第2話 アンドロイド技師の非日常

 めずらしく慌ただしい様子の受付に、ルージュは技師証を見せた。


「私はこちらの契約技師ルージュです。なにかありましたか?」


「は、はい。地下一階の手術室でロイドのトラブル発生とのことなのですが。様子がよくわからなくて。行っていただけますか?」


「もちろんです!」


 ルージュは誰にもぶつからないように気をつけて人混みを駆け抜けると、手術棟の方へと向かった。


(手術中なら急がないと命にかかわるかもしれない!)


 地下におりると問題の手術室はすぐにわかった。数人がうかがうように立ち尽くしているし、廊下にまで鋭い声が響いている。


「やめろ! 止まれシステレ! 待機ドルミーレ!」


 ルージュはロイドへの指令が響く個室へと飛び込んだ。


(え?)


 手術台に横たわる患者に、必死に蘇生活動をしているロイドが一体いる。制服姿ではないので病院のロイドじゃない。でも、それを手伝うのは、見慣れた病院の看護服を身につけた二体の看護ロイドだ。


 蘇生活動を止めないロイドたちに「システレ」と医師は叫び続けている。『止まれ』の命令に、濁った瞳の看護ロイドは反応もしない。


(どういうこと? 登録者マスターの指令を受け付けないのは明らかに異常事態だけど、蘇生行為は最優先事項だし)


 息を飲んで立つ人間の看護士を見つけ、ルージュは技師証を提示して聞いた。


「私はこちらの契約技師です。状況を説明してください」


「技師の方ですか」


 看護士はせきを切ったように答えた。


「ロイドを止めてください! 患者さんは亡くなったの。もう蘇生は無理なんです。それでご家族の方をお呼びしたら、いきなりロイドが蘇生活動を始めて。うちのロイドも手伝い出して、医師せんせいの指令も聞かないんです。お願いします! 患者さんの体が壊れる前に早く止めて!」


「わかりました。皆さん、危険ですから部屋から出てください」


 ルージュは急いで鞄から小さな黒いプロテクタを取り出した。


 頭・胸・手・足の一部に装着してスイッチを入れると、それぞれが薄い防御膜を出してつながる。各部を強化して衝撃からも身を守る、丈夫な膜の強化服だ。


 つける手が震えているのに気づいて苦笑する。


 ルージュが黒い強化服を装着できた瞬間、入り口から同じ格好をした人影が飛び込んできた。


「スイレン、遅いじゃない!」


「ごっめ~ん。まさかホントだとは思わなくって~」


 世界中でもまだ三件。信じられないのも無理はない。ルージュだって今日が本番第一回目だ。まだ手の震えがおさまらない。訓練は欠かさず毎週行っているし技師本来の仕事も理解はしていた。でも、心のどこかで、事件に遭遇するわけがないと思い込んでいたようだ。


(大丈夫、大丈夫よ。訓練と同じようにすればいいんだから……)


「えっと~、たしか『相手が複数の場合まず狙うのは』だっけ~?」


 どこかとぼけた様子のスイレンが教官の口調で唱えたのは、何千回と訓練で聞いた言葉だった。


(そうよ。今までどれだけ訓練してきたのよ。それに比べたら、たった三体のロイドなんて)


 ルージュの震えはおさまっていた。

 スイレンに頷く。

 一呼吸後、二人は寸分のずれなく、手前にいた一体の看護ロイドに飛びついた。


 看護ロイドは障害を取り除こうと身体をゆすった。二人は勢い良く振り回された。ぶつかった機材がふっ飛び、医療用具が床に落ちて派手な音をたてる。できれば部屋も器具も壊したくないけれど、今は気にしている余裕もない。


 激しい動きの中、二人は視線でタイミングを計る。


(2、1、ファイア!)


 二人の手首から伸びた細い光線が、ロイドの首を貫通した。


 煙が上がり嫌な匂いがする。


 ロイドはそれでも身体をゆすり続けていたが、唐突に力が抜けた。首を通るエネルギー供給路が破壊され、動けなくなったのだ。


 黄色く濁っていた瞳が深い青色に変わる。


「おっと」


「わわ、重た~い」


 地面に足を着けた二人は脱力した看護ロイドを運び、そっと壁際に寄せた。ロイドに無駄な傷をつけると技師の給料から引かれるので極力避けたい。


「一体目完了~!」


「やったね!」


 二人がパチンと手を合わすと、部屋の外のギャラリーから拍手があった。


(なんだかなぁ)


