[2021年10月3日日曜日]愚かな二人は話し込む、絢辻さんについて


 最近、『アマガミ』を遊んだという彼女は。

 熱心に語りながら、時々、憂い愁っている。

 その隣で、僕は『スピードとナイフ』に気づいた。

 よく切れるナイフのような頭脳思考ですら。

 追いつけない、めちゃ速なスピードがあるんだと。





 

 ご注意

 『アマガミ』での絢辻さんの話、そのネタバレが含まれます。

 いつか、これから、プレイしようとされている方は、どうかお戻りください。

 もし、ネタバレ歓迎という方はどうぞお進みください。

 主に1~11までが、一応『アマガミ』の話題です。おそらく最後までついてこれる方はいないと思いますので、気になった章だけを覗くのがいいかもしれません。

 (絢辻さんは登場しませんし、途中(絢辻さんの失態で)、絢辻さんに対してキツイことも言っています。そういうのが苦手な方はどうかお戻りください)

 (ついでですが、文章がかなり長くなってしまったので。無理に章分けしました。そのため、変な継ぎ接ぎになっています。ご了承ください)

 

 校閲が不十分なため、ガタガタかもしれません。

 気が向いたら、勝手に文章を変えます。

 

 

 

 

 

0、いつもとは何かが違う、ガクちゃん

1、絢辻さんの裏と表?

2、面白い絢辻さんはステキな人

3、橘君と絢辻さんは同じ似た者同士

4、絢辻さんは器用? それとも不器用?

5、忘れていた、信じるの形

6、絢辻さんの失態

7、あの結末のその先は

8、本当に辛いのは

9、ガクちゃんと絢辻さん

10、『スピードとナイフ』

11、そして、僕らは駅を過去に流した

12、帰宅後、自宅にて

 

 

 

 

 いつもとは何かが違う、ガクちゃん

 

 

 最近の僕は妙に苛々していた。

 何に、どうして、なぜ苛々しているのか。その理由が自分ではよくわからないが。とにかく、苛々してた。

 そんな日々が続き。焦燥、不満、葛藤、憤懣、それらを煮詰めた、憎悪色の憤怒が爆発寸前。得体の知れない何かを吐き出しそうな心情と共に、自宅玄関発、登校線、上りを進んでいた。

 登下校、そのどちらも、特別な傾斜を進むのではなく、だいたい同じ平坦な道。行きも帰りも同じ距離を進むのに、上りと下りではこうも違うのかと、改めて思い知りながら学校へ辿り着き、5階まで階段を上る。朝から心臓破りな運動で余計に吐き出しそうになる。本当にいろんなものを。

 そのまま、堪えて教室に辿り着き、自分の席に座った僕の機嫌は無期限に悪い。そんな不機嫌がこのままずっと続くと、疑うこともなく信じていた。普段は何事も疑っているくせに。

 そんな僕は、きっと、かなり不器用なんだと思った。

 自分の一面に気づいた頃、僕の視界と意識がクラスメイトと談笑する彼女を捉える。

 僕とは対照的な彼女。きっと、僕らは裏表の関係性だと勝手に思っていた。僕が裏で、彼女が表。しかし、そんな考えはかなり純一無雑。つまり、あまりに単純過ぎると疑い癖の第二本心が目覚めた。

 それはそうだ、彼女こそはワガママ・クイーン。

 裏表? そんな不器用なシフトチェンジをしなくても。どんなヘアピンでも曲がれる、器用に貫く歯止めなし走法は。めちゃ速であらゆる全てを統べるように滑っていく、余裕が溢れる最速神話。WAGAMAMA、四つ揃ったAは、不戦神話のA。

 Aの神話を説く、聞こえるはずのない彼女の声が聞こえた気がした瞬間、それは消えた。

 さきほどまで絶対的に信じていた、それだ。そう謎めいたあの不機嫌。それが嘘のようにキレイに消えた。まるで、熱いトタン屋根の上のアイスクリームのように。

 そう、いつだってそうなんだ。僕の感覚と意識が彼女を捉えたら。だらしないくらいに表情心情が緩んでしまう。

 そして、僕は染まる。裏表や白黒、勝ち負けに好き嫌い、信頼と裏切り。溢れかえった、いろんな意味をハッキリさせるのがどうでもよくなってしまう。確かな余裕が果てしなく広がる、彼女の中間色に染まりきっていた。

 こじ開けたり、傷つけることなく。器用に僕の何かを盗んでしまう、彼女はWAGAMAMAバディー。最も頼りになる相方だ。

 そのまま、ホームルーム後。僕は一時間目の授業に突っ込んでいった。だらしないままに。

 

 

 お昼休み、疎遠気味の黒岩君たちが僕にかまってくれた。

 だけど、それにどう乗っていいのかわからず。僕はその輪に飛び込まなかった。それが第一の理由。そして、第二の理由は、いつもとは様子が違う彼女を観察していたかったから。

 午前中の休み時間から様子が普段とは違う彼女。

 クラスメイトの話をよく聴くのはいつも通りだが。あまりにも聴き過ぎている。聴く事に徹した、守備職人のようだった。

 さらに、その表情が気になった。あまりにも真剣過ぎる。何かを探って相手の粗を探すようだった。

 何かの奇襲作戦でも考えているのだろうか?

 まさか、あり得ない。今日も疑い癖が抜けない第二本心は絶好調だ。それを抜き去りにかかる第一本心。それにしても、何がそこまで彼女を真剣にさせるのか。いつもなら、気づいてしまう直感を貫いて、積極的に話題も出すのに。今日、彼女が出したパスは一本もなかった。

 ずっと、それが気になったまま、放課後に辿り着いた。

 静かに僕は席を立ち歩き始めた。だらしなく緩んだり、妙に気になったり、変に疑ったり、なぜか心配している第一本心。ぞれぞれの情が求めた、厳格な目的はこの一言だった。

「ガクちゃん、一緒に帰ろう」

 そう、まずはこの一言。

 その反応で、わかる何かもあるのかもしれない。

「帰りましょう、肯定さん」

 そう返した、彼女は驚くほど、いつも通り、普段通り。

 だけど、これは表通りだろうか? それとも裏通り?

 何かがわかるどころか、霧の中の迷宮に迷い込んでしまった僕。そして、明るく支度を済ませ、立ち上がる彼女は妙に機嫌がいい。まるで天気のいい妙義山のように。

 疑問符にとり憑かれた僕とゴキゲンな彼女、対照的な僕らは、並んで一階の駅まで歩く。

 下駄箱で靴を乗り換え、昇降口発、帰り道線、下り。

 その路線を進み出した僕の心情は、朝の上りとは全く違った。

 再び、そんな事実を思い知りながら。僕らは正門を抜けて、いつもの土手道を目指した。

 

 

 絢辻さんの裏と表?

 

 

 沈黙が続くだろうから、自分から聞き出した方がいい。

 きっと、彼女なら訊かれたら、避けたりせず答えてくれるだろう。

 しかし、それでも、自然にいなせに風のように訊ねてみたい。

 そんなことを、ノロノロ、ちんたら、考え悩んでいた僕の心情は、何事もスローモーションに歪めてしまう、彼女が貫くワガママに先制攻撃を受けた。

「肯定さん、『アマガミ』ってゲームをご存知ですか?」

 その瞬間、日常を象徴する、見えないお茶がどこかで零れていた。

 『アマガミ』だって? まさか、アニメやゲーム、その全てがオタク文化だと、分類されてしまう時代の庶民的な学校の生徒。それも女子生徒の口から、その名前が出るなんて……。あまりの衝撃で凍りついてしまった。

「どうしたんですか? 肯定さん」

「あっ、いや、あまりにも嬉し過ぎ……違う違う!」

「違う……そうですよね、ご存じないですよね」

 それも違う! だけど、どうしたら……これは何かの踏み絵だろうか?

 もし、知っていると答えたら、軽蔑されてしまうのかもしれない。

 教室で『モンスターハンター』のライトノベルを読んでいただけで。クラスメイト、それも男子生徒にからかわれ、あだ名が『モンスターハンター』になったのに。彼女の前で『アマガミ』は……。

 しかし、この世界は残酷だ。こうして僕がいろいろ悩んでいる間にも。確実に僕らは分岐点の橋へ近づいている。それも、めちゃ速な速度で。このまま、悩み続けたら、もう彼女には追いつけない。

 だから、僕は勇気を振り絞って、第一本心で答えた。

「知っているよ……まだ、遊んだことはないけど、知っている」

 そう答えた後、僕はどん底へ突き落される。

 そう疑っていた第二本心は絶好調過ぎて、どうかしていた。

 あの彼女が、そんなことをするだろうか?

