-第十三話- 呉王、姫立人

華歴二百三十四年 春


 皇太子、姫立人が呉王として呉国へ赴任してきて早一年である。


 呉は華の最南端に位置する。

 国土は広大、東西と北には五千尺を越える山々が連なり、南にある海に向かって大小、数え切れぬ河川が流れ込む。

 悠久なる刻の流れ、川の流れによって作り出された平野部は広大にして肥沃、東西百二十里、南北は河川や湾、入り江を含めれば五十里はある。


 気候は高温で多雨、特に夏場の暑さと初夏の大雨の時期は非常に息苦しいものがあるが、秋から春にかけては穏やかで過ごしやすい。

 たまに訪れる大嵐が問題ではあるが、その嵐も一日二日で通り過ぎるので、大黄河の暴れ具合に比べれば可愛いものである。


 大地の恵みも、大小の河川が流れ込んで出来た地形であるため、溢れんばかりに齎されている。

 北側の山よりの場所では様々な果実が、中央部では田園が、そして沿岸部では綿花が大いに栽培され、獅子湾しーつぅわんと名付けられる珠江ちゅぅちゃんの出口、その中心にある竜島ろんだぉは国際港として機能しており、東西南北、世界の至る所からの商船がやってきている。


 国都が置かれている広州は呉の平野部の中央に位置し、数え切れない種類の言葉、髪の色、肌の色、眼の色が折り合う、まさにこの時代随一の国際都市である。


 そして、この呉国であるが、華の建国より二百三十数年、ただの辺境地域として扱われ続けていたのはなぜか?

 それは、唯一にして最大の障害、中央開封府からの距離である。


 中央開封府から広州までは直線距離で三百五十里、これはほぼ開封府から清の宝地までの距離と等しい。

 距離が等しいならば、宝地と同様に、十分に開封府の影響下であるのではないかと思えるが、開封府から広州までの直線上には大小さまざまな山々が立ちはだかり、越えるべき峠の数は百を超える。

 故に、開封府から広州を結ぶ主要な道筋は、大きく東を回る海の道となる。


 開封府から運河を南下し信陽、そこから淮河を通り洞庭湖、湖を横切り南都である南京府……ここまでで二百二十里。

 そして、南京府から海に漕ぎ出し、南の鄭州島までで五百海里、鄭州島から竜島までで更に五百海里。

 順調な旅と仮定して、単純計算で三十日は掛かる行程である。


 一方の北は平原ばかりの平らな、真っすぐな道が整備されているので、馬を使えばどんなにゆっくり走っても十五日程度で到着する。


 このような状況下、呉には王がおらず、開封府から派遣されてきた太守が治める形ではあるが、実際にはその太守も広州に住まう商人達の持ち回りであった。

 太守は交替した時にだけ開封府に挨拶に向かい、貢物を送る代わりに太守の印を授かるという、半独立勢力として行動するのが常であった。


 これは、呉の更に南の越も似たような状況であり、両国は華帝国の一部と開封府では認識されているものの、呉や越の住民に華帝国への帰属意識は殆ど無かった。


 「いやぁ、兄者、疲れましたぞ。何とか一年がかりでつぁぉ家の勢力を清源ちんいぇんに倒してきました。これで、最後でしたかな?」

 「いや、まだだ……紗将軍の軍が東の恵州ふぇぃちょぅたん家を攻囲しておる。これを以てようやく呉の統一となるが……太郎よ、済まぬがお主の義父殿の援軍に向かってはくれぬか?」

 「援軍に向かうのは問題無いことですが……俺は玉殿とそういう仲になった訳では……」

 「何を言うか、既に手遅れだぞ。未婚の娘が、未婚の男の部屋を掃除しに行ったり、飯を作りに行っていると公言するのなれば、それはもう夫婦の仲なのだということであろうよ……全くもって羨ましい!兄と呼ばれる俺は未だに独り身だというのになっ!」

 「いや……それは俺の留守中に玉殿が勝手に……」

 「……その反論は将軍の前でするんだな、命が惜しくなければな」

 「……」


 太郎は沈黙を持って子竜に返答をし、己の行動を振り返った。


 (お天道様に誓って、別に、何にも悪いことしてないよな?俺って。

 兄者と酒楼で酒を酌み交わし、酔いつぶれた兄者に代わって使者の応対をして、その翌日に兄者を勤め先にまで送り付けた。

 更に、その翌日に兄者から大口の仕事を結構な報酬額で提示されたんで、その美味しい依頼を受けただけ……のつもりだったんだがなぁ。

 なんでそれだけのはずの俺が、異国の地で将軍とか呼ばれて軍を率いてるんだ?まったくもって謎だ)


