-第十四話- 南帝国建国に向けて

華歴二百三十四年 春


 太郎率いる呉の冒険者隊、その兵舎は広州より南東に二十五里の地点にある。

 珠江の河口脇、馬蹄山の山頂に兵舎はあり、広州の北側の高台、地元では白雲山ばいゆぇんしぇんと呼ばれる場所に建てられた皇太子府からは、片道で一日ほどの距離である、


 陸路でも白雲山から馬蹄山までは移動できるが、どうしても大小いくつもの河を渡らなければならず、それこそ軍を率いての移動でない限りは、珠江を船で下るのが好きな太郎である。


 広州で荷を降ろし、竜島へ戻る船の中から、顔なじみの船頭を見つけ、小銭を握らせる。


 「済まんが、いつもの船着き場に寄って、俺を下ろしてはくれんか?」

 「へぃ!喜んで将軍を送らせてもらいまさぁ!」


 総じて、こういった個人輸送船の船頭辺りは皇太子府の面々には好意的である。


 いままで、散々に搾取してきた大店の者達の不正を暴き、我が物顔で悪事を働いていた良家の子息を処刑してくれた。

 自分たちに個人財産所有を認めてくれたし、こうして自分の商売を自由に起こす権利も公的に認めてくれる。

 以前の太守と比べること、数万倍も素晴らしい良君である。


 「そういや、今朝がたに河口の網元が立派な根魚が沢山獲れたって言ってたんで、たぶん馬蹄山の砦に美味しいところを収めに行っている筈ですぜ?」

 「お?そうか?それは有難いな。……有難く、今日の夕餉に頂くとしよう」

 「それが良いでしょうよ。将軍の奥方様は料理上手ですからな!本当に羨ましいことでさっ!」

 「……」


 船頭との何気ない会話から、子竜が言っていた「手遅れ」の意味をしみじみと感じとる太郎であった。


 (はぁ……これでも開封府では、遊び人、色男の冒険者、花太郎ふぁぁたいろんの旦那で通ってたもんなんだがねぇ。

 一抹の寂しさというか、何というか……そろそろ、俺も腹をくくらなきゃならんのかね?)


 太郎は二十五、紗玉は二十、実にお似合いであると同時に、二十にもなる娘さんの評判には色々と配慮をしなければならない立場でもあった。


 「……奥方様ね」


 太郎は諦めの境地をもって、そうつぶやく。


 そんな独身男の物思いなどには関係なく、ひたすらに夕暮れ時に差し掛かる珠江を船は流れるように下る。


 珠江を行き交う帆船の多くは、南京府より北では見受けられない型の小型帆船であり、この季節の日差しと風を受け、珠江を滑るように進む帆船の数々は非常に風情のある情景を作り出している。


 太郎は腰に差した愛刀の柄を一撫で、これからの己の行く末に思いを馳せるのであった。 


 ……

 …………


 「大将お帰り~!次の出発はいつになるんだい?」


 日もとっぷりと暮れ、多くの提灯が吊るされている船着き場から、馬蹄山を登るための階段を登り切った辺りで、太郎は配下の一人にそう声を掛けられた。


 その人物の名はヒルデガルド。

 大陸の西からやってきた冒険者であり、体躯の立派な西方北方人の中でも極めて立派な巨躯を誇る女傑である。

 戦場では、頑健な全身甲冑に身を包み、大盾と大斧を構えて最前線で歩兵を指揮する。


 「おお、戻ったぜ。……そうさな、申し訳ないんだが、用意を整え次第すぐに東だ。恵州で攻城戦を行なっている紗将軍の援軍に向かう」

 「奥方様のお父上の所か!そりゃ、大将も急いで向かわねぇといけねぇよな?!」

 「……ヒルダ、お前までそれを言うのかよ……」


 太郎としては、一時、それなりに親密になった仲のヒルデガルドにまで揶揄われるのは心外であった。


 「何言うんだい、アタシだから言うのさ!」


 口の端を上げて、ニカッと笑うヒルデガルド。


 「はいはい!姐さんには敵わねぇよ……そんじゃ済まねぇが、幹部連中を集めてくれないか?ちと、そのあたりの説明と作戦会議をしたいのでね」

 「了解だよ、大将!」


 ばしんっ!


