-第九話- 東原女真

華歴二百三十三年 秋 四平


 遼の最北端であり、清を南北に別ける東遼河沿いの国境であるこの街、四平は付近住民が総出で街の城塞都市化を進めていた。


 元来、清人と遼人は別の文化形態を持つ者達であり、土着言葉も違うのだ。

 彼らが意思疎通を図るときには華語が使われるのが慣例である。


 そのような背景を持つ二つの民族。

 今回は北の清人が蜂起し、軍を興して一方的に遼国内を侵したため、遼人の清人に対する憎悪の感情はこの数百年で最高潮にまで達していた。

 昨年までは、華帝国に対する両国の民の感情には、それ程差が無かったものの、今回の侵攻で、両国人の間には埋め難い溝が出来ていた。


 帝国軍はその溝を金銭で後押しして、後方拠点として活用する四平の要塞化工事に駆り出している、というわけである。


 「ご城主様、儂の持ち場の東の穴掘りは終わりやしたです。へい」

 「おお、そうか。ならばお主達の班は煉瓦を工場から城壁前に運ぶ班を手伝ってやってくれ!……おおっと!その前に飯を貰って腹を膨らしてから掛かれよ!?」

 「おお!ありがとうごぜぇやす!」

 「ご城主様、儂らの班も終わりやした……」

 「ならば……」


 (……っと。本当にこれは休む間もないな。

 ここより先は武勲の立て放題ということで、無派閥の俺だけが置いてけぼりを食らっちまった。

 確かに、この四平を確保することの重要性はわかるんだが、どうにもな……。

 ただ、物事、そんなに都合よく行くものか?

 万が一の供えということで、せめて、討伐軍が逃げ帰ってきたときに助けられる程度の供えだけでもしとかにゃ、俺も無事に開封府に帰れんかもしれんな)


 周辺からかき集められた人足達から「城主」と呼ばれている男、討伐軍副参謀を拝命した兵部侍朗の姫文雀は、討伐軍内部での派閥争いの余波を受け、ここ四平にて留守番をさせられていた。


 (手元に居る守兵は一万。

 四平は国境の街とはいえ、六十五万の軍の前線補給基地として使うには小さすぎる田舎の町なのがなぁ……。

 まぁ、そのうちの十五万は趙に帰っちまってるし、残りの三十万ちょいもここまでの道中で消えたというか、点在してしまってるから、実質は二三十万弱の軍か……それでもなんだかなぁ~)


 華帝国を進発した討伐軍は順調にその数を少なくしていた。

 もちろん、その目的は軍需物質の売却。

 一ヶ所で売却してしまっては売値が下がってしまうので、多くの土地で少しずつ売りさばくのが、軍官吏の腕の見せ所である。

 もちろん優秀な軍官吏は土地の有力者たちに鼻薬を嗅がすことも忘れない。


 (しかし……なんだな。

 北側城壁を強化して掘を作る。跳ね橋をつける。掘の底に木槍を差す。

 用意できるのはそんなところかねぇ。

 城壁に厚みを持たせて弓兵を多く揃えれば、万が一清軍が迫って来ても追い返すのは可能だろう。

 昨年の北京府の戦でも、清軍は半年以上に渡って手も足も出なかったわけだし……今回も彼らの主目的は討伐軍の撃退だろうから、何とかやりようはある……と良いなぁ)


 はぁっ。


 自分が直面している状況を考えると、思わずため息がこぼれてしまう文雀であった。


 ……

 …………


 「はっはっは!しかし、帝国軍も愚かな者ばかりよ!無意味なまでの大軍を四百里も北の清の地まで送り込んでくるとはな!」

 「しかも、せっかくの大軍を支えることも出来ず、清の地で這いずり回る帝国軍はせいぜい五万ずつの軍が四つ……大可汗だいはーんよ。そろそろ出陣の時かと……」

 「……よせ!俺は世辞は好かぬ!……だが、そうだな、その尊称は父の後を継ぎ、西の遊牧民を征服してから名乗ることにしようではないか!」

 「流石は若将軍!見上げるばかりに気高いご雄志でございますな!」

 「「あ~はっはっはっは!!」」


 ここは清北部、黒国と呼ばれる帝国の最大領時代の最北端の街、靺地もうちから更に東へ百五十里ほど行った彼らの夏の放牧地である。

 若将軍と呼ばれる男の出身部族の主要放牧地であり、帝国に服していない清族の内、最大勢力を誇る東原女真どんいぇんにーちぇんの根拠地でもある。


 「しかし、帝国の将軍は無能ばかりですな。やつらは帝国に忠誠を誓った北山女真べいしゃんにーちぇんや西の遊牧民と血を結んでおる西湖女真しーふぅにーちぇんを虐殺して我らを討ったと勘違いしておる!」

