-第十二話- 四平攻防戦 ~後編~

華歴二百三十三年 晩秋


 四珠皇子を無事に保護し、清軍の当面の攻勢を凌いだ文雀は一人、夕暮れ刻に北側城壁に登り空を眺めた。


 (清討伐軍の大将は生き延びた。

 清軍の四平から南への侵入も撃退した。

 ……だが、これではまだ足りない。

 もう少しの勝ちが欲しいところだな……俺の身の安全のためにも……何せ六十五万の軍の半分ほどの兵が戦死しているのだ。

 普通に考えれば、大敗北と呼んでいい戦死率だからな)


 開封府を出立する時から、嫌な予感がしていたし、道中での四珠皇子、東征将軍、南征将軍、兵部尚書の行動に幻滅をし続けていたが、ここまで壊滅的な敗北を引っ提げて戻ってくとまでは、文雀をして思ってもいなかった出来事である。


 更に、四珠皇子を保護した昨晩から、今朝の謁見に至るまでの一連の流れを思い出して深いため息をつく。


 (今の俺は皇族扱いはされていない身上ではあるが、姓は姫のままだし、先々帝の甥だぞ?

 しかも当家は親父殿が先々帝から直々に六省文官家、六省の尚書から宰相に任官出来る家格を与えられての降家、新家創設だ。

 更に言えば、俺は現役の兵部侍郎で今回の遠征軍の高級幕僚の一人だろうが!

 その俺がなんで、わざわざ「謁見」やら「登場待ち」何ぞをせにゃならんのだ。

 殿下も敗戦で心が折れてしまって、縋る標は己の地位のみ……ということなのか?

 ……ふんっ。

 四珠皇子に至尊の地位は不釣り合いということだな……陛下のように能力が無くても他所に血族がいなければ、地位を継げるではあっただろうが、あの程度の器ならば幼い皇太子殿下が皇帝に就かれる方がよほどましだな。

 こりゃ、ますます四珠皇子の派閥からは距離を置かんとこの身が危険だ)


 昨晩、文雀は城主館を占拠した四珠皇子に呼ばれた。

 それまでは書類と共に、自分が寝起きをしていた書斎に呼び出され、叩頭の礼を要求され、今後の方策を下問されたのだった。


 通常、叩頭の礼というのは、よほどに身分差、家格差がある場合にしか行われず、王朝姓である「姫」を名乗り、自身も先々帝の甥であるという強い血を持つ文雀が叩頭の礼を施す相手は、それこそ皇帝その人かそれより上の血族順位を持つ姫家の人間に対してのみだ。

 それを皇帝の長子ではあるが、皇太子でもない四珠皇子が要求する。


 文雀は叩頭を要求した四珠皇子の側近たちに対し、相当に腹を立てたが、事を荒げた挙句、戦地大将の特権で剣を抜かれては分が悪いと思い直し、渋々と叩頭を行なった。


 (そんな無礼をした挙句に、「私は此度の戦勝報告を早々に開封府の朝廷で行わねばならん!」と開口一番に言いやがって……あの際限のない増上慢はどこから来てるのだ?

 確かに、俺も自分の身と立場を守るためには、「清で挙兵した異民族を北に追い払い、犠牲を払いつつも遼と清の地は奪回した。今後は黒の地を奪回すべく務める」とか何とか言って形を整えようとはしていたが……。

 敵地への無謀な進出をした挙句、おびただしい数の味方将兵を殺した責任者である皇子に言われてもな……)


 その場は話をごまかし、適当にあしらった文雀ではあったが、夜が明けた今日も、日の出もそこそこに呼び出しを受けた。

 流石に忍耐にも限度があると、もう少しで怒声を挙げそうになった自分の口を抑えきって、何とかその場を切り抜け、気分転換にと、ここに来ていたのだった。


 「まったくもって話しにならんっ!!」


 びくっ!


