1章 ティータイムは星の花を添えて
1.隠れ家にて
先月オープンしたばかりのパンケーキ専門店フロレアル。開店間もない時刻だというのにその店内は満席だった。男女比率は圧倒的に女子が多い。華やかな声音が楽しげに響く中、ユールの向かいでもきゃあと歓声があがる。お待ちかねの主役の登場だ。
運ばれてきたのはキャラメルソースのかかった二段重ねのパンケーキ。ベリーとスライスアーモンドがふんだんに乗せられ、脇にはバニラアイスに生クリームまで添えられたなかなか贅沢な一品である。
対面の少女は目を輝かせフォークを手に取った。
「いただきまーす」
パクッとひとくち。その途端幸せそうに
「ターニャちゃん、ほんと美味しそうに食べるよね」
「だってほんとーに美味しいんだもん。ここのパンケーキ、ずうっと食べてみたかったの。でも勇気出なくてぇ」
「わかる。あの行列にひとりで並ぶのは気後れする」
「そうなの! だから誘ってくれてありがとーございます、ユール先輩。みんなに自慢できちゃう」
「それはよかった」
食事は好みの合う者ととるに限る。笑みを返してユールも攻略にかかった。
ふわふわの生地は甘さ控えめ。キャラメルソースや生クリームと一緒に食べても特別甘ったるいということはない。アイスを乗せれば温かさと冷たさが交互に来て面白いし、ベリーの酸味はいいアクセントになっている。メニューのトップに大きく載っていたという理由で選んだが、この選択は正しかったようだ。
パンケーキをあっという間にお腹に収めると、ふたりは混み合う店内を後にした。
瑞々しいそよ風が肌を撫で、鳥たちは初夏の訪れをうららかに歌い上げていた。天頂からの陽射しを遮るようにかざした手、その指の合間に覗く空の青さに心は浮き立ってくる。
ターニャが時計屋のショーウィンドウを指した。
「よかったぁ、授業は余裕で間に合いそう」
「うーん、オレとしてはこのまま遊びに行きたいところだけど。……あ、ティエル湖の花畑が見頃だって。散歩しない?」
「んもう、先輩ってばもうすぐ定期テストでしょお。あたし猛勉強しないと、今期厳しいんです」
「自然史おすすめだよ。テストないし、レポートさえ出せばクリアっていうゆるゆる仕様」
へらりと笑ってみせる。隣を歩くターニャは「そうなんですか?」と半信半疑の様相だ。
結局目的地を変更することはせず、学園の門を並んでくぐった。十字路に差しかかったところでユールは「あ、」と声をあげた。
「オレ図書館寄ってくね」
「はーい。またね、ユール先輩」
小さく手を振る少女にユールもひらひら振り返す。直進した彼女を見送ると自身は左に曲がった。
待ち構える三階建ての建物は街一番の蔵書量を誇る図書館だ。学園の敷地内とはいえ広く一般に開放されている施設である。一度申し込みすれば次回以降は登録カードを提示するだけで入館も本の貸し出しも受け付けてくれるのだ。
とはいえ利用者の大半はやはり学生だった。制服姿はほぼ顔パスなのでユールは受付カウンターの女の子に笑顔を送り――ちなみにこの子とは先週一緒にお茶をした――足早に階段を上がった。
いくつかの書架を通り過ぎて社会学の棚を曲がる。その奥まった場所にひっそりとある書き物机がユールの目的地である。大々的な自習スペースは他の階にあるため、ここに机があることを知っている者はそう何人もいない。いわばひと休みに打ってつけの隠れ家なのだった。
ユールの足が止まった。通路の先、棚に爪先立ちになって張りついている少女がいる。精一杯伸ばした指先を目当ての背表紙の下辺に引っかけ、じりじり少しずつ引っ張り出していた。背伸びする仕草に合わせ、肩上で揃えられたストロベリーブロンドがふわふわ揺れる。
「これ?」
背後からひょいと本を取り上げた。苦戦していた少女が弾かれたように振り向いた。目が合った途端その双眸が丸く見開かれる。
――可愛い。
ふんわり軽やかに揺れる髪と、純真さが透けて見えるオリーブグリーンの瞳と。背の高さはユールの胸あたりで、どこか小動物みたいな雰囲気がある。
