中間色の想い出は青い春の帰り道(中想青帰)

テツガク肯定

[2021年3月17日水曜日]夏時間の孤独感は、素晴らしき日々の欠片


 いつだって、僕らの今、この瞬間には。

 Eランプが点る。

 そんな『サマータイムブルース』こそが。

 『ビューティフルライフ!』だと気づけたのは……。






 初夏、夏が始まったばかりの季節に、フライングで鳴き始める虫。その正体が蝉ではなく、クビキリギリスだと知った僕は、この満足感と今の僕が抱えている焦りと憤りを交換できたら、と思っていた。

 しかし、目の前の言い訳もできない平坦な道は、謎の虫の正体が明らかになったくらいでは、晴れやしない未知だった。

 いったい、いつまで続くのか。昇りでも降りでもないから言い訳もできやしない。そんなことを心の中でぼやいていたら。あっという間の今が加速して、この手のひらをすり抜ける。そう歌にあるように、本物のアブラゼミまで鳴き始めた。

 最初は順調で。ほんの少し怖いくらい、冴えていたのに。途中からわけがわからなくなった。自分の力を扱いきれない、不可思議な自分が底にいた。

 何かが違う気がした。だけど、何度見直しても、直せる箇所はなくて。どれも最高だった。ただ、やっぱり何かが違う。そのまま、狭く深く固く濃くこんがらがって、嫌になった。

 このまま、続けたら、最初からやり直し。それが、怖いわけではなくて。そんな現実逃避では、この未知から抜け出せないことに気づいていたから。何が違うのか、それが知りたかった。

 クビキリギリス、アブラゼミ、ミンミンゼミ、虫の歌声の違いに気づけたように。この違いも明かしたかった僕の心情は、『サマータイムブルース』。

 夏時間の孤独感を忍ばせ、霧の中を彷徨っていると。いつものように、中間色の春が僕を呼ぶ。

「Hey! R'N'Rボーイ!」

 その季節の方を振り返れば、待ち望んでいた決行の合言葉が響く。

「一緒に帰りましょう」

 とにかく、この未知から抜け出したかった。

 きっと、目の前にいる中間色よりの使者なら、今の僕をどこか遠くへ連れてってくれる。そう無意識に信じる自分がいた。いつものように。素晴らしき日々に、何かを期待するのではなく。それが、当たり前に然り、当然だと信じるように。

 彼女となら、どこか遠くへも逃避行できる。安全な場所へ逃げ込み避難するのではなく。逃げることを避けるために、離れていくような逃避行。それができる、頼りなる相方が今、ココにいる。

 引き返す訳にはいかない僕は、彼女に素直に正直に助けを求めた。本音が見張っている、今、この瞬間に。

「あっ、ガクちゃん……実は、助けて欲しくて……。その、とにかく、助けて欲しくて。だから、やっぱり助けて欲しくて。えーっと、つまり……助けて欲しくて……」

 言語にならない言い分が、ミミズのダンスのようにクネクネ歪んで。何を助けて欲しいのかも伝わらず、何かの言い訳にもならない。

 それでも、助けて欲しい、という気持ちに気づいてしまった彼女は、当たり前に然り流れるように鞄の奥の方を探る。そして、見つけたそれを僕に渡し、受け取った僕は呟いた。

「オリーブ……キャンディ?」

「そうです、『オリーブ』です。とりあえず、それを味わってください。詳しい話はそれから」

 そのまま、僕らは帰り道線に乗り、昇降口から正門を抜けていった。



 どう伝えればいいのか、悩んでいる僕の口の中で広がるオーリブの味。それが、そろそろ小さく幽かに変わって消える頃。彼女は訊ねる、誰に騙されたのかを。

「それで、肯定さんは誰に騙されたのでしょうか? 汚い誰かでしょうか?」

「誰だろうか……もしかしたら、ただ自分が汚くなっただけかもしれない。いや、そんな汚い自分に騙されただけかもしれない」

「自分のことを騙せるなんて、一流を超えた詐欺師ですね。一流ですら、自分を騙し欺くことは難しいのに。さすが、肯定さんです。私にはとても無理です」

 そう答える彼女の言い分。僕にはそれが彼女の本心に思えた。どう考えても、自分を騙し欺くことは彼女にはできない。慈悲深く無慈悲な冷酷冷徹のワガママ・クイーンだから。我がままな欲望を騙し欺くなんて、とんでもない。

