ルージュにも向けられた言葉だろうけど。
(私が目の前で窓を破ったりギミック鞄を渡したりしなければクウヤもあんなことしなかった。ううん。もっと早く私が的確に対処できていれば、クウヤもアクアも助かったかもしれない)
気持ちは少しも晴れそうにない。
(私が『元の記憶』を持っていれば、本当の『使者』ならこんなことには……って、ダメよ私。しっかりしなくちゃ!)
なんとか仕事に集中しようと、傍目にはわからないように深呼吸する。と、目の前のモニターに、質問者の場所を表す簡易地図と「QUESTION」が表示された。それは奇しくもルージュの真後ろ、空也がいた場所と同じだった。
(こんな時に誰よ? マヌケな人って意外にいるのねぇ)
カードから読み込んだデータがずらずらと表示されるのを見て、案内しようとしたルージュの口が凍りついた。
NAME 永瀬空也
(ナガセクウヤ? まさか……同姓同名よね?)
思わず振り返ったそこには昨日と同じ青年の姿があった。ルージュの視線を感じたらしく、青年は顔を上げ、忘れようのないあの澄んだ青い瞳でガラス越しにルージュを見つめて言った。
『あ、すみません。次はどこへ行けばいいんですか?』
青年と視線を合わせたままルージュは動けないでいた。
考えすぎて頭は真っ白。なにか言おうにも言葉が頭を空回りする。だが体には、ロイドのコスプレが板についていたらしい。
「精密検査ですね。検査はすべて終わっています。一階ロビーで会計をお待ち下さい。ロビーへは、今いる廊下を右に進んで突き当たりのエレベーターをご利用ください」
ヘッドセットを動かし無感情な声が自分の口から滑り出るのを、ルージュは他人事のように耳で認識した。
『ありがとう』
永瀬空也ははにかんで心のこもったお礼を口にすると、エレベーターへと向かった。
(あの声、表情、クウヤだわ。助かったの? あの潮に飲まれて助かるほど体力が続くなんて思えなかったんだけど。でもクウヤが落ちた決定的な瞬間を私は見ていない。ギミック鞄を持っていったから、もしかして落ちなかった? それとも、落ちた後にギミックカバンが膨らんだかして浮いて流されて、どこかに引っかかって助かったのかも。とにかく)
ルージュは仮眠室へと通信をつないだ。
「スイレン、クウヤよ! クウヤがいたのよ! 今すぐ交代して!」
『コウタイ~? それってなんの新しいブランド名だっけ~?』
スイレンは寝ていたようだ。しばらくして、
『今すぐ~? まだ二時間前じゃな~い』
いつも通りの間延びした口調が、今はルージュを苛立たせた。
「もう! たった二時間でしょ!」
『たった二時間なら~、交代しなくってもいいんじゃな~い?』
「ダメよ! いま見失ったらもう会えないかもしれないわ!」
モニターに患者のデータが出るとはいえ症状や検査の内容だ。住所や電話番号まではわからない。
『じゃあ~、貴重な二時間分は~、なにと引き換える~?』
背に腹はかえられない。
「昨日話してた、新作ファンデでどうよ?」
『もう一声~』
「新色ルージュもつける!」
「スイレン入りま~す」
声と同時に、スイレンが入り口から顔を出した。話しながらもすっかり身支度してくれていたようだ。魅力的なウィンクをルージュに送る。
(メーカー間違えないでね~)
(はいはい。じゃ、後はよろしく)
ぱちんといつもの挨拶をしてロッカーに戻ると、ルージュは超特急で着替え始めた。日課の表情チェックも今日はなしだ。
(早く早く!)
走り出そうとする身体を押さえつけ、医師や患者に混ざってエスカレーターを下りる。ようやく一階に着きロビーへと足早に向かった。
(まだいるといいんだけど……)
正面玄関と繋がっているロビーは、広々として天井が高く明るい陽光で溢れている。精算所の上にある、患者の呼出し番号を表示する大きな電光掲示板さえ無ければ、ホテルと勘違いしそうだ。
電光掲示板に向かって、ゆったりとしたソファが何列も並んでいる。中央に二台、大型テレビが置かれていて、申し訳程度に音が漏れている。ソファを埋めている人間はそれほど多くないが、病院に入る人、出る人、席を立つ人、座る人と、雑然としている。
見回していると、まるでそこだけ色が違うかのようにルージュの視界に人影が飛び込んできた。
「ク……っ」
ルージュは慌てて声を飲み込んだ。
(ここで呼んで注目を集めるのはマズいわ。あの時の追っ手がいるとも限らないんだし)
ルージュは精算を待つ風を装って、首尾よく空いていた空也の後席へと滑り込んだ。
(なんて声をかけようかしら? でも、いきなり後ろから話しかけるのも変よね。やっぱりちゃんと顔を見て……ってさっきも目が合ったのに、クウヤは私のこと気づかなかったんだ。ロイドのコスプレしてたからわかんないわよね。それにしても、あの時とまったく同じシチュエーションなんて変なの)
空也が立ち上がった。空也は精算所で精算すると、まっすぐ玄関へと歩いていく。そこまで確認してから、ルージュもゆっくりと席を立ち正面玄関へと向かった。
(なんて言おう? 『久しぶりね』? 『びっくりしたわ』? ううん。そうなんだけど、そうじゃなくって。ああ、早くしないと)
空也はなんの躊躇いもなく歩いていく。ルージュが背中を見ている間に、とうとう病院を出てしまった。そのまま病院の敷地も出て、一般道に出ると空也は立ち止まり、行き交う車を眺めた。
(まさか車で帰るの?)