 するはずがない、彼女こそはワガママ・クイーン。

 シフトチェンジせず歯止めなし走法で、いろは坂を統べるように滑る術を知っている彼女なら、正面から突っ込んでくる。

 もし、僕を敵として排除したいのであれば。

「本当ですか!? 実は、私、遊んだんです、『アマガミ』。ですが……学校では誰にも言えなくて。特に女子には……」

「だよね、ウチの学校というか。今の時代だと、ちょっとね……。いや、いつの時代でもかな」

 そう苦笑いする僕は、少しホッとした。

 僕だけじゃなくて、彼女も同じ雰囲気と印象をこの学校に対して感じていたこと。その事実に安心していた。

 だけど、彼女は安心とはほど遠い、熱心な心情の中にいた。

 そのまま、熱心に求めた、ワガママに。

「そういうわけで、『アマガミ』の話がしたいんです! 私! 特に絢辻さんという女性について!」

 断るに断れない。そんな迫力に、ハッキリとした抜け穴が見え始めた。

「ですが……肯定さんは、まだ遊んでいませんよね? 秘密の暴露話は嫌ですよね」

 失敗したケーキのようにしぼんでいく彼女。

 その姿も愛おしかったけど、僕は膨らんでいく彼女の気分に乗りたかった。

 きっと、彼女ならどこか遠くへ連れてってくれそうだから。

 そんな僕の勝手な期待を声にしてあらわした。

「僕、ネタバレは気にしないから。だから、教えてくれない? 絢辻さんのこと。あの表紙の綺麗な女性だよね?」

 ゲーム屋さんで見かけた、凄く魅力的な表紙。

 少し彼女に似ているようで。きっと、かなり違うって。第一本心も疑う第二本心も気づいていた。

 髪の色とか外見ではなく。内面的な部分が大きく違うような気がすると。

 だけど、ただ違うというよりは。美しく、綺麗なほどに対照的な存在のような気がした。

 そして、対照的な違いの奥には、確かな共通点があっても不思議ではない。

 そう思ったからか、余計に彼女の話が聴きたくなってしまった。

 まるで、いつもと違う感じがした、今日の聴き専門の彼女のように。

「そうです、表紙のステキな女性です! さすが、肯定さんです。よーくよく、ご存知ですね。それでは、橘さんと絢辻さんについて簡単な紹介を……」

 お人好しでいい人な橘君は、クリスマスに辛い過去を持つ男子高校生。

 文武両道、天下無敵の仮面優等生な絢辻さんは、裏表がない素敵な女子高校生。

 そして、彼女は付け加える。きっと、絢辻さんにも辛い様々な過去があったのだろう、と。だから、橘君の痛みも絢辻さんは知っているのかもしれない、と。

「文武両道の絢辻さんか。なんか僕が昔、ガクちゃんに抱いていた印象みたい。完全無欠の完璧超人、ホンモノの優等生」

「私は違いましたが。たぶん、絢辻さんはホンモノな気がしますよ。少なくとも落第生の私よりはホンモノです」

 そう笑いながら返す彼女は、絢辻さんに対して確かな憧れを抱くように、瞳を輝かせていた。

「裏表ね。優しく人当たりのいい上品な絢辻さんが表で。橘君が知った絢辻さんが裏。そんな感じかな?」

 そう訊ねると彼女は驚きながら返した。

「えっ、私は橘さんが知った絢辻さんが表で、皆さんが知っている普段の姿が裏だと思っていました」

 なるほど、そういう裏表か。

 そう僕が理解しようとすると、彼女はそう考えた理由を説き始めた。

「だって、裏表です。表裏ではなく、裏表ですから。普段が裏で、隠しているのが表。そう思ってしまったんです」

 そう言われると妙に納得した。妙義山ほどに。

 野球は表裏、裏にサヨナラがある。

 もし、野球が裏表なら。きっと、表にサヨナラがあるのだろう、と。つまり、裏表なら裏が先攻で、表が後攻。

 彼女が言うように、絢辻さんが見せている普段が先攻の裏側だとしたら。僕にはその裏の方が、少し近寄り難く怖い気がした。白というより、そっちの方が黒く見えた。

 同じ裏表でも、僕らではその印象が違った。その事実が面白かった。

 この先、絢辻さんの印象にどんな違いが待っているのか。

 それが待ち遠しくて、僕は待ち切れずに訊ねた。

「他に何かない? もっと、教えてよ。ガクちゃんが気づいてしまった、絢辻さんを」

「まだまだ、話したいことはいっぱいですよ! 次は、絢辻さんの面白さです」

 

 

 面白い絢辻さんはステキな人 

 

 

 そう言い彼女は簡単な事情を紹介した。

 橘君に自分のことを『裏表のない素敵な人』、そう紹介したそうだ。ほんの少しだけ強めに引っ張るように。

 そして、絢辻さんの表を知った後も、特別避けようともしない橘君に驚いた絢辻さん。その心情が、彼女は面白いと言う。

「秘密を隠した裏表のある人には近づきたくない。そう言う絢辻さんが、ちょっぴり面白いんです、私は」

 思い出し笑いをしながら彼女は続けた。

「だって、そうじゃないですか? 自分で私は裏表のない素敵な人。そう紹介したのですから。橘さんが絢辻さんを避ける必要性がどこにあるのでしょうか? 裏表のない素敵な彼女を避ける理由なんて。私には思いつきません!」

 真顔で答える彼女。その真面目さに僕は思わず笑ってしまった。僕が笑えば、彼女も笑う、引っ張られるように。

 しかし、彼女は直ぐに笑うのをやめた。

 まるで、何かを恐れ怖れるように。

 そして、僕が笑い終えた頃に話を仕切りなおした。

「裏表がある人は、何を考えているのかわからない。そう言い切れる絢辻さんのような自信は、今の私にはありません」 

 そんな彼女の言い分に、僕はまだ追いつけなかった。

 得体の知れない何かに近づきたくないのは、当たり前に然り、当然な気持ちだと思っていた。

 だけど、彼女はそれが自信だと言う。その理由を明かし始めた。

「人が考えていることは、誰にもわからないことばかりです。今だって、肯定さんがどんなことを想いながら、どんな気持ちで私の話を聴いてくださっているのか。全くわかりません。それを認めたら、怖くて不安にもなります。ですが、それでも突っ込みたいんです。少しでも、知って欲しくて知りたくて」

 そんな彼女の言い分と僕の本心は、かなり同じ似た者同士。

 誰かに知ってもらえる。ただ、それだけでかなり嬉しい。

 もし、わかってもらえたら、信じてもらえたら。もっと嬉しい。

 そして、自分もそんな誰かを知りたくなる。

「実は、今日だって……クラスメイトにも絢辻さんのように裏表があるのか。よーくよく観察していたんです」

 その告白で、いつもとは様子が違った理由がわかった、やっと。

 何回も一緒に帰って、いろんな話をして、様々な一面をお互い見てきたのに。それでも、わからない。ホント、人ってわからない。だから、飽きずに面白い。

 そして、彼女も僕にとっては、絢辻さんのようにかなり面白い。

 まさか、裏表をあんなに真剣にマジに探すなんて。

「わからないことばかりだね、ホント、しみじみと。それで、裏表、見つかったのかな?」

「残念ながら、今の私には見えませんでした。なんとなく、私たちのクラスにはいない気がします。もちろん、皆さん、本心を全て明かしているとは思いませんが。けっこう、思ったことを話している気がします」

 それから、ほんの少し考え、付け加えた。

「ただ……本当に話したい話、聴いて欲しい話。それらが在るのか無いのか。もしくは、どこかに隠しているのか。その答えはわかりませんが」

 そう今日の彼女が言うと妙義山ほどの説得力がある。

 この帰り道まで、話したかった話を隠していたのだから。

 しかしそれで、彼女が学校で嘘を答え続けていたのかと言えば、それは違うのだろう。なんせ彼女は我がままを貫いているから。慣れない嘘をつく必要性がある立場には立たないだろう。

 そう思えたのは、これまでの彼女と帰った記憶。

 それが正しいと言い切れる自信は全くないが。なんとなく、そんな気がした僕は、思い出したことを声にした。

「そう言えばさ、ウチの学校だと鈴木君って男子が学年トップクラスの成績らしくて。それで、どんな子なのか気になって会いに行ったら、凄くいい人だったよ。なんだろう、物語に出てくる嫌なタイプじゃなくてさ。もっと、気さくな感じ。それから、そこまで勉強熱心って感じでもない気がする。普通に休み時間は遊んでいるし」

「絢辻さんとは対照的……いえ、気さくではないという意味ではなく。遊んでいるところがですよ!」

 そう慌てて理由を強調する彼女。

 特別、この話が絢辻さんの耳に届くわけでもないし、隣にいるわけでもないのに。なぜか、必死に言い分を述べる彼女が愛おしく思えて、普段は言えない心情が零れてしまった。

「でも、ウチの学校ってそんな感じかもね。僕も入学前の印象と違ったもん。もっと荒れてて、怖い学校だと思ったけど。制服を着崩し過ぎて、授業中にお店を広げているくらいで。わりといい人が多い気がする。そりゃ、嫌なこともあるけど、それでもさ。だから、裏表のある人とか、文武両道の完全無欠の完璧超人とかはいないのかもしれない。ガクちゃんには残念かな?」

「いいえ、私も好きです、この学校が。それに存在するかどうかは、トタン屋根の上のことです。ただ、もしかしたら、私が見落としていただけで。本当は皆さん、裏表を持っているのかと思ったもので。探してみたかったんです」

「もし、見つけてしまったら……どうするつもりだったの? 橘君みたいになりたかった?」 

「橘さんみたいにですか? そんな、私には務まりませんよ。だって、私、ワガママですから。たぶん、絢辻さんも匙と賽を投げますよ」

 そう言い、橘君の魅力を教えてくれる彼女。

 確かに、同じ男の僕から見ても、凄く魅力的な人だった。なかなかいない、いい男性だ。

「ですが、それでも私は、突っ込むでしょうね。ワガママですから。素人がいくら知ろうとしても、わからないと気づいていても……」

 そう言い終えた後、僕の情を覗き込み微笑みながら続けた。

「わからないからこそ、知りたくなってしまう、それが人の性ではあーりませんか?」

 そう説く、彼女の瞳の向こう側は何を想っているのか。

 きっと、永遠にわからない。

 そんなことは僕だってわかっているけど。それでも、ついて行ける所までついて行きたい。知って欲しくて、知りたい彼女を追いかけて。そんな気持ちを沈黙の中に隠した。

 底に知らない何かがあれば、突っ込んでしまう。それでこそ、好奇心ドリフトの名手。速い、速過ぎる、十万石まんじゅうは埼玉銘菓。そのまま、歯止めなく彼女は進み出した。

 

 

 橘君と絢辻さんは同じ似た者同士

 

 

「私、絢辻さんと橘さんは、同じ似た者同士だと思うんです」

 彼女は最初の紹介でもそう言っていた。同じ痛みを知っているかもしれない二人だと。

 しかし、外側から見れば、二人は全く違うようにも見える。

 彼女が気づいた二人の共通点を紹介してくれた。

 サンタクロースがいないと思った絢辻さんは。いつか自分がサンタクロースになりたい。そう思ったらしい。

 そんな絢辻さんとお人好しでいい人の橘君は、同じ似た者同士だと言う彼女。

「自分のために。誰かを幸せにするサンタクロースになりたい。そんな自分の目標を叶えるために、いろいろ誰かが助かることをしている絢辻さん」

 彼女は僕に指し指を向けて、僕がついてきているか確認する。

 それに無言で頷けば、彼女は安心した声で続けた。

「外から見れば、誰かのため。だけど、本人には自分のために見える。同じ行いなのに、覗く場所で変わってしまう意味。それは、ちょっぴり面白いですね」

 彼女は笑っている、僕もそれが面白く思えて、一緒に笑っていた。

 同じ行いなのに、誰かには誰かのために見えて。自分には自分のために見える。

 だけど、それがサンタの姿かもしれない。誰かを喜ばせたい、そんな自分のために存在しているサンタクロースとお人好しでいい人は、かなり似た者同士のような気がした。

「ガクちゃんはどうなの? かなりいい人だと思うけど」

 僕の問いと印象に少し驚きながら、彼女のワガママは加速して伸びていく。

「私ですか? 私はただのワガママ娘ですよ。だって、今もサンタクロースがいないとは思っていませんから。ですから、自分がサンタクロースになりたいって思ったこともありませんでした」

「そうだね、僕らはこの世界のことを知らなさ過ぎる。誰かや自分の環境が存在しないと言っても、僕らが知らない場所にはいるのかもしれない」

「さすが、肯定さんです! そのとおりです。私が知らない形のサンタクロースがいても、何も不思議ではないと気づいています」

 何かに気づいてしまう。その裏側には、気づいてしまった何かと同じ姿の影がいるもの。まさに、深縁を覗く時、深縁から覗かれている。その例えに相応しい事例。それを彼女は挙げ始めた。

「自分の損得など考えずに動いてしまう、お人好しでいい人の橘さんが。目障りなんだと気づいてしまった絢辻さんも。きっと、どこかで、そんな事実を知ってしまったのでしょう。なぜなら――」

 そのまま、追い風のように返したのは僕。

「その事実を知らなければ、目障りだと気づきようもないね、橘君のように」

「さすが、私のホームズさんです。私たちには知ることが叶わない秘密。特別、その秘密の正解が欲しいとも思いません。ただ、なんとなく、直感でそう思ってしまいます。どこかで、お人好しでいい人な絢辻さんの裏側が、誰かには目障りだと、知った瞬間があったのかもしれません」

