-第十一話- 四平攻防戦 ~前編~
華歴二百三十三年 晩秋
「城主様ぁ!み、見えてきましたぞ!砂埃が物凄いことになっておりますぞ!」
「……」
「じょ、城主さまぁっ!」
「あ、あれが味方の敗走……み、みえちゅうじゃか?!じょ、じょしゅ……」
「ええい!聞こえてるし、見えとるわ!」
城塞都市に拠っての籠城戦には、都市住民の協力が必須。
特に手持ち兵の少ない、文雀にとっては、如何に町の有力者たちを味方に付けるかが鍵だった。
(にしても、やはり、素人には万を超す軍の敗走場面というのは強烈すぎるのか?
ここにいる顔役たちは、それぞれ従軍経験があると言ってはいたが……これではここから使い物になるかが大いに疑問だぞ
余計な心配をさせないでくれよ?頼むぞ!)
四平の北側の城壁。
ここは、文雀が駐留されるようになって真っ先に補修と拡充をした場所だ。
前までは一人、二人がすれ違うのがやっとだった壁上が、今では五列横隊を敷いて余りあるだけの広さを確保出来るまでになっている。
三か月弱で、ここまでの補強が出来たのも、留守番役にきちんと銭を置いて行った兵部尚書のお陰だ。
兵部尚書は自分の懐でなければ、気前よく部下には物を与えることで有名な男だった……その理由は、勿論自分の味方作りの為である。
自分の懐を一切傷めずに、公金を使って自分の政治力を高める。
実に、由緒正しい官僚の姿だ。
だが、銭の出所がどこであろうと、決して吝嗇では無かった上役に感謝する文雀であった。
(今回は何とか間に合った……これも公金を大量に渡してくれた尚書閣下さまさまだな。
閣下ご自身は、初戦であっさりと戦死なさったようだが……いやいや、閣下の御意思はどうでも良いか……ここは閣下のお陰で、俺が無事に解放へと帰れる可能性が上がったのだからな。
大いに感謝をして、閣下のご遺族への報告役は、代理を立てずに俺自身で行うこととしよう)
文雀はこのように、当たり前のように開封へ帰れることを前提としているようだが、彼の周りにいる四平の顔役たちは、目の前で繰り広げられている帝国軍の敗走、大撤退戦を目の当たりにして、顔面蒼白となっている。
「ほ、ほんなこつ、大丈夫でっしゃろか?」
「心配するな!何度も訓練してきたであろう?俺を信じろ!清軍を追い払うだけなら造作もないことだ!はっはっは!」
「じょ、城主様がそうおっしゃられるんなら……」
「ほ、ほだな……ほいだば……」
清人、遼人、燕人……様々な者達が混ざり合い、それぞれの方言が強く残っている四平。
その城壁で悠然と腕を組んで様子を眺める男。
その太々しさは、徐々に顔役たちの恐怖を取り除き、「この人について行けば何とかなる!」そう思うようになっていった。
(さて、問題は皇子殿下が無事に、先頭切って逃げ戻ってきてくれているかどうかだが……頼むから、変な英雄願望を起こさんでいて下さいよ。
四珠皇子殿下が生きてさえいてくれれば、敗戦の責任なんかは死者に押し付け、俺は無事に実家に戻れるってもんなんですからな)
心の底から四珠皇子の生還を祈りながら、遠眼鏡を懐から取り出して様子を伺う。
文雀の眼にはっきりと見える、華の大旗と姫の文字。
どうやら、四珠皇子と近侍兵はしっかりと先頭切って逃げ帰っているようである。
(善き哉、善き哉っと……ん?)