「クウヤッ」
思わず呼び止めたものの、言葉が続かない。
(私ったら! 色々、言いたいことがあったのに)
空也は振り返った。鮮やかな瞳がルージュをうつす。
(本当にクウヤだわ。生きてたんだ)
「良かったぁ。ほんっと良かったわ」
うるんだ目をごまかすように、ルージュはバシバシと空也の肩を叩いた。
「え?」
とまどう空也に、ルージュは笑顔で続けた。
「そうね、こんな所で立ち話もなんだし、どこかお店に入りましょ。一駅先だけど美味しい和食の店があるの。そこでくわしく話を聞かせて」
「あの」
「和食は苦手なの? そうね、だったらイタリアンでもいいけど、そうするとちょっと遠」
「あの! 誰ですか?」
パチクリ。
ルージュはたっぷり時間をかけてまばたきした。そして目の前の、永瀬空也だと思われる青年をもう一度じっくり観察した。
整った顔、細身の身体。ルージュを惹きつけて離さない美しい瞳。昨日と服装こそ違えど、どう見ても空也にしか見えない。
(もしかして、双子か兄弟でもいたの?)
「あなた……赤龍社時代からAQAに勤務してる、開発部のナガセクウヤじゃないの?」
「そうですけど」
「私のこと、覚えてない?」
「残念ながら、僕には女性の知り合いなんて一人もいませんよ」
(どういうこと? まさかとは思うけど、私の印象薄かった? 私ってば、うっかりアクアのコスプレ外すの忘れてるとか?)
ルージュは病院の駐車場に入ろうと徐行している車の遮光窓に映る自分を確認した。
制服はもちろん着ていないし、カラーコンタクトも外してあるし、髪も下ろしている。服以外は昨日と同じ自分のはずだ。
「ああ。もしかして、昨日知り合った方ですか? だったらすみません。僕、事故のショックで、記憶が飛んだらしいんです」
「記憶が飛んだ?」
「なんでも
(事故で記憶が……記憶だけが…………。違う。私とは違う。クウヤは生還したのよ!)
意識が落ちそうになるのをルージュはなんとか踏みとどまった。
あらためて空也を凝視する。昨日と同じ姿、同じ声だというのに。
(仮死状態のせいで記憶が飛んだ。それだけ。私のことを忘れてしまった、ただそれだけよ。あの潮に巻き込まれて、少しの記憶喪失で済んだのは幸運なことだわ)
「そう、よね」
「もしかして、昨日の事故のこと知ってるんですか? 良かったら教えてくれませんか? 僕は覚えてないし誰も知らなくって、なんだか気持ち悪いんです」
ルージュはなんとか笑顔を作った。
「実はすっごいことが起こってたのよ。また会えたのもなにかの縁。せっかくだから一緒にご飯食べましょ。私おなかペコペコなのよ」
「よ、よろこんで」
空也は照れながら頷いた。
「ああでも、この辺りで食べたらまた邪魔が入るかもしれないわ」
「邪魔?」
「昨日がそうだったの。どこか邪魔が入らない安全なところって……」
ルージュは味さえ良ければ多少危険な所へも行く。頭の中でお店を検索していると、
「じゃあ寮に来ませんか? 食堂があるんです。それに寮なら絶対安全だから!」
空也は胸を張った。
「そうね。社員食堂の杏仁豆腐って美味しいんでしょ? 私も食べられるかしら?」
「僕そんなことまで話したんですか? まいったなぁ。寮でも食べられますよ。デザートは共通なんです」
「うふふ、楽しみだわ。あと悲しくなるから、普通に話してくれると嬉しいんだけど。不敬で悪いけど、私もこの調子で話すから。理由は私が『技師ルージュだから』って言ったらわかるわよね?」
「あー」
空也はやはり技師登録名からルージュの歳がわかったらしい。童顔老け顔の二人は同時に苦笑した。
どうやら空也は病院を出てバスを待っていたようだ。
バスで二駅先にAQA本社と寮があるらしい。空也と一緒にバスに乗ったルージュは昨日と同じように簡単な自己紹介をした。
「ほんとにここなの?」
本社は写真やテレビで見て知っていたのだが、その隣の建物が寮だとは知らなかった。
寮と言われなければわからない、どこか倉庫を思わせる建物なのだ。AQAの名に相応しく青で統一されている本社とは違い、寮の外装は少しも凝っていない。
玄関をくぐるとエントランスホールに管理ロイドがいた。客は管理ロイドに見守られて、モニター越しに住人と挨拶する仕組みだ。奥へは住人の承諾があるか、鍵と指紋認証が一致しないと入れない。
「まずは食堂に行こう」
空也の静脈認証でようやくエレベーターが動き出した。
(普通、寮でここまでする?)