 絢辻さんのそんな可能性が、橘君の痛みと同じように思えた彼女。

 それは理由の一つで。さらに、彼女が見つけた深縁は続いた。

「誰かの手伝いなんて。やらないどころか、気づかない人が多い。その事実も知っている絢辻さん。そして、そういうことを背負ってしまう、素直過ぎる橘さんは、放っておくと危なっかしい。そう気づいてしまった理由も。きっと、何か秘密があるのでしょう」

 なんとなく、僕にもそんな秘密が見えた気がした。

 もしかしたら、昔、絢辻さんが通ってしまった、かなり危ない道がどこかに。僕らが知らない未知の秘密の中に。

「僕らには知り得ないことだけど。それでも在るような気がする。ガクちゃんが信じている、サンタみたいに」

 そう答えた後、遅れて僕も気づいてしまった。

 彼女が橘君と絢辻さんが同じ似た者同士だと思った理由。

 それが、わかりそうな自分なりの秘密に。それを静かに明かした。

「なんか……絢辻さんの方が、よっぽど危なっかしくて放っておけないね。いろいろ背負い込んでパンク寸前だから。気づかない人が多い重さを知っていて。橘君が背負った重さに気づいて心配している。お互い似た者同士のステキなサンタだね」

「そうですね。同じサンタクロースだから、背負っている荷物の重さに気づいている。そんな二人だと思います、私は。そして、私についてきた肯定さんも」

「実は、かなり似た者同士かな。あまり自覚は無いけどさ」

「自覚が無いから、似た者同士なんですよ、きっと」

 そう笑っている彼女に並ぶように、無意識に僕も笑っていた。

 僕らは今、かなり満足していた。そして、そのまま加速し続けた。

 

 

 絢辻さんは器用? それとも不器用?

 

 

「どこかで器用になってしまったから、裏表を操れた絢辻さん。なかなか器用になれなくて、裏表を操れなかった橘さん」

 そんな彼女の言い分と僕の言い分。その間には確かな違いがあった。

 その形は、この話の始まりのような形だった。

「えっ……僕、器用なのは橘君で。不器用なのは絢辻さんだと思うよ?」

 彼女は驚いていた。

 だけど、そこには二つの意味が隠れている、そんな印象だ。

 一つ目は純粋に僕との違いに驚き。二つ目は何か僕が言ってはいけないことを、言ってしまったかのような驚きだった。

 彼女は二つ目の驚き。それを見えない奥の方へ隠すようにしまいながら。僕に訊ねた、そう思った理由を。

「私には橘さんの方が不器用に思えますが。橘さんも器用なのでしょうか?」

「あっ、いや、僕にはそう思えてね。橘君の方が器用な気がする。だって、そうじゃない? お人好しでいい人。そんな自分を貫くのって、けっこう大変だと思うんだよ。きっと、嫌なこともあるだろうし」

「そうですね……例えば、クリスマスの辛い過去とかですか?」

「そうそう、もし、僕なら不器用にシフトチェンジするだろうね。普段とは違う自分を演じてみて、辛い痛みをごまかしたり。でもさ、器用な人って、普段の自分をどんな時も貫けるから器用なんだと思うよ」

 めちゃ速な彼女もなかなか一緒に並べない。鏡に貼りついたままだった。

 それもそうだろう。橘君と同じ器用さを彼女は持っているのだから。

 彼が不器用に見えてしまう彼女に、この器用さをあらわすのは不器用な僕には少し難しかった。

「……そうだ、いろは坂だよ。下手くそな僕は、つづら折りを2、3、4ってシフトチェンジしている。でも、ガクちゃんは3で貫くじゃない? そういうのが、僕には器用に見えるんだよ」

「えっ、そうなんですか!? 意外です。私はシフトチェンジが苦手だから、3を貫いているだけなのですが」

「それで、つづら折りを下れるのなら、かなり器用だと思うよ。タイムも圧倒的な差があるし」

「肯定さんがそう仰ってくださるのなら……もしかしたら、私も、ほんの少し器用だったのかもしれませんね」

「ほんの少しじゃないよ、かなり器用だよ。じゃないと、あんな走りはできないよ」

 合図もなく僕ら二人揃って笑った。

 そのまま、笑いながら続けた。何かをごまかすように。そう、だから僕は不器用なんだ。

「僕らが進む日々にもいろんなことが待っている。そこをいつだって変わらない何かで、貫けたらいいけど。痛みを伴う傷が増えるたび、臆病で狡猾な何かが、薄く浅はかに自分を守ろうとすればするほど痛い目を見る。だから、不器用なんだよ。武器を手にすれば、余計に傷つくってわかっているのに。辞められない、止まれない、愚か者」

 そう語る僕の表情と見えない心情を彼女は黙って覗いていた。

 そして、静かに穏やかに笑いながら答えた、彼女。

「そういう不器用さもあるんですね……やっぱり、面白いですね。私、橘さんの器用さに気づいてしまった、不器用な肯定さんが好きですよ。絢辻さんみたいですね」

「えっと、悪い気分はしないから。否定はしないけど……。でも、悪いよ。その全国全世界の絢辻さんのファンの方々に。文武両道とは程遠いし、お腹は出てるし、だらしないし、性格もよくないし、欠点ばかり見ちゃうし、何より僕は男。超絶美少女じゃないからさ」

「それなら、絢辻さんも肯定さんほど……」

「僕ほど?」

「いいえ、やめておきます。肯定さんのために」

 

 

 忘れていた、信じるの形

 

 

 やっぱり、今日の彼女は不可思議だった。いつも通りに突っ込んでくるけど。それでも、突込みがかなり甘い。まるで、何かに脅えるように笑っていた。

 少し脅えたまま、また進み出した。まるで、クリスマスの辛い過去と訣別する橘君のように。そんな彼女と橘君は僕にとって憧れの輝き。そのまま、歩いていけるって、かなり凄いと思う僕に彼女からのパスが通る。

「自分と考え方が違い過ぎる。そう思っていた絢辻さんにとっての橘さん。ですが、本当は……限りなく似ていますね」

 最後、少しためらいながら明かした、彼女の言い分は僕にも覚えがあった。

 待ち専門の消極的な僕と、突っ込み専門の積極的な彼女。僕らは全く違うと思っていた。だけど、けっこう、かなり、随分と近い。その関係性は、隣にいるのが当たり前の影のような感じ。

 そして、あの二人。表裏を操れない橘君と、いろいろ気づいてしまう絢辻さんも、限りなくそんな感じに思えた。僕らと同じようにもの凄く近い。

 きっと、それは目に見える外側ではなく。目には見えない内側の距離感だと考えていた僕は静かに頷き続いた。本来、彼女が言うはずだった、最後の言葉の形を声にして。

「お人好しでいい人の橘君と、裏表のない素敵な絢辻さんは、限りなく同じ似た者同士、そうだよね?」

 少し前に彼女が奥にしまいこんだ、二つ目の驚き。それが、彼女の表から勢いよく飛び出し、それを追うように彼女の心情が声になってあらわれた。

「こ、肯定さん、何てことを言うのですか!? そんなことを言ってしまったら、命がいくつあってもたりません!」

 いったい、何が彼女をそうさせているのか、全くわからない僕。

 たぶん、僕が言ってしまった台詞。もしかしたら、それが彼女には禁断の呪文のように思えたのかもしれない。

 特別、変なことを言ったつもりはないが。いつだって、破滅の言葉というのはそんな感じだ。バルス、パルス、エロス、メロス。この中に禁断の呪文が潜んでいるなんて、誰も思わないだろう。

 しかし、禁断の呪文に気づいてしまった彼女は、必死に僕の口を塞ごうとしてる。

 その戯れの中で思い出した。彼女自身もこの呪文を最初に言っていたことを。

「ちょっと、どうしたのガクちゃん? 最初にガクちゃんもそう言っていたじゃない?」

「私はいいんです。ただ、それでも……何度も言っていいものか、迷ってしまって。ですが、肯定さんはいけません!」

「相当、恐く怖い何かがあるんだね。でもさ、大丈夫だよ。ガクちゃんの速度には誰も追いつけないだろうから。めちゃ速なAは、不戦神話のA。そうでしょ?」

「神話というのは……いつか破れるから神話なんです。大好きなRの神話だって、破れてしまいました……」

 彼女は肩を落とし、僕の口を塞ごうとしていた手も垂れた。

 勢いも落ち始めた彼女に、僕が信じている神話を解いた。

「そうかもね。でも、僕は……不戦神話が解かれたAの方が恐くて怖い気がする、たぶん」

 そう僕が答えると、挙動不審に乱れた彼女の平静が少し戻ってきた。

「解かれた、方がですか?」

「そう、不戦の神話が壊れた時、封印していた何かも解かれてしまう。よくある話じゃない?」

 続きが見えない、よくある話の先。それを探そうと加速する頃には、彼女は平面に等しい平静の上。飛ばしたトンビのような疑問符も答えを見つけて戻っていた、彼女の見えない奥の方に。

「肯定さんが私の四つ揃ったAに、そこまで期待してくださっているのなら。それを裏切るわけにはいきませんね。この話の主犯として」

「期待じゃないよ、僕が一方的に信じているだけ。だから、裏切りも何もないよ」

「裏切りも、何もですか……?」

「そうだよ。だって、そうでしょう? 本当は、気づいているんでしょう? ワガママ・クイーンが気づかないはずがないよ。貫く、我がままと同じように。信じることも一方通行に貫くもの。何か見返りや期待を求めた時点で。それは何も信じていなかったんだよ」

 これで簡単に伝わると思ったが、不器用な僕の言い分は伝わり難い。また鏡に彼女が貼りついてしまった。

「えっと、そうだな……。ほら、サンタと同じだよ。本当に信じているのなら、信じ貫けばいい。例え、他の誰かや環境が何と言っても、どんな事実を突きつけられても。だけど、なかなかできないんだよね」

「できないのですか?」

「だって、恐くて怖いじゃない? 何が恐くて怖いのかはそれぞれだろうけど。自分の中の何かを守るために、サンタはいなかった、そう信じてしまう。だけど、その先に待っているのはサタン。信じるの形が、かばい合い、もたれ合い、相互扶助、相互依存。そんな退屈でつまんない形に変わる。ガクちゃんも嫌じゃない? 僕が君を信じるのはお互い様だから、なんて腐ったことを言い出したら」

 彼女は静かに僕の瞳の奥の方を覗いてる。

 深淵を覗く時、僕の深淵も彼女の深淵を覗いている、かもしれない。その幽かな可能性が嬉しかった。

 そして、いつものように微笑み出した彼女がもっと嬉しくさせる。

「いいえ、かまいませんよ。例え、何と言われても、何をされても。私は裏切りとは思いません。そういうことですよね?」

「いや、そんな……無理はしないでよ。強要じゃないんだから」

「違います。そういうことではなくて。とても身近で、あまりにも身近過ぎる意識だったもので。私も忘れていました。そうでしたね、我がままって、そういうことですね。貫いた先には、勝利も敗北も裏切りもない、不戦神話のA」

 そう答えてくれた頃には、僕らの気持ちの速度は並んでいた、一緒に。

 

 

 絢辻さんの失態

 