ユールは手にした本をのんびり開いた。どうやら昔話をまとめたもののようだ。『星を盗んだウサギ』や『竜と導きの花』など見知ったタイトルが並ぶ。
「あの!」
非難を滲ませた声が響いた。むっと見上げてくるその瞳にははっきり「返して」と書かれていた。ああと思い出したように手渡せば、
「ありがとうございました」
形ばかりの感謝の語が返ってきた。耳触りのよい可愛らしい声だな。そう思っているうちに少女は背を向け、あっという間に姿を消した。鮮やかな退場につい口笛を短く鳴らす。
「どこの子だろう。……ん?」
ユールの視線は数歩離れた床に吸いこまれた。銀のヘアピンが落ちている。花の飾りがついていて、花芯にはめこまれた青い石がキラリと光を弾いた。
ためつすがめつ眺めたあとポケットに突っこんだ。それからユールは本来の目的地へ歩き始めた。
乳白色の高窓から柔らかな光が落ちる書き物机、そこにはすでに先客がいた。ユールから見えるのは両腕を枕に半身を伏せる背中だけ。だが首の後ろでゆるく編まれた髪を見ればその正体は一目瞭然だった。燃えるような緋の色を持つ者はこの学園にひとりしかいない。
「レンフォルツ・ウィンザール……」
学園はおろか街一番の有名人である。学生間で人気がある理由は彼が中性的で綺麗な面立ちだからとか、分け隔てなくみんなに優しいとかそんなところだろう。けれど知名度の高さはまた別の理由からだ。
「おい、ウィンザール起きろ」
「んん……」
「鐘が鳴るぞ優等生」
両腕を組んで見つめているとレンフォルツの肩が震えた。ゆっくりと半身を起こし、のんきに伸びをしてからくるりと振り返る。ユールを見つけた藍色の瞳はふわりと綻んだ。
「ユールリッドくん、おはよ」
「おはよ、じゃない。もう昼過ぎてる」
「僕を迎えに来てくれたの?」
「寝ぼけてるのか? 次、選択授業」
ユールは半眼を返す。赤毛の少年はあくび混じりに「起きてるよ」と呟いた。
「ええと……選択ってことは、天文学だ。ユールリッドくんは?」
「自然史で自習。だからそこを、」
「自然史! あれ面白いよね。僕、精霊のことが知りたくてまっさきに受講したけど、選んでよかったなって思ったもん。あ、もしかしてここ使いたい? ごめんね、ちょっと待ってて」
思いついた語を思いついた順にぽんぽん発して、レンフォルツは広げていたテキスト類に手を伸ばした。人を待たせている割には一冊一冊を確認してから閉じ、きちんと揃えてバンドで縛っている。
「ここ、陽当たり良くて最高だね。こんなにお昼寝向けな席があるなんて知らなかった。なんだか得しちゃったな」
「おい一緒にするなよ。オレは、」
「ふふ、わかってるよ自習でしょ。僕がね、もしユールリッドくんが来てなかったら夜まで寝てたかもしれなかったから。……あ、」
レンフォルツは思い出したように鞄の中を漁り、小さな包みを取り出した。
「起こしてもらったお礼に」
半ば押しつけられるように渡されたのはマフィンだった。生地にブルーベリーが混ぜこんであってすごく美味しそう。……いや待て、今取り立てるべきはそこじゃない。
「何のつもりだよ」
ユールは眉間に力をこめた。けれどいくら睨んでもレンフォルツの笑顔は崩れない。
「ふたつ食べたらお腹いっぱいになっちゃって。ユールリッドくんが貰ってくれると僕も助かる。味は保証するよ」
「男から菓子貰っても嬉しくないんだけど」
「あ、作ったのは女の子だよ。だったら問題ない?」
「なおさらダメだろ! プレゼントを横流しって最低だぞ」
「プレゼントじゃないよ。これは、」
そのとき鐘が鳴った。レンフォルツはハッと宙を仰ぎ、「僕行くね」と離れた。
「おい!」
マフィンを掲げて一歩踏み出す。だがユールの声は制止に繋がらなかった。レンフォルツは口角を上げると
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