 それに気づいた僕は、彼女にできないのだから。自分にだって、それは無理だと気づいた。事実、助けて欲しい、その願望を素直に正直にあらわせたのだから。

「いや、僕にも無理だね……ということは、汚い自分に騙されたわけではないのか」

「それがわかっただけでも、大きな前進ですぞ、ワトソン君。この一歩は小さくても、事件解決には大きな手掛かりです。そう、アームストロングさんも仰っていました」

 さっきまで、深刻な情だった僕の表も少し明るくなる。そのまま、この帰り道に情の城を築けるように。彼女は次の策を打つ。

「だいぶ、暑くなってきて、もう夏の本番ですね。アブラゼミとミンミンゼミが歌合戦して。ぼやけた空に膨らんで昇っていく、あの雲が。誰かの叶えた夢のように見えて。そこに感じる、夏時間の孤独感」

「えっ、ガクちゃんもそんなことを思うことがあるの? 弱気な感じ、夏時間の孤独感を」

「ありますとも! こう見えても私、感傷的な痛みも知っているんですよ。夏にも冬にもある、『TOO MUCH PAIN』とか。ですが、今、この夏時間にある孤独感は……きっと、『サマータイムブルース』ですね」

「『サマータイムブルース』?」

「そうです、聴いたことありません?」

 僕が黙っていると、彼女は息を調え、歌い始めた。

「かーぜが吹いて、Tシャツが汗を吸い込んで、いーくような。そんな気分のいい季節がくると。ぼーくらもっと、何かしないと損をするようで。あ、せりながら、毎日は動いていく」

 忘れてしまっていた、大好きな野球アニメを思い出したけど、それを明かすのを忘れるほどに聴き惚れていた。

 できることなら、終わって欲しくない。終わってしまったのなら、同じ部分をアンコールしたい。そんな欲望はいつだって突然流される。

「私、この歌が大好きで。聴く度に思うんです。私も何かしないとって。少し何かを損する気がして。だけど、いつも空回りです」

「えっ、ガクちゃんも空回りするの?」

「もう、さっきから何ですか? 私を何だと思っているんですか? 私こそは――」

 そこから先は、言わなくても知っている。二人の秘密だと気づいた彼女は話の風向きを変えた。

「いえ、今、私のことはトタン屋根の上にです。それより、肯定さんが助けて欲しい、それです。つまり、肯定さんも空回りしているんですね。そして、少し焦っている、と」

「少しどころじゃないよ、かなり焦っているよ。つい最近まで、偽者が鳴いていたのに。今じゃ、本物が鳴く季節だもん」

「何の偽物ですか?」

「アブラゼミ。ジーって鳴くじゃない? ほら、今も鳴いてる。あれが、春にも聴こえることがあって。どこか遠くから、幽かにジーってさ。それが、気の早いアブラゼミじゃなくて、クビキリギリスの鳴き声って最近知って」

「そうだったんですか! あれはアブラゼミじゃないんですね! ワトソン君、ツーストライクですぞ。これも大きな手掛かりです」

「そうかな?」

 今、この瞬間の僕には、それのどこが手掛かりなのか、全くわからなかったが。年中霧中を今中夢中で駆ける、僕には見えない彼女の視界はさすらい人の背中を捉える。そして、捉えた背中の主にもう一歩、彼女は近づくように訊ねた。その主がニューヨークへ辿り着いてしまう、その前に。

「それで、肯定さんを焦らせる、夏時間の孤独感。それは、どこにあるのでしょうか? 膨らみ昇る雲でしょうか? 若いメロン色の空でしょうか? 花が散り、小さな果実をつけたオリーブでしょうか?」