 

 そのまま、新しい話題を切り出す、その彼女の表情は誰かを憂い愁う色に染まり始めた。

「肯定さんが思い出させてくれた、信じるということ。それに私が感じた痛みの正体見たり、絢辻さんの失態」

 脅えたり、何かを隠すようなことをせずに。ハッキリと確かに絢辻さんの失態だと言い切った彼女はいつも通りめちゃ速だ。その事情の説明も加速した。

 いろんなことを何でも知っている絢辻さんは、橘君の秘密も知りたくなり、勝手に詮索してしまった。その結果、彼の辛い過去を知ってしまった。そのことは、素直に謝ったのだが。その先が不運の始まりだった。

 絢辻さんを目の仇にしていた、黒沢さんという女子生徒が嫌がらせを仕掛けて、大切なクリスマス行事の妨害をしようとした。しかし、黒沢さんの策略は、天下無敵の絢辻さんにとってはお遊びに過ぎず。結果、見事に問題を解決してしまった。

 そこで下がっていれば、よかったと言う彼女。

 しかし、怒りが収まらない絢辻さんは、反撃に打って出てしまった。失態の始まりへ。

 秘かに黒沢さんが、橘君を好きだと知っていた絢辻さんは。あえて、黒沢さんの前で彼と仲のいいところを見せつけた。その行いの意味は、黒沢さんへの反撃の武器に橘君を選んでしまった、という事実。まるで、似た者同士。成功法では戦えない黒沢さんと天下無敵のはずの絢辻さん。争いは同じ力同士でないと、生まれないとか生まれるとか。

 痛みを感じたという彼女は、その心情を声に込めた。

「もし、私が誰かを傷つけるとしたら。汚すのは自分の手だけです。誰かの手まで汚してしまったら……私のワガママは貫けません」

 彼女の声色は怒りや悲しみよりも、心配をあらわしていた。それもかなり大きな心配、余計なお世話入りの。それを誰に向けているのか。この時の僕にはわからなかった。

「たしかにね……」

 そう呟きながら、自分に置き換えてみた。

 もし、僕が彼女を武器に選んで、誰かを傷つけたとしたら。

 その事実が彼女を苦しめるかもしれない。それが彼女の辛い傷になるかもしれない。

 ましてや、クリスマスの辛い過去。そんな傷がある橘君だったら。とても武器には選べない。自分が新しい傷を与えてしまうなんて嫌だから。

 それでも、どうしても潰したいのなら。

 武器は使わず、正面から突っ込むだろう。例え、負けるとわかっていても。

「橘さんを武器に選んだこと。それは失態の始まりに過ぎません」

 彼女はそう切り出し、その先を明かし始めた。

 そこには、様々な彼の可能性が広がっていた。そのまま、絢辻さんと仲良くなっていく可能性もあった。だけど、その近くに絢辻さんから黒沢さんの事情を聞いて決断する彼。そんな可能性もあった。

 もし、そこで、黒沢さんにラブレターを書いてしまったら……。

 その可能性に、絢辻さんの失態が突き刺さっていた、と彼女は言う。

「私なら考えてしまいます。過去を詮索され、知らないところで、絢辻さんの個人的な戦いの武器にされて。本当にこの人でいいのだろうか? もしかしたら、最初から自分は対黒沢さんようの秘密兵器だったのではないか、と」

 まるで、僕の疑い深い第二本心のような加速。驚いた僕は全速全開でついていく。

「そんな心情が選んだ結末は悲劇でした」

 彼女が明かした、その結末には、僕も痛みを同じように感じてしまった。

 遂には……辛い過去の傷があると、知ってしまった橘さんまでにも。臆病で狡猾なカウンターを放ってしまうのか。

 ホント、めちゃくちゃ不器用で。恐ろしく怖ろしいほど人生のヘアピンを抜けるのが下手くそなカスだな。その先に待っているのは洞窟の壁か、深淵の底だけだ。ガムテープのせいじゃない。

 そんなことを思ってしまった自分も。かなり下手くそなゴミクズだけど。僕の前を走る彼女についていけば。なんとか抜け出せる、不器用にシフトチェンジをしても。

 そういう意味では、僕は凄く幸運だったのかもしれない。

 だけど、絢辻さんは……。

「得意気に絢辻さんは橘さんに言います。信用するから裏切られる。最初から誰も信用しなければ、裏切られない。だから、自分以外を信用しない。そう言いながら、してしまったこの仕打ちが。絢辻さんの失態です」

 そして、別の可能性で明らかになった、絢辻さんの自分流のポイントを教えてくれた。

「利用できるものは利用し、邪魔になりそうなものは事前に丸め込む。そして、大事なポイントは排除しない。敵は作らない。そんな絢辻さんが、敵として排除してしまったのは、彼女と同じ似た者同士の橘さん」

 少しずつ、彼女が誰に大きな心配を向けているのか。幽かに僕にも見えてきた。

 そうか、そうだったんだ、ワガママ・クイーン。

「ですが、絢辻さんを裏切ったのは……黒沢さんにラブレターを書いた、橘さんでしょうか? 私には――」

 なんとなく、その先は彼女に言わせたくない僕の第一本心が、珍しく彼女を出し抜いた。

「自分自身に裏切られたんだよ、絢辻さんは。唯一、信用すると決めていた自分。その自分流のポイントすら。歪めて曲げて、裏切ってしまえば。信用していた自分自身にも裏切られる。排除したくなる、敵を認めてしまった瞬間から」

 きっと、絢辻さんも、それくらい気づいていたのだろう。

 どうすれば、裏切られないか。その方法を明かした、その心情は誰かの裏切りに対する報復。

 だけど、信じたかった誰かが、自分を裏切ったと決めたのは、紛れもなくその自分自身。誰かが裏切ったんじゃない。唯一信用すると決めた、自分自身に裏切られ。誰かを敵だと認め、排除してしまった。自分を曲げて歪めて、不器用に慣れない裏表を操るから、貫くべき我がままがひん曲がる。

 そんな絢辻さんは、橘君よりも凄く危なっかしい。放っておいたら、この様になってしまう可能性があるほどに不器用過ぎた。

 たぶん、人の本性は自分の最大の危機にあらわれる。

 臆病で狡猾な頭脳思考をフル稼働して、最高のカウンターを決めて、自分だけが助かったつもりなっても。その先には、どうにもならない、サタンのヘアピンが待っている。

 もし、もう一度、正面から突っ込む、その勇気があれば。

 きっと、手をすり抜けてしまった、大切な何かを取り戻して。その何かと共に抜け出せるのかもしれない。サタンが支配するヘアピンをそりで滑るサンタのように。しかし、トナカイがいなければ、サンタのそりは制御不能。

 彼女が教えてくれた、同じ痛みを知っている、似た者同士な彼を敵と認めて、排除してしまった結末は。限りなく、どうしようもない、Eランプが静かに点る結末。

 そんなことを考えていた僕。その隣の地面に、快晴の夕方から孤立した大粒の雨が一つ、また一つと落ちた。

 僕は前を向いたまま、ポケットティッシュを隣の彼女に渡した。

「ごめんね、ハンカチを持ち歩くほど紳士じゃないんだ。だから、これを使って」

 そう言われて、彼女は驚きながら自分の頬に触れた。

「あっ……すみません! 別に悲しいとかじゃないんです。上手く言えませんが……いえ、今はそんなことよりも、ティッシュ、ありがとうございます」

 彼女はティッシュを綺麗に折りながら。落ち続ける大粒の涙を優しく包んだ。

 そう、憂い愁いた色に染まった彼女が、大きく心配していたのは。もの凄く危なっかしく、放っておけない、驚くほど不器用な絢辻さん。

 ゲームの人物にも流せる涙がある、彼女の温度がもの凄く僕には羨ましかった。

 彼女にとっては、ココとゲームの向こう側も、何も違いはないのだろう。

 どこでも同じ我がままを貫く、彼女の速度の前では。裏表のシフトチェンジなんかしたら、あっという間に引き離されて、もう追いつけない。そんな眩しいほどのワガママな彼女と近い存在が……絢辻さんにとっての橘君のような気がした。

 もし、彼を追いかけることに夢中になれたら。たぶん、他のことは。どうでもよくなってしまうのだろう。彼に『DIVE IN!』する、その勇気があれば、人生の下りは最速だ。

 そんなことを考えていたら。彼女の声が戻ってきた、オーバーフローした本心を治めながら。

「ビックリしましたよね、私もビックリしました」

 たぶん、僕よりも彼女自身が驚いてしまったのだろう。

 それほどに、無意識の奥まで心配してしまえる彼女の強さは、そのまま加速していく。

「あの結末を知ってから。ずっと、心が痛かったんです。最初は、橘さんの痛みを感じてしまったと思っていました」

 彼女は特に痛みを感じたシーンを教えてくれた。

 得意気に、あれ? もう壊れちゃったかな?

 陽気に、ブブー、ざ~んねんでした~っ!

 そんなことを橘君に言う、絢辻さん。

「あの時、壊れてしまっていたのは……絢辻さんの方だったのかもしれませんね。だけど、それが私にはわからなくて。ですが、肯定さんが思い出せてくれた、信じるの形。近過ぎて忘れてしまった、その形を思い出して、気づけました」

 目を赤くした彼女は僕の表を見て、その奥の情を覗き込んだ。

 そして、何かを見つけて、どこか安心したかのように続けた。

「肯定さんの言うとおりですね。自分自身に裏切られてしまったのかもしれませんね」

「僕にはよくわからないけど、たぶんね。きっと、その時の台詞は全部。絢辻さん自身への台詞だよ。『曲がった自分の根性』ね……さすが、よくわかっているよね、賢い絢辻さん。でも、どうしようもないほどに不器用」

 笑えるような雰囲気でもなく、気まずい空気が漂っていた気がした。

 しかし、そんな空気もお構いなく突っ込んで、切り裂いてしまうのが。貫き通す、我がまま。全く気にもせず、彼女は僕にあの結末の先を訊ねた。

 

 

 あの結末のその先は

 

 

「あの後、どうなってしまうのでしょうか……あの二人は」

 僕は少し考え、素直に正直に答えた。第二本心の思い込み、その先を。

「たぶんだけど、橘君はいい人と出逢うだろうね。それで、忘れてしまうんだと思うよ。いろんなことを。それから、カウンターを決めた、絢辻さんはどうだろうね。わからない。ただ……」

「ただ?」

「闇討ちカウンターしか打てない、非力な心じゃ。どうにもならない、そんな世界に辿り着いてしまう気がする。『類は類を呼ぶ』、僕らの造語のように似た者同士が集まる。そして、自分よりも強烈なカウンターをもらうのかも。恐ろしく臆病で、怖ろしく狡猾なやつを」

