濃霧(10)

 気が付けば、店内に居た客はまばらになっていた。


今も、老婆は分厚い本を広げて俯いている。


「あれ、外が真っ白だ」


隣の席の客が言うのを聞いて、私は窓を見る。


窓の向こうは真っ白だった。


湯気のようにそよ風で重く流れているのがわかる。


たった今まで、外にあった広大な駐車場も全く見えない。


それどころか、窓の向こう側の一歩先が見えない。


そこに車があるのか、人が居るのかすら、見えなかった。


「窓を見てみな」


私が言う。


「うわー! 白い」


娘は窓ガラスに額をつけて、外を見る。


「凄い霧だね」


妻が言う。


「ああ。山はこんなに濃い霧が出るんだな」


私は返す。


「今日どうしようか」


妻は首を傾げて、私に聞く。


「山の天気は変わりやすいって聞くから、もう少し待ってみようか」


私は答える。


「そうだね。それにしても良かったね」


妻が小さくため息をついて言った。


「ん?」


私は疑問を返す。


「もしレストランで食べていなかったら、今頃、私達、遭難していたかもしれないから」


「言われてみれば、確かにそうだな」


店内は不思議と静かになっていく。


霧を見ていると、幻想的というか非日常で、見惚れてしまう。


「ねえ! お母さん、お父さん。今、霧の中で何かが動いた! ほら、今も光ったよ!」


娘は窓ガラスに額をつけながら言う。


娘の声が窓ガラスに響き、ふわんと反響する。


その反響は娘の声のすぐ後を追い、娘の声に厚みを持たせる。


「この中、帰ろうとする人も居るのか、凄いな」


私は窓の向こう側を見て言う。


私の目には人や車は見えない。


空の明るさも遮られ、まるで厚い雲の中に入ったかのようだった。


店内の照明が明るく感じる。


テレビのチャンネルが切り替わった。


テレビは地域のニュース番組が映る。


稀に見る濃霧が発生したとのこと。


警報を発令し、不要不急の外出は避けるよう促している。


ほとんどの客がテレビに注目している。


店内はざわつき始めた。


どの客も、この後の日程を考えているようだ。


その時、大きな声が轟いた。


「遂にこの時がきた」


声は、地鳴りのように足元を振動させる。


大型の猛獣が吠えるような低音が混ざった金切声。


ぶるぶると濁り、声が割れて二重に聞こえる。


客の誰もが驚き、その声の発生源に顔を向ける。


その視線の先には、あの老婆がいた。

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