呆れるルージュとは裏腹に空也は誇らしげに解説する。
「四・六・九階に食堂があるんだけど、杏仁豆腐があるのは四階なんだ」
「へえぇ。食堂が三つもあるの?」
「それぞれメニューが違うんだよ。季節によっても変わるから、十年いる僕でも、まだ全種類食べきってない」
「そんなにあるの?」
(帰ったら、AQA勤務ができないか調べてみようっと)
食堂の入り口でカラフルなディスプレイを丹念に吟味し、食券を買って中に入った。
お昼を過ぎて、お茶の時間には少し早い中途半端な時間だ。それにもかかわらず、たくさんの小さなテーブルはほとんど埋まっていた。不思議そうにルージュが眺めていると、空也が囁いた。
「今日が休みの人だよ。構想をまとめるためにここに来る人もいるんだ。社員食堂より静かで邪魔も入らないからね。寮では個人を尊重していて『知り合いが隣にいても話しかけちゃいけない』っていう食堂のルールがあるんだ」
「私たちも話しちゃいけないの?」
ルージュも小声で聞くと、
「僕たちは一緒に入ったから小さい声でなら話してもいいんだ。偶然、中で出会った時がダメなんだよ」
「変なの。不便じゃない」
「ご飯食べる時くらい一人になりたいって人もいるからね。会社の食堂や寮の外ではもちろんそんなルールはないよ」
(スイレンも、たまに一人で済ませちゃう時があったっけ。ずーっと気を使っていたら疲れちゃうか。案外いいルールなのかも)
検査のため食事抜きだったらしく空也も空腹だったようだ。規則のためじゃなく、二人は黙々とお皿を空にした。そして最後に、ルージュは念願の杏仁豆腐にスプーンを入れた。
「わ、美味し~」
「だろ?」
空也は少し自慢気だ。
じっくり味わって食べた後、おかわりは無料だという隣の喫茶室で、温かい
「杏仁豆腐だけじゃなくてご飯もほんと美味しかったわ。なんだか、どれもほっとする感じで」
空也は破顔した。
「君もそう思うんだ? 実は食堂のスタッフって、昔、先輩が引き抜いてきた精鋭なんだよ。僕はずっと食べてるからかもしれないけど、いつもどこか懐かしい感じがしてたんだ」
「その先輩って社長のことよね。憎らしくないの? 手柄を横取りされたんでしょ?」
空也は一瞬きょとんとして少し怪訝な表情になった。
「先輩は僕にとって兄みたいに大切な存在だよ。君はいったい誰に話を聞いたんだい? 本当に僕と会ったの?」
「たぶん」
ルージュは小声で、出会った時のことを丁寧に話していった。
看護ロイドの暴走から始まって、中華料理店でアクアの話を聞いている途中で黒づくめの男たちが現れたこと。モノレールに乗っていたら、黒づくめの大男がアクアだとわかったこと。アクアの話を聞いて空也が窓から飛び降りたこと。
「本当にそんなことが?」
話を聞いても空也は思い出せないらしい。
「ほんとよ。ほんとに私は昨日クウヤと会ったのよ。てっきり死んじゃったかと思ってたから、また会えて良かったわ。クウヤを探していたアクアも、あなたが助かるとは思ってなかっただろうから、きっともう追って来ない……って、ごめん。私、アクアを壊しちゃったんだ。クウヤは守ろうとしたのに。ごめんなさい」
定義を破ったことを知って崩れ落ちるアクアが、今もルージュの目に残る。
訓練はもちろん、病院の事件と、ルージュは今まで何体もアクアを沈静化させてきた。とはいえ、余計な一言で倒したことがルージュの心にずっとひっかかっていたのだ。
「あのさ、その時アクアの瞳、何色だった?」
「アクアだから青に決まってるじゃ……」
ルージュの脳裏に、車床に倒れたアクアが浮かんだ。その瞳は血のような
「赤だったわ。あれって暴走したら色が変わるの? でも病院のは黄色っぽかったような……でも、サキって呼ばれてた一般ロイドは青いままだった。みんなアクアなのに」
(まさか、私、知らない間に記憶障害も?)
不安になりかけたルージュに、空也は心底意外そうに言った。
「君はアクアのこと全部聞かなかったんだ」
「そう言えば聞くの忘れてたわね。あの時はそういう状況じゃなかったし」
今はもう、空也が生きていただけでルージュは満足だった。
「もうアクアの秘密のことはいいわ。聞いたところで技師の仕事は変わらないもの」
(ちょっと命をかけた肉体労働なだけだもんね)
「……良かったら、僕の部屋に来ない? 僕の『アクア』を見せてあげる」
「え、ええ」
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