 少し彼女の顔が青ざめた。

 しかし、彼女は強い。いくら僕がそう言っても。貫く、我がままは揺るがない。そう気づいていたから、第一本心が見つけた思い込みも準備した。

「……そんな結末、嫌です。気に入りません」

「じゃあ、ガクちゃんならどうする? もし、ガクちゃんが橘君だったら」

「私ですか? そうですね……最初に黒沢さんに謝ります。全ては絢辻さんの言うとおりで。私が全て悪かったです、と。それから……」

 考え込む彼女。たぶん、何を仕出かすのか。だいたいの察しはついている。きっと、彼女なら――。

「絢辻さんに突っ込みます! もう、いいんです。好かれようが嫌われようが。許されまいが憎まれようが。危なっかしくて、放っておけない、私の我がままを貫きます。もちろん、近寄るなと言われたら。近寄らずにできることを考えて探します。あっ、ですが……時には、突っ込んでしまうのかもしれません。私、ワガママですから」

 そうそう、そう言うと思った。きっと、上手くなんていかないのだろうけど。そういう姿勢が強さなんだと僕には思えた。

 たぶん、そんな強さは橘君も持っているのだろう。

「それでいいんじゃないかな。僕らが知れる秘密は、ゲームの中のほんの一ヶ月程度。その先にある、永い時間の中でどうなっていくのか。そんなことはわからない。でもさ、なんとなく、あの結末の先は……ガクちゃんの想像と近い気がするよ、僕はね」

「本当ですか!? 肯定さん!」

「ホント、ホント。僕もそう思うよ。だって、絢辻さんが言うには、嘘が作り上げた真実が、あの結末なんでしょ? でも、悲しきかな。嘘ってやつはアイスクリームのように綺麗に消えてしまう。熱いトタン屋根の上ではね。だから、嘘がつくった薄く安い真実なんて、デコピン一発で帳消しだよ」

「デコピン一発……」

 そう言いながら中指と親指を合わせ、デコピンを構える彼女。

「ちょっと待って、僕にはやめてよ? ガクちゃんのデコピン、かなり痛いんだから」

「もう、するわけじゃないですか! この私が。ただ、いざって時のために、構えの練習ですよ」

 そのまま、何度か空気を弾く。その様子を見ているだけでも、かなり痛そうだ。

 それを忘れるために僕は第一本心を明かした。

「変わるスピードが違ったんだよ、どんな結末も。『スピードとナイフ』だよ」

 短めの沈黙の底から燕を返した彼女。

「変わらないものなんか、何ひとつないけど。それでも……変わらずに貫ける、そんなワガママもどこかにあるのかもしれませんね」

「あるのだろうね、サンタがいるって信じている人もいるわけだし」

「いますよ。季節関係なく、いい子、悪い子も関係なく。プレゼントをくれる誰かは身近に。そうです、隣のような距離に」

「きっと、そんな誰かなら。どんな壁もすり抜けて、涙だって飲み干せるのだろうね。三代目の大泥棒のように。だから、あの結末だって変わってしまうよ。そう信じていたら」

「かっこいい橘さんなら、やってくれそうですね」

「うん、貫くだろうね。それに、ガクちゃんも貫くね。ホント、似た者同士だよ、橘君とガクちゃんは」

「私と橘さんがですか? 嬉しいですが……橘さんに失礼じゃないでしょうか?」

「どうだろう? でも、僕にはそう見えてしまったから仕方ないよ。二人とも強いから。それから強さだけじゃなく余裕もある。いや、余裕があるから強いのかな? まあ、そんなことは――」

「トタン屋根の上にですね」

「そうそう、強くて余裕があるから。危なっかしい絢辻さんが放っておけない。きっと、絢辻さんにも、強さと余裕はあるのだろうけど……ホント、不器用だからね」

「そんな不器用さをしみじみと感じてしまう、肯定さんも?」

「そう、絢辻さん以上に不器用。ホント、どうしようもない。でも、僕にはガクちゃんがいるから。何とかヘアピンも抜け出せています。本当にいつもありがとう。僕の愛しの相方様」

 僕は彼女に深々と頭を下げた。もう一度お互いの情を覗きあった瞬間、揃って笑った。まだ目が赤い彼女とだらしのない表の僕。この帰り道の殆どを笑って進んだ僕らは。傍から見れば、お馬鹿コンビ。そして、僕らから見ても、同じ愚かな似た者同士のFR。

 高校生にもなった男女が二人揃って、ゲームの人物について、マジになって語り合っているなんて。本当にどうしようもないほどにバカで愚かだ。だけど、夢中になった気持ちの速度はバカっ速のFRだ。

 気がつけば、永いこと立ち止まっていた。

 なぜなら、もう分岐点の橋の前に辿り着いてしまったから。それも唐よりも昔に。

 

 

 本当に辛いのは

 

 

 だけど、また、明日。なんて言える雰囲気ではなかった。

 もう少しだけ、彼女も言いたいことがある。そんな情をあらわしていた。

「あ、あの……もう少しお話を続けてもよろしいでしょうか?」

「僕は大丈夫。ガクちゃんは疲れてない? 近くのマクドナルドで休む?」

「いいえ、この目で入ってしまったら……いろいろと」

「あっ、そうか……なんか僕が悪者になっちゃうね。まあ、そうなんだけど。いろいろ、ごめんね」

「何を言っているんですか! これは私が勝手にオーバーフローしてしまったんです。最近、涙もろいようです」

 そんなことを言いながら。このまま立ち話を続けた。

 次に僕を待っていたのは、『アマガミ』、そのゲームの評判だった。

「私、このゲームには立ち直れないほどの辛さがあると聞いて。それで、遊んでみたくなったんです。絢辻さんの話しか遊んでいませんが。痛みは思ったほどではありませんでした」

「さっき、泣いてしまったのに?」

「あれは、辛い涙というよりは……そもそも、あの結末は知りませんでした。前情報の結末とは違ったので。いろいろ驚いてしまって。ただ……」

「ただ?」

「背伸びした、過剰な平静さは。ほんの少しムカついて。それ以上に心配になってしまいますね。それで、大切なことを見落としてしまって。ですが、それに気づいてしまったら。追いつくのも時間の問題ですね」

 ムカつく……随分と的確にあらわし驚いた。

 ホント、ムカつく。本当はそんな余裕、微塵の欠片もないのに。無茶して背伸びする姿はかなり痛々しい。そう気づいてしまった不器用な僕に、本心で突っ込む、面白さを教えてくれた彼女は英雄。そんな心情を声に込めた。

「自信あるね、ガクちゃんも。でも、それは当たり前に然り、当然な事実かな。過剰な平静さは、ませた子供の化粧みたいなものだからね。たぶん、ガクちゃんなら盗めるよ。平静さの奥の本心だって。無理にこじ開けることもなくね」

「三代目の大泥棒には敵いませんがね」

「いや、わからないよ。この先に何が待っているのか。それもわからないのだから」

「そうでした、それです! 結末の先に広がる未知が問題なんです!」

 そう言い、彼女が気づいてしまったと言う、彼女にとって本当の辛さを明かし始めた。

「例え、どんなに辛い結末を歩んでしまっても。その先に広がる、未知の向こうでは、ただの通過点に変わってしまいます。どんなに絶対的だと信じていた傷や痛みも。何も残らず、忘れていく通過点。そう思うと、それが辛いですね」

 言われてみれば、そうなのかもしれない。

 良くも悪くも、たった一人の存在で、全てが台無しになってしまうほど、人の力は大きくない。殆どの場合、虚しいかな爪痕すら残らず、消えてしまうのだろう。橘君の過去の傷だって、様々な選択肢の向こう側では消えることもあったのだから。

 そして、自分の記憶も振り返る。これまでに、僕もそれなりにあったけど。その殆どを忘れてしまった。今も残っているのは、嬉しく幸せで楽しかった記憶と自分が犯した過ちだけ。誰かがつけた傷なんて記憶から消えていた。

 今年の悲劇アカデミー賞受賞作品だって。来年、再来年の作品が決まれば、存在すら忘れていく。あれだけ、衝撃的だった結末ですら。それ以上の幸せや悲劇の前では何も残せない。

 そのいい例を思い出した。今朝の僕が、無期限に続くと絶対的に信じていた、あの不機嫌だって。嘘のように消えてしまった。それも今朝のうちに。

 彼女が言うように、得体の知れない未知が果てしなく広がっている。その事実は僕らに確かな辛さを突きつけていた。そう気づいた僕の前に、幽かな彼女の心情が見えた気がした、その速度は加速していく。

「それで、僕に『アマガミ』を教えてくれたんだね? このまま、忘れたくないから」

「さすが、私の肯定さんです! ご明察です。きっと、このまま私だけの秘密にしていたら。三年も持たなかったでしょう。ですが、こうして、肯定さんに聴いていただいて、肯定さんの心情を知れたら。もう少し、忘れない気がしたんです。詳しいことは忘れてしまっても、肯定さんと話したことは忘れない気がします」

「たぶん、僕も忘れないよ。うん、ガクちゃんと話しながら帰ったことはね」

「『アマガミ』のことはどうですか?」

「んー、わからないな。最近、僕は物忘れが激しくて」

「それでは、簡単には忘れないように。絢辻さんのどの結末が好きか、教えてください!」

 そう言うと僕に二つの結末を教えてくれた、その違いは。

 自分が犠牲になって、クリスマス行事を守り、その功を誰かに譲る結末か。

 邪魔者を排除して、責任者としてクリスマス行事に参加する結末か。

 彼女は後者がいいと言う。絢辻さんには、一緒に頑張ってきた人達と楽しいクリスマスを過ごして欲しいと。そして、僕が選んだのは。

「僕なら前者かな。功は人に譲れ、って言うし」

「それが、理由ですか?」

 疑問符にとり憑かれた彼女は、僕が明かしていない本心の影に気づいている。そうわかりきっていたから。徐々に緩やかに加速し始めた。

「だって、凄いじゃない? 自分が必死に守ってきた目標の一つ。それを手放してもいいと思えるだけの存在に出逢えたのだから。人の輪の中心にいなくても、功績がなくても、何かの目標を手放しても。たぶん、幸せってあるんだよ」

「なるほど、たしかにそうですね! 私は寂しい結末だと思っていましたが。そうですね、とてもステキな結末ですね」

「僕もそう思うよ。だって、カウンターを打つ、その必要性も消えたのだから」

「カウンター……あっ、黒沢さんですね。たしかに、肯定さんの結末では。黒沢さんの策略は半分通って。その後、特別、反撃をしていませんね」

「そう、それが一番、幸せなことだと思うよ。いくらカウンターを決めて、上から見下しても、倒れた相手と同じ穴の狸。どちらも臆病で狡猾なやり口しかできない。貫くのに本当の強さがいるのは、不戦神話の方だと思う。それを見事に決めた、あの結末はかっこいいね」

 そう、かなり脆く、偉く不器用で、危なっかしくて放っておけない絢辻さんは。早めにカウンターを打つのを辞めた方がいい。

 一つ、一つ、臆病で狡猾なカウンターを決めた、その事実は。誰かが咎めなくても。自分の記憶がどこまでもつきまとう。いくらそこに正義があったと言いくるめても無駄だ。どうにもならない。ピッタリと貼りつかれ、とり憑かれる。永遠に消えない刺青のような罪悪感に。

