第3話 青い瞳の青年

「聞いてアクア。彼女はもう助けられないんだよ」


 声の主は、先程ルージュに行き先をたずねた青年だった。

 あきれ顔でスイレンがルージュに囁く。


「そんなことロイドにわかるはずないよ~」


「そうよ。それで止められるんなら、初めっから説得してるって……?」


 視線を感じて顔を向けると、ルージュはロイドと目があった。いや、ロイドはルージュの向こうにいる青年を見ていた。指令文や喧騒に見向きもしなかったロイドが、青年の声に初めて反応したのだ。


 青年はゆっくりとロイドに近づきながら、静かに言葉を続けた。


「助けたいんだよね? でもね、ここにいる人たちが全力で助けようとして、叶わなかったんだ。アクア……君の力でも助けられない。わかるね?」


 ロイドはじっと青年を見つめている。


「その人は亡くなったんだよ。死んだんだ。もう誰にも助けられないんだよ」


 顔を向けて言葉を聞いているもののロイドの蘇生行為は止まらない。

 仕方なさそうに、青年は通路で手を取り合っている夫婦へと声をかけた。


「あなたたちからも言ってください。あなたたちだって、本当はわかっているんでしょう?」


 青年に優しく頷かれ、夫婦はロイドを見つめて言った。


「サキ……ありがとう」


「もういいんだ。止まれシステレ


 震える声で出された指令に、ロイドの透き通った青い瞳がゆっくりと光を失っていく。そうして深い青になって、ロイドは停止した。


   ☆


 ルージュとスイレンと青年は、医師と患者の両親と別室に通された。再起動したロイドも一緒だ。ロイドは何事もなかったかのように、患者の両親の後ろに立っている。患者の両親は、一気に老け込んだように疲れた様子だ。


 ややあって、向かいに座ったルージュたちに、夫婦はぽつぽつと言葉をつなぎ始めた。


「この度はご迷惑をおかけして……。本当に申し訳ございません」


「私たちがいけなかったんです。あの子が死ぬなんて何かの間違いだ、生き返るはずだ、と話していたものですから……」


 それに答えたのは青年だった。


「それで蘇生行動に出たんですね。アクアもよっぽど離れたくなかったみたいだけど」


「ええ。サキは、私たちよりずっと長くあの子と一緒にいました。病弱なあの子の、唯一の友達だったんです」


「蘇生させようとするサキを見ていると、私たちも、もしかしたらあの子が生き返るかもしれないと思ってしまって、止められませんでした」


「アンドロイドは純粋です。僕たち人間は、どんなに願っても叶わないことがあることを知っています。でも、彼らにはわからない」


 医師が首をかしげた。


「しかし不思議ですなぁ。今まで何度もロイドが同席しましたが、こんなことになったのは初めてのことですよ」


「きっとご家族と、とても仲が良かったんですよ」


 医師は前に立つロイドに目を向けた。


「それは『アクア』ですね。なるほど。アクアならありうる、か。まぁこちらとしては、大事に至らなくてなによりでした。技師が三人もいらっしゃって助かりました。では、私は戻りますが、どうぞゆっくりしていってください」


「私も仕事に戻りま~す」


 医師と一緒に立ち上がったスイレンに、ルージュはウィンクした。


(提出書類作成お願いね)

(ずる~い)

(しょうがないでしょ。私は時間外だもん)

(ちぇ~)


 スイレンは久しぶりに充実した勤務時間を過ごせるだろう。


 扉が閉まるのを横目で見ながら、我慢できないといった様子で嬉しそうに青年が言った。


「アクアのこと、サキと呼んでいるんですね」


 明るい表情の青年に、ためらいながらも夫婦は頷いた。


「え、ええ。あの子がつけたんです」


「『妹になるんだから私が名前をつけるんだ』って」


 その言葉に、さらに青年は笑顔になった。


「アクアも気に入っていますよ」


「そんなことまでわかるんですか?」


「はい。とても大切にされていることも」


「本当に、二人は姉妹のようでした……」


「……」


 夫婦は黙りこんだ。

 無理もない。たった今、娘を失ったのだ。


(邪魔しちゃダメよね)


「私たちも失礼します」


 ルージュは静かに立ち上がった。


「行きましょ」


 たち? とルージュを見上げる青年を無理やり引っ張るようにして、ルージュは部屋を出た。青年は閉じた扉を振り返った。


「あぁ、僕まだ聞きたいことがあったのに」


「そうなの? でも今はダメよ。娘さんが亡くなったばかりなのよ。遠慮しなくちゃ」


(クローニング治療もできなかったってことは、重篤な病気だったはず。あの家族は、いったいいつから最期さいごの時を知らされていたんだろう。どんな気持ちで過ごしてきたんだろう)


 医学が進んだおかげで病の発見は早くなった。完治できる病ならいいが、治療法がわかっていない病は発見が早い分だけ病と向かい合う期間が長くなる。


「……そうだね。僕って気がまわらなくて困るよ」


(あら素直。そうそう、私も聞きたいことがあるんだったわ)


 ルージュは少し小首をかしげて、練習の成果を発揮した。


「ねぇ。せっかくだし、良かったら私と一緒にお食事でもどうかしら?」


 青年は顔を赤らめて頷いた。


   ☆


 ルージュは青年を近くの食堂ビルへと案内した。


 ホワイトストーン病院のあるこの区域は、病院客や勤務者を対象とした飲食店や宿泊施設が充実している。ルージュのお腹の空き具合が隣駅まで行くのを許さなかったので、近場になった。


 二十階にあるルージュお気に入りの中華料理店に入ると、珍しく窓際の席へと案内された。


(いつもは通路側の席をすすめられるのに)


 外に面した大きな窓へと近づくとその理由がわかった。


「わぁ」


 青年もルージュも目を丸くした。窓の向こうに不思議な光景が広がっていたのだ。


 窓から見えるビルの屋上がそれぞれのテーマで飾りつけられている。咲き乱れる花々、南の島、氷の世界。さまざまな箱庭世界が点在するその向こうは無機質なオフィス街なので、文字通り都会のオアシスといった光景だ。窓際のテーブルは他の席とほどよく離れているし、まさにカップルが愛を語るにはもってこいという感じだった。


(確かに、普段の私には必要ない席だわ)


 愛想良くオーダーを終えても、青年はまだ不思議そうに窓を見ている。


「そんなにこの景色が気に入ったの?」


「うん。この窓も面白い」


「ただの遮光窓だと思うんだけど」


 遮光窓は、入ってくる光はもちろん、空気や音も調整できる優れものだ。開閉する従来の窓とは違って、はめごろしで調整するほうが多い。強化服の膜と同じ原理でできており、薄くて丈夫で扱いやすく、一般家庭にも普及している。


「病院でも思ったけど、外が見えるっていいものだね」


(この人、いったいどこに住んでるのよ?)


 ルージュは鋭く目を細めた。


「ね、名前とか聞いてもいい?」


永瀬ながせ 空也くうや


「クウヤ。不思議な名前ね。私はルージュ」


「ルージュ? じゃあ、歳は二十一だね」


「え、同期じゃなかったよね? 技師校で会ったことあったっけ?」


「僕は技師じゃないよ」


「ええ? さっき、医師せんせいが」


「技師と同程度の知識はあるから訂正しなかったけど、僕の所属はAQA社の開発部だよ」

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