 華歴二百三十三年、立人が呉王を拝名し、護衛、配下として五千の兵と数十名の文官と女官を率いて、広州に到着した。


 子竜は文官の一人として、太郎は七百名ほどの冒険者で組織された護衛隊の長として広州入りをした。

 子竜も太郎も、どちらもが忙しく、また戦の気配が濃厚な開封府を脱出して、南の穏やかな新天地でゆっくりとした生活を送る、そんな予定でいた。


 そう、そんな甘い夢を見ていたのであった……だが、当然のように事実は違う。


 そもそも、王太子が呉王として赴任する。

 その事実は、呉の太守職を私してきた者達にとってまさに悪夢であった。


 これが、落ちぶれた皇族や、皇籍を降りた人物でもあれば、酒と女に溺れさせ、自分たちの娘の誰かと形だけの婚姻をさせれば万事終了であった……だが、相手は現役の皇太子である。

 殺す……とまでは行かずとも、何かしらの怪我・病気をしたとなっても、開封府がどう動くか知れたものではない。

 配下のちょっとした報告で、帝国の軍が大挙して呉国に乱入などして来たら、自分たちの利権が吹き飛んでしまう。


 ならば、どうするか。


 この命題に、呉の上流社会は大いに揺れた。


 呉の上流社会は、太守を輩出してきた六つの商家を頂点に、その配下の文官職、武官職の官僚、そして、またそれぞれの官僚の下につく豪族たちで構成されている。

 彼らはお互いに、お互いのことが大嫌いな者達ではあるが、一度、外から自分たちの利権が侵害されようものならば、一致団結して対抗してきたという歴史を持つ。


 ならば、今回も一致団結して……と思ったのだが、今回ばかりは相手が悪かった。

 皇太子という地位と共に五千もの兵を引き連れている。


 呉の有力者たちも、当然のように治安維持や、自分たちの商売や荘園を守るための組織は持っている。

 持ってはいるが、それらは決して帝国の水準での「軍」ではない。


 もちろん、呉も西には北越、南越という敵を抱えているので、数年に一度は戦に赴く。

 ただ、そのような戦は軍人の為の職場であり、呉の者達の様な組織はお呼びではない。

 彼らにこなせる仕事は、精々が湘国は湖南県の軍の下請けである。

 生業が商家であることの強みを生かして、補給路の構築と維持を専門としてきた……勿論、その仕事をこなすに当たっての手数料を頂戴することは忘れない。

 命を賭けているのだから、当然の見返りである。


 話を戻すと……つまりは、大義名分でも、実力行使の面でも、到底かなわない相手が開封府からやってきたのである。

 これまでの歴史が証明してきたように、六家が協力すれば必ず討ち破れる相手……ではない相手が現れたのであった。


 結果、六家は大いに割れた。

 それはもう、見事なまでに分裂した。

 更に、ただ分割するのではなく、大いに互いの足を引っ張り合い、それまでの強大な力を有していた六家は一月と保たずに数十の勢力に分裂してしまい、それぞれが皇太子の勢力に各個撃破、吸収される事態となった。


 子竜はこの一連の対応を立人の右腕として企画・立案・指揮を行ない、名実ともに、この呉王府の文官筆頭となった。

 朝廷からの印綬はないが、呉の人々は子竜のことを小太傅と呼び、事実上の呉における内政の頂点と見なしている。


 がらっ。


 「先生はおられるか?」


 そういって、子竜の執務室に入ってきたのは姫立人。

 華の皇太子であり、呉王その人である。

 立人は今年で十四、背丈もぐっと伸び、武芸の鍛錬にも精を出す気質ゆえか、身体つきも中々に逞しく、見る者を掴んで離さぬ花がある人物に育っている。


 「皇太子殿下、香絹、ここに……」


 そういって恭しく礼を取る子竜。


 「っと、太郎もここであったか。……済まぬが、先生と相談したいことがあるのだが……用は済んだのか?」

 「はっ!小太傅より、紗将軍の救援に向かうよう命を受けましたので、これより営舎に戻り、編成をしようと思っております!」


 太郎も礼を施し、この場を脱出しようとした。


 がしっ!


 (……離さんぞ。

 殿下からの相談事など厄介なことに決まっているではないか!

 俺一人で不幸に会うなどまっぴらごめんだからな、お前がここにいたのも運の尽き、精々、盛大に巻き込まれてもらうぞ!)


 (うわっ!兄者ひでぇぞ!

 俺は一介の冒険者であって、所詮は余所者だぞ?!

 これ以上面倒事に巻き込むんじゃねーよ!)


 (死なば諸共!!)


 ((ぬぬぬぬ!!))