 少し考え込んだが、すぐに答えを捉まえ、それを忘れる前に明かした。

「たぶん、膨らみ昇る雲かな? 立派に膨らまなくてもいいから、どうにか形にはなって欲しいな、ってさ」

「たしかに、夏の雲は羨んでしまうほどに。立派でステキな形ですからね。それを眺めていると、焦ってしまいますね。そして、少し孤独の味を知ってしまう」

「そうだね。夏時間の孤独感か……ホントそうだよ。『サマータイムブルース』だ。何かしないと損をする気がして。でも、上手く膨らまず形にならなくて。あっという間の今が加速して、この手をすり抜ける」

「すり抜けた今は、Eランプが点る今ですね。このEはエンターテイメントのEです」

「えっ、Eランプはエラーじゃないの?」

「私たちのEはエンターテイメントのE。そう、クラスの男子から教わりました」

 夏の空のように、ぼやけながら何かを探している僕の表に気づいた彼女は。手が届きそうな空に、手を伸ばすように続けた。

「実は、私もエンターテイメントだと思います。プロのEランプはエラーかもしれませんが、私たち素人にエラーも何もありません。全てがエンターテイメント。手をすり抜けた、あの今だって。いつか私たちを楽しませてくれる、娯しみのひとつです」

 娯しみと楽しむが重なり合った、娯楽。そうクラスの男子から教わった彼女がいて。その彼女からそれを教わる僕がいて。体育の授業のソフトボール、誰かが逸らした打球は、エラーではなくエンターテイメントのまま、今に続いていた。

「そういうものなのかな……」

 まだ、イマイチ、ピンと来ないが。もう少しで何かが伝わりそうな空気。それが、今、この瞬間、ココに漂っていることに気づいた彼女は告げる。

「今のはタイミングが合ったファールです。さあ、肯定さん、何を投げますか? 決まれば、完全試合。ホームランでサヨナラ。次に何を選びますか? 夏の打席に立っている、あの焦燥感、六冠王に」

 速球と変化球、そのどちらにタイミングが合っているのか、全くわからない。彼女だけは、何かがわかっているのかも知れないが。この瞬間の僕にはわからない。

 ただ、今、わかっているのは。ツーストライクに追い込み追い込まれた自分がココにいて。そこで何を選ぶのか。それが探していた答えということだ。

 緩急を引き出せるほどの速球はないし、決め球になるキレのいい変化球もない。どれも同じようなもの。それならば……次に選ぶのは。

「真っ直ぐかな。お辞儀するだろうから、沈んだり歪んだりするだろうけど。それでも、やっぱり真っ直ぐかな、自分にとっての。自分の手を離れたら、打たれるにせよ、どうなるにせよ、関係ないね。それが……エンターテイメントでしょ?」

「お見事ですぞ、ワトソン君。無事、事件解決です。夏の打席に立っていた、焦燥感の正体見たり、入道雲。雲の果てにある、仏門に入り悟りを得るには、まだ早くても。背伸びしたくなる、その心情こそ一夜城」

 彼女の不思議で独特な言い回しに笑った僕の表は、影も見えないほどに明るくなった。そのまま、笑いながら答える。

「墨俣あたりにありそうな城かな?」

「そのあたりにありそうな城ですね」

 彼女と帰るまで、僕には江戸城、大阪城ほどに偉く大きく見えた、偉大な焦燥感の城影。それが、背伸びした一夜城だったことに気づけるほど、頑丈な情の城がこの帰り道に築かれた。

 その事実は太閤記には載っていなくても、今、ココに確かな重さと共にあった。加速して、すり抜けていく、今、この瞬間に。

 夏に各地で繰り広げられる熱戦。最初は心配になるくらい形にならない試合も、尻上がりに調子を上げて形になることもある。その向こう側では、順調快調で思い通りに加速しても、最後に転がり落ちることもある。

 果てのどこかには、昇りでもなければ降りでもない。ただの平坦な未知で、暗礁と迷宮と袋小路に迷い込み、停滞した八方塞が行き場を失って、釘付けがぬか付けになることもある。