 そして、何れ気づいてしまう。なぜなら、絢辻さんは凄く賢いから。いろいろ気づいてしまう。今まで打ってきたカウンターが、とんでもない過ちだったと。

 そうなれば、ごまかしがきかない本心は、何も言わず犯した罪を思い出し続ける。

 その重さには耐えられないだろう。背伸びした過剰な平静を装う、ませた子供の脆い化粧では隠せない。安全圏なんてどこにもないのだから。

 そう気づいてしまった僕も、犯した過ちを思い出し続けている。

 体験者は雄弁に語る。矢鱈滅多に何かの旗を掲げて、打ちのめすのは早めに辞めた方がいい。気分がいいのは、その一瞬だけで。その先は、永遠に続く罪悪感が待っている。ある意味、薬物の魅力に近い。

 この愚か者の僕が、何とか重さに耐えられるのは。隣にいる、頼もしい相方のお蔭だ。

 本当に幸運なことだと思う。そんな彼女の表をまじまじと見ながら。つい、思ったことが口から零れてしまった。 

 

 

 ガクちゃんと絢辻さん

 

 

「ホント、美しく綺麗なほどに対照的だな……」

「えっ、何がですか?」

 なんでもない。そう、ごまかそうとすれば、できたかもしれない……。

 いや、無理だろう。彼女が貫く我がままは速過ぎる。一瞬で、追い越されて逃げ道がなくなる。

 それなら、最初から明かしてしまった方がいい。わかりきったことを改めて再確認した僕は返した。対照的な影を。

「その、ガクちゃんと絢辻さんがさ」

 並べて比較したこと、それに機嫌を損ねるかと思ったら、愉快に笑われた。

 だけど、やっぱり少しだけ不機嫌だった。その理由が今日の彼女を象徴していた。

「辞めてくださいよ、絢辻さんに失礼です。落第生の私が隣に並んでいいはずがありません! 比べる必要なんてないほどに、絢辻さんの方が圧倒的です。対照的に並べません」

 よっぽど、何かを恐れ怖れているのだろう。ここまで恐れ怖れる彼女はとても珍しい。だけど、その奥には確かな憧れが輝いていた。絢辻さんに対する強い憧れが。最初から変わらずに、ずっと。

「いいですか、肯定さん? もし、文武両道な絢辻さんが。落第生の私と同じ肩書きになったら。橘さんや肯定さん、全国世界中のファンの方々はどう思うと思いますか?」

「どうって……今までと変わらないんじゃない? 少なくとも僕は全然。赤点を五つ揃えても、ステキだと思うし、賢いと思うよ」

「そ、そんな……」 

「たぶん、全国世界中のファンの方々もそうじゃないのかな? 文武両道とか何とか委員とか、そういう肩書きでは見ていないと思う」

「つ、つまり……私が赤点を八つ揃えてしまっても。私の印象は変わらないと言うことですか?」

「たぶん、少なくとも僕は全く。むしろ、五つも揃えて、何でそこまで速いの? ガクちゃんって教科書の外側のことをよく知っているし」

「いったい、どうしてでしょうか? 私も不思議です。なぜ、私が知っていることを、他の誰かは知らないのか。ちょっとしたミステリーですね!」

「ミステリーだね。ガクちゃんと絢辻さんがここまで対照的なもの。凄い偶然だよ。せっかくだから、もう少し絢辻さんについて教えて。大きな目標とかを」

 彼女は絢辻さんの第一目標のようなものを教えてくれた。

 それは、自分のことを認めてくれる何かを手にすること。

 一方、彼女は信じてもらうこと。もちろん、無理に信じて欲しいわけではない。ただ、もし、信じてもらえたら。それなりに応えられるよう、自分の精一杯目一杯を出す予定と。それが、何かの見返りになるとは思っていない、彼女。

「認めて欲しい、絢辻さんと。信じて欲しい、ガクちゃんか。対照的だね」

「そうですかね? 私には全く無関係のように思えますが」

「認められるのは、目に見えるものだけど。信じるのは、目に見えなくてもいい。絢辻さんは目に見える外見の奥に生きている自分を。ガクちゃんは目には見えない向こう側を。そんな感じかもね」

「そう言われたら……対照的なのかもしれませんね。ですが、それって……同じ形を示しているような? あっ、いえ、違いましたね。そうです、私は向こう側、絢辻さんはこっち側です」

「それから、これもだね。裏表を操る絢辻さんは不器用。我がままを貫くガクちゃんは器用」

「私が器用なんて……今も思えませんが。そう信じてくれる、肯定さんがいるのでしたら。そうなのでしょうね」

「かなり器用だと思うよ。めちゃ速であっという間。ちょっと目を離したら。もう、どこにも映らない。気安く冗談を言う隙もないから。かなり気を使うよ。いや、違うか。集中しているというか、夢中になってしまうというか」

「それは、いい意味ですか? 悪い意味ですか?」

 かなり苦く笑いながら彼女は訊ねた。

「いい意味だよ、たぶん。うん、限りなく。こういうところに気を使うんだよね。言葉に込めた意味が伝わらなければ。あっという間に引き離されてしまうから。全く油断できない」

「それなら、絢辻さんも同じではないのですか?」

「そうだな……話したことがないから、わからないけど。それでも、ガクちゃんよりわかりやすい気がする。最初は裏表に戸惑うだろうけど、慣れたら意外とわかりやすい。だって、裏か表か。その二択の話だから」

 そんな僕の言い分を受け止めた彼女は、疑問符にとり憑かれている。

 そう、これなんだ。これが油断できない。

「……まるで、私がとんでもない明後日の方から、話題を飛ばしているような言い分ですね」

「だって、事実じゃない? ガクちゃん相手に教科書の答えは通用しない。答えのない問題には裏も表ないから。全速全開で答えないと置き去りなんだよ。それが凄く面白くて夢中になれる。それって、いいことでしょ?」

「いいことかもしれませんが……なんとなく、何かが違う気がするんですよね。ですが、肯定さんを信じていますから、私!」

「ありがとう、そんなことを言われると意地悪な冗談は使えないね」

「えっ、それなら……絢辻さんには使えるというのですか?」

 切り返しが速い。何かを考えて、立て直す隙間なんてないほどに。

 いったい、彼女はこの速さをどこから出しているのか。かなりミステリーだ。

「まあ、使えるのかも? 裏表を操る絢辻さんは、繊細かもしれないけど。きっと、こちらの冗談もお見通しだろうから。使おうと思えば使いやすい気がするよ。向こうも慣れているだろうから。でも、ガクちゃんに使ったら……」

「私に使ったら、何ですか?」

「やっぱり、とんでもない明後日の方へ飛ばされそう」

「それは、ステキですね! 是非、私にもガンガン使ってください! 絢辻さんだけに使うなんて、ずるいですよ!」

「素直に正直に明かすよ? 制御できない冗談で、僕とガクちゃんを傷つけたくないから。制御できる本心を使うよ。慣れない冗談ほど危ないものはないし。もし、それに慣れてしまったら、今度はガクちゃんの速度には追いつけない」

「私、そんなに早口ですか?」

「早口ではなくて、反応速度が……恐ろしく怖ろしいほどに速いんだ。ついていくのがやっとだよ。考える暇があれば、制御できない冗談も試せるけど。追いかけるのに夢中な時は、制御できる本心じゃないとね。壁か底に同化してしまう。僕を草加煎餅にしたいの?」

「いえいえ、とんでもありません! 肯定さんは、はみ出したお腹がステキなんですよ。草加煎餅のようになってしまったら困ってしまいます!」

 何かの冗談のようにも聞こえるけど。そこに悪気も何もなく、限りなく速い彼女の本心だから、裏表を操り過ぎたらたちが悪く、相性が悪く感じてしまう。

 だけど、ここで第一本心を全速全開で踏み込んでしまえば。

「ありがとう、それなら冗談を扱えなくても許してくれる?」

「許すなんて、そういう意味ではなくて。ただのちょっとしたお願いです。ですが、そうですね。よく考えたら、お願いした私も冗談を扱えないのですから。肯定さんが言うように、慣れないものは無理に使わない方がいいですね」

 意外と簡単に抜け出せてしまうのが、本心で話す魅力だと気づいてしまった、最近。

 もっと、早く、それに気づいていたらって思うこともあるが。たぶん、相手が彼女だから通用するのだろう。

 そして、また対照的な一面を彼女に明かした。

「それから、この台詞もだね。手伝わせてくれない? それは、絢辻サンタさんの台詞。手伝ってあげようか? それは、ワガママ・クイーンの台詞」

「えっ、私なら手伝いましょうか? だと思いますよ。あっ、ですが、その心境は手伝ってあげようか? そちらの方が近いですね」

「だろうね、ガクちゃんにとっては当たり前だろうから。突っ込みたいところに突っ込むのは。そこに損得とか意味はない。あるのは貫く、我がままだけ。対照的だよ」

 そのまま、僕が気づいた、一番の対照的な輝きの方角を彼女に示し始める。

「それとね、キャッチフレーズも対照的だよ。私を見つけて、そのステキな言葉が絢辻さんの象徴なら。私についてこれる? この挑戦的な言葉がガクちゃんの象徴。まるで、上りと下りだよ」

「なるほど、私が上りですね」

「あっ……いや、ごめん。絢辻さんが上りで、ガクちゃんが下り」

 自信満々だった彼女は、自分が下りだと知って驚きながらも、かなり嬉しそうな色に染まっていく。その心情が理由を訊ねる前にそれを明かした。

「上り切れば、みんなに見てもらえるでしょ? それに行き着く場所はみんな同じ頂。だけど、下りは違う。みんながいる頂から消えて行く速度。下る先にどんな麓が待っているのかはそれぞれ。その下りを最速で貫く、我がままは、秘密のワンダーランドへ突っ込む愚か者。もちろん、いい意味だよ?」

 最後の確認を付け加えなくても、僕の伝えたかった心情に気づいていた彼女は満足げに微笑んでいた。

「下りって最高ですね、秘密のワンダーランドへの片道切符」

「そうだね、まるで兎だよ。お茶会へ急ぐ兎。それを追いかける僕ら」

 気づける? そう問う絢辻さんと、ついてこれる? そう貫く彼女。

 僕にはその本質が、美しく綺麗なほど対照的に輝いていた。

 だから、この話に乗りたくなってしまったのだろう。無意識にその幽かな輝きに気づいていたから。

 本当に驚くほど対照的だった。まさか、表紙のステキな女性とここまで正反対の彼女。

 だけど、ある意味ではもの凄く近い。ただ、僕がそれに気づくのが遅れていただけで。しばらく忘れていた共通点が勝手に飛び出した。

「あっ、でも、一つ共通点があったよ」

「共通点……絢辻さんにこの私と同じ共通点があるのですか!? まさか、どちらも同じ女性。なんてことではないですよね?」

「大丈夫、もっと確かな共通点だよ。それは、二人とも……ワガママってこと」

「ワガママ……」

 少し考え込む彼女。しかし、あっという間の加速で追いついて並んだ。

「そうですね、絢辻さんもワガママかもしれませんね」

「それも凄く魅力的なワガママだね。振り回されたくなる、ワガママ。かなりイカす、最高のワガママ」

「最高ですね。きっと、絢辻さんもドリフトが上手いのかもしれません。好奇心ドリフトで、どんな峠でも最速神話です!」

 そう言い切る彼女は満足の中で笑っていた。そんな彼女を見て僕も笑う。

 勝手に僕が感じた、いい加減でありきたりな共通点。文句をつけようと思えば、いくらでも携帯電話のストラップのようにつけられた。しかし、彼女は加速して抜けた。様々な印象が錯じっていく覚えを残す、錯覚の輝き。その残光残像を振り回しながら。