 思わず心の声が叫びとなって出てしまった文雀、彼を遠目で眺めていた城兵が驚きのあまりに飛び上がる。


 「じょ、城主様、如何なされたんでぃ?」

 「ああ、済まんな。なんでもないわ……はっはっは!昨日の震えが今になってきたのかも知れんな!わはっはっは!」


 (これは失敗をしたわ。

 つい、馬鹿皇子への怒りが口から出てしまったぞ!)


 今後一切、四珠皇子へ尊称を使うことは止めよう、と誓う文雀であった。


 「は、はぁ……それなりゃ結構なことでやすが……」

 「おう、そりゃそうよ、大変に結構なことで……」


 どっどっど。

 どっどっどどっど。


 ……


 「おい、なんか聞こえるか?」

 「へ、へぇ……なにやら馬蹄の様な響きが……」


 今日は、昨日とは打って変わって雨交じりの曇り空である。


 清軍は昨日のうちに四平からでは姿を確認できぬ場所へと下がってしまい、今日はなんとも静けさ覆う四平の街ではあったのだが、どうやらここに来て何やら動きが出てきたようである。


 どっどっど。

 どっどっどどっど。

 どだっどだっどだ。


 曇り空の下での遠目ではあるが、ざっと見たかぎりでは、軍馬の数は五万を越えるところであろうか。

 旗印らしきものは見えないので、あれは帝国の兵ではない。

 状況から、清軍の増援かとも思われるが、どうにも軍装が違う。


 清軍の騎馬兵は基本的に鎧甲冑で身を固めた重装騎馬兵だ。

 北の良馬に任せた航続距離と突進力で、帝国軍を散々に野戦で討ち破るのが得意の軍であるが、遠くからやって来るあの軍は、それとは少々装いが違った。


 馬の姿は清軍よりも一回り小さく見えるが、どの馬からも素軽そうな雰囲気が立ち上る。

 実際に文雀らが馬蹄の響きを確認してから、街に近づくまでの速度は清軍のそれよりも早い。


 「あ、ありゃ……」

 「あれはなんだ?見た感じ清の者達ではなさそうさが……お主ら見知っておるのか?」

 「へ、へぃ。あ、あれこそが草原の民の軍でさぁ。女真の糞野郎どもよりも、もっと残忍で強い奴らでさぁ!」

 「……」


 (あれが、草原の民か……噂には聞いていたが確かに軽装のようだな……。

 しかし、清の者達よりも残忍だと?

 ……そいつは困ったことではないか……)


 大いに己の不運を嘆く文雀であった。


 そんな城壁上のやり取りを無視して、数頭の騎馬が一人の大男を鎖で引きずりながら街へと近づいてくる。


 「開門!開門!こちらは大草原の可汗の軍の使いである!此度は草原の民と帝国、双方にとっての怨敵である悪女真の親玉を捕らえたので、城主殿、軍の大将殿にお目通り願いたい!いざ開門されよ!」


 ……

 …………


 時は昨晩に遡る。


 寸前のところで敵大将の首を獲り損ね、あまつさえ四千に及ぶ味方を卑劣なる帝国の策によって討ち取られてしまい、四珠皇子を追っていた大男の分隊、二万の清軍は意気消沈していた。


 「隊長……俺たちゃ、五万の帝国の本軍を破った。散々に殺しまくったが、肝心なところで敵の大将を逃がしちまった」

 「最後にゃ、功に流行った部族の奴らが城の罠に嵌って全滅をした。死んだ中には、有力部族の奴らもいたので、結構面倒なことになりかねませんぜ?」

 「……わかっている」


 大男はむすっとした表情のまま、部下達に一言返事を返し、しかめっ面をして塩と胡椒を贅沢に塗し込んだ羊の骨付き肉にかぶりつく。


 秋の実りを迎えたばかりだったのか、若将軍の命令によって全軍で襲った悪女真の部族には豊富な食べ物があった。

 羊、麦、酒、そして、なんといっても塩と胡椒。


 塩も胡椒も女真族にとっては必需品であり、貴重品だ。

 塩は南の遼から、胡椒は同じく南の遼からと西の草原を渡って齎されるからだ。


 そんな貴重な略奪品を存分に使用したご馳走にかぶりつきながらも、大男は気が晴れないでいた。


 (どうにも今回の挙兵には違和感ばかりが付きまとうな)