 言い訳を許さない言い分が、いくら一蹴しても一周してくれない古風な鉄馬もあって、偽物から本物に変わる何かもある。

 そんな季節が夏なんだと、知らせる風が吹いて。不安や焦りに情けなく惨めに儚い侘しさなど。いろんなものを吸い込んだ空の下に、息を切らした毎日があれば、足りないものなんてなかった。

 六冠王の焦燥感が見せた、あの入道雲。そこに感じた、夏時間の孤独感も全て。夏の真っ直ぐなEランプ、エンターテイメントだった。

「さて、無事この帰り道に肯定さんの事件も解決したことですし、今日はほんの少しだけ路線を変えませんか?」

 どこへ、とイマイチなことを訊ねさせる前に彼女は続けた。

「ちょうどここに、臨時収入の千円が入った財布があります。このお札とアイスクリームを交換しに、近くのコンビニまで行きましょう、一緒に」

「えっ、そんな悪いよ。僕を助けてくれたわけだし。僕が出すよ」

「いいえ、この臨時収入は、ここでアイスクリームに換えるのが、いい使い方なんです。それに、私一人で食べたら太ってしまいます。私を太らせるつもりですか?」

 そう笑いながら言う彼女は、もう少しくらい太っても綺麗なままだと思うけど。せっかく、目の前に来てくれた機会を逸らしたくない。そんな本心がそれを掴んだ。

「ありがとう、じゃあコンビニを探そうか」

 僕らはコンビニの光をもとめて、土手を走る帰り道線を降りて、夕暮れの街を走る寄り道線へ飛び乗った。

 初めての寄り道線、様々な理由を抱えて歩く人達の中で、僕らが抱えた理由は懐かしさだった。

「さて、肯定さんは何がいいですか? ダッツハーゲンでも構いませんよ? 私はエッセルです!」

「えっ、ガクちゃんも? 僕もエッセルがいい」

 そう僕が返すと驚く彼女がいて、それが彼女の本日最初の驚きのように見えた、僕がココにいた。

「遠慮なさらなくてもいいんですよ?」

「この僕が遠慮しているように見える? 図々しく本心を明かしているよ。エッセルがいいよ。だって、美味しくてスーパーだから」

「奇遇……いえ、これは運命でしょうか。様々なアイスの中から同じアイスが好きだなんて。きっと、私たちは霧の都の名探偵もビックリなコンビですね」

 そう熱心に語りかける彼女。そんな僕らの前の角から、買い物袋を手に下げた人が現れすれ違った。その事実を幽かに漂った香りが刻む。

「そうだろうね、ホームズさん。ほら、あの角を曲がれば、コンビニがあるはずだよ」

「えっ、もう見つけたのですか!? どうして、あの角の先にあるとわかったのですか?」

「そりゃ、さっきすれ違った人。その人から香ったから。美味しそうなホットスナックの香りが」

 さらに、驚き振り返る彼女。その視界の先には離れて小さくなる、人の後ろ姿。その手にはコンビニで買い物をした証がぶら下がっていた。

「お手柄ですね、ワトソン君。エッセル、二個分の働きですぞ」

「いや、一つで十分だからね。ホームズさん」

 そんなことを言いながら角を曲がれば、予想通りコンビニがあって。店内を進めば、冷ケースにお目当てのエッセルもあって。会計を済ませた彼女は僕にアイスを渡す。

 二人はそのまま、店の外にあった、蝉が歌う夕暮れの下で。行儀作法も忘れ、立ったままアイスを頬張った。懐かしいどこかにあったかもしれない、心のまま。

 今、この瞬間に。足りないものなんて、恐ろしく怖ろしいほどに何もない。全てが完全完璧に揃っていた、この時間は僕らの夏時間の孤独感。それがすり抜けてしまう前に、アイスを食べ終えた彼女が秘密を明かした。