「む??」
遠眼鏡を覗いている文雀が、思わず訝しげな声を上げてしまう。
「じょ、城主様、ど、どうしたんで?なんか嫌なもんでも?」
「あ、いや……そうではない。大丈夫だ、逆に有難い状況だったのでな?」
文雀が見ている光景は、彼が予想していたものとは少々違っていた。
ある日を境にばったりと、物資の補給状況や、何かしら開封府からの連絡は有るか?との、それまでは辟易する頻度で来ていた問い合わせが、部尚書率いる一軍から一切来なくなった。
敵地での急な連絡途絶。
これは十中八九、軍が敗れたのだろう、そう文雀は予測した。
これが、兵部尚書ではなく、武功に焦る東征将軍や南征将軍のところであったのならば、精々が敵を深追いして連絡どころではないのだろうと思ったりできたが、相手は兵部尚書である。
しかも、靺地と四平の距離を考えれば、移動中の伝令もいたはずである。
それなのに、その移動中の伝令でさえ四平には到着していない。
このことが意味するのは帝国が戦に敗れたということ。
しかも、伝令までをも逃さずに捕縛できるということは、文字通りの全滅に近い負けなのであろう……。
状況を冷静に分析した文雀は、自分が生きて開封に帰れる算段を始めた。
もちろん、一番確実なのはその思いに至った瞬間に自分一人で開封へ逃げ帰ることだが、そのようなことをしてしまっては、敗戦の責任を自分一人で上層部のいいように取らされると、相場は決まっている。
そのように悲惨な末路はまっぴらごめんの文雀は、なんとか別の未来を作り出さなければならない。
そのためには、敗戦を繕える程度の戦果、四珠皇子には生きて開封に戻ってもらうことと、清軍の侵攻をこの四平で食い止めることの二つが必要である。
進軍の侵攻を食い止める。
実はこちらはそんなに難しいことではない。
そもそも、清軍は攻城兵器を持たないし、また四平から先、遼の地や清の南を治めることを目的として行動もしてきていない。
治める気が有るのならば、街を破壊し尽くしたりなどしないし、領民を虐殺することもない。
どのような時代であれ、地域であれ、死人が税を納めることなどは有りはしないのだから……。
今回の清軍の行動目的は、帝国軍を撃ち破り、追い返すこととなる。
そう言うことならば、固く領外で固まっている軍を無理攻めする謂れは無い。
こうなると、唯一の問題は四珠皇子が生存していてくれるかどうかであった。
四珠皇子はそれなりに従軍経験があるが、今回のように敵地深くに侵攻した戦などは経験ないであろうし、命からがら逃げ帰ってくるような経験もないであろう。
そうなると、いつ、どのような理由で、不慮の事故ではないが、皇子が命を落とすかは分かったものではなかったのだ。
(殿下はご存命、それは旗が示してはいる……だが……思ったよりも追撃の清軍が少なくないか?
その一方で、帝国軍の兵も多くない……なんといっても東征将軍の旗が見えんな……ふむ、そっちは死んだのか?
南征将軍の旗も見えないが、そちらはもとより四珠皇子とは一緒に行動する義理もないだろうから、どこかで野垂れ死んでいる可能性が高い。
それはわかるんだが……てっきり殿下を追いかける軍は五万以上だと読んでいたが、これでは二万そこそこではないか。
逃げている殿下の軍とほぼ同数……こりゃ、予想よりも楽に済みそうだが……念のためもう一度確認だ)
文雀は遠眼鏡から顔を外して、顔役たちに尋ねる。
「この十日程、付近の山々や間道からの報告は問題ないんだよな?」
「へ、へぇ……河漁師の爺様も猟師の勢子供も特に……」
「あ、あと狼煙も上がったことは有りませんや!」
「そうか……ならばよい」
(そうなると、伏兵や迂回をしている別動隊もこちら側にはいない。
ふぅむ……どういうことだ?
東征将軍辺りがどっかで奮戦でもしているのか?)
どっどっどどっど!
どどっどっどどっど!
文雀がしばし状況整理をしている間に、軍馬の音が聞こえて来た。
(まぁ、いい。
ここまで来れば、後はやることをやって、清軍を追い払うまでか)
「それでは始めるぞ!準備は良いな?!」
「「へ、っへぃ!」」
決して力強くはないが、それなりに頼もしい返事が城壁上の兵から聞こえてくる。
「よぉし!訓練通りに落ち着いて対処すればよい!気楽にせい!」
文雀は大声を出して、四平の守兵を落ち着かせる。
どっどっどどっど!
どどっどっどどっど!
どだだだああだっど!!
馬蹄の響きはどんどんと大きくなり、やがて一人目の兵が東遼河に掛けられた跳ね橋を渡る。
どっどっどどっど!
どどっどっどどっど!
どだだだああだっど!!