 ヒルダは大きく一回太郎の背中を叩き、片手を上げて他の幹部たちを呼びに行く。


 「イテテて……。まぁ、この出兵は皇太子殿下直々の御命令だ。精々、頑張って行くとしますか!」


 はた目には頑張ってる様子は欠片も感じられないような口調で、太郎は夜空に向かってそう嘯いた。


 ……

 …………


 「先生は、だいぶ冒険者たちの軍を評価しているようだが、本当に信頼がおけるのか?彼らは結局のところ、ただの客人であって、我らの様な帝国の人間では無かろう?」


 太郎が皇太子府を辞去した後の、立人の問いである。


 「左様でございます殿下。彼らは所詮異邦人です。……ですが、それゆえに信頼がおけると考えております」

 「……?先生の考えを詳しく聞こうか」

 「はっ。……彼らの行動原理は孝でも忠でもなく、利といくばくかの義となります。故に、下手な脅しによって我らを裏切ることはなく、我らが勝ちを収めている限り、裏切ることなどは有りません」


 冒険者が立人に味方しているのは、彼らに利があるからだ。

 そう言い切る子竜。


 「……それでは、我らが劣勢になった時には付いてこなくなるという物ではないのか?勝勢の時にしかおらぬ軍になんの意味があるのだ?」

 「殿下……それは違いましょう。劣勢の時に居る軍こそが、何のための存在でありましょうか?軍とはその存在だけで膨大な物資を消費する物です。劣勢時とは勢力の蓄えが弱まったところ、そのような時には徒に物資を消費する軍に数などは必要ありません」


 (……そもそも、大人数では逃亡を図るにも難しいじゃないですか?!)


 口から出る言葉に偽りはないのだが、本心のところは相変わらずの子竜である。


 「なるほど……身の丈に合った軍をその都度に率いるのでなければ、結局は身を亡ぼすということか……」

 「……殿下の御慧眼、敬服いたします」


 子竜は深々と礼を施す。


 「そのようなしゃべり方はやめろ……と思うが、そろそろ、私も立場という物の重要性に気付いた年頃だ。先生のしゃべり方は受け入れよう……」


 立人は少々寂しげに目を瞑る。

 無意識のことなのであろうが、幼少時に母親を亡くし、周囲で信頼のおける者達は、ただひたすらに傅く者達のみ。

 そんな中で出会った子竜は、立人にとって師の様な、兄の様な、父の様な特別な存在であった。


 特別な存在……だが、その特別な関係というのも、自分が華帝国の皇太子である以上、一定の線を引かなくてはいけない物であるということ、十四を迎えた立人は寂しくも、現実という物を覚悟せざるを得なかったのであった。


 「冒険者の軍についての先生の考えはわかった。私もその策を容れよう。……そうだな、今日は策を受けてのその先のこと、先の清討伐軍に対する評価のこともあったしな、それらを語りたいと思う」

 「御随意に……」


 (何の因果か、こうして俺は殿下の傍で文官のまとめ役をすることになってしまっている。

 俺がそれなりに勉強したのは大陸の地理と歴史だけなんだが、どうにも殿下の傍にいる人材は必要以上に人が良いというかなんというか……こう、構ってやらないとどうにかなってしまいそうな雰囲気を漂わせているんだよなぁ。

 能力は有るんだろうが、どうにも人の悪意とか、利権に群がるいやらしさに対して警戒が薄い。

 殿下はまだまだ子供だし、ここは俺のような立派な大人が世の悪意から守ってやらないといけないんだろうな……本当に何の因果なのかねぇ)


 などと、子竜は偽悪的な保護欲をもって、立人に仕えている。


 ただ、この辺りの言い分と、自分自身を言いくるめるような思考形態も、太郎辺りに言わせると「兄者はお人よしだからねぇ。開封で世話になった分の恩返しとして、俺が見守ってやらなくっちゃ危なくていけねぇや」となるそうだ。


 「私が欲するところ、それは帝国の民の安寧だ。……残念ながら、父上は政務に関心がなく、朝廷は奸臣共に牛耳られて久しい。また、その悪政から辺境の国々では反乱が相次いでいる……これを沈めるには皇太子たる私が正しき力を振るい、またその地位に就くことで成し遂げることこそが天命であると感じている」