 憎き帝国がのこのこと父祖の地へと土足でやってきた。

 先年の仕返しだろうとなんだろうと、襲い掛かって来るのならば、打ち殺して大地への肥やしとしてやろう、そう、追い払うまでのこと……大男としても、その若将軍の判断に否は無い。


 (……だが、どうにも靺地の略奪以降はケチが付いたような気がする。

 そもそも、靺地を略奪してなんの得が我らにあるのだ?

 靺地の住民は我らに恭順をしておった。

 南や西との交易で得た品々を低価で商ってくれていたではないか?

 この羊に塗されている胡椒も塩も、来年以降はどうやって手に入れようというのだ?

 南へ略奪に向かうにしても、どれだけの距離を軍で移動せねばならんのだ?

 塩と胡椒を買い求めるための金銀を手に入れる、そのために奴隷共をわざわざ清の地まで連れてきて売り払ったのではないのか?)


 澱の様などす黒い感情が大男の胸に去来する。


 (このまま若将軍が東原女真を率いて行くのは危険なのではないか?)


 騎馬の民は強い男が一族を率いる。


 大男は若将軍を強者と認めたからこそ、ここまで旗下に加わっていたのではないか?


 今日の大男は、いつもはあまり陣中では飲まぬ酒に手を伸ばした。

 四平からは視認できぬ距離に退いてから立てた陣中である。

 四平から兵を繰り出してきたとしても、そう簡単には近寄れない距離の場所だ。

 多少は飲んでも良いだろう……そう思って一杯だけ飲むつもりが、気付いたら、二杯、三杯と杯を重ねてしまっていた。


 (くっそ!……こんな気分は今までに味わったことが無いぞっ!)


 苛立ちを抑えるために大男は杯を重ねる。


 ぴょんぴょろっーーー!

 ぴょんぴょろっーーー!


 なんとも耳障りな音が深夜の陣中にこだました。


 「なんだ?!このけったいな音は!!……ぐ、ぐわっ!」


 妙な音に苛立ち、天幕の入り口を開け放った男が喉に矢を受け絶命している。


 「て、敵襲だ!!出会え!!敵襲だ!!」

 「武器を取れ!!!」


 (夜襲だと?!

 あの帝国兵が外に出て夜襲を仕掛けてくるなど……いや、今は考えている暇はない!

 剣を取り戦う時だ!!)


 大男は酔った頭を大きく振った。

 愛用の大剣の鞘を腰に差し、剣を抜いて事態に備える。


 (鎧は……今のままで仕方あるまい、陣中での心得ということで鎖は今も着込んでいる!

 よし!兜だけを被って外に出て敵を打ち払う!!)


 大男は天幕の外の気配を探りながら外に出て状況を探る。


 ひゅん、ひゅん、ひゅひゅんっ!

 がっしんっ!


 天幕はそろりと出たはずが、何処からともなく放たれた矢が大男を襲った。


 なんとか大男は剣で矢を打ち払ったが、隣にいた同じ部族の者は眉間を射抜かれている。


 (この矢の種類!深夜にも関わらずここまでに統制の取れた襲撃と馬上弓の腕……草原の民がなぜ?)


 大男は焦った。

 草原の民の軍に夜襲を食らうこと。

 その事実が意味することの絶望に恐怖を感じる。


 (ちっ!残念だが、この陣は捨てざるを得ん!