 そんな好奇心ドリフトが上手い彼女と僕が出逢ってしまったのは、本当に偶然だった。まるで、ゲーム屋さんで昔の名作に出逢ってしまうように。

 そして、また違う偶然が明後日の方から飛んできた。

「あの、全然違う話ですが。不思議な偶然ってありますよね。絢辻さんは10月8日生まれです。私がお世話になっているサイトでは。10月8日生まれの方は『夢や成功を目指して一途に突き進む人』そう書かれていました。まさに、そのとおりです!」

 僕もそんな感じがした。その印象をより強くする証を彼女は明かし始めた。

「もし、一日でも違えばこうです。10月7日は『要領の良さで人間関係を無難にこなす人』、10月9日は『優しく人情味あふれる人』になります。私は、8日生まれがピッタリだと思います」

「そうだね、7日はないもん。だって、人間関係は無難とは程遠いし、かなり不器用だし。9日もね……凄く優しいけど、人情味は押入れの中だし。何だかんだで、8日がピッタリだと思うよ。本当に、面白い偶然だね」

「偶然ですね。それにしても、肯定さんも随分とハッキリと言いますね……私、知りませんよ?」

「大丈夫、大丈夫、向こうも知らないし。僕らは誰も知らない秘密のワンダーランドへ突っ込んでいるんだよ? 気づかれるはずがないよ。四つ揃ったAは、不戦神話のA。最速神話がどこか遠くへ連れてってくれるから。いつものように、今日みたいに。そうでしょ? 僕の愛しのワガママ・クイーン様?」

 そう問われた彼女は、ほんの少し困ったように、大きめに照れを膨らませながら。いつものように本心で返した、その速度はケイソクフノウ。

「もう、過度な期待は困りますよ。……ですが、この重さを感じる瞬間、幸せです。ステキですね、誰かに信じてもらえるのって……」

 しばらく、彼女の加速が止まり、静寂が生まれた。

 その余韻の深淵から、今まで以上の速度、その決意が飛び出した。

「……ありがとうございます。それから、私に任せてください! どんなヘアピンも抜け出してみせます。舌を噛まないように気をつけてくださいね。甘噛みもダメですよ?」

「うん、その時は、無駄口は叩かないよ」

 そのまま、二人、揃って笑っていた。

 裏表を操らず、めちゃ速な中間色の本心だけで突っ込む、規格外な彼女の速度。

 何とかそれに、ここまで食らいついた僕は思い知った。

 たぶん、いくら頭脳思考を回そうとしても。その隙を与えてくれない、本心反射の前では何の意味の重さも持たない。こっちもマジになって、曇った本心を反射で返さないと。本当は、最初からわかっていたことを思い出して、思い知った。

 

 

 『スピードとナイフ』

 

 

 だいぶ昔よりも自分の本心が見えるようになったけど、まだ見えない部分もある。

 それでも、今、この瞬間に見つけてしまった、本心を反射するように呟いた。

「凄いよね、学校行事とかクリスマスにマジになれるのって。かなり羨ましい」

「肯定さんは、あまり好きじゃないんですか?」

「好きとか嫌いとか言うより。その特別な行事とか、文化祭とか体育祭とか運動会とか。あまり記憶にないんだよね、参加してても。修学旅行も薄い」

「そう言えば、昔もそう言っていましたね。特別な行事より、普段の時間が好きって。誰かと帰る、帰り道とか」

「そうそう、だけどさ。ガクちゃんから絢辻さんの話を聴いていたら。そういうのマジになれるのが、凄いステキで羨ましいって思えてさ。本当にステキだよね」

「それでは、クリスマスの時期になったら私と寄り道しますか?」

「是非、お願いします。クリスマスだけじゃなくて、明日もお願いします」

「明日もなんて、欲張りですね。ですが、そこが大好きです。ワガママって最高ですね」

「最高だね、ガクちゃんも」

「私ですか?」

「ガクちゃんも羨ましいよ。ゲームに流せる涙があるから。今の僕じゃ、そこまでマジになれないよ」

 そう、彼女と出会う前の僕だったら。もしかしたら、『アマガミ』にマジになれたかもしれない。橘君に自分を投影して楽しめたのかもしれない。もう古い言葉だけど、『何とかさんは僕の嫁』みたいな楽しみ方を。

 しかし、今の僕にとっては他人事。

 もちろん、今日聴いた話でも、いい場面では心が和んだり、癒されたり、嬉しくなったり、あったかくなったりする。辛い場面では痛みや辛さも感じる。そして、全ての人物がいい結末へ辿り着いて欲しいって思っている、本心から本当に。

 だけど、そう思ってしまった理由は、僕が立っている場所が応援席だから。

 どんな結末でも、橘君には絢辻さんに突っ込んで、寄り添って欲しいと願ってしまうのも。僕の手には負えないから。もう信じることができない、僕には他に信じ続けたい存在がいるから。

 それは凄く幸せなことだけど、同時に少しもの足りない。

 まるで、サンタクロースはいないって、信じてしまうような感じだ。

 特別な行事でもゲームでも何でも、マジになれるって最高だから。もっと、マジになれるものが欲しいと思いながらも。やっぱり、僕は……。

「肯定さんは面白いことを言いますね。ここまで、『アマガミ』の話を聴いて、一緒にいろいろ覗いて、ここまでついて来てくださったのに。まだ、マジになれないなんて。いったい、肯定さんのマジの深さはどれほどなんですか? あっ、まだ答えないでください! おそらく……ヒマラヤ以上に深いのでしょう。もしかしたら、あの玄い宇宙よりも広いのかもしれません」

「いやいや、ガクちゃんには負けるよ。でも、なんだろう。ちょっと違うんだよね。一番を見つけたら、もう他のは一番じゃないというか」

「意外と肯定さんは、控えめな考え方で、退屈でつまんないことを言うのですね」

「つまんないかな?」

「あっ、ほんの少し……いえ、かなり言い過ぎました、すみません。ですが、その……一番は、いくらあってもいいじゃないですか?」

 何の迷いもなく、そう言い切った彼女。

 ……ホント、この人はホンモノの我がままを貫くな。言葉にあらわせない速度で僕の本心が反射した。それを声にする暇もなく我がままは続く。

「だって、仕方がないではありませんか? それだけ、ステキなものがあるのですから。マジになれる時に、マジになれるだけマジになる。そんなマジな速度で突っ込み続けてしまえばいいと、思ってしまうのは……やっぱり、ワガママですかね、私?」

「もう、それはそれは、限りなく、何の間の違いもなく。我がままのど真ん中はガクちゃんだね。言い逃れもできないほどに明らかにね」

「そんな私に気づいて、ついてきてしまった、肯定さんも随分と我がままですね。きっと、私たちは同罪ですね?」

「同罪だね、主犯は――」

「主犯は私です。私が肯定さんを振り回しながら、貫いているんですよ、私の我がままを」

「いつもありがとう、狼をかぶるのが上手いガクちゃん」

「狼をかぶっているのですか、私?」

「絢辻さんが猫をかぶっているのなら、ガクちゃんは狼じゃない?」

「そうかもしれませんね。ですが、被り物かどうか。それはわかりませんよ? 私は落第生のワガママ娘。アウトローです」

 明日に向かって、指鉄砲の砂漠鷲を構えて裁いた。静かに立つ、判決結果の見えない煙を満足げに吹き消してみせた彼女はワガママな荒くれ者。その相方の僕は犯罪者予備軍の永遠永久エース。

 そんな僕らに明日なんてなかった。最初からそんなもの欠片もない。あるのは、今、この瞬間、抜け出せない今日だけ。それがあれば十分だった。

「肯定さん、いつだって遅くはないはずです。もし、またゲームにマジになってみたいと思ったら。その時は迷うことなく、マジになりましょう、一緒に!」

 とんでもない大罪を犯す、そんな計画に誘う彼女。もちろん、僕が選ぶ答えは一つだけ。

「わかったよ、その時はよろしくね」

 そう答えながら、少し確かな不思議さを感じていた。

 もう、ゲームの人物や物語にはマジになれない。そう思って信じていたけど。彼女がそう言えば、彼女が隣にいれば、またマジになれる気がした。論外規格外の彼女は外へ連れ出すのが上手い。

「お任せください。それに人生は、ほんの少し道を外れた方が未知の深淵を覗けます。覗き覗かれた時、今まで知らなかった加速ができるはずです」

「……ほ、ほんの少し?」

「それなら、少しだけ?」

「かなりじゃないの?」

「いいえ、少しだけなんです。溝落しも地元走りも、少しだけなんです。いろは坂の最初のガードレールを突き抜けても、最速にはなれません。大丈夫です、まだ私たちに今がある限り、その力加減は間違っていません。ここからの加速は、マジになってしまう未知の深淵の速度ですぞ」

 そう自信満々に説かれたら、なんとなくこの先も今日みたいに加速できる気がした。

 きっと、『スピードとナイフ』だ。どんなに鋭いナイフを振り回して誰かを刺しても。それが誰かのスピードの残像で、刺したはずの誰かが後ろから静かに優しく抱きしめてしまえば、それで終わりだ。

 よく切れる臆病で狡猾なナイフも。追いつけない、めちゃ速なスピードの前では無意味。脆い自分の内側を守ろうと、いくらインベタを攻めても無駄だ。インベタのさらにイン、未知の深淵から唐突に現れる、いたずら的な論外の速度は、無理なく簡単に内側へ飛び込んでくる。これ以上、傷つかないように守ろうと必死に隠している。だけど、本当は気づいて知って欲しい、その内側を。

 そう僕が気づいた頃には、すっかり暗くなっていた。

 

 

 そして、僕らは駅を過去に流した

 

 

「すみません、かなり話し込んでしまいましたね!」

 慌てる彼女の表情もハッキリとは見えない。

 本当に久しぶりだ。こんなに暗くなるまで話し込んでしまう帰り道なんて。たぶん、中学時代の部活後の帰り道以来だろうか? 懐かしくて、妙に嬉しかった。

「僕は大丈夫だから気にしないで。でも、ガクちゃんは平気? ご両親が心配しているでしょ?」

「そうですね、それなりに。ですが、けっこう放任的なので。大丈夫です、たぶん。あっ、でも、私がいないと火が消えたように静寂が支配しているのかもしれません」

「それは、大変だよ」

「たまには、そういう静けさも大切だと思いますよ?」

「でも、寒くない?」

 夕方を過ぎ、夜のはじめ頃の温度が、冬なんだと名乗るように冷え込む。

「ほんの少し……いえ、幽かにでしょうか? 不思議ですね、肯定さんと話をしていたら。寒さも時間も忘れていました」

 そう答えた彼女の白い温度が冬の暗闇に広がる。

 本当は、夏にだって彼女の温度はあるのだろうけど、なかなか姿を見せてくれない幻。それが明らかになってしまう冬。限りなく果てしなく、どこまでも澄み切った透明が、見えなかった幻を見せる、玄い冬は再会の季節。