 相も変わらず、一年程度では二人の性根が変わることは無かった。

 見事な無言のやりあいである。


 「殿下、太郎は三名いる将軍の中でも最も私と付き合いが長く、十分に信頼できる人物です。よろしければ、殿下からのお話しは共に聞かせていただきたく思います」

 「なっ!ずるっ!」


 立人に気付かれないように、子竜に掴まれた服の裾を払っていた太郎は思わず声が出てしまった。


 「そうか……先生がそこまで言うのならば、太郎にも聞いてもらうとするか……どちらにせよ、後程、将軍たちにも意見を聞こうとしていたところだからな」


 そう言って頷いた立人によって、太郎が執務室から逃げ出す未来は閉ざされてしまった。


 「そうですか!……では、殿下、どうぞ椅子に……」


 嬉々として椅子を取り寄せ、立人に席を勧める子竜。

 満面の笑みで、親友を面倒事に引きずり込んだこのやり取りを喜ぶ。


 「ふむ……では早速だが……先ほど、開封府に居る私の手の者より連絡が届いた。黒国を正式に草原の民に委ね、華との交易を許すということだ。ついては、草原の可汗に私の従姉を嫁がせ、元王として遇するとのことだ」

 「なるほど……昨年の大遠征の決着に草原の民を冊封国の一つとして迎える決断ですか……そうなりますと、長年紛糾していた大遠征の評価も勝利に傾いたということですな」

 「……忌々しいがそういうことになるな。むざむざ三十万将兵を異国で散らしただけの戦だというのに、その犠牲を省みることもなく、勝利の戦とするようだな!」


 立人はよほどに承服できぬ事なのか、顔を真赤にしてそう吐き捨てた。


 「遼と南清の地を三十万の人血で贖う……果たしてそれが見合った物なのかは疑問でありますが、ともかく大遠征は成功。大将を拝命していた四珠皇子は功績を挙げたことになりますな……そういうことならば、一珠皇子派とのいざこざは解決したのでしょうか?宰相派の兵部尚書と南征将軍は戦死、更には彼らの配下が物資の横流しをしていたことも表沙汰になっていたと聞いておりましたが?」

 「ああ、三十万を殺した責任を詰められていた四珠皇子側が一珠皇子側に言い返した内容だな。……どうにも両派閥の間で妥協が成されたようだな。可汗の下に嫁ぐ公主の母親は、宰相の一門、一珠皇子の母親の親族にあたる女性だ」


 心底、納得いかぬといった表情の立人。

 

 「……なるほど。そうなりますと……北は今以上に荒れますな」

 「え?」


 予想外の反応であったのか、立人は乾いた喉を潤そうと手に取った杯を卓に戻し、子竜の真意を探る。


 「此度の遠征では三十万が死にました。その多くは徴兵された民ではありますが、この中には兵部尚書が手駒としていた開封府の軍の一部、東征将軍の東京府の軍、南征将軍の南京府の軍が含まれています。つまり、南京府から北は常備軍の大部分を失ったことになるのです。そのような情勢の下、異民族の軍を己の手駒として使いたい四珠皇子と一珠皇子……草原の民の総兵数は量りかねますが、果たして中核軍を失くした四珠皇子と一珠皇子に統制が執れるものなのでしょうか?……私にはそうは思えません」

 「なるほど……私は、この報告を受けた時には皇太子を廃される可能性までありそうだと覚悟をしていたが……確かに、先生の言うように、四珠皇子と一珠皇子の綱引きが終わらぬ様相では、そのようなことにはならぬか……」

 「私が思いますに、此度の遠征を経て、こと軍事面での力関係を申すならば、皇帝陛下は別として、一に趙王たる三珠皇子、二に元王たる草原の可汗、三に呉王たる殿下でございましょう」

 「ふっ!それは買いかぶり過ぎだ……」


 謙遜はしつつも、子竜の分析に多少は冷静さを取り戻したのか、顔の赤みも戻して立人はそうつぶやく。


 「呉の統一の道も半ばの今のままでは、湖南県の軍を掌握している零珠皇子にも私は劣る……よし、第一の急は先生の言う通りに呉の統一と内政の充実か……太郎よ。私からも命を下す。早々に軍を率いて紗将軍への援軍に向かえ!」

 「はっ!!」


 気配を殺し、このまま何事もないような形で嵐が通り過ぎるのを待っていたはずの太郎は、思いがけずに受けた立人からの命に服するのであった。


 (せっかくこのままなら、この部屋から逃げ出せそうだと思ったのに……殿下から直に命まで受けちまったじゃねーか!兄者め!)


 太郎は恨みがましく、ちらりと子竜をみやる。


 華歴二百三十四年、この年の史書には、皇太子府の将軍は三名であると記載されている。

 筆頭に耶蘇武律、次席に紗渾、三席に紗太郎。

 それぞれに手勢を率い、広大な呉の地を僅か一年で平らげた功績から、「皇太子の功績は三頭の軍馬に因って培われる」と後世に広く言い伝えられるのであった。

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