 「致し方なかろう、奴らには靺地の東にある隠し峠は見つけられぬ。さすれば、我らが帝国より連れて来た奴隷共を金で買い取った悪清人達を殺すことでしか功を誇れないのであろうさ!」


 悪清人と良清人。

 この区分は帝国の支配を受け入れ、華の戸籍に名を入れたか否かで呼称する、彼ら清人の俗称である。


 そもそも、清という土地の呼び名は千年以上も昔に大陸東部全土を統一した晋王朝が付けた呼称である。


 晋はとうに滅び、晋による清の支配はその滅亡以前に終わってはいる……だが、今もこの土地に住む者達には、この地を清と呼びならわし、その土地の支配者たる者を清人と呼ぶ習慣が残っているのである。


 そして、彼らの部族名は女真……つまり、生粋の清人ではないのだ。

 生粋の清人……実際には、既にそのような存在は過去の史書の中にしか存在しないのではあるが、「清を治めるは清人である」という概念は非常にわかりやすく、彼らの心に住み着いている。


 そう、悪清人と良清人。

 彼らは自分たちこそが清を治めるべき良清人であり、易きに流れる堕族な悪清人は英邁なる自分たちが指導、保護しなければいけない家畜であると思いあがっているのだった。


 「くっくっく。しかし、帝国の奴等の蛮行のお陰で北山の者達も西湖の者達も俺達への助力を申し出て来た。帝国から連れて来た女どもが子を産み、その子らを戦士として育てるにはまだ時間がかかる。当面は悪女真の者達を手駒として行かねばならぬところだからな……南の賢者よ。お主の知恵には感謝するぞ?ことが成った暁には、その方の血族は憎き帝国人であろうとも生かしておいやろう!」

 「……大可汗の御厚情痛み入ります」


 南の賢者と呼ばれた黒ずくめの導師は、顔をすっぽりと覆う面に遮られて、くぐもって聞こえ辛い声を持って返答をし、礼を施した。


 「ふんっ!味方を売るような薄汚い野良犬が!」


 小声ながらもはっきりと聞こえる侮蔑が、清軍の諸将の内から聞こえてくる。


 自分たちは劣等部族を家畜のように扱うことこそ誉と教えられて育ってはいるが、帝国を売る帝国人には、勝手に嫌悪感を抱いているようである。

 このような滑稽な図式、後世の者達にはどう映るのか見ものではあるが、彼らの中では至って健全な考えなのである。

 その証拠に、声に出さない諸将の中でも、その意見に大きく頷く者、もっともだと称賛を送る者、奸者を重用する若将軍を批難がましい目つきで見る者等がいる。


 そのような異論、反論を含む視線に若将軍は耐えられないのであろう。

 たとえ、その対象が自分でないとしても、自分が保護した人間を侮蔑するのは自分を侮蔑するのと同じである。

 彼はそう考える人物であった。


 どんっ!


 眼の前い置いてある床几を片手で絶ち割り、東原全土に聞こえるかの如き大音量で宣言をした。


 「俺が重用するのは才能ある者だけだ!出自などは問わん!実力ある者だけが俺の幕下に加わることが出来る!不満があるのか?!」

 「「微塵も御座いません!!」」

 「武功を讃えられて不満な者はいるのか?!」

 「「片鱗も御座いません!」」

 「お前たちが欲するものは何だ?!」

 「「富と栄誉!!」」

 「どのようにして勝ち取る?!」

 「「戦に勝利することによって!!」」

 「よし!!では出陣だ!!馬をひけぃ!!!」

 「「おおぉぉぅ!!!!」」


 若将軍の鼓舞に応え、この日、東原に集まった清軍五万は一路、帝国との決戦を求めて靺地を目指して進発した。

 全軍が騎馬で編成された清軍が靺地の東で華帝国軍と激突するのはこの三日後である。


 ……

 …………


 うわぁ~!!

 うぉぉ~!!

 殺せ~!!


 「な、なんじゃ?この喧騒は?だ、誰かおらぬか?!」


 先日、自分たちの軍が殲滅した清人の部族、そこで酷使されていた女奴隷の内、綺麗所を二人ほど寝所に連れ込んでいたこの軍の指揮官、兵部尚書は夢のような快楽と共に眠りに着いた昨晩から一転、男どものけたたましい怒号によって、明け方前に納得しかねる方法で目を覚まさせられた。


 「尚書閣下!鎧をお早く!!この陣は近いうちに突破されるかも知れませぬ!」

 「な、何じゃと……どこの不届き者が、儂の本陣を襲うというのじゃ?」


 兵部尚書は自分がいるその場所が敵地だということも忘れ、なんとも間抜けな感想を口に出した。

 ……間抜けではあるが、それは紛れもなく兵部尚書の本心であった。


 華帝国の清討伐軍は、広大な黒の地に点在する女真族の部族の所在地を耳に入れ、効率的な殲滅方法だと、軍を四珠皇子、東征将軍、南征将軍、兵部尚書の四つに分け、小部族の殲滅戦に勤しんでいたのである。