 闇夜に紛れて落ち延びる……そして、離れた場所で敗軍を纏め直して本軍に合流するしかあるまい……)


 そう決心すると、大男は闇の深い方向、夜の森の中へと逃げて行った。


 ……

 …………


 「白髪よ。掃討は終わったか?」

 「はっ!可汗よ!無事に、この場の女真共は討滅しました……ですが、流石は土地勘ある者達ですな。ある程度の数はどうやら上手く逃げ去り、森の中へと消えて行ったようです……追いますか?」

 「いや、無用だ。夜の森での戦など、何があってもおかしくない。無駄な犠牲を避けるためにも森の中へは兵を入れるな。……ただ、厄介な動きをされては困るからな。いくつかの小隊を出し、森の周囲を巡回させろ。それだけで奴らは集結が難しくなろうからな」

 「はっ!早速!!」


 可汗は白髪が部下へ指示を出しに行ったのを認め、一息入れてから周囲の状況を再度探った。


 辺りは深夜。

 今日の月は細く、十分な月灯りとはいえぬものだが、草原の民にとっては、どんなに細くとも、月さえ出ていれば、周囲の観察程度、何の困難を感じることも無く行える。


 草原の民は夜目が効く。


 これは草原の周辺諸国には良く知られた事実である。


 その理由は、草原の民の祖先が狼であるから、だとか、遮蔽物の無い草原では常に月明りを頼りに移動していたから、だとか、砂漠を移動するのが夜だったために暗さに慣れているから、など諸説あるが真相は誰にも分らない。

 事実として、草原の民は幼少の頃より夜目が効き、大陸のどの民族よりも夜襲が得意ということだ。


 (これで東原女真の主だった軍は全て潰したか。

 奴らの無節操な進軍と略奪で俺の婚約者は……ちっ、今はそれどころではないか。

 俺の真の敵は華帝国。

 だが、今の俺では帝国を滅することは出来ん。

 力が必要だ。

 そのためには、一時、その怨敵に頭を下げることになろうとも、この地で力を付けてやるさ!)


 当初はこの黒の地で暴れている帝国軍を全て殺し尽した後は草原に戻り、力を蓄えてから帝国を襲ってやる、と思っていた可汗であったが、ある一人の導師との出会いが彼の考えを変えた。


 東の方からやってきた黒づくめの導師。

 彼は可汗にこう献策した。


 このまま怒りに任せて帝国に歯向かおうとも、草原の民の力だけではことは成し遂げられない。

 帝国を倒すための兵力も武器も草原には足りないのだから。


 ならばどうする?


 清の北、黒の地を吸収しろ。

 黒の地に住む東原女真は、同じく同地に住まう西湖女真、北山女真から憎まれている。

 東原女真を滅すれば、その功績を手に西湖女真も北山女真も無理なく傘下に収めることが出来よう。

 そうして、兵力を蓄えた後は、武器を集めるのだ。

 攻城兵器無しに帝国は倒せない。


 確かに帝国は強大であり、城塞都市に籠った帝国を打倒するには攻城兵器が必要だ。

 確かに集める必要があるだろう。

 ではもう一方のもの、兵力は?

 兵士は、子が大人にならなければ増えない。

 その時間はどうする?


 この問いに対する答え、それが可汗には考えが及ばぬ物であったので、この導師の一連の献策を可汗は受け入れた。


 導師は言う。


 東原女真の指導者を生け捕りにして帝国に引き渡せ。

 その恩賞として、黒の地の支配と帝国との交易権を手に入れろ。

 さすれば十年程で帝国を打倒する力が手に入るであろう、と……。


 (面白い!

 帝国を倒すために帝国に頭を下げ、帝国の富を掠め取る。

 面白い!非常に面白い!

 婚約者を殺された恨み!

 十年の後には何倍にもして支払ってもらうぞ?!)


 「……可汗よ。すべての手配は終わりました」

 「そうか、ご苦労であったな、白髪」

 「では、予定通りに明日……」

 「ああ、明日に四平へと向かう……生け捕った東原女真の大将を帝国に引き渡して恩賞を貰わねばいかんからな」

 「……はっ、可汗の望みのままに」

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