 「……まさにお言葉の通りです」


 再び大きく頭を垂れる子竜。


 (十四でこの思考に至るのか……なんとも皇太子という地位は大変だな。

 俺なら裸足で逃げ出すところだが……まったく誰の影響でこうまで面倒な決心を為されたことやら)


 その皇太子の当の教育係がこう考えるのである。

 一番とは言わずとも、立人の人格形成に大きく影響を与えたであろう人物の想いとしては、少々、いやかなり残念なところであろう。


 「……私は腐った宮廷闘争の果てに母を殺された。……更には、無能な父の治政によって数多の領民が苦しんでいることも見知っている。……我ながら、童の妄想であろうとも思うが、師が教えてくれた先代の偉人、名君たちの中には彼らを大いに救った者達もいると知った私は、是非とも、そのような人物になりたいと思っているのだ」

 「殿下の志、この子竜、深く感じ入っております。非才の身ながらも粉骨砕身の心持にて、これからも殿下に仕えさせていただきます」


 例によって、例の如く。

 自分の頭に決して傷を作らないよう、そっと叩頭をする子竜である。


 「……その第一歩としての呉統一になるわけだが……これはいたって順調のように見える。このままで行けば、数年のうちに師が当面の目標として立てられた五万の常備軍を抱えること、これの達成は難しく無いであろう。……問題はその勢いを、どうやって帝国全土に轟かせるかだと思うのだが……」

 「そうですね……私の見るところ、先にも申しました通り、これからの中原は間違いなく荒れます。その荒れた中原を他所目に、こちらは安定した国を殿下が南に造るのです。さすればその名声を慕って多くの民がこぞって南を目指しましょう。呉は広く、多くの民を養えるでしょうが、如何せん中原からは距離が有ります。そこで、呉を平らげた後は北のびんと鄭州島を支配下に治めなさいませ。これにより南海貿易を一手に抑え、更なる国力を増大させるのです」

 「……しかし、師よ。閔は呉とは違い平地に乏しく、多くの人民は養えまい?鄭州島についても同様だ」

 「その通りです、殿下。よく私の授業を覚えておりますね」


 どんな話題をしていても、自分の授業が一定の成果を上げていることが見えると、どうしても顔がほころんでしまう子竜である。


 「領民の数は読めないところが有りますので省略しますが、閔と鄭州島、私が計算しますにそれぞれ二万と一万、そのあたりの軍を養うのが限界でございましょう」

 「……それでは到底、中原から逃げて来る領民の全ては保護できまい?」

 「ええ、ですので、そこから更に先。長江を一つの勢力境とする、南の帝国建設を目指すのです」

 「なるほど……史書にも北帝国と南帝国に分割統治されていた時代は載っている。……折しも南征将軍は戦死し、南京府の軍は壊滅した。いずれは代わりの将軍が派遣されようが、常備軍を編制するには時間がかかるということか……」

 「はい。その通りでございますが……そもそも南京府、楚の国を征する必要は御座いますまい。中原の混乱具合にもよりますが、呉、閔、鄭州島と三国を殿下が抑えられたのならば、自然と楚の地も殿下が王に任命されましょう。本来、これらの三国は太守が治める国であり、王は任命されておりませぬ。功績が認められ、殿下が王としての叙任を受ける場合は、その出生と根拠地の地勢の二点から、魯王か楚王のどちらかとなりましょうから……」


 皇太子が呉王の地位を賜る。

 これは言ってしまえば降格人事とも受け取れるものである。

 故に、宮廷での権力闘争の相手、四珠皇子と一珠皇子の両勢力は、喜んでこの提案を推し進めた。


 一方、皇太子が魯王、楚王の地位を賜る。

 これは即位に向けた着実な栄進であり、四珠皇子派と一珠皇子派は強く拒むであろう。


 ならば、如何にしてその地位を奪い取るか。


 その答えとして、子竜は競争相手よりも強い、絶対的な力を取ることだと献策をしたのであった。


 開封府に居る競争相手達は、これから訪れるであろう中原の混乱に巻き込まれ、皇太子勢力が伸長する十分な時間が稼げると判断しているのであった。


 事実、これより中原は大混乱時代と呼ばれる期間に突入する。


 その大混乱時代への突入年には諸説あるのだが、後代の史書の多くは華歴二百三十六年、姫立人が呉を統一して後、二年が経った年であるとするのが一般的である。

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