 気をとられた瞬間、ルージュにもう一体のロイドから腹部にパンチが入った。


「っ―――」


 思わず息が止まる。


 それだけではおさまらず、勢いついたルージュは壁に打ちつけられていた。


「ルージュッ!」


 床に崩れ落ちたルージュは、呆然と顔を上げた。頭上では、スイレンがロイドの攻撃を食い止めている。


 激しい動きをするロイドの服のえりがキラリと光る。警備の記章だ。警備用のロイドは見た目は看護ロイドと同じながら通常ロイドより頑丈なボディと怪力を持ち、格闘技術もインストールされている。手術室の警備をしていたのが暴走したのだろう。


 警備ロイドの無駄のない攻撃をスイレンは受け流しているが、スイレン一人だけでは厳しそうだ。


「……ッケイ」


 咳き込むとルージュは立ち上がった。


「気合入れていくわよ!」


「おっけ~」


 目の前の対象が二人になり、警備ロイドの動きが鈍ったのは一瞬で、すぐになめらかな動きで二人を攻撃し始めた。二人も反撃するもののすべて受け流され、光線を当てようにも隙を与えてもらえない。


 二人は、壁際へと追い詰められていった。


 視線は警備ロイドから外さずスイレンが口を開いた。


「ちょ~っと、ヤバくない~?」


「大丈夫。もう少し引き寄せて。作戦C」


「らじゃ~」


 二人は背後の壁についた瞬間、しまったというように動きを止めた。警備ロイドは、その隙を逃すまいと、ひときわ大きく腕を振った。


 すかさず二人は警備ロイドの腕を取り、振りかぶった腕の勢いを利用してひっくり返した。


 重い警備ロイドの身体がふわりと一回転する。

 仰向けに床に落ちた警備ロイドが無防備になった一瞬を、スイレンは見逃さなかった。

 光線を受けてなお、警備ロイドは立ち上がろうと手足を動かす。その動きは徐々に遅くなり、やがて完全に停止した。


 わぁっと歓声が上がる。


(良かった。成功したんだ)


 ほっとしたルージュに、呆れた声が降ってきた。


「大丈夫~?」


「早く助けてよ、重いんだから」


 うふふ~と笑って、スイレンはロイドの下からルージュを引っ張り出した。

 自由になったルージュは、身体を払いながらロイドをチェックする。


「なんとか外傷はナシよね」


「うん。作戦大成功~」


 パチンと二人は手のひらを合わす。


 ルージュはクッション役を買って出たのではない。ロイドをあおむけに倒すまでは予定通り。避けきれずに下敷きになってしまっただけだ。それが結果的には、ロイドの外傷を防ぐ形になっていた。


(うっかり巻き込まれたってことはナイショよね)


 二人がかりで警備ロイドをそっと壁にもたせかけた後、互いの装備を確認しあう。強化服に部分的な損傷があるものの効果に変わりはない。光線のエネルギーも残っている。


 暴走ロイドはすべて止められたと思ったようで、外に集まっていたギャラリーが退いていく。

 二人の視線は自然と手術台へと向かった。


「これで残るはアレ一体だよね~。アレは特殊技能のない一般ロイドだから楽勝だよ~」


「…………」


 これだけ派手に周りが騒いでいるのに、一般ロイドは変わらず蘇生活動を続けていた。身に着けているのが普段着のせいか、家族が行為を続けているように見える。


(あの一般ロイドが暴走してるってこと、気づく人がどれだけいるのかしら?)


 ここは手術室なのだ。何も知らない人が見れば、そばで暴れているルージュたちの方が暴走していると思うだろう。


 ルージュは動けないでいた。


 ロイドは一心不乱に手を動かし続けている。ロイド特有の変わらない表情が、かえって我を忘れた人間のように見える。悲痛な声すら聞こえてきそうだ。


『死んだなんて信じない! お願い! もう一度目を開けて!』


(……違う。錯覚よ。ロイドに感情はないわ。あれはプログラム通りの行動なのよ。非常事態だから、登録者マスターに確認をとらないと)


 技師とはいえ、物理停止をする権利は雇われた会社に所属するロイドにしかない。個人所属のロイドの回路を切断したり壊したりすれば、それこそ保険沙汰になってしまう。


 登録者だと思われる夫婦は、今も動かず部屋の外から中をうかがっている二人なのだろう。


「ルージュ~?」


「あ。えっと」


(あ――。なんて切り出せばいいのよ? 今ロイドに蘇生されてるのっておそらく娘さんよね。それを止めさせるなんて、私にそんな権利あるの?)


「アクア」


 入り口から男の声がした。


 聞き慣れた『アクア』という呼び名がそのどれより優しい響きで、ルージュには、違うなにかを意味する言葉のように聞こえた。

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