「私、今日、嬉しかったんです」

 ゴミ箱に棄てるものを二人分棄てた僕は、春の方を振り向き再び近づく。

「肯定さんが私に助けを求めてくれたことが驚きで。信じて頼ってくれた、その信頼がとにかく嬉しくて」

 そこで、本日最初に彼女が驚いた瞬間を僕は知った。

「偶然のような運命を掻き集めて、たどり着いた場所で、誰に出逢うのか。それこそが、『ビューティフルライフ!』です」

「『ビューティフルライフ!』か……僕も知っているよ、そのアニメ」

「本当ですか! やっぱり、これは運命ですね。それでは、その続きもご存知ですね?」

「なるほど、そういうことか……。知っているよ」

 自信なく続きを歌う、僕。

「憧れは、まだ叶わない。それくらいでいいのさ。生きてるって感じしないか?」

「それです。きっと、これくらいがいいんです。夏の空のように。手を伸ばせば届きそうで。だけど、届かない。この距離感を感じる、今が生きているって証で。『サマータイムブルース』を感じるから『ビューティフルライフ!』なんです」 

 アイスの甘さとバニラの香りが錯じりながら、幽かに変わってすり抜けていく、今。彼女の解釈に助けられた、僕の窓には映らない心があらわれた。その心情は夏時間の孤独感を感じる今こそ、素晴らしき日々の欠片だと気づいてくれた。

 いろんな事がある毎日。代わり映えしない今も、あっという間に過ぎていく今も、永遠に止まった今も、底に落ちていく今も。その全てが必要で。欠けたり足りないもの、余って要らないもの。そんな物はないと、誰もが知っていたことを思い出せた、今、この瞬間こそ。

「素晴らしき日々の欠片だね、夏時間の孤独感に気づいた、今は。そこに生きる、僕らのEランプはエラーじゃなくて、エンターテイメントなんだから。このくらいがちょうどいいのかな」

「きっと、そうです。そのくらいがテキトウなんですよ。誰かに助けを求めたくなるほどに、焦って憤ったり、イライラして虚しくなったり。感情の洪水が何かを塗り潰すくらいが。生きているって感じのEランプです」

「それを教えてくれた、クラスの男子が逸らした打球は最高のEだね。どこまでも続いていきそうだ」

「続くのでしょうね。そして、私たちの手をすり抜けていく、この今だって。誰かのEになるのかもしれません。例えば、別の今から覗いている、私たちのEだったり」

 まるで、遠くの今を覗いてきたかのような言い分に。僕は納得心酔して返す言葉もなく、そんな言い分の言い訳を示す沈黙で返した。

「さて、そろそろ、私はこちらへ向かいます。何の助言もできませんでしたが、私は満足です。教わったEを紹介できて、一緒にアイスを食べて、一緒に今を楽しめて、娯しみも増えて。これからも、すり抜けていく今を追いかけましょう。Eランプが点る、今を」

「そうだね。Eランプが点る、今の行方。それをまた探そう。それと……いろいろ、ありがとう。僕も凄く満足だよ、エッセルだね。娯しみも増えて、最高だよ。本当にありがとう」