一人が二人、三人となり、次々と騎馬兵が跳ね橋を渡り城門をくぐって行く。
(流石に、清軍も都市の中に逃がすまいと全力で追いかけて来るか……こりゃ、軍の最後尾は飲み込まれているな。
どうにも、一番面倒な策を使わねばならんようだが……まぁ、なるようになるであろうさ。
こっちは高さを取っているしな)
文雀が状況を確かめる間にも次から次へと帝国騎馬兵が逃げ帰って来る。
そして、ついに文雀が待ち望んだ兵が城門をくぐった。
「よし!あの旗の一団が内門を潜ったら内門は閉じよ!いいな!訓練通りに命令を実行せよ!」
「は、ははっ!」
「次いで、跳ね橋を上げる準備だ!帝国軍の最後尾が渡り切ったら上げるぞ!」
「はっ!はぁっ!!」
文雀は手持ちの拡声器を使って大声で指示を飛ばす。
(う~ん、有能な副将なり、将校がいればこんな原始的な指示の飛ばし方はしなくて済むんだが……。
これだけ大声で叫べば、敵軍にも聞こえてはいるだろうが……まったくもって策の警戒もせずに突っ込んでくるか。
いっそ、城内にこのままなだれ込んで、とか考えているんだろうな……。
まったく……その程度は予想されてると思わんのかね?)
眼下では凄惨な撤退戦が繰り広げられているというのに、少々場違いな、愚痴じみた考えを浮かべる文雀である。
どっどっどどっど!
「よし!今だ!跳ね橋を上げろ!!」
「「はっはあぁ!!」」
ぎりっ、ぎりりりっぃ!
文雀の指示によって、一斉に町の力自慢たちが城壁内の巻き取り機を全力で動かしだす。
「「ど、どあああぁ!」」
どっぽんっ!
勢いづいた跳ね橋の巻き上げ速度によって、数名の騎馬兵が掘へと振り落とされる。
(……何名かは帝国兵も巻き込まれたが、大多数は清軍だからいいとしよう。うん!)
身勝手な文雀の踏ん切り方である。
これで跳ね橋は上がって、清軍が城内に入って来ることは不可能となった。
だが、帝国軍の撤退を
その前に文雀が指示した通り、先に内門が閉じられているので、跳ね橋と外門の突入に成功した清軍は、外壁と内壁の間で右往左往していた。
彼らは、各々、とりあえずとも言うべき形で、内門に入れなかった帝国兵の背を討っている……が、帝国兵も城壁を背にしながら塊を作って最後の抵抗をしており、膠着状態とも言うべき様相があった。
(よし!これで仕上げだな!)
跳ね橋が上がりきり、これ以上の清軍の突入が無いことを確認した文雀はくるりと後ろを振り向き拡声器を手に取る。
「弓隊、総員構え!!……撃て!!」
ひゅんっ、ひゅんっひゅ、ひゅ、ひゅんっ!
ひゅんっひゅ、ひゅ、ひゅんっ!
文雀の号令の下、内壁上、外壁上の弓兵が一斉に眼下の清軍めがけて矢を放った。
号令直ぐに城壁の
文雀は予め弓兵を内壁上、外壁上に整列させていた。
内壁上の兵は外壁に向かって、外壁上の兵は
これが全て訓練された兵であるならば、彼は普通に外壁上の兵を外に向けていたであろうが、彼の手持ちの兵の多くは街から徴兵した者達である。
従軍経験がある顔役たちでさえ、先ほどの様な状況だったのだ。
それが、従軍経験も人生経験も乏しい人間では、文雀が予想もし得ない失態、混乱が起きるかも知れなかった。
それを防ぐためにも、転換の混乱を起こさないためにも、予め内側に向かせていたというわけである。
「ぐごぅろぁ!!」
「ぎぁやえっ!!」
城に引き込まれた清軍の断末魔の叫びが響き渡る。
二十尺、三十尺と高さのある壁上からの撃ち下ろしである。
どんなに非力な弓であろうとも、面白いように清軍の装甲を突き破る。
全くもって、策に嵌った敵兵というのは悲惨である。
なすすべもなく、ただただ、素人に毛が生えたような者達の矢によって屍を築いていく。
中には、清軍に近接すれば矢も飛んでこないと考え、帝国兵の集団に近づいて行くものもいるが、彼らは、確かな勝勢を感じ取り、息を吹き返した帝国兵によって逆に討ち取られて行く。
城壁内の戦は決した。
四千ほどはいたであろうか、跳ね橋を渡った清軍は降伏することも許されず、最後の一兵に至るまで、帝国兵によって屠られた。
後代の史記にある四平防衛戦の初日はこうして終わりを迎えた。
この戦いこそ、後に忠武烈公配下の一の将軍と称される姫文雀が、史書に現れる一番目の節となる。
一番目の節……そう、ここまでは始まりの一節だ。
もちろんのこと、第二節目は即座に行われた四平攻防戦の続きとなるが、こちらはどちらかと言えば、姫文雀はただの添え物として描かれることが多いものなのであった。
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