「あっ、肯定さん、見てください! 星ですよ。久しぶりに見ました」

 彼女の指が示す先、そこには満点の星空とは言えない控えめな星達が待っていた。

「僕も久しぶりに見たよ。これって初めてだよね?」

「初めて……あっ、そうですね! 一緒に星を見るなんて初めてですね!」

「なんか今日はラッキーだな。ガクちゃんと話ができて、『アマガミ』のことも知れて、星も見れて」

「今度、肯定さんも遊びますか? 『アマガミ』」

「そうだね、きっと、いつか。ガクちゃんはどうするの?」

「私ですか? 私は……絢辻さんの話が知りたかったので。一旦、ここでお休みします。凄くステキなゲームですから。またいつか、遊ぶ日まで」

「かなりいいゲームなんだね」

「もう、それは間違いありませんよ! 登場人物、皆さんが魅力的ですよ。特に梅原さんです!」

「あっ、橘君の親友の」

「そうです、とってもイカすステキな親友の梅原さんです。あんなにステキな親友がいるなんて、それだけでも橘さんは贅沢だと思いますが。それでも、もう一歩先へと踏み出す、その姿に親しみを感じます」

「ホント、誰かにそっくりだね」

「誰でしょう? 全く、私には心当たりがありませんが」

 ゴキゲンな彼女は、いたずら好きな笑い方で答えた。

「ないだろうね、それでこそワガママ・クイーンだよ。橘君とガクちゃんは同じ似た者同士」

「本当ですか? それは嬉しいです! もう少しだけ一歩踏み出してみます、私も橘さんのように」

 薄暗い、寒さの中で二人笑う。たぶん、僕らはかなり贅沢で欲張りな二人だ。

 いつもの三倍ほどの時間、話を楽しんだ『アマガミ』というステキな駅。そこに留まることなく、この駅を過去へ流そうとしているのだから。

「ガクちゃん、そろそろ僕はあちらへ行くよ。でも、その前に、選んでもらっていい?」

「私は何を選べばいいんですか?」

 彼女のその一言で、永いこと立ち話をしていた僕らは静かに駅を離れた。

 次に立ち止まったのは、数分で辿り着く自販機の前だった。

「ガクちゃん、何を飲みたい?」

「えっ、いいんですか?」

「うん、凄く楽しかったし、いいゲームを紹介してもらえたから」

「それでは……」

 そう彼女が言ってから、三分ほど経った気がした。

 薄暗さの中で自販機の明りが、彼女の悩む表情を照らす。その幻想的な光景に見惚れていた僕には、何か二つ、その間で彷徨っている、彼女の心境が触れるほど近くに感じた。

 そして、その心境に自分から近づいた。

「あの、ガクちゃん……一つじゃなくてもいいよ? さすがに全部は無理だけど。二つでもいいんだよ?」

「えっ、そんな! それでは、まるで私が欲張りみたいじゃないですか!」

「欲張りで何が悪いの? だって、仕方がないではありませんか? そうでしょ?」

 一瞬、驚いた情をあらわした彼女。そこから嬉しそうに思い切り踏み込んで加速した。

「言いますね、肯定さんも。それでは私についてきてくれる、ステキな相方のお言葉に甘えて。冷たい缶のコーラと温かいカフェオレをお願いします」

 彼女のご要望のボタンを押して、その二つを嬉しそうな彼女に渡す。

 そして、僕も自分用に温かい缶コーヒーを買った。受け取り口から、その温度を手にした時。缶を開ける、気持ちのいい音が響いた。そして、あっという間に何かが消えていった。

「肯定さん、ごちそう様です」

 空になった赤い缶を僕に見せて、それを静かに自販機横のゴミ箱へ入れた。

「生き返りました。実はもうガス欠で、とても助かりました。ありがとうございます」

 ガス欠? そんな感じは微塵の欠片もしなかったが。彼女がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。ガス欠であれだけ喋れるのだから末恐ろしく羨ましい。

「それなら、よかったよ。ガクちゃん、寒くて暗いから気をつけてね」

「わかりました、気をつけます。ですが、寒さは大丈夫です。肯定さんが買ってくれた、温かいカフェオレがありますから。それよりも肯定さんの方が心配です」

「それなら大丈夫。僕もコーヒーがあるから。それに、凄く楽しかったから」

「もう、何ですか、その理由は? ですが……私もです。それでは、私はこちらに向かいます。また、この駅に辿り着けたら……いいですね」

「そうだね、またこの駅で話ができたら幸せだね。たぶん、いつか」

「きっと、いつかです。今日は遅くまでありがとうございます。それから二つの温度も。それでは、また」

 そう言い、足早にこちらへ駆けて行く彼女の後ろ姿。

 冬の暗闇に消えて行く、その姿は。いつもよりも、ぼんやりとしていたが。見えなくなっていく速度はいつも以上に速かった。

 そして、彼女とは対照的な僕は、缶コーヒーカイロで手を温めながら、ゆっくりとあちらへ進む。

 僕らは対照的だったけど、何かが驚くほど同じ似た者同士だった。

 

 

 帰宅後、自宅にて

 

 

 いつもの三倍ほど遅れて帰る道の途中。簡単な事情を説明したメールを母に送っておいた。そのお蔭で咎められることも詮索されることもなく、無事に自由な時間に辿り着いた。

 しかし、その頃にはどうにもならない睡魔と格闘していた。体育はなかったのに、ギンバシや雨の体育館を走った日以上に疲れ果てた。そのまま抗うことなく、とり憑かれてしまった、大きな疲れの前で僕は決断した。今日は何もしないことを。

 明日までに済ませないといけない宿題もあったが。もう、そんなことはどうでもいいのだ。罪悪感は熱いトタン屋根の上。明日、しっかり怒られようと決めてしまった。

 そんな彼女が思いそうな理由を、選んで決めてしまった僕は妙に心がスッキリした。妙義山の美しさのように。

 それは、宿題をやることを怠けて忘れて放棄したからではなく。もっと、始まりの方にあったモヤモヤ、あの苛々。それがアイスクリームみたいに溶けてしまって、もう全ては帳消しって笑える余裕が奥の方で座っていたから。

 今朝の苛々の正体見たり、絢辻さんの目標。

 きっと、最近の僕も同じだったのだろう。自分が信じている何かを少しでもいいから認めて欲しいって思っていた。だけど、そんなことは無駄だって、本当は気づいていた。

 今、この瞬間に、自分が認められていない。そう自分が信じてしまうのなら。どんなに外の世界で大暴れして、自分の功績を積み上げて、成功の勲章をコレクションしても。何も変わらない。

 もし、本当に社会。そう、あの忌々しい、秘密結社『SYAKAI』の中に居場所なんてものがあれば、幸せなのかもしれないが。そんなものは存在しない。社会は人がいなければ成り立たないが、人は社会がなくても進める。サンタクロースの存在よりも怪しい御伽噺の巣窟を信じる余裕は、今の僕には微塵の欠片もなかった。あってたまるか、明日がない僕らに。

 だから、僕は向き合うしかないんだ、今、この瞬間に、自分の本心で。

 しかし、無慈悲かな。社会を支え頑張っている人には余裕がないから。自分のことで精一杯。それは、当たり前に然り当然な事実で。特別、咎めたり裁いたりできることではない。だからこそ、単純にムカついて。余計に認めて欲しいって強く思ってしまう。

 そして、もっともっと、そう頑張れば頑張るほど苦しく辛くなる。その様子は自分の影を振り切りたくて一生懸命に走るようだ。走っても走っても振り切れず、ついてくる忌々しい影のような痛み。

 そんな痛みと共にどこまでも走り続ける、自虐的な遊びとはお別れだ。

 自分や何かを認めて欲しい。そう願う人は外の世界にそれを求めて、飛び込んでも無駄だ。願いは叶わない、飛び込む場所が違う。

 きっと、その答えはあのドロシーが知っている。映画でオズの国に飛び込んだ、彼女の教訓。『心から欲しいものは裏庭より先にはない』そんな感じだ。

 随分、昔にそう気づき始めた僕は、人生の上りを上りきる前に、人生の下りに切り替え進み出した。

 たまに上りの癖が抜けず、認めて欲しいなんて思って苛々することもあるが。ここは逆の下り。誰にも見つからず、気づかれず、認められず、鏡にも映さず、全てをのろまに置き去りにするのが最速の進み方。同じ人生でも全く対照的な人生だ。

 そんな生き方を見つけてしまえば。退屈に思えた、腐った人生が少し面白くなる。

 誰かに認められなくていい。自分が信じられる、最も頼りなる相方とココまでめちゃ速に暴走できるのなら。もう認められなくてもいい。嫌でも、人生は無許可無免許で勝手に進んでいくのだから、必要ない仕方がない。

 もちろん、もし、同じように信じてくれる、そんな誰かがいたら嬉しいが。たぶん、ついてこれないだろう。彼女は速過ぎるから。時間が止まった、その先の景色が見えてしまう気持ちの速度を乗りこなしている。

 前後対向、どこにも何も誰も映らない、秘密の速度はワンダーランドへの片道切符。

 それを独り占めできるなんて、なんて最高に贅沢で幸せなことだろうか。

 脆く扱い難い裏表のシフトチェンジ。そんな面倒なことよりも、いつだって変わらない、自分が信じれる色に『DIVE IN!』する勇気が欠片でもあれば、人生の下りは最速だ。

 塞ぎ込んでしまうほど、鮮やか過ぎて疲れてしまう様々な色を、穏やかな中間色に染めてしまう、ワガママな存在を僕は知っている。

 WAGAMAMA、四つ揃ったAは、不戦神話のA。

 その残光残像にすらついてこれない。鈍くのろまで全く相手にならない、退屈な世界がまた流れて行く、忘却の彼方へ。もう、二度と追いつけない。過去も未来も貫いて消し去った、今、この瞬間には。

 争い知らずの今、暴走中の考えと共に眠りに堕ちていく意識の中。声にならない声で叫んでいた。

「ガクちゃん、ありがとう。君は本当に最高だよ。また、遠くまで連れてって。僕の中間色よりの使者」

 時々、訪れるどうしようもない気持ち。

 そんな時に、遥か遠くまで連れてってくれる、最速の速度の中にある感情は一つだけ。

 気持ちいい。

 その唯一の感情が燃え輝いた証、その残像を追いかけるように続くのろまな感情達。

 ただ、一つの感情に夢中になれた瞬間が幸せで、楽しくて、面白くて。

 もっと速く、まだ終わって欲しくない、また次も。

 そして、それを感じさせてくれる相方に対して、遅過ぎるありがとう、足りな過ぎる愛しているが生まれた。

 その先にも、いろいろごちゃごちゃした感情やものがついてくるのだろうが。

 もう知らない。僕らはまた同じ今、この瞬間に、違う進み方をしているから。

 一つだけど一つとは限らない、『唯一無二』の白昼夢は限り知らず。


 

 ぶっちぎれ、中想青帰を。










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中間色の想い出は青い春の帰り道(中想青帰) テツガク肯定 @tetugakukoutei

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