「こちらこそ。また助けて欲しい時は、呼んでくださいね。私は『オリーブ』にはなれませんが。それでも、必ず会いに行きますから。それでは、また」

 そう言って、こちらの方へ消えていく彼女の後ろ姿は。僕の手をすり抜けた今が点すEランプ。

 きっと、また僕を楽しませてくれる、最高の娯しみ。待ち遠しい唯一のEは、一つとは限らない無二の今。それが、暮れる夕闇の果てへ、ゆっくりとゆっくりと見えなくなった。

 それを確認した僕は、あちらに向かって動き始めた。



 一人、自宅に向かって歩いていると。僕の手をすり抜けた、Eランプが点る走馬灯が穏やかに廻り続けた。

 馬の灯が走る今、僕は彼女が築いた情の城で、彼女が見つけてくれた手掛かりを並べていた。

 手掛かり1、自分に騙されたわけではない。手掛かり2、本物ではない、偽物の鳴き声の正体はクビキリギリス。そして、事件解決の決め手、探し物はどんな時も真っ直ぐで。

 それらが、同じ瞬間に揃った時、穏やかに走っていた馬の灯は姿を変え、紫電一閃。僕を突き抜け、遅れて彼女の声の残響が届く。

「夏の打席に立っていた、焦燥感の正体見たり、入道雲」

 そうか、そうだったんだ。あの時、あの瞬間、彼女にはその姿が見えていたんだ。

 自分や誰かに騙されたわけではない。蝉だと思っていたのは、クビキリギリス。彼女が見つけてくれた手掛かり。それらが明かしたのは、僕の恐れ怖れる心情。

 プロの世界に入り、悟りを得るには、まだ早いのに。それでも、背伸びして、エラーを恐れ怖れる、この心情こそ……僕が抱えた、焦りと憤りの正体。焦燥感、六冠王。

 そして、僕に選ばせた決め手は、僕が忘れてしまった飛び方。歩く時よりも自由だから。自由過ぎて、あれこれそれどれ、と試していくうちに忘れてしまって、わからなくなった。

 飛び方の虎の巻がある気がした。皆伝された証もある気がした。やってはならぬ法律だってある気がした。そう、いろんな違いがある気がして、疑う心が歩き出していた。

 しかし、その錯じった覚えの中、全く別の方へ歩き出した今があった。それは、いろんな事を見失い忘れた、僕の儚く虚しい今。それが許可も得ずに、音も立てずに、止まることなく歩き続けていた。言い訳もできない、未知の上に。儚虚望郷という忘れ物を残したまま。

 その今が過ぎ去り、過去に変わった時。始まりの方にあった過去、まだそれが未だ来ない、未来に見えた今にあった心情を思い出した。

 とにかく、出口が欲しかった。暗闇の中にあるはずのドアノブを求めて、つまずき無様に転んでは諦め。だけど、その諦めすらも諦めて、未練をたらたら垂らし、醜垂らし団子のまま。雷雨でも決行できる、合言葉を待っていた僕に春が来た。

 その季節に向かって、かけた僕の声は、かじかんでいて。何が何だか全くわからない言い分だったけど。あの瞬間には、季節を求め待っていた声と同じように、かじかんでいた彼女がいて。それに気づかなかった僕がココにいて。

 同じ似た者同士の『Mr.ジョーンズ』には、シャレたキレのいい変化球じゃなくても、伝わる歪んだ真っ直ぐがあった。それに気づかせてくれた彼女の真っ直ぐが、今、遅れてミットに収まった。彼女の魔球、『ケイソクフノウ』というストレートが、今、ココに。

 僕が投げた、頼りなくぎこちなく歪んだ真っ直ぐ。それが、彼女の魔球として返ってくるまでの時間は、夏時間の孤独感の中にあった、素晴らしき日々の欠片。

 その欠片が思い出せてくれた。違いなんて本当はないけど。もし、その錯覚が見えてしまったとしたら。それは、季節の違い。春夏秋冬どこでも桜は桜だけど、春じゃないと桜らしくない。そんな印象だ。

 突然、飛び方を忘れた僕。それに気づき始めたから、途中からそのわけがわからなくなって。不可思議な自分に出会ってしまった。それは、出会いの季節だったから。再び、飛びたくなる、旅立ちの季節になれば、不可思議な自分も忘れて飛んでいる。

 そう気づけた僕は、何かしないと損をするようで、あせりながら動いていくように見えた日々も。それは、そう見えても仕方がない、入道雲のような錯覚だと、認め許せるだけの余裕を手にした。立ち往生も恐れず怖れないほどの間。それを楽しんで娯しみにできる、余白も必要だと思えるような余裕を。

 その余裕を得た僕は、いろんな覚えが錯じるから、様々な形に見えてしまう錯覚だと思い出せて。今日のように、飛びたいと思える、その季節を信じて待つことにした。勝手には流れない、今の上を。ゆっくりとゆっくりと歩く僕達には、恐れ怖れる必要のないEランプが点っている。いつだって。



 ありがとう、それを教えてくれた、谷を越えた東の方の同級生。





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