 このうち、兵部尚書は己の武に自身が無く、また小心であったがために、黒の中心地である靺地近くを徘徊し、見かけた小部族に襲い掛かり、討伐印としての耳狩りに勤しんでいた。

 靺地には清人の虐殺を逃れた人々(東原女真にとっての悪女真、帝国にとっての良女真)が居住しており、都市としての機能を未だ維持していたので、兵部尚書にとってはこの付近一帯は安全な後方であるとの認識であった。


 要するに、兵部尚書自身は安全な場所で更なる栄達と銭稼ぎのため、心休まる自宅の庭で遊んでいたのに、なぜか粗暴なる強盗に襲われた、と天の不条理さを嘆いているのであった。


 「閣下!何よりもお早く鎧を……!ぐわっ!」


 どっしゃ。


 この瞬間までに言葉を交わしていた副官が急に潰れた。

 そう、車に引き殺された蛙のように潰れた。

 汚職をでっち上げて殺した、愛妾の元夫のように潰れた。

 生意気な言葉で儂に上納を拒否した科挙の合格者のように潰れた。

 年老いたから実家の財産を吸い尽くすために殺した一人目の妻のように潰れた。

 寝所への呼び出しを断った宮女のように潰れた。

 高貴な女も一興と襲った秦姫殿下のおようだにえだえいおふぇ……。


 ぐっじゃっ!


 「ふむ。こんな最前線の陣地にまで女を連れ込むのが帝国の将軍のやりようなのか。なんとも愚かなような気もするが、戦で昂った心を休めるためには精を出すのも一興か……おい!お前たち?」

 「はっ!!」


 若将軍は近侍兵の者達を振り返ってそう言う。


 「俺はこれからそこで寝ておる女たちを一刻程抱いてくる。お前たちも帝国兵を殺し終わったら、近くの女を好きにして良い。そう、他の者達にも伝えよ!」

 「「ははっ!大可汗のご配慮に感謝いたします!」」

 「良し!去ね!」

 「「ははっ!」」


 近侍の者達は緊張の面持ちで伝令を務めた。


 なぜ緊張をしていたか。


 それは略奪の許可が総大将から与えられたからだ。


 総大将からの略奪許可、もしこれを聞いていないと主張する将軍や族長がいたら大変だ。

 彼らは自分たちが略奪出来なかった恨みをそのままに自分たちへとぶつけるであろう。

 「代わりにお前の家族を略奪させろ」と襲って来るに違いないのだ。


 その場に居た若将軍の近侍兵は三名。

 三名共に東原女真ではそこそこの部族出身だが、決して族長の息子とか、そういう身分ではない。

 むしろ、部族内では下層であるために、戦場での働きによる栄達を求めた口である。

 ようするに、将軍一族やら族長一族から「略奪対称」と認定されたら、家族は死ぬ。

 間違いなく殺される。

 弄ばれたうえで殺される。

 およそ、人が考え付く最も残忍な手法で殺される。

 だが……男はまだましであろう……本当に悲惨なのは女だ。


 彼らは走った。

 全速で走った。

 伝令忘れが無いよう、全軍、全将軍、全族長に全力で伝えまくった。


 そのおかげを以て、彼らは全ての将軍や族長たちから恨まれることにはならなかった。

 努力の勝利である。


 だがしかし、その伝令は少々行き過ぎであった上に、あまりの楽勝に昂ぶりの収まりがつかぬ清軍は若将軍の略奪許可を拡大解釈した。


 最初に行った者は誰であったのだろうか?

 今となってはその記憶を持つものは誰もいない。


 東原女真の軍五万はその勢いのままに靺地を破壊した。

 町は破壊され、男は殺され、老人は生きたまま川に捨てられ、女子供は尊厳を奪われて靺地の東へと連れ去られた。


 後代の史書にはこうある。

 華歴二百三十二年に女真族蜂起、清、遼を征服するもその治政は蛮行卑劣、特に東原女真の愚行著し。

 その愚行を持って建国の契機を逸し、己の身によってその代償を支払うこととなる……。


 東原女真族は黒衣の導師の助言によって、女真族の長、黒、清、遼の三国に建国するまで伸長するかと思われたが、結局は己の蛮行によって、その土台を壊してしまった。

 この靺地の虐殺以降、東原女真は女真族内で完全に孤立することとなった。


 女真族の没落、このことを持って、次の虎狼が北西